人間皆兄弟って、信頼感豊かにやりたいなぁ。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.262の、5行目途中から。
神様に選ばれた青年の立ち居振る舞いは、まるでその人が1人の個人として生き始めたことが、全人類が生き直し出したかのようですし、自分らしさを意識することが、人類全てを意識することでもあるわけです。その他もろもろは、仲間意識やら、仕事やら、趣味やらで仲間内になった(訳注:サル山の)群れに、身を隠します。神様に選ばれた青年にとっては、歴史は、その始まりも終わりも、彼と共にあります。その他もろもろは、思い出を省みるにしても、伝説を見るにしても、本を読むにしても、先達が何を語り、何をしたかを、現在と将来の雛形にしようとします。神様に選ばれた青年は、老人みたいですし、あるいは、子どものままのようです。老子って、そういう意味でしたよね。
神様に選ばれた青年は、老人みたいで、子どもみたい。「問い」と共に「解」も了解した存在です。
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