西村秀夫先生が亡くなる前、数年間、それまで『聖書報告』を担当してた西村秀夫先生、現在は北星学園理事長 、当時は恵泉女学園短大学長の大山綱夫先生に加えて、もっと若い者も、ということで、理化学研究所研究員の山口和彦さんと私が聖書報告することになりました。
今宵は、『新約聖書』「ルカによる福音書」第4章1節~4節「荒野の試み」から、悪魔について、学びたいと思います。
新共同訳では、「ルカによる福音書」第4章1節~2節は
「1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒野の中を、〝霊〟によって引き回され、2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」
ここを私なりに訳したのが次になります。
「1それでイエスは聖霊に満たされて、ヨルダン川から帰った。そして、聖霊によって荒野に導かれ、2四十日間、「こっちはいいけどあっちはダメ」と物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔から試練に遭われた。そして、その間何も食べず、その期間が終わるとき、彼はお腹をすかせていた。」
ここで、「悪魔」と新共同訳で訳されているところを、「こっちはいいけどあっちはダメ」と物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔」と私は説明的に訳しました。というのも、「悪魔」と訳されているギリシア語のδιάβολος ディアバロスは、διά「2つ」とβάλλω「投げる」「バラバラにする」の組み合わせからできていますから、「物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔」という意味になります。
神様が世界を創造されたとき、繰り返し「極めて良い」「非常に良かった」と繰り返されました(『旧約聖書』「創世記」第1章31節)。しかし、悪魔は違います。神の創造に対して、ケチを付ける存在です。「これは良いけど、あれはダメだ」という訳です。
でも、大したことないじゃないの? と思う人もいるかもしれませんね。ところが、これが曲者なんですね。それはこういうことです。
物事を善悪2つに分裂されるとき、それは、心の中にも善悪を分ける「心の壁」が出来ています。心の中の「悪」には、激しい怒りや憎しみなどの強い感情がつきものです。そして、もっと厄介なのは、それは、心の内に留まらずに、外側に「投げる」ことになります。つまり、悪は外にあると思いがち。「悪」を人に、外に「投影」しがち。
ですから、悪魔、つまり、物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔が、心の中の敵意や憎しみを人に外に投影して、あらゆる小競り合いから戦争までも引き起こす、という訳です。
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