サイコセラピーをする毎日の中で、本の時たま、ひとでなし、とおもうひとにであうばあいがあります。人格障害Mみたないな人です。「自分と家族と子分のためなら、一番弱い立場の子どもの幸せなど、どうでもいいや」と騙しと恫喝とで、虐げても、悪びれるそぶりもなく、平気の平左。そんな人のことに触れた本田哲郎神父様『釜ヶ崎と福音』から。再録です。意外に大事な視点です。
人は、たとえしいたげられても、必ずしもひととして尊厳を失うものではありません。むしろ、おのれの尊厳を孤高に保つということも、まま、あります。しかし、人をしいたげる側は確実に「ひとでなし」になっています。
それでも、
「父は悪人にも善人にも日をのぼらせ、義者にも不義者にも雨を降らせたもう。」
(『新約聖書』「マタイによる福音書」第5章45節 前田護郎先生訳)とあるところに、人智を超える恵みもあります。
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