表現するだけで、発達トラウマは解消するか? 言葉にする必要もあるのか?ルターとドイツ神秘主義 自分を確かにするには、進取の気質が必要だったり、積極的であったりする必要があると考えがちです。しかし、実際は真逆です。完......
映画「生きる」。今宵BSでやっていますね。私も何度か見てきました。志村喬さん演じる,市民課の渡辺課長さんの葬式で,お役所仕事は「何もしない」ことが仕事だ,という件がありますね。私は,これは,少し違うと感じました。例外があるからです。「何もしない」のではなくて,正確には「言い訳以外は何もしない」のが,お役所仕事です。
それまでは,やはり,言い訳以外は何もしてこなかった渡辺課長も,自分の死が近いことを知って,そして,健気に働く若い女性とやり取りをする中で,公園を作る決意をします。その場面は,喫茶店でした。高校生たちが誕生会をしていて,「ハッピーバースデー」を歌います(上の2枚目の写真です)。これは,渡辺課長の中に,≪本当の自分≫が誕生したことの象徴でしたね。
そして,「人が変わった」ように,渡辺課長は,公園づくりのために,市役所の「縄張りを超えて」各課を回ったり,住民を回ったりして生きます。市役所のみんなは「困った」「迷惑」だと言うのにもかかわらず,です。そして,公園が完成して間もなく,渡辺課長さんは,その公園で亡くなります。
雪降る公園で,渡辺課長がブランコに乗りながら,「恋せよ,乙女」を歌う,有名なシーンです(上の1枚目の写真)。この場面を見た警察官が,お葬式に来て,その渡辺課長さんの姿が「嬉しそうでした」と言ってましたでしょ。≪本当の自分≫が生きるための遊びを子どもが遊ぶ時に見せる「出来た」,テテレスタイ,と同じで,歌を歌うブランコの渡辺課長も「出来た」,テテレスタイと言っていたのですよね。
市役所の皆さんの中には,渡辺課長の生き方に感動して,そんな生き方をしよう,というものもいましたね。でも,市役所に戻ると,今まで通り。≪本当の自分≫は死んだまま,「言い訳以外は何もしない」生き方に逆戻りでしたでしょ。
せっかくこの世に産み落とされ,生かされているのですから,ニューヨークのスピリチュアル・カウンセラー,岡田圭さんがおっしゃるみたいに,「永遠に生きるような態度で生きる」のは止めて,「どのように生きるのか?」を意識して,今日という日も生きたいものですね。
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