子どもを道具にして、生きる親は勘弁してもらいたいですね。でもね、今どきの日本、これが結構いるから困ります。
p95の1行目途中から。
子どもたちが、投影の目的に役立つのは、不幸な結婚を解消しようとする時もそうです。このような状況で、親たちがあれこれよく言う議論は、子どもから、温もりのある家庭という幸福を奪わないためには、自分たちは分かれられない、ということです。しかしながら、細かく研究したら分かることですが、「温もりのない家庭」にある緊張感や満たさなない感じは、ハッキリとした離婚以上に、子どもたちを、蝕むものなんですね。ハッキリと離婚すれば、子どもたちは、少なくとも、人は耐えられない状況は、勇気ある決断によって、終わりにすることができる、ということは学べるからですね。
子どもはいろいろなところで利用されんですね。「離婚しないのは子どものためだ」、というのは、よく聞く話。「子は鎹」も、この意味でつかわます。しかし、フロムは、そう言った形で子どもを利用するのは、離婚をすることよりもダメだ、と言うんですね。私もそう思います。
それは、≪イメージ≫と≪話し言葉≫と≪出来事・態度≫の分裂、ウソとゴマカシになるからです。それは、根源的信頼感を深く傷つけますでしょ。
ですから、ことほど左様に、何気ないこと、「こどものため」ということが、実は子どもを深く傷つけていることが、実は非常に多いんですね。
みなさん、注意してくださいね。
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