ルターは自分自身に忠実になることによって、クリスチャンの信頼を新しい次元に引き上げてくれました。
Young Man Luther 『青年ルター』p213の3行目から。
savior セイヴィアー≪ひとりびとりを確かにしてくれる人≫として人類から崇められる人たちは、普通の人だったら、自分をゴマカシたり、人をダマクラカしたりして、逃げ出すに違いない、いろんな洞察に、いつも、向き合い、言葉にしてんですね。こういう人たちは、世界の果てまでも、何千年後の世界までも、遥かに及ぶような、その人ならではの不思議な声によって、自分の持ち味を明らかにします。こういう人たちの苦しみには、自ら選択し、自分が自分をコントロールし、自分が勝利し、遅かれ早かれ、キリストの名を勝ち得るという要素があります。いばらの冠も、後になれば、後に続く者たちの王冠にもなります。すぐに、ルターは、最初の革命的な個人になる訳ですが、savior セイヴィアー≪ひとりびとりを確かにしてくれる人≫を、王冠やら、行事やら、上下関係やら、特高やら、から救いだし、ルターが生きて居る場、すなわち、ひとりびとりの魂の中に、savior セイヴィアー≪ひとりびとりを確かにしてくれる人≫を取り戻したのでした。
ルターは、このようにして、日曜礼拝に頼らず、立派な建物や祭壇に頼らず、司祭さんや牧師さんに頼らず、自分の魂におられます savior セイヴィアー≪ひとりびとりを確かにしてくれる人≫と対話する中で、自分を確かにする道を、見つけ出したのでした。そして、それは、今の私たちにもできることではないか、と思うのですね。
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