#ニューロフィードバックの実力 #右側頭葉の働きすぎを静めます
#気持ち と #命 #右脳と左脳の話の続き 発達トラウマ障害(DTD)の子どもも大人も,心の友達がいない訳 本当に信頼しているものと、「泣く赤子」 視線......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
p.115の第2パラグラフから。
今朝は,p.116の,第4パラグラフから。
心響かせることに身を入れる
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安心して赤ちゃんがお母さんにくっ付いていられることは,同時に,できたという気持ちを育てますが,「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」を創造します。この「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」は,生涯を通して,挫けずに生きる秘訣です。安心してくっ付いていられる子ども等は,自分が心地よいと感じるようになります。というのも,安心してお母さんにくっ付いていられる赤ちゃんは,自分(や人)が気分が悪くなるものを見付けて,善くする心の習慣を身に着けているからです。善くする心の習慣って,自分の方から関われば,自分の気持ちや人の反応が変えられると分かっています。安心できるアタッチメントがうまくできた子ども等は,自分で解決できる状況と助けが必要な状況の分別がつくようになります。安心してくっ付いていられる子ども等は,困難に直面しても,自分から困難に向き合っていくことができるようになります。反対に,粗末に育てられた子ども等や,相手にされずに育った子ども等が身に着けることと言ったら,怖がっても,お願いしても,泣いても,親が相手をしてくれない,ということです。何をしたって,何を言ったって,親は打つことを止めてくれませんし,眼も助けもくれません。粗末に育てられたり,親から相手にされずに育った子ども等は,後年試練に出会うと,諦め人生を生きること決まってしまいます。
生きている実感を感じるようになる
ボールビーの同時代の人,小児科で精神分析家のドナルド・ウィニコットこそ,心響かせる関わりを研究する今の研究の父です。ウィニコットの精緻な母子観察は,お母さんが自分の赤ちゃんを抱っこするやり方を観察することから始まりました。ウィニコットが提示したのは,赤ちゃんの身体とお母さんの身体に触れ合うことが,赤ちゃんが生かされている実感を実感する元ですよ,それに伴い,本当の自分と生涯一心同体に成るということの元ですよ,ということです。お母さんが我が子を抱く抱き方が,「その子の身体がその子の魂が生きた場と感じる元」ですよ、ということです。私どもの身体が腑に落ち実感していることが,「生きている実感」の大元です。
ウィニコットが考えたのは,大部分のお母さんは赤ちゃんに上手に心響かれていた,ということでした。「いいお母さん」とウィニコットが呼ぶ母親になるのは,特別な才能などいりません。しかしながら,ことが本当に悪くなるのは,お母さんが赤ちゃんの実感に心響かせることができない場合です。もし,お母さんが赤ちゃんの体感やニーズにピッタリと息を合わせることができない場合,赤ちゃんはお母さんが「この子はこうなってほしい」という思いを忖度し合わせるようになってしまいます。赤ちゃんが実感している体感を軽く見たり,母親自身がしてほしいことに赤ちゃんを合わせようとしたりすると,赤ちゃんは,自分の生き方は「なんかおかしい」と感じるようになってしまいます。お母さんが息を合わせてくれない子ども等は,傷つきやすく,自分の身体から直接貰える実感,すなわち,心からの歓び,生きる目的,生きる指針の3つの大元を実感できません。
ボールビーやウィニコット等のアイデアが紹介されて数年後,世界中でアタッチメント理論のおかげで,大部分の子ども等は,安心してお母さんにくっ付いていられるアタッチメントがあると分かりました。安心してお母さんにくっ付いていられるアタッチメントがある子ども等が大人になりますと,頼りになり心響く関わりをしてもらえたことから、恐れや心配はご無用になります。押しつぶされるような出来事,すなわち,トラウマに晒されることがなければ,生涯を通して安心できる状態がいつもの生き方になります。トラウマがありますと,自分で自分の気持ちを治めることができなくなります。安心して赤ちゃんがお母さんにくっつくことは,その子らの対人関係の雛形になります。安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、人の気持ちに気付きますし,現実とお遊びの区別が幼い時分から分かります。安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、ウソと危ない人に鼻が利きます。安心してお母さんにくっ付けた子ども等は,いつも陽気な仲間になりますし,仲間と認め合う経験をたくさんします。他の人達に心響かせることができるようになると,声や顔色の微妙な変化にすぐに気付いて,その人に心響くように合わせることができます。安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、世の中に対する理解を人と分かち合う中で生きるようになりますし,その社会の重要なメンバーになります。
ところが,このような好循環も,子どもを粗末に育てたり,子どもの気持ちに気付かぬふりをしていると,簡単に悪循環します。粗末に育てられた子ども等は,声色と表情の変化に敏感なのに,声色や表情を,心響かせたままでいることのサインでなく,脅しと受け取ります。ウィスコンシン大学のセス・ポラックによれば,普通の子と粗末に育てられた子に,一連の顔を見せて,その反応を比較しました。怒りから悲しみまでの顔写真を見せますと,粗末に育てられた子は,怒りの微かな特徴に過剰に反応しました。
これには1つ理由があります。すなわち,粗末に育てられた子等は,とても被害者意識が高く,怖がりだ,ということです。学校の廊下の,顔の海の中を,襲ってくる人を見付けながら,通ることをイメージしてみてください。
人は、粗末に育てられますと,生きた心地も失せる人生になりがちです。
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