脱感作も、感覚過敏を取るだけでは、全く足りません。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.224の、脱感作の第2パラグラフから。
いろんな脱感作のことを考えると、1人の幼い男の子のことを思い出します。その男の子は5才位だったはずです。その男の子に最近我が家の前で会いました。その子の太っちょの父親が、その男の子を大声で怒鳴ってたんですね。男の子は三輪車に乗って、我が家の前の道を下ってた時のことです。この子が怒鳴られても、平気の平左なので、私の心臓の鼓動は早くなり、その父親を殴り倒したい衝動に駆られました。どれだけ殴ったら、あんな幼い子どもの感覚が、父親の暴力に反応しなくなるのか? その男の子が父親の怒鳴り声に反応しなくなっていることは、長い間暴力に晒されたからでしょう。しかし、その代償はどれだけ高くついたのかを、私は案じます。
私も、この手の親と教員に出逢う時、ヴァン・デ・コーク教授と同様に、張り倒したい衝動に駆られることがありますもんね。でもね、もちろん張り倒したこと等ありませんからね。
この脱感作では、何のための脱感作か分からないですね。
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