宮崎奕保禅師宮崎奕保禅師、と言って、知っている方はどれくらいいるのでしょうか? かく言う私も、いまから十年ほど前、NHKスペシャルで「永平寺 104歳の禅師」を拝見するまで知りませんで...
大人と子どもの関係を支配する正義は、大人が身勝手にコントロールするとき、子どもに抜きがたいはじをもたらします。それがあらゆる依存症の≪悪≫の元凶となります。やってる大人は「正しいこと」を教えているつもりなのが、何とも救いがたい状況で、しかも、ほぼ毎日私が見せられている状況なのですね。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.256の、第2パラグラフの8行目途中から。
「その人は、神のみ前で罪と恥を感じるようにされて…恥は今や1000倍にもなって、その人は神のみ前に立てば、顔が赤くなる。というのも、これは、その人がそっと隠れる隅っこも穴も、この世にないだけじゃなくて、地獄にさえない、のですから。その人は世間の目に晒され、恥さらしにあわない筈がありませんよね。それは悪い良心が、悪いことをしたと気付いて、居たたまれなくなった時に、恥を感じることに似ています」
エリクソンは、人生の2番目の舞台の危機は、オートノミー自律の感じに傾くのか、それとも、恥と迷いの感じに傾くのか の危機だと言いますでしょ。この恥が前面に出ている人は、気持ちを出すのが苦手な人ですね。抑制タイプの愛着障害の人に多いパターンです。でもね、その恥が強くなると、恥を恥と思わなくなる場合もあんですね。そうすると、恥をかいた時に、恥をかかせた「相手」に対する激しい怒りを人に向けるようになんですね。その激しい怒りを爆発されるのが、脱抑制タイプの愛着障害の人に多くなる、という訳ですね。
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