エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

恥と激しい怒り

2016-02-10 12:10:46 | アイデンティティの根源

 

 

 
宮崎奕保禅師
  宮崎奕保禅師、と言って、知っている方はどれくらいいるのでしょうか? かく言う私も、いまから十年ほど前、NHKスペシャルで「永平寺 104歳の禅師」を拝見するまで知りませんで...
 

 

 大人と子どもの関係を支配する正義は、大人が身勝手にコントロールするとき、子どもに抜きがたいはじをもたらします。それがあらゆる依存症の≪悪≫の元凶となります。やってる大人は「正しいこと」を教えているつもりなのが、何とも救いがたい状況で、しかも、ほぼ毎日私が見せられている状況なのですね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.256の、第2パラグラフの8行目途中から。

 

 

 

 

 

 

「その人は、神のみ前で罪と恥を感じるようにされて…恥は今や1000倍にもなって、その人は神のみ前に立てば、顔が赤くなる。というのも、これは、その人がそっと隠れる隅っこも穴も、この世にないだけじゃなくて、地獄にさえない、のですから。その人は世間の目に晒され、恥さらしにあわない筈がありませんよね。それは悪い良心が、悪いことをしたと気付いて、居たたまれなくなった時に、恥を感じることに似ています」

 

 

 

 

 

 エリクソンは、人生の2番目の舞台の危機は、オートノミー自律の感じに傾くのか、それとも、恥と迷いの感じに傾くのか の危機だと言いますでしょ。この恥が前面に出ている人は、気持ちを出すのが苦手な人ですね。抑制タイプの愛着障害の人に多いパターンです。でもね、その恥が強くなると、恥を恥と思わなくなる場合もあんですね。そうすると、恥をかいた時に、恥をかかせた「相手」に対する激しい怒りを人に向けるようになんですね。その激しい怒りを爆発されるのが、脱抑制タイプの愛着障害の人に多くなる、という訳ですね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 丁寧に丁寧に、 | トップ | 何で僕だけ、怒られなくっち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿