発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p166、1行目途中から。
とあるケースでは、普通のストレス反応に敏感で、些細なことが気になり、セラピストに伝えるものが、いつでもある子どももいます。些細なことを気にしすぎですと、生活するのもつらくなりますし、ストレスが減るどころか増えてしまいます。ところが、興味深いことに、その子どもに、社会的なつながりがあまりありませんと、セラピーは効果的になります。おそらく、セラピーの場が、その子が普段体験できない場になるからでしょう。大事なことは、発達トラウマ障害(DTD)の人たちのニーズは、人それぞれだ、ということです。当人が望まないのに、トラウマを話し合うような真似は慎まなくてはなりません。もしも、発達トラウマ障害(DTD)の子どもが、人の気持ちに敏感で、世話をしてくれる大人たちに恵まれたら、タイミングがよくて、一定の期間、一定の頻度のあるセラピーの時間を、その子どもが増やすこともできます。私どもは、これが、ダヴィデ派のセブンスデー・アドベンチャーの子ども達に実践されているのを見ましたし、真面な支援を受けている、発達トラウマ障害(DTD)を治療している子ども達すべてに、同じ治療方針が当てはまると感じています。
発達トラウマ障害(DTD)の子どもには、人の気持ちに敏感な大人が1人、必ず必要です。その大人がいる場合は、子どもは、必ず、セラピーの頻度を自分で選ぶことが可能です。
日本には、このように治療方針を実現できているところは、ない、と言っても過言ではありませんね。
発達トラウマ障害(DTD)の子どものセラピーも、だいたい、「大人の都合」、「大人の事情」という子どもっぽい判断の下、不十分、かつ、不適当なことしかできていないのが現状です。
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