#人を巧みに操る嘘つき #悪魔の安倍詐欺師ちゃんではありません聖書の言葉 : 聖書の約束 「実際には、約束です」 人間にとって根源的に大事なことは、何なのか? 復活するために 科学技術と指導者 「人間皆兄弟」、1......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.36の,第4パラグラフ,下から6行目途中から。その前もご一緒に。
脳を落ち着かせること
1985年のアメリカ精神薬理学会の総会は,可能ならば,それ以前の会よりも,はるかに知的刺激に満ち満ちたものになりましたね。キングスカレッジの教授,ジェフリー・グレーは,扁桃体の話をしました。扁桃体は,音,イメージ,体感が,脅威を感じるかを判断する脳の塊です。グレーが教えてくれたことは,扁桃体の感受性は,少なくとも一部は,脳の部分にセロトニンという神経伝達物質の量による,ということでした。セロトニンが低レベルの動物は,ストレス刺激に過剰に反応しましたが(大きな音を立てる),セロトニンが高レベルの動物は,警戒システムを弱めましたから,脅威になるかもしれないことに対して,攻撃的にならず,凍り付くこともありません。
1985年のアメリカ精神薬理学会の総会は,私にとって,大切な発見となりました。私の患者さんは,小さなことがきっかけで,怒りを爆発させますし,ちょっと断られたくらいで,ひどく落ち込みます。私はPTSDにおいてセロトニンが果たす役割について,強い関心を持ちました。他の研究者の報告によれば,男のボス猿は,低い地位のサルに比べて,セロトニンレベルが極めて高い,ということでしたが,かつてエバっていたサルにアイコンタクトを続けると,セロトニンレベルが下がる,ということでした。反対に,低い地位のサルが,セロトニンのサプリメントをもらうと,ボスになろうとして,群れから離れる,というわけです。人という環境は,脳内の化学物質と呼応しているんです。一匹のサルを操作して,上下関係の中で低い位置にすると,その猿のセロトニンレベルが下がりましたし,化学的にセロトニンを増やすと,以前は下にいた者たちのランクが上がりました。
トラウマを負わされた人に対する意味は明らかでした。グレーのセロトニンレベルが低いサルと同様に,トラウマを負わされた人は,多動でしたし,人の言いなりになりやすい場合が多かったんです。セロトニンレベルを上げる方法を見つけたなら,トラウマを負わされた人が,多動であることと,人の言いなりになりやすいことを解消することができたのかもしれません。同じ1985年の学会で私が知ったのは,いくつかの製薬会社が,セロトニンレベルを正確に上げるために,2つの新製品を開発中だということでしたね。その新製品は,まだできていませんでしたが,健康食品のお店で手に入れられるサプリメント,L・トリプトファンを,少しの間試しましたことがありました。このL・トリプトファンは,身体の中でセロトニンの化学的前駆体になる物質です(いずれの結果は,ダメでした)。研究されていた2つの新製品の1つは,市場に出回ることはありませんでした。もう1つの新製品は,フルオキセチンは,プロザックという商品名ですが,かつて作り出された向精神薬の中で,一番成功することになりました。
月曜日,2月8日1988年,プロザックがエリ・リリー製薬会社から販売されました。私がその日最初にあった患者さんは,ぞっとするほどヒドイ子ども時代の若い女性でしたが,過食に苦しんでいましたから,人生を食べ吐きに費やしてきました。私は新しい薬のプロザックを処方しました。それで,その次にその女性がやってきたのが,その週の木曜日でしたが,「この2日3日,とても違うんです。食べるのはお腹がすいた時だけで,後は勉強をしています」というわけです。これは,今まで聞いた話の中で一番劇的に変化したことを示す言葉でした。
金曜日には,別の患者さんに会いまして,月曜日にプロザックを処方していました。その女性も慢性的にうつの人で,小学生のお子さんが2名いましたが,母親として,妻としても,失敗も多く,子どもの頃に辛い子育てをした両親からの様々な求めに,圧倒されていました。4日間プロザックを服用して,次の月曜日の診察を休んでもいいですか,と言ってきたんです。その日は,ワシントン誕生記念日でお休みでしたから。その女性は「結局は,子どもたちをスキーに連れて行ったことがないんです。いつも主人が連れて行ったんです。子どもたちはその日お休みなんで,いい思い出に,一緒に遊びに出掛けるのがいい,と思うんです。
この人は,一日を過ごすだけで大変な思いするのが常の患者さんだったんですよ。この女性の診察のあと,エリ・リリー社の知り合いに電話して,言ったんです「あなたのところで出した薬は,人が,過去に縛り付けられるのを止めて,今ここにいられるようにするのに役立ちますよ」と。リリー社は,私に少し研究助成金をくれて,64人のPTSDの人にプロザックが効くかを研究することになりました。この研究は,PTSDに対して新種の薬が効く効果を研究する最初の研究になりました。私どものトラウマ治療チームは,33人の退役軍人ではない人と,私の同僚たち,退役軍人局で以前同僚だった人たちを加え,また,31人の退役軍人を加えました。8週間2つのグループのそれぞれ半分がプロザックを,それぞれ後の半分が偽薬を飲みました。研究は,盲検法でした。どの患者さんも,自分が飲んでいる薬が,プロザックなのか,偽薬なのか,知りませんでしんから,私どもの先入観によって,私どもの査定がゆがまないようにするものでした。
このプロザックの効果研究の中で,偽薬を服用した人でさえも,少なくともある程度,PTSDがよくなりました。PTSDのほとんどの治療研究によって分かったことは,偽薬でもかなり効果がある,ということでした。バイト代も貰えず,繰り返し注射をされ,しかも,効果のある薬を服用できる可能性が50%だけの研究の研究に参加する勇気をふり絞った人の本音は,自分の課題を解決したいという一心でした。もしかしたら,この勇気をふり絞った人たちのご褒美は,自分を診てもらえる,ということだけだったかもしれません。自分が診てもらえる,とは,自分が感じて気持ちや考えていることに関する問いに応えてもらうことでした。しかしながら,お母さんからキスしてもらうと,キーキー言っていた子どもが大人しくなりますから,「本物」の薬なのかもしれませんよ。
プロザックは,トラウマ・クリニックの患者さんたちにとっては,偽薬よりもかなりましでした。患者さんたちは,夜はすやすや眠れましたし,砂糖の偽薬をもらった人よりも,気持ちを上手にコントロールできましたし,過去に囚われることも少なくなりました。ところが,驚いたことに,プロザックは,退役軍人局の戦闘体験者には,全く効果がありませんでした。戦闘体験者のPTSDの症状は,全く変わりませんでした。プロザックが退役軍人の人たちには効かなかった結果は,退役軍人の人たちに対する,これに続く様々な薬理学的研究にも,大体当てはまりました。少し良くなった退役軍人も少しはいましたが,たいていの退役軍人には,全く効きませんでした。なぜなのかは,これまでわかりませんでしたが,一般的な説明には,納得できませんでした。軍人恩給や障害者年金を手にしているから,よくならない,と言われていたんです。結局は,扁桃体は年金を知らないんですから。扁桃体は恐怖を見つけ出すだけなんですから。
それにもかかわらず,プロザックや関連する薬,ゾロフト,セレクザ,シンボルタ,パキシルなどの薬は,トラウマ関係の様々な障害の治療にかなり役立っています。私どものぷろざっく研究では,ロールシャッハテストを用いて,トラウマを負わされた人たちが,どのように周りの人たちを受け止めているのかを調べました。この研究のデータのおかげで,この種の薬(公的には,セロトニン再取り込み阻害剤,SSRI)がどのように効くのか,ということの手掛かりを得ることができました。プロザックを飲む前は,こういった患者さんたちの様々な気持ちによって,様々な反応が抑制されていました。たとえば,オランダ系の患者さんは,子どものころにレイプされたことを治療しに来ていた人ですが,その女性は私の英語のオランダ訛りを聞いた瞬間,私もその女性をレイプするに違いない,と確信したんです。ところが,プロザックを飲みますと,全く違ってきました。プロザックのおかげで,PTSDの患者さんたちは,見通しを持つことができて,自分の様々な衝動に対して,だいぶコントロールすることができるようになったんです。ジェフリー・グレーの言ったことは,本当だったんですね。PTSD患者さんたちのセロトニンレベルが上がると,私のPTSD患者さんは,物事に動じることが少なくなった人が多かったんですから。
薬理学の勝利
薬理学が精神医学に革命をもたらすのに,そんなに時間がかかりませんでしたね。様々な薬のおかげで,医者たちは「自分も結構やれるもんだなぁ」と自信をもたらしましたし,お話しセラピーに勝る道具を手にしました。様々な薬のおかげて,医者たちは,収入を得てがっぽり儲けました。製薬産業から補助金がガッポがっぽと来るので,私ども医学教育をする者には,エネルギッシュな大学院生と高価な研究器具とで溢れ返りました。精神医学教室は,病院の地下室にあることが相場でしたが,精神医学教室の地位とフロアーが,共に上がりだしました。
この変化の象徴の1つは,マサチューセッツ州立精神衛生病院でもありました。そこでは,1990年代はじめに,病院のプールに蓋をして,研究所にするスペースを作りました。また,室内のバスケットボールのコートが,真新しいクリニックのいくつもの診察室に早変わりしました。何十年もの間,医者と患者は,プールに水しぶきを上げて,民主的に一緒に遊んできましたし,バスケートボールのコートでは,ボールをパスしてきました。体育館で何時間も患者さんと一緒に汗を流したのは,病院研修生だったころのことです。体育館は,私ども医者も患者も,身体の良い状態を実感する実感を回復する場でしたし,体育館は,私ども医者と患者が直面させられていた深い悲しみの中にある,救いの小島でしたね。いまや,その場所は,患者が「良くなる」場になってしまいました。
薬が革命的に変化が,たくさんの約束を伴って始まったことから,その革命的変化の終焉も,良かったことと同じくらいの弊害を伴っていたのかもしれませんよ。病気は脳内の化学物質のバランスがおかしいから生じるんだから,特定の薬によって,バランスを取り戻せば,治るはずだという理論が,広く受け容れられましたが,それは病院関係者ばかりではなくて,マスコミや一般の人もそうでした。多くの病院で,薬がセラピーに取って代わりましたし,背景をなす発達トラウマの課題には目もくれずに,症状だけを取りました。抗不安剤のおかげで,日々の暮らしをしていくのに役立つ,という点で,世界が変わりました。睡眠薬を飲むのか,それとも,ちょっとの間眠るために,グデングデンに酔い潰れるまで毎晩お酒を飲むのかを選ぶなら,選択の余地はないでしょ。ヨガ教室,トレーニングをする習慣,単に耐え抜くことを通して,自分の力でうまくやろうとすることに疲れている人にとって,薬を飲むと,ホッとできて救われた思いをする場合が多いんです。様々なSSRIは,トラウマを負わされた人が自分のいろんな感情に捕らわれていることから解放してくれるのに役立ちます。ところが,様々なSSRIは,あらゆる治療において,補助的なものと考えるべきです。
ヴァン・デ・コーク教授の薬に対する考え方は,ハッキリしています。
薬は治療の補助でしかない,ということです。
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