今宵も、昔、成城の砧区民会館4階の集会室をお借りして開催していた「聖書を学ぶ会」で学んだことの続きです。『新約聖書』「ルカによる福音書」第4章1節~4節「荒野の試み」から、「聖書の処世術」について、学びたいと思います。
「悪魔」は神の創造にケチをつけて、「こっち(俺様)はいいけど、あっち(あんた・お前)はダメ」と言って、人をそそのかす存在です。
それに対して、イエスは断食をして立ち向かったことが解かります。断食は、お腹・腸の詰まり、つまり?、宿便という腸の痞え(つかえ)を取るものです。心身一如の立場に立てば、腸のつまりは、心の詰まり、つまり? 心もつまりのためにスムースに働きませんでしょ。心の詰まりとは、思い悩み、重い患い、思い煩い、と相場が決まっています。
「思い煩う」ことは、ギリシア語では、μεριμνάω メリムナオーです。そして、このμεριμνάωは、μερίζω メリゾー 「別々にする」、「分裂させる」とμνεία ムネイア 「思い」を組み合わせた言葉ですから、「思いがバラバラになること」です。ですから、私どもが思い煩うことは、悪魔が「こっち(俺様)はいいけど、あっち(あんた・お前)はダメ」あるいは、その逆「あの人は良い(羨ましい)けど、私はダメだぁ」と私どもを唆しているのに、まんまと引っかかることになる、という訳ですね。
ですから、イエスが私どもに繰り返し教えてくださることは、
「思い煩うな μή μεριμνατε」 メ・メリムナテ=物事を善悪ふたつに分けるな(マタイ6:25など)であり、
「私は必ずあなた(たち)と共にいる έσομαι μετα σου」エスモイ・メタ・スー(イザヤ41:10)
なんですよね。
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