人を大事にすることに社会的な可能性を信頼することこそ、合理的信頼です!!人とのやり取りや、人を大事にすることを、社会システムに組み込んでいきたいものですね。 とうとう第4章も、今日が最終回。 p1231行目途中から。&...
忙しい毎日を送って、内省を怠っていたら、自分が何色の世界に暮らしているのか? 知らないままに生きることになります。そういう人って、たいてい「灰色の世界」に生きていたりして…。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p91の、下から9行目途中から。
生まれながら心抱く、いろんな葛藤や、破壊的ないろんな二律背反のなかで、身体、対人関係、自我、それぞれの仕組みが潜在的に補い合っていることを研究することができますからね。このような研究は、様々な歴史的状況の中で、精神分析が、それ自身の歴史と、その価値と倫理に対する衝撃について、より自覚的であればあるほど、実り多いものになることでしょう。新たな文化史を見て初めてできることがあります。それは、ひとりびとりの発達の細々したことすべてが、大きな仕組みとぴったり一致するのか、それとも、それとは異なるのかを明らかにできるでしょう。この大きな仕組みは、様々な信念体験がどのように受け継がれていくのかということの中に、あるいは、政治経済の価値という歴史的な前提の中に、または、いろんな科学理論を経験に当てはめることの中に、それぞれ示されるものです。
ひとりびとりの育ちが、大きな社会の仕組みに適応するのか、それとも、どんどんそれから逸れて違ったものになるのか、見ていくことが大事です。今の日本のように、人間が人間として育っていけない社会では、特にそうですね。
私どもは、ビックリするくらいの子どもたちが、社会の仕組みからこぼれる、いや、振るい落とされる現実を直視するためにも、こういった文化史の視点から見ることが必要でしょう。子どもの貧困、虐待は、遊びや食文化の貧困と直結しているのですから。
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