ルターは、自己正当化のために、聖書ををアビューズ、虐待、悪用するとき、堕落が始まりました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.240の、第2パラグラフのから。
「ルターは神の人で、プチブル的な安逸を貪っていましたし、太鼓持ちたちに囲まれていました。この太鼓持ち達は、ルターがオナラをしても、そのオナラが神の啓示か、聖霊の働きに違いないと思い込んでいました。…ルターは、改革者の質を下げてしまいましたし、後の時代にあって、改革者ごっこをしたい、忌まわしい御人好したちを作り出すことになったのです。ルターの晩年は、平々凡々としていたと見なされました。」
こんな太鼓持ち達に囲われたら、人は間違いを起こしやすいですね。自分は「偉大」かもしれない。そういう大間違いをしでかしやすい。まるでオウム真理教の麻原のオシッコや汗や血をありがたがるように者ですね。これはもう、偶像崇拝、といっていいでしょう。信頼を回復したはずのルターでさえ、その真逆の偶像崇拝に陥るのですから、偶像崇拝に陥ることがいかに容易く、深い淵であるかが分かるだろうと思います。
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