エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

神意と人意

2015-11-16 02:58:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
最深欲求 > 黄金律
  黄金律には不思議な力があることがハッキリ分かりますね。 p221第3パラグラフ。    &nb...
 

 

 今晩も、私事から始めますことをお許しくださいね。

 1985年の8月に、初めて狛江は喜多見の西村秀夫先生のお宅を訪ねて、予め、門扉が開かれていたことを思い出します。私が伺った晩、西村先生のお宅に、大塚久雄先生からの電話がかかってきたのも、よく覚えています。大塚先生の本はマックス・ウェーバー関係の本を何冊か読んでいましたから、印象深く残ったのかもしれません。その晩で、私は集会に参加が許されました。初めて「聖書を学ぶ会」に参加したのが、翌9月からでした。世田谷の日大商学部近くの、小さな集会場だったと思います。成城学園からバスで20分くらいだったでしょうか。初めての場所ですから、「遅刻厳禁」と聴いていた無教会の集会なのに、私ははじめから遅刻で参加することになりました。

 初めての9月の集会の便りが西村先生から送られてきた時だと思うのですが、矢内原忠雄全集などから、「参考資料に」ということで、何枚かのコピーもいただきました。その中の一つ「子供について」は以前、このブログで取り上げました(矢内原忠雄の「子供について」)。

 今日は、その中から、「神意と人意」を取り上げたいと思います。大学3年の当時は、この文書は、文字は読めても、その中身は何のことを言っているのか、正直言って、チンプンカンプン。私にとっては、禅問答のようなものでしたね。いまでも、そのすべてを実感を以て分かったとは言えません。A4で1枚の短い文章です。その一部は、http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/44256830.htmlで読めます。矢内原忠雄先生は、神意の特色を4点挙げておられます。矢内原忠雄先生のご経験の中から導き出したものだと思われます。極めて厳格な矢内原忠雄先生のこと、そこに一点の曇りもないはずです。

 この中で私が実感を持つのは、1点目の、「神意である場合には、何よりも先ず圧倒的な畏怖(いふ)、厳粛(げんしゅく)感が私の心を支配」すると言う点と、4点目の、「つつしみを以て日を過ごす中、それの成就されて行く道が客観的に開か」れる、と言う点ですね。波瀾万丈を文字通り生きてきまして、ここでは具体的には記せませんが、「奇跡」のような体験を何度かしたことがあります。その時には、何の(客観的史実と言う名の)根拠もなく、1点目の感じ、すなわち、厳粛な強い予感がまずありましたね。そして、しばらくすると(あるいは、かなり待ってから)、不思議なことに、その予感が実現する、ということが起きりましたよ。

 占いが当たる話ではありませんよ。神意というものがあるとすれば、厳粛な強い予感がして、しばらくすると、当方が特別に何かした、という訳ではないのに、それが出来事になる、実現する、ということくらい、「神意」の名にふさわしいことはないと思います。

 信頼が豊かだから、神意が実現するのか? 神意が実現するから、信頼が豊かになるのか? 私には分かりません。

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