Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.93,21行目から。昨日訳したところも一緒に載せました。
つまり,フロイトさんがいう,自我の上に立つ者とは,自分自身の一部が,残りの自分の上に立って見張っている者のですし,(訳注:まずは,心の中で,その次に,他者の中に)大嫌いな自分と向かい合わせにする者です。このようにして,私は価値のないガラクタ,私は罪深いケダモノ,と自分を軽蔑するようになるんです。そうすると,残忍なほど自分が大嫌いになるんです。その残忍さたるや,自分を罰してもらった時にだけホッとできる,というほどです。あるいは,自分と真正面から向き合えるのは,(創世記で人間を誑かせた)ヘビを軽蔑するほど,人を蔑ろに(訳注:あるいは,社会に復讐)した時だけ,ということになります。
安倍詐欺師ちゃんやら,佐川,柳瀬某などのお役人たち,日大常務理事にしてアメフト部監督の内田何某,…が,人を蔑ろにするほど,ウソにウソを重ねたり,座間や津久井やまゆり園や鹿児島の殺人事件の容疑者たちの社会に対する復讐は,残忍なほど大嫌いな自分と,赤ちゃんの相手をしてこなかった母親に由来します。
しかし,そもそも,今のニッポンみたいに,そのお母さんが赤ちゃんと共に居ることがほとんどできない社会のことを想像してみてくださいね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます