エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

両極端

2015-10-04 12:18:17 | アイデンティティの根源

 

 

 惨めな生活も覚悟した人の決心は、良心から生まれたものですが、その良心から、人間らしい暮らしを根源的に基礎づける自由が生まれるのです。良心が自由をもたらすのです。これは、戦争の時代でも、平和な時代でも、いつの時代でも変わりません。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.231の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 本当は、ルターは剣を手にして反抗することはなど、現に想いもしなかったんですね。「争いごとの火に油を注ぐ様な事を望めば、ドイツ中に流血の大事件を起こすことになったでしょう。そうです。神聖ローマ帝国皇帝の安全を脅かす様なウォルムスの諍いだって、始められたでしょう。でもね、それが何になるんですか? 馬鹿がやることです。私は、その件を御言葉に任せたんですよね」。それでルターは、偉大なる反動者と呼ばれるようなことをすることになります。歴史のやり取りだけしてたら、偉大な革命家が偉大な反動者を孕んでるかもね、という原理原則を知りたかぁない、となるでしょうけれども、心のやり取りとなれば、偉大な革命家が偉大な反動者を孕んでいることは、ありうることですし、ありがちだと思われても仕方ないですね。

 

 

 

 

 

 善良そうに見える人が、いともたやすく残酷なことをする。世間では立派な学識がのあると思われ、良識を日ごろ説いている人が、考えもつかない裏切りを、手のひらを反すようにできるばかりか、悪びれる様子も、詫びる様子も全くない…。

 心理の学びですね。

 ルターも、偉大な革命家にも、偉大な反動者にもなれた人でした。

 それはなぜなのか? ご一緒に考えて生きましょうよ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 心からの真実に | トップ | 物語による救い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿