エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

儀式が果たす役割って、結局何? 死はもう怖くない

2013-04-28 05:27:49 | エリクソンの発達臨床心理
 前回は老人の知恵の役割、すなわち「統合」がテーマでした。人生の苦難をも「価値あるものと認める」力が、老人の知恵の役割、「統合」でした。
 今回は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、成人期の第3段落の翻訳です。Ritualization in Everyday Lifeも残すところ3つの段落のみです。それでは翻訳です。





 儀式が果たさなくてはならないことは何なのか、私どもはもうわかります。子どもの頃のいくつかの儀式化を結びつけ、再確認し、また、世代間でお互いを認め合うことを肯定することによって、儀式は大人の暮らしを確かなものにするのに役立ちます。そのとき、大人がいったん人生を賭け、勢力を注げば、新しい人々を生み出し、新しいものとアイデアを作り出すこととなります。もちろん、人生の巡り会わせと習慣を、全体の行き先を示す一つの意義深いビジョンと結びつけることによって、儀式は、指導者たちやエリートばかりではなく、そのビジョンを共有するひとりびとりに、永遠の命という感じを生み出します。そして、まぎれもなく、日常生活の儀式化によって、死がすべての生活の背後にある不可解な謎であることを、大人たちは忘れることができますし、また、そのように求められます。疑う余地がないことですが、日常生活の儀式化によって、風土、歴史、技術を同じくする他者と分かち合った世界観の明白な現実を、大人たちは優先できますし、また、そうするように求められもします。儀式という手段によって、実際に死は、そのような現実の意義あるひと区切りとなります。





 これで成人期の第3段落の翻訳は終了です。どうでしょうか?
 今回のところも記述が凝縮していますので、補って翻訳したところがあることを申し添えます。
 さて、エリクソンによると日常生活の儀式化には、少なくとも2つの役割があります。ひとつは、死があらゆる生活の背後にあって、いつも生きることを脅かす不可解な謎であることを、大人になった私どもは忘れることができるし、忘れることを求められることです。もうひとつは、社会で共有されている世界観の明白な現実を優先できるし、そのように求められます。そして、死は意義深い一区切り、けじめとなるわけです。その時、死はもう怖いものではなくなるでしょう。
 しかし、今の日本で問題なのは、明確な世界観が崩れて、ビジョンが見つからずに、多くの人がその閉塞感に苦しんでいる点にあるのではないでしょうか?
 本日はここまで。

 後2つの段落で、この文書の翻訳が終了です。次に翻訳してほしいものがありましたら、Toys and Reasonsの文書の中から、リクエストをしていただければと思います。コメントにでも、ご希望を記してください。よろしくお願い申し上げます。
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