エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#息をピッタリ合わせる生き方 #光の音 その2

2020-12-30 10:57:51 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #ない

 #聖書の言葉 #単独者の恵み #虹色の人生 マハトマ・まど・みちおさんの言葉から 虹 を 見たい...>続きを読む  「発達トラウマ障......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  
  ① EnpediaをGoogle検索
  ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業、でしょう】が施されています)
をご参照ください。

 
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
 p.124,ブランク後の,発達トラウマ障害治療の核心部分の,2度目の翻訳も終了。
 p.124の第3パラグラフの5行目から。

 

 

 ピッタリ息を合わせることは,面白い顔を互いにしたりハグし合うことかもね。

 

 

 息を合わせる。日常的なことでしょ。仕事でも欠かせないことでしたから、様々な歌が生まれました。ソーラン節もそうでしょう その音にはイメージが付きものなんですよ、ピッタリ息が合って、歓び合うイメージでしょうか? 実際には、いろんなイメージがありますね。イメージと音と出来事。それで、そのイメージが音に乗って、出来事になるんです。

 光の音には、ですから、光のイメージと光の出来事が必ずついてきます。不思議でしょ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#人を助ける生き方

2020-12-30 10:29:53 | エリクソンの発達臨床心理
 
#パーとグー

 #偽物の専門家達 も #檻の中 #檻の中にいながら人を檻から救い出せない偽物たち  ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score ......
 

 

 「発達トラウマ障害  Enpedia」
  ① EnpediaをGoogle検索
  ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業,です】が施されています)

 をご参照ください。

 Childhood and Society から。 p.71,第2パラグラフを残します。
 今朝は、p.73の,第2パラグラフ、7行目から。



 私どもが地図にしようとしているのは,いのちの家が目の前に出来ることを賛美することです。それは,人と相対して一心同体に成ることに気付く気付きによれば,内的な促しは,「心から優しい聖書の神様」の響きが共に働いてくださることや,周りの大切な人たちの反応と共に,打てば響く出会いを作り出す時です。

 

 3. 帯,善い振舞い と 感覚

  A. 口と五感

 

 いのちの家が目の前に次第に出来ることを賛美して、打てば響く出会いの最初が起こるのは,生まれたばかりの赤ちゃんが,お母さんの身体と一体だったところからお別れして,お母さんの胸に置かれた時です。お口で身体に取り入れるという,生まれながらに身に着けている,大なり小なり,「聖書の神様のいのちが一巡する結界の置かれた」力は,お母さんの胸一体になりますし,その赤ちゃんにおっぱいをやり,赤ちゃんを快く迎える,大なり小なり,「聖書の神様のいのちが一巡する結界の置かれた」力2人を1つにする心の働き一体になります。母子が一体になる時,赤ちゃんは,お口で生き延びますし,お母さんを大切にしますし,お母さんは,胸で生き延びますし,赤ちゃんを大切にします。お母さんにとって,こうするのは,自分が他の人達から手ごたえを感じている,(訳注:①)相手を大事にする生き方と,相手を大事にすることに伴う(訳注:➁)誇りと,(訳注:③)キリストが繰り返し下さる約束とに忠実に従うことなんです。しかしながら,赤ちゃんにとって,お口のあたりは,歩み寄って隣人に成るという最初の創造的な生き方,すなわち,お母さんと一体になるという最初の創造的な生き方が,三昧になる唯一の場です。赤ちゃんはいまここで,自分が心響かせることを大事にすることを感じ取る入口に,あらゆる心からの優しさを「お母さんが」運んでくれるのを頼りにしています。というのも,少なくとも数週間,赤ちゃんが反応できるのは,あ母さんが目の前に居る場合その時だけだからです。創造に相応しく下に立つおっぱいを赤ちゃんが歓んで吸い、また、吸うことが出来るにつれて、お母さんたちが出す気を飲み込むに連れて,間もなく、赤ちゃんは視野に入るものを目で見る様になります(それはまるで,出会いにしがみ付くことができるようなれば,正しい促しがあると,手を広げたり閉じたりするみたいに)。赤ちゃんは,肌がいいぞと言うものを取り入れているように思います。しかし,こういったすべての五感の感度はとても脆いものです。赤ちゃんの最初の体験が単に赤ちゃんが生き続けることが出来る様にするのではなく,赤ちゃんの敏感な息吹のリズムと消化のリズムと循環器のリズムの息を合わせるのに役立つことを確かにするためには,赤ちゃんの感性にそのままでいいよと伝えることは,ちょうど善い強さと善いリズムがなくてはならない,ということです。ちょうど善い強さと善いリズムがなければ,赤ちゃんが下に立ち母親を敬う気持ちは,たちまち,全てに壁を作ってしまいます。ハッキリするのは,赤ちゃんが死んだり,発達ができなかったりしないように,赤ちゃんが生きていくうえでなくてはならないことと,あってはならないことですが,思うまま自由にやれることは増えてきます。様々な子育てでは,役立つことや必要な仕事を勝手に決める特権を悪用されます。赤ちゃんは一歳になるまで,1日の大部分,おくるみにすっかり包まれていなくちゃと思う人もいるでしょう。でも,赤ちゃんは、自分の眼を掻き出さない限り,泣きだした時にはいつでも,あやされ,おっぱいを与えるべきだと考える人もいるでしょう。また,出来るだけ早い時期に素晴らしい手足を自由に動かせると実感すべきだと思う人もいれば,文字通り赤ちゃんの顔が青ざめるまで,ご飯は待つのが当たり前と思う人もいます。子育てに対する見方全ては,子どもを創造するのは何のためであり,子どもと共に心から自由になるにはどうするのか,という問いに私どもがどう応えるのかに拠ります。次の章で申し上げますが,内的に促す英知があるみたいです。曖昧模糊にみえる子育ての条件の中に,無意識の(訳注:実に不可思議な)計画があんですよ。聖書の神様の結界では,同じものを生み出す子育ては,子どもの頃に呼び覚ました願いと恐れと激しい怒りが、晩年、バランスをひどく失うことになります。「子どもにとって、善いこと」や,子どもに起こるかもしれないことは,その子ども自身が何になろうとイメージしているのか,どこに行こうとしているのか,に拠りますね。

 身体に中に入れる習慣がこの舞台で幅を利かせている間、口を聖書の神様の結界にする身体の働きは,お役に立つ習慣として,あらゆる音色がいまここにあることを繰り返し求めます。こうして,この身体に中に最初に入れる習慣には顎と歯の締め付けがあります(取り入れる第2の習慣です)。それに、吐き出す場合もありますし(出す習慣です),唇が閉まる場合もあります(取っておく・我慢する習慣です)。元気のいい赤ちゃんの場合,頭や首を突っ込んできやすいことさえ、あると分かります。頭や首が乳首に,いわば,胸に釘付けになりやすいんです(最初に心魅せられたこと)。人を助ける生き方は全て,お母さんにいつも共に居て貰った子ども等の中に生まれるものです

 

 

 共に居て貰った赤ちゃん。いつでもお母さんに助けてもらった経験が,全ての人生経験の元になりますでしょ。そうすると、ピッタリ聖書の教え通り、今度は人を助ける生き方で生きるようになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#光の音

2020-12-30 09:31:16 | エリクソンの発達臨床心理
 
#エゴアイデンティティ

 #聖書の言葉 #単独者の恵み #虹色の人生 マハトマ・まど・みちおさんの言葉から 虹 を 見たい...>続きを読む  「発達トラウマ障......
 
「発達トラウマ障害 Enpedia」
 ① EnpediaをGoogle検索
 ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業、です】が施されています)    
をご参照ください。  
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
 第4節「毎日礼拝の復権」も、終了。
 第Ⅲ部の初め、「中垣に関する様々な見通し(壁にかかったいくつかの風景)」は,日常生活のいまここにキリストの光があることを教えて下さいましたね。

 今回は,p.130の,最後の、第2パラグラフから。
 今朝は、p.134の,第2パラグラフの15行目,下から3行目から。
 

 夢が究極的に試すのは,患者さんが幼い頃に体験した心の病と、人品が育つことをハッキリさせるのに、役立つ計画です。夢はどうして「心から自由になる場」になるのかなぁ? と問えば,創造の「初め」に向き直らなくてはなりません。(訳注:ドイツ語を話し、イタリア語やフランス語などロマンス諸語にも通じる若い女性)彼女が初めての面接に来た時,私が彼女に伝えたことは,「ソファーに横になって,私とは反対側に面してくださいね、それから,いろんな思いを自由に,その思いをありのままにイメージにしてください,どんなに痛くても、どんなに恥ずかしくても」ということでした。もう,その女性は私に夢を示している中で,「貴方の遊びを遊ぶ準備ならできてるわ」と言うかのように,私に挑戦状を叩きつけているようでした。夢が行き来する結界がハッキリと示しているのは,キリストの子どもの苦しい立場と彼女自身の苦しい立場は、仰向けに寝て下さい,と指示され,私を見ることはできないけれども,私の仕事では、話し言葉で様々な思い出を「思うままに」語る語りと呼んでいることが出来る,治療的礼拝に似ている,ということです。話し言葉で様々な思い出を「思うままに」語ってくれるおかげで,私は,自分が何で自分を恥じているのか分からずにいた様々な思いを覆っていたベールをはぐことが出来ます。とにかく,流れのままにと言う想いは,川のイメージと繋がっていますし,この女性の思い出がおしっこに集まっていることやこの女性を癒す結界の必要なこととも繋がっています。
 激しい怒りと恥と言う2つの気持ちの組合せができるのは,()の中の文字Eの意味に最後には辿り着く,とっても意味深い結界のお陰です。()の中の文字Eは,私のイニシャルですから,「感情転移」のカラクリを示していました。感情転移とは,すなわち,子どもの頃の大切な人に元々くっ付いていた,コンガラガッタ気持ちを,心から自由にしてくれる人にぶつけることです。この意味では,感情転移は,さらに深い思いに覆う覆いが取り払われる様に見ることもできます。そのさらに深い思いとは,「形勢逆転」して,「私をさらし者にし」たいという、この女性の願いでした。つまり,救い主の苦難と自分自身の苦難を共に,嘲りながら私にぶつけたんです。それで,いまここで,この女性が苦しめられた,自分がさらし者にされた受け身の体験を,よく知られている逆回転に従って,歩み寄って観るのが善いとする視点で,能動的に私に逆に回してきたんです。聖書の神様のいのちの結界では、歩み寄って観るのが善いとする視点が,子どもが生き生きと生きる舞台が出来るために創造されます。こういった理解の仕方をする場合だけ,この女性患者の恥を一層辱めることになりますが,それだけではなしに,無意識の悪戯を超えて,一緒に笑うことにもなりました。無意識の悪戯は,1つの言葉に込められたあらゆる意味を,カットして捨ててしまいます。
 ところが,ここで,私がこれまで従ってきたのは,この苦しい思いをしている女性が夢見る,多言語の夢のナゾナゾの中に示されている,イメージが持っている力強いです。フランス語を話す読者の方は,少なくとも、言語連想からは,見逃していることに気付くだろうことは,seinという言葉に繋がっている,ということです。すなわち,sein 胸ですね。その次に,真実に,この苦しめられている女性がやり取りする中で思い出したのが,ショックを受けたもう1枚の絵でしたね。その絵はルーベンスの手に成るものですが,6つの胸のある女神を思い出したんです。明らかに「割礼」と正反対でしょう。というのも,この女神は,最高の豊かさという場を付け加えたからです。最高の豊かさという場では,他の場はすぐに立ち消えになります。しかし,最高の豊かさという場は,若い女性にとっては,女性の身体を「とても善い」と肯定することだったんですね。若い女性,当時は,女性の服装(【訳注:バストと背中を見せるように襟ぐりの深く取った】デコルテ)や,パリ市民の性を謳歌した習慣に、戸惑いながらも魅力を感じていたんです。それに,最初の絵は,仲間を作る赤ちゃんの頃に苦しんだ赤ちゃんのトラウマを指していましたが,第2の絵は,若い女性がのぞき見したいし,見せびらかしもしたいと願う願いを嵩じさせる、文化的な気を象徴していましたから、こうして、トラウマ全体に対する心からの優しさを求める音色と,いわば,繰り返しその求めをはねつけられたことが,心から自由になる結界で,いまここで,再現したんです。
 聖書の神様のいのちの家2つ返事で赴く「最高の」恵みに与る最初の夢の中で,私どもが見て分かるのは,赤ちゃんの頃や思春期の頃のトラウマが,心から自由になる聖書の神様のいのちの家に行き来することです。このように直ちに光を放つほど互いに相手の隣人に成ることは,もちろん,めったにないことです互いに隣人に成り合うことを,繰り返し共に大事にし合うことは,道徳的に怪しくバラバラになった沢山のことでも、長い時間を掛けて,陽気で楽しい歓びにすることから生まれます。この若い女性の割り当てが善しとしているのは,次々に自然に湧き上がるイメージに患者さんが三昧になるようにしてもらう時,陽気で楽しい歓びにすることは自分で自分を真っ当にする唯一無二の「創造的な」道をめげずに深める、ということですね。このことについて,バートラム・レビン(訳注:アメリカの精神分析医)が次の様に言っています。
 
メージのままのになっている過去を取り戻すことは,夢のイメージとして,(訳注:フロイトさんが言った)忘れ去られた子どもの頃の悲しい体験のイメージや、抑圧された子どもの頃の心の傷に対する新たな記憶などか否かに関わらず,ことをハッキリとさせて,自分を真っ当にしようとする試みも同然です
 
 フロイトさんは,さらに上を行ってましたね。
 
「患者さん達の幻は,私には,自由にされ,陽気で楽しい歓びを味わう中で創造されるいのちの家も同然です、ことをハッキリとさせて,自分を真っ当にしようとする試みも同然です
 
 終わりに私どもの間にあるのは,夢は,「壁に関する見方」2つに導いてくれる,ということですし、なかんずく,私どもの「身体に宿っているキリスト」がしてくださるのと同様,聖書の神様の息吹に共に吹かれる結界に居る1人にしてくれる,ということです。この2つの見方は、あの私どもの同じ心の中にあんですからる。壁に関する2つの見方の中で,私どもの自分の本音が本当にどっちを見てるかが分かります。自分の本音が本当にどっちを見るかの視座がいまここで私どもの間に授けるのは,すなわち,人は創造され発達するという見方とやり取りの中にある,心の中の私ならではの志です。私ならではの志ができますと,様々な体験に,人生のハビット生かされている意味もできます。必ずハッキリするのは,その患者さんが「割礼」という一番遠いイメージにトラウマによる反応したことは,キリストが幼い頃に苦しんだその幼子とこの患者さんが一体になる心構えから来ていた、ということでしたし,聖書の神様のいのちの家では,キリストのいのちと死が示す共に創造し発達する見通しの中からも来るものです。この女性が不安症になったのは,苦しむ幼い頃のキリストと一心同体に成ったために,理に適わない点も多いけれども,深く傷つけられると歓ぶ見通しを抱くようになった事実によって,来るものです。この女性が思春期後半において,キリストが幼い頃に苦しんだその幼子とこの患者さんが一体になる見通しが,パリ市民の空気の中で満開になった別の見通しと強烈な葛藤を引き起こしていたんです。すなわち,パリの空気に開花した見通しとは,エッチな誘いを,さらけ出したり、のぞき見したりするのを大目に見ることです。こういった(訳注:相対立する)2つの見通しがあったからこそ,その女性は,2つの待ったつ相いれない一心同体に成る相手がかわるがわる心に浮かんで,心乱されていたんです。この女性が広場恐怖症になったおかげで,2つの見通しの間で迷わずに済んだんです。しかし,心から自由になって大我になるという約束のお陰で,3番目の見通し,すなわち,光の約束です,光の約束は,2つにバラバラな2人とスピリットを繋いで,2人を一心同体にしてくれるキリストです。夢のスクリーンに映し出されたこの遊びが示すユーモアピタリと腑に落ちる感じが明らかにしてくれる真実は,無意識の悪戯な力だけではなくて,夢見る者にはみ言葉の特別なギフトがあるということですし,また,ユーモアピタリと腑に落ちる感じが示すのは希望です。父親の束縛から,心から自由になるおかげで,自由になった新しい女性に成れば,光を見通すだろうし,そうすれば,心から自由に日々感謝感激感動し,聖書の神様のいのちの一巡するのを見守り,自分の思いを楽しめる,いう希望です。その希望があれば,昔のキリスト者の見通しにも,いまのフランス人の見通しにも,フロイトさんたちの光の見通しが付け加わります。
 私どもの事例が示しているのは,夢でさえ,見通しを共に見ることになる,ということです。すなわち,「2人が共に約束し合う」ということです。私たちが知っているもう1つの夢は,まるで,やり取りしているみたいで,あたかも前に見たことがあるなぁ,って感じる場合が多いんです。ところが,決して分からないのは,自分の夢は例外ですけれども,人に伝えることができない夢と,熱心に伝えたいと願ったり,教えてほしいと思われたりする夢の違いです。さらには,自分自身の夢を研究しだせば,私どもが夢見る目的は,夢を研究して,大事なが見通しあり,その大事な見通しを伝えるためにあると腑に落ちるためだと分かります。フロイトさんは夢には大事な見通しがあると気高く示した様に,苦しめられている者たちは,自分の夢を語るものですし,自分の夢を語るはずだと知ってんです。すなわち,自分の夢を語ることは,人を育てる奉仕の生き方で,しかも,聖書の神様の結界を共に拵える生き方の中にあるんです。たとえば,ユング派が診る患者さんとフロイト派が診る患者さんが,根っこから違って見えるのは何故かと言えば,手に取って分かるのイメージが違うからです。こういった夢は,聖書の神様の結界の中では,それぞれの「学派」の見通しを振り返って,思い出しているように見えますね。
 
 
 
 振り返る。何気ないこと、日常的なことではないですか?
 しかし,今日の翻訳で示しましたように,振り返ることは、思い出すこと。
 思い出すことは、祈ることです。
 ですから,日々振り返ることは,日々祈ること。
 必ず,光を見上げて,光の音を聴くことになります
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#聖書の言葉 #単独者の恵み #許し合う習慣

2020-12-30 05:00:10 | 聖書の言葉から
 
#馴染み と #切り捨て

 #陽気で楽しいヴィジョン は #聖書の神様のヴィジョン #森羅万象を纏めて1つにする  Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.1......
 
 「発達トラウマ障害  Enpedia」
  ① EnpediaをGoogle検索
  ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業,です】が施されています)



生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 
 
 
互いに
 
許し合うこと
 
 
忘れない
 
ことが
 
とても大事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#聖書の言葉 #単独者の恵み #聴く恵み と #許し

2020-12-30 03:54:36 | 聖書の言葉から
 
#視覚のギフト #スピッツの教訓

 #互いに大切にし合う関係を #対等な関係を #意識した関わりが実に大事  発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
 ① EnpediaをGoogle検索
 ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業、でしょう】が施されています)  

生きているのに
死んでいるあなたへ

今朝も,ジェームズ・フーストン James M. Houston さんの言葉からも。

 

 

他者の話し

 

 

耳を傾ける

 

のは

 

気高い歓びの場

 

聖書の神様に

 

一心に耳を傾けるスピリットで

 

聖書の神様が

 

ひとりびとりに下さる

 

ありのままで生きる

 

のを

 

許してくださっている許し

 

 

繰り返し思い出して

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする