
「ところで、あんたはナゼ波に乗るんだい?」
週末のP's Barは混んでいて、怒鳴り声と笑い声が重なり合い、
ストーンズのイライラする曲が一層Barの中を混沌とさせた。
僕らの座るカウンター席だけ空虚な真空地帯のようだった。
「なんかさ、あんたは取りつかれたように波に乗ってるからさ」ウエーブ男がピスタチオをかじりながら僕に尋ねた。
「飲み物お代わりはどう?」なにも聞こえない振りをして、オーナーのPがカウンター越しに頼んでもいないビールを二人分出してきた。
「今日はワタシもいい風に当たったからさ、店のおごりだよ。」
「ありがとう。頂くよ。」僕は半分残ってたビールを一気に飲み干し、新しいグラスに手を伸ばした。
「君の言うとおり、僕が波に乗るのは意味があるような気がするし、ないような気もする。
僕は多くのものを失ってきたからね。僕は勉強したよ。失うたびに勉強する。
勉強の成果はわからない。中間試験や期末試験がないもの。
そうやって失うたびに僕は波を得ていくような気がするんだよ。
うまく、、、言えないけど、僕の中では失うものと波の数がバランスよく存在してる気がするんだ。
別に波に乗ろうとはしていない。波が呼んでくれるかもしれない。」
「ワタシはどうかな?得た分だけ波に乗ってるかもしれないよ。」Pが笑いながら空いたビールグラスを下げた。
Pは中国人の父親と日系ハーフのフランス人の母親をもち、30歳で日本にやってきた。
日本は約10年になるが実に流暢な日本語を話す。
プロサーファーだった20代、海で友人を不慮の事故で亡くして以来、二度とボードに立つことはなかった。
川で始めたウインドサーフィンを店が始まる前に娘と楽しんでいる。
「あんたはそう言うと思ったよ。」ウエーブ男がしばらくしてから口を開いた。
「あんたはね、こう言うときついかもしれないけど、失うべくして失ったんだ。
最初から決まってたのさ。波に乗ることもね。
波に乗るということは、あんたにとっては自己療養の手段なんだね。」
「うん、たぶね。たぶん療養手段だ。」すでにバーボンを3杯飲み干した。
「何て説明したらいいのかな、例えばさ、文章を書くという行為は自己療養の手段じゃないか。
僕はそう思っている。ただ少し違う点がある。療養手段というか、、、なんて言うのかな、、」
「療養手段へのささやかな試み。」Pが横から発言してくれた。タイミングがいいとはこういうことだ。
「そう、それ。ささやかな試み。ウエーブは自己療養へのささやかな試みに過ぎない。」
僕は自分で言ってみた。
ウエーブをやっている精神科医が自分の病院のコマーシャルに使いそうなキャッチだ。
ウエーブは自己療養へのささやかな試みに過ぎない。あとはあなたの努力と私たちスタッフのお手伝い。・・そんな感じ。
僕の隣でトマスソースを口の横につけカウンターで女が喜んでいた。
流された板が海上保安庁に保管されていると連絡が入ったらしく、Pの肩をパンパン叩きながら喜んでいた。
彼は少し迷惑そうにしながら僕らに向かってこう言った。
「ワタシは思うよ。横から言って悪いけどさ、試みの結果は、波のみぞ知る、じゃないかな?」
「でも、あんたは結果を知っているね。」ウエーブ男が続いた。
「よくわからないな。」僕はよくわからなくなる。自分の言った言葉に責任を持てなくなる。
言葉は意味がない?でもしゃべってる?僕が?
僕は飲み始めてから小便をしていないことに気がついた。
どのくらい飲んだろう。
どのくらい小便が出るかトイレに行って〈ささやかな試み〉をしようと思った。
だらしなく椅子に座ってる女のせいでトイレへの通路がふさがっていた。
笑顔でゴメンネと言い、道を開けてもらいトイレのドアを開けると、泥酔の女が転がっていた。
色が黒く見るからにサーファーチックな女だった。
トイレで吐いて、そうとう泣いた顔をしていた。
「悲しい女がトイレに転がっていました」
Pに聞いたら店には初めての客で、僕がまずすることはその女の連れを探すことだった。
フロアのみんなに聞こえるように聞いたけど反応がなかった。一人客のようだった。
彼女をかつごうとして、彼女の腕を自分の肩に回したとき、思い出した。
先週の土曜日にリストラポイントの見晴台でウエーブ男と話をしていた女だった。
「こういうこともあるか。」と思った。こういうことはあまりない。やれやれ。