
金曜日を迎えた。
昨夜は台風並みの風が吹いた。風と言うより空が呼吸しているような、そんな風。
ベランダの鉢植えは見事に飛ばされ、
海沿いの友達からは、家が壊れる!とメールがあった。
当然今朝は湘南は全域クローズ。
今日はこのまま南風なので北になる明日土曜早朝が波乗りにはいいかもしれない。
その後午後は風は南に変わるので5.7㎡でウインドできるだろう。
僕は仕事場のパソコンで明日の天気図を眺めながら
昨日のことをなぞる様に思い出してみた。
昨日の木曜日は午後は遅くなってから南西風が吹いた。
僕は昨日まで息をしていたかどうかさえ自信が無い。
仕事には行った?行った行った。この憂鬱が証拠だ。
職場から家に帰るときバスは僕を乗せて134号線を西に向かう。
自転車にウエーブ道具を一式乗せた二人連れが一中前で青信号を待っていた。
恒一さんと白河君だった。バスの中の僕を発見してガッツポーズをした。
とても満足そうな顔をしていた。たぶんこれからあの自販機でビールを飲むんだろう。
P's Barのオーナーがウインドサーファーのために設置した自販機が一中通りにある。
専用のコインをBarに行けばもらえる。
ビールをいくらでも飲める。年会費を払っているから。一ヶ月でもとは取れる。
自販機Pという名前で愛されている自販機だ。
僕は駅でバスを降り、そのまま北口のCDショップを目指した。
CDショップは何軒かある。
その後彼女からはメールが入らなかったから、店の名前は知らない。
たぶん僕は彼女のことが気になっている。
彼女がトイレに転がっていたときに好きな人がいなくても、
数日あれば誰かと恋に落ちることもある。
10秒あれば充分に落ちる時だってある。そんなことは知っている。
世の中、安定や確実は無い。人は変化の連続の中で生きていく。
それはとても不確かでそのたくさんの不確かが連鎖されているんだ。
不確かなものがバランスを取るためにくっついたり離れたりするんだ。
ただそれだけのことだ。よくあることだ。
最初に入ったCDショップに彼女はいた。
不確かさはときに確かさも含む。確かさは不確かさの一部だ。
彼女は誰かのニューアルバムの宣伝ポスターを壁に貼っていた。
「わぁ、びっくり。偶然? えっと、、こんにちは」満面の笑みは僕を瞬時に魅了した。
「やあ。」
「メールしようと思ったのよ。本当に。こないだは言い過ぎちゃった。ごめんね。」
「いや、こちらこそ。僕こそちゃんと誤らなくちゃと思ってね。店を何軒か探したんだ。」
探してない。店長らしき人がこちらをチラチラ見ていた。
「私、ここで働き出してまだ1週間なんだ。
店長がね、ほら、あの人、とても神経質な人なのね。
あの客とどういうこと話したんだ?なんて聞くタイプなのよ。
あと30分で閉店だから、スターバックスで待っててくれる?」
「うん。いいよ。」
「そうそう、なんか探してるCDはない?」
「ビーチボーイズ。ビーチボーイズのペットサウンズ。
ビーチボーイズのアルバムはサーファーガールしか持ってないんだ。」
「私はエンドレスサマー持ってるよ。ビーチボーイズはいいよね。
ねね、こういう出会いはなんだか村上春樹風みたいね。」
「知らない。読んだことは無いんだ。」
店の外へ出た。ウインドウ越しに店内を覗くと彼女は忙しそうに店の中を行ったり来たりしていた。
それがとてもぎこちなかった。何かその姿勢に不自然さを感じた。
スターバックスでカフェオレを飲んで彼女を待った。
彼女は8時を10分回ってやってきた。
僕と同じ飲み物をカウンターから持ってきた。
「はい、ペットサウンズ。こないだのお礼です。」
「こういう場合はどうしたらいいのかな?素直に受け取っていいのかな?」
「君は素直じゃないね。人のプレゼントは素直に受け取るのが礼儀よ。」
「ありがとう。」
「どういたしまして。で、なぜペットサウンズなの?」
「ゴッド・オンリー・ノウズが入ってる。」
「知ってる!神のみぞ知るでしょ!泣きたくなるくらい美しい曲よね。
歌詞はわからないけど。
『死ぬまでにしたい10のこと』っていう映画でのなかでね、
主人公のアンが旦那さんのために歌うの。凄く切ないの。」
「画の話は始めて聞いたよ。観てみたいね。
僕が知っているのはポールマッカートニーが世界で一番好きな曲だということだよ。
君を失ったら僕はどうなっちゃうか神のみぞ知るっていう内容だよ。」
「本当にそうかなぁ。好きな人を失ったら私はどうなっちゃうんだろう?
でも、自分がどうなるかは自分で想像できるんじゃない?」
「もちろんそうだ。大切な人を無くしたらその辛さは自分にしかわからない。
自分じゃなく神のみぞ知るということはあり得ない。
つまり君を絶対失わないよ、ということなんじゃないかな?」
「なるほどね。 私は、、、こう思うわ。
神様しかわからないくらいグチャグチャに悲しくなるってことじゃないの?
君はとても論理的にものを言うのね。
論理的な表現はときとして物事の本質からずれる場合があるわよ。
どうしてそういう考えをしちゃうの?」
「自己療養へのささやかな試みのためだよ。」
「よくわからないわね。」ヨーコはケラケラ笑った。
「君はウインドするのかい?部屋にセイルがあったよ。ウエーブセイル。」
「少しよ。君もするんでしょ?車がウインド仕様だったもの。ウインド大好き男?」
彼女は話しながら時折左足の膝の辺りをさする。
「うん。好きだよ。風がある日は逃がせないね。だからなかなか彼女ができない。」
「私はね、長い時間乗れないんだ。足を昔怪我しちゃったの。
危険だから一人では入れない。誰かいつも見守ってくれる人がいないと不安なの。
海ではワガママはダメなんだろうけど仕方が無いんだ。
サーフィンなら平気。でもウインドはリスキーなの。でもさ、いつも凄く乗りたい。
ウエーブが一番!」
「私の怪我はね」ヨーコは自分の左足を見せてくれた。
ジーンズの裾を上げると、本来の肌色であるべき部分は不自然なプラスチック色の肌色だった。
「この人工皮膚の下はステンレス合金なんだ。
支柱は膝の下でカップになっていて、足とカップ部を貫通ボルトで止める仕組みになってるの。医学は凄いのよ。暗い部屋ではわからなかったでしょ。」
ヨーコは明らかに無理に言っていた。
何故ほとんど初対面の僕に言うんだ?
僕は大きなショックは受けなかった。凄くそれが自然に見えたからだ。
彼女は生まれたときからもともと足がないように。
もしくはそういう種族がチャンといるように、とても当たり前に僕の目に映った。
でも本当に乗れるのか?ジャイブのときの足裏感覚は?
ストラップに足を入れたかどうかもわからないじゃないか?
「私はね、今までいろんなものを失ってきた。家族や自分自身も。
最後には足も失った。でも生きている。」
「足の無いウエーバー?」
「そう。足の無いロングボーダー。」
僕は凄く悲しい気分になった。
"きみが僕から去って行くようなことがあったら
この世なんて僕には何の意味もなさなくなってしまう
人生は続いて行くだろうけどね
人生にどんな楽しいことが
待ち受けているというんだろう
きみなしの僕がどうなっちゃうか
神様だけがご存知さ”