明治の文豪徳富蘆花は「みみずのたわごと(青空文庫)」に、村人から聞いた烏山の朝鮮人虐殺を書いていました。
>鮮人騒ぎは如何でした? 私共の村でもやはり騒ぎました。けたたましく警鐘が鳴り、「来たぞゥ」と壮丁の呼ぶ声も胸を轟かします。隣字の烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事羞かしい事です。<
その朝鮮人虐殺現場である「大橋場の跡」で献花をし、手を合わせました。「マッコリ」もお供えしまたが、蓋を開けていませんので、何方かが飲んで頂ければご供養となるでしょう。
帰途には「四本の椎の木が残った」と唄われている「烏山神社」で参拝してきました。
♫ 新宿から京王線の急行に20分乗って 四つ目の駅が千歳烏山 南口に出て10分程歩けば 村の鎮守様の烏山神社 その正面の鳥居を くぐって見れば 烏山神社の鳥居をくぐった参道の両脇に 四本の椎の木が 高く聳え立っている ♫
中川五郎 ♫ トーキング 烏山神社の椎の木ブルース
「参照ブログ記事」
1923年関東大震災 ジェノサイドの現場「大橋場の跡」で献花しました。
加藤直樹著「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 九月、東京の路上で」徳冨蘆花は、>烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。<
「関東大震災朝鮮人虐殺の記録・東京地区別1000の証言」から世田谷区を抜粋
(了)