世田谷区広報一面に、世田谷区長保坂展人氏が「関東大震災から100年」の巻頭言が掲載されています。朝鮮半島出身者等の襲撃や撲殺事件についての記述がありますが、何ゆえに世田谷区内でも起きた事を書かないのでしょうか。
大震災の翌日のことでしたが、旧甲州街道の大橋場で朝鮮人虐殺がありました。大橋場跡の碑で献花し、手を合わせてきました。
『大橋場とは旧甲州街道から烏山神社への参道、大門ぎわの石橋の呼名です。村内を東西に走る街道は約十二町余、その間に中小七つの川がありますので橋も七か所にありました。そのなかで最大の川が亀の子出井池と諸々からの湧水を合流する烏山川です。ここに架かる石橋を大橋場と呼び、橋番の家を橋場と愛称した』(「石柱碑建立協賛会」誌より)
昨年は「ソウル マツコリ」でしたが、今日は「チャミスルマスカットとチャミスルフレッシュ」を供えました。
烏山白山神社
四本の椎の木
朝鮮人虐殺現場「大橋場の跡」で献花をしました。
1923年関東大震災 ジェノサイドの現場「大橋場の跡」で献花しました。
加藤直樹著「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 九月、東京の路上で」徳冨蘆花は、>烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。<
「関東大震災朝鮮人虐殺の記録・東京地区別1000の証言」から世田谷区を抜粋
(了)