福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

最大の褒め言葉

2014-10-20 22:30:20 | コーラス、オーケストラ
本日、自宅で愛知祝祭管とのブルックナー8番の通し演奏の録音を聴いていたら、普段はわたしに無関心な家内から珍しくコメントがあった。

「なんだか、戦前のヨーロッパ映画を観てるみたいね。とても現代の音には聴こえない。クナだかシューリヒトだか、わたしには区別がつかないけど、古い巨匠とオーケストラと同じ香りがする。愛知のアマチュアオーケストラからこんな古(いにしえ)の音がするなんて驚きだわ。しかも、それが自然で、狙っているという嫌らしさもない」

これは、愛知祝祭管弦楽団とボクにとって最大の褒め言葉ではなかろうか。古い巨匠たちを知らない若い女性団員の内心については定かではないが、ブルックナーマニアやヒストリカル好きであろう男性の楽員が嬉しさに堪えられない、といった至福の表情(ときにニヤつきながら)で演奏してくれていた理由はどうやらここにありそうだ。

指揮者の頭の後ろという至近距離での録音と本番に於ける残響の豊かなコンサートホールでは、また別の響きとはなるのだろうが、演奏に臨む基本的な精神に変わりはない。

26日の福島章恭ブルックナープロジェクトvol.1、往年の巨匠を愛するブルックナーファンの皆さんに喜んで頂けることは間違いなさそうだ。乞うご期待!
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人生に無駄はない

2014-10-20 08:10:40 | コーラス、オーケストラ

93分のブルックナー8番。
常識から言えば、こんなに遅いテンポは有り得ない。
しかし、それが必然であったとするなら、わたしが20代後半から修行を積んでいる「呼吸法」の賜物であろう。

もともと、ブルックナーが好きだった音楽少年が、高校三年になって音大受験を思い立ち、今さら、ピアノ、弦楽器、管楽器、指揮、作曲科は間に合わないから、仕方なしに勉強をはじめた声楽。

音大卒業後、たまたま産休代替教員として赴任した中学校で受け持たされた「合唱クラブ」が生まれてはじめての合唱指導。それが、どういう幸運からか、合唱指揮者を職業とするに至り、シュテファン寺院のモツレク、システィーナ礼拝堂でのコチャール第三のミサ、聖トーマス教会での「ロ短調ミサ」へと発展し、さらに井上道義先生のお導きで訪れた名古屋にての少年時代に憧れたブルックナーの交響曲指揮へと繋がるとは!

声楽を勉強し、合唱団員を指導するために呼吸法を身につけたのは、ブルックナーの交響曲を指揮するための準備だったのでは? とさえ思えるから不思議だ。

人生、無駄はないんだなぁ。いま、そんな不可思議な感慨に浸っているところ。

 

コンサートマスター 高橋広氏のFB記事

福島先生のブルックナー演奏、もともと素晴らしいとは思っていましたが、この二日間の最終練習にて、さらに次元の違う境地に達しました。

兎に角呼吸が深く雄大にして深遠。実演でこれだけ悠然たるスケールのブルックナーが鳴り響いたことは、晩年のチェリの演奏においてだけだと思います。しかも、チェリビダーケは非常に独特、唯一無二のブルックナーへのアプローチであって、僕は尊敬もしまた愛聴もしていますが、所謂通常のブルックナー様式とは異なるタイプの演奏です。

そういう意味では、ブルックナー様式に基づく最大最深のスケールとなる福島先生のブルックナー演奏に、奏者として(それもコンマスとして)参加出来るのは本当に本当に幸せなことです。たとえば第三楽章125小節目においては、まさに「弾く」、「聴く」という感覚を超えてブルックナーに「浸る」という形容がしっくりくる、至高の体験を味わい、寝落ちとは全く違った意味で気が遠くなりそうになった程でした。

通常80分前後で演奏されるブル8が、今日の通し練では93分にまで到達したのですが、何より嬉しいのが「長くするために長くなった演奏」ではまったくないということです。ブル8演奏としては度外れな93分という時間が、深い意味で満たされ、福島先生のブルックナー宇宙を提示するためには、どうしてもこの長さでなければならない必然的なスケールの大きさだったことがしみじみと、そして強く伝わってくるのです。実際、帰宅後、勉強にと思ってさる大家のブル8(演奏時間は82分)を聴いてみたのですが、想いの「濃さ」と「雄弁さ」において、今日の演奏に比べあまりにも薄く淡泊だったのでガッカリしてしまいました。

僕が強い印象を受けたバーンスタインの言葉に「ウィーンフィルは、ナチス時代に長らくマーラー演奏が禁止され、マーラーの音楽は自分たちのものではないという感覚を戦後もずっと持っていた。しかし自分がウィーンフィルの演奏会で繰り返しマーラーを取り上げることによって、次第に『マーラーの音楽は、自分たちウィーンフィルという最上の盃で満たすにふさわしい美酒である』という感覚を持つに至ったのだ」というものがあります。うろ覚えなので細部は結構違っているかもしれませんが、大意はこんなものだったと思います。

バーンスタインの形容を借りるならば、福島先生は今週末の練習において「愛知祝祭管は、自分が演奏したい極大スケールのブルックナー宇宙を受け止め得る器である」という感覚に到達されたのではないかと思います。非力な我々は、福島先生の提示するブルックナー宇宙を受け止めきれるサイズであるとはまだまだ言えませんが、それでも先生がその可能性と手ごたえを感じて下さったということは確かだと思います。

先生の期待を、実際に至高のブルックナー演奏として結実させるべく、あと一週間さらに精進を重ねます!!

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