福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

愛知県芸術劇場コンサートホールが神殿となるとき

2014-10-24 00:04:00 | コーラス、オーケストラ

このところ、26日のブルックナー8番の話題ばかりで申し訳ない。

しかし、もう全身全霊がブルックナー漬けなのだから、どうしようもないのだ。お許し願いたい。

本日、改めて通し演奏の録音を聴いたところ、

第1楽章:約18分 第2楽章:約17分 第3楽章:約29分 第4楽章:約28分 

と音の鳴っている時間の合計で約92分。これで楽章間の間合いやらチューニングの時間を含めると94~95分に及ぶ勢いだ。

このテンポがわたしに降りてきたのは、今月18日(土)の練習の数日前。
それまでの練習の録音を何度も聴きながら、どうしたらもっと良くなるのか模索しているうちにコレだ! というものが降りてきたのである。

18日のレッスンでは、「些か、行き過ぎだったか?」と反省もしたのだが、コンサートマスターの高橋氏は「このテンポは素晴らしい。訂正する必要なはいのではないか?」と力説。
「そうかなあ?」と宿に戻って録音を聴くと、なるほど、今まで吹っ切れなかったものが全て解決している。まるで、オセロ・ゲームに於けるその一手で、すべての石が自分の色にひっくり返ったかのような鮮やかな変身を感じたのである。

念のため申し上げておくが、それ以前の自分が不勉強だったつもりはない。人一倍愛するブルックナーのため、深い思い入れをもってスコアと対峙していた。

しかし、本番を1週間後に控えたその日、覚醒が起きた。息を扱う管楽器奏者には申し訳ないが、だから、演奏会は面白い。

さて、残すところ、前日午後と当日朝のリハーサル、そして本番のみ。

本番のステージの上で、いったい何がわたしの中に降りてくるのか?
どんな奇跡が起こるのか?


しかし、狙ってはいけない。気負ってはいけない。その途端に音楽の女神は逃げてゆく。
静かな心、無の心で指揮棒を振る先に、その至福は待っている。
そのとき、愛知県芸術劇場コンサートホールは聖なる神殿となるのだ。

♪チケットの申し込みは下記まで!

いよいよ週末です。
チケットは各プレイガイドで前の日までお取り扱いいたします。
当日券も出す予定です。

アイ・チケット
http://clanago.com/i-ticket
チケットぴあ Pコード 222-036
芸文プレイガイド (052)972-0430
(愛知芸術文化センター地下2階)
ヤマハミュージック東海プレイガイド (052)201-5152
(ヤマハ伏見店1階)




アリアCDさんの記事

2014-10-23 00:07:27 | コーラス、オーケストラ

演奏会直前ではありますが、わたしとの長年のお付き合いや、地元愛知というご縁も有り、

クラシック音楽愛好家にお馴染みのアリアCDさんが記事にしてくださいました。

嬉しいですね。

福島章恭 名古屋でブルックナーの交響曲第8番を振る http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=label/fukushima

その記念と言ってはなんですが、旧譜の販売も若干ではありますが行います。

これが最後の出品というものも含まれますので、どうぞご検討ください。

 


最大の褒め言葉

2014-10-20 22:30:20 | コーラス、オーケストラ
本日、自宅で愛知祝祭管とのブルックナー8番の通し演奏の録音を聴いていたら、普段はわたしに無関心な家内から珍しくコメントがあった。

「なんだか、戦前のヨーロッパ映画を観てるみたいね。とても現代の音には聴こえない。クナだかシューリヒトだか、わたしには区別がつかないけど、古い巨匠とオーケストラと同じ香りがする。愛知のアマチュアオーケストラからこんな古(いにしえ)の音がするなんて驚きだわ。しかも、それが自然で、狙っているという嫌らしさもない」

これは、愛知祝祭管弦楽団とボクにとって最大の褒め言葉ではなかろうか。古い巨匠たちを知らない若い女性団員の内心については定かではないが、ブルックナーマニアやヒストリカル好きであろう男性の楽員が嬉しさに堪えられない、といった至福の表情(ときにニヤつきながら)で演奏してくれていた理由はどうやらここにありそうだ。

指揮者の頭の後ろという至近距離での録音と本番に於ける残響の豊かなコンサートホールでは、また別の響きとはなるのだろうが、演奏に臨む基本的な精神に変わりはない。

26日の福島章恭ブルックナープロジェクトvol.1、往年の巨匠を愛するブルックナーファンの皆さんに喜んで頂けることは間違いなさそうだ。乞うご期待!

人生に無駄はない

2014-10-20 08:10:40 | コーラス、オーケストラ

93分のブルックナー8番。
常識から言えば、こんなに遅いテンポは有り得ない。
しかし、それが必然であったとするなら、わたしが20代後半から修行を積んでいる「呼吸法」の賜物であろう。

もともと、ブルックナーが好きだった音楽少年が、高校三年になって音大受験を思い立ち、今さら、ピアノ、弦楽器、管楽器、指揮、作曲科は間に合わないから、仕方なしに勉強をはじめた声楽。

音大卒業後、たまたま産休代替教員として赴任した中学校で受け持たされた「合唱クラブ」が生まれてはじめての合唱指導。それが、どういう幸運からか、合唱指揮者を職業とするに至り、シュテファン寺院のモツレク、システィーナ礼拝堂でのコチャール第三のミサ、聖トーマス教会での「ロ短調ミサ」へと発展し、さらに井上道義先生のお導きで訪れた名古屋にての少年時代に憧れたブルックナーの交響曲指揮へと繋がるとは!

声楽を勉強し、合唱団員を指導するために呼吸法を身につけたのは、ブルックナーの交響曲を指揮するための準備だったのでは? とさえ思えるから不思議だ。

人生、無駄はないんだなぁ。いま、そんな不可思議な感慨に浸っているところ。

 

コンサートマスター 高橋広氏のFB記事

福島先生のブルックナー演奏、もともと素晴らしいとは思っていましたが、この二日間の最終練習にて、さらに次元の違う境地に達しました。

兎に角呼吸が深く雄大にして深遠。実演でこれだけ悠然たるスケールのブルックナーが鳴り響いたことは、晩年のチェリの演奏においてだけだと思います。しかも、チェリビダーケは非常に独特、唯一無二のブルックナーへのアプローチであって、僕は尊敬もしまた愛聴もしていますが、所謂通常のブルックナー様式とは異なるタイプの演奏です。

そういう意味では、ブルックナー様式に基づく最大最深のスケールとなる福島先生のブルックナー演奏に、奏者として(それもコンマスとして)参加出来るのは本当に本当に幸せなことです。たとえば第三楽章125小節目においては、まさに「弾く」、「聴く」という感覚を超えてブルックナーに「浸る」という形容がしっくりくる、至高の体験を味わい、寝落ちとは全く違った意味で気が遠くなりそうになった程でした。

通常80分前後で演奏されるブル8が、今日の通し練では93分にまで到達したのですが、何より嬉しいのが「長くするために長くなった演奏」ではまったくないということです。ブル8演奏としては度外れな93分という時間が、深い意味で満たされ、福島先生のブルックナー宇宙を提示するためには、どうしてもこの長さでなければならない必然的なスケールの大きさだったことがしみじみと、そして強く伝わってくるのです。実際、帰宅後、勉強にと思ってさる大家のブル8(演奏時間は82分)を聴いてみたのですが、想いの「濃さ」と「雄弁さ」において、今日の演奏に比べあまりにも薄く淡泊だったのでガッカリしてしまいました。

僕が強い印象を受けたバーンスタインの言葉に「ウィーンフィルは、ナチス時代に長らくマーラー演奏が禁止され、マーラーの音楽は自分たちのものではないという感覚を戦後もずっと持っていた。しかし自分がウィーンフィルの演奏会で繰り返しマーラーを取り上げることによって、次第に『マーラーの音楽は、自分たちウィーンフィルという最上の盃で満たすにふさわしい美酒である』という感覚を持つに至ったのだ」というものがあります。うろ覚えなので細部は結構違っているかもしれませんが、大意はこんなものだったと思います。

バーンスタインの形容を借りるならば、福島先生は今週末の練習において「愛知祝祭管は、自分が演奏したい極大スケールのブルックナー宇宙を受け止め得る器である」という感覚に到達されたのではないかと思います。非力な我々は、福島先生の提示するブルックナー宇宙を受け止めきれるサイズであるとはまだまだ言えませんが、それでも先生がその可能性と手ごたえを感じて下さったということは確かだと思います。

先生の期待を、実際に至高のブルックナー演奏として結実させるべく、あと一週間さらに精進を重ねます!!


朝比奈以上チェリビダッケ未満?? ~ 超巨大スケール93分のブルックナー8

2014-10-19 22:38:36 | コーラス、オーケストラ

  

この週末の2日間は、26日の本番を目前に控えた「愛知祝祭管弦楽団」の事実上の最終稽古。初日の18日(土)は、戸惑いの残る団員もいたようだ。
というのも、わたくし=福島章恭が、突如覚醒してしまい、これまで練習してきたよりも、かなり遅いテンポで指揮したからである。
テンポや呼吸が深まることは、管楽器奏者には死活的な問題なので、その心配も頷ける。
しかし、ひとたび覚醒してしまったものは元に戻せるものでなく、2日目の本日はレッスンはじめに「このテンポで行く」旨を宣言し、楽員に覚悟を決めて貰った上で指揮棒を振り下ろした。

愛知祝祭管弦楽団のメンバーの順応性はひじょうに高い。
昨日は、遅さや深さが持ちこたえられなかったり、あるいは、流れが止まって沈滞する場面がなくもなかったが、今日は全てがピタリと決まってゆく。

そして、昼食を挟んだ午後、いよいよ運命のブルックナー8番の通し演奏となった。
メンバー一丸となった集中の成果は素晴らしいものだった。これが本番でも良かったのでは? と思うほどに、崇高な音楽が天空に鳴り響いたのである。

その演奏時間は、なんと93分。
チェリビダッケにこそ及ばないものの、朝比奈先生をも超える重量級の演奏となったのだ。もちろん、遅ければよいというものではないが、些かも停滞することなく、愛知祝祭管のメンバーはこの崇高なる演奏を成し遂げたのだ。ブラヴィッシモ!!

などと書けば、「お前の自己満足だ」「ただの自画自賛だろう?」 と思われるかも知れないが、過去に何度もこの作品を演奏したことのあるメンバーも含め、

「今日のように無心で弾き通せたのははじめて」

「演奏時間は価値の全てではないけれど、今日の演奏は意味のある90分超えだった」

「弾きながら背筋が震えた」

今日の3楽章、この世のものとは思えないくらい美しかったです。ウルウルでした。来週はステージで泣いてしまうかも。。。」などの言葉を頂くことができた。

さて、指定席の残りも僅かになってきているとのこと。

万一、迷われている方がいらっしゃるなら、自信を持って「どうぞ、お越しください」とお勧めしよう。それだけ桁外れの演奏会となりそうだ。

 

愛知祝祭管弦楽団 FBページ記事

日増しにマエストロのテンポは遅く。

しかし全く間伸びすることはなく、更に密度が上がって内蔵するエネルギーは倍以上。
「息を飲む空気感」「身動き取れない緊張感」
「天から舞い降りる幸福感」「抗えない興奮、そして感動」
聴いてる皆さんも心地よい消耗すること間違いなし。
凄いブルックナーになります。

存分にお楽しみください。
後悔させません。是非お越しを!

※事務局的には終演時間が心配になるほどです。。

でも前に20分撤収やってのけましたので大丈夫。音楽優先です!

(ES)

コンサートマスター 高橋広氏のコメント

愛知祝祭管のゲネプロ前最終練習にて、ブルックナー8番の通し練が終わりました。

偉大な本番演奏が終わった時に感じる充足感、成就感、虚脱感、寂寥感が綯(な)い交ぜになった気分を、早くも通し練で感じまくっております。

90分を越える、長さも深さも桁外れのブルックナー8番になりました。ブルクネリアンは勿論、クラシックを愛する方には何が何でも聴いて頂きたい演奏会です。

愛知芸文コンサートホールにて、10月26日13時30分開演です。




コメントへの感謝

2014-10-19 01:41:21 | 日記
町田市合唱祭に関する記事について、公開したものの他、いくつかのコメント頂いております。

お叱り、ご心配、励ましなど、全て有難い気持ちをもって読んでおります。いろいろ考えさせられる点もありました。

ここに感謝の意を表しておきます。


大府の夜

2014-10-19 01:16:21 | コーラス、オーケストラ


愛知祝祭管のブルックナー8練習も佳境。いま、すべての録音を聴き終え、先日来の課題が改善されていることを確認るとともに、明日の最終レッスンにてやるべきことを考えているところ。

新鮮な空気を入れようと宿の窓を開けると、駅にはディーゼル機関車が停車していたので、戯れに撮影。

夕刻には、食事に出た街で、お祭りに遭遇。子どもたちの掛け声や歓声、腹にズシリと響く太鼓の音に心癒されました。




ゲルギエフ 驚愕のショスタコーヴィチ#8

2014-10-15 13:33:16 | コンサート


昨14日の夜は、ゲルギエフ&マリインスキーによるショスタコーヴィチ#8を聴いた。15日のストラヴィンスキー三大バレエ・プロにも興味はあったがスケジュールの都合で14日のみとなったのである。

パルジファルの千秋楽と重なったのは運が悪い。初日の素晴らしさから、パルジファルをもう一度観たいという想いは募るばかり。いっそ、ゲルギエフを捨てて、新国立劇場という考えが何度もよぎったものだ。

しかし、昨夜はゲルギエフで大正解。
驚愕のショスタコーヴィチ8!
背筋がゾクゾクしたなあ。
(今回は、批評はしない。ただ、凄かったとだけ、お伝えする)

さらにアンコールが、極上のローエングリン1幕前奏曲ということで、ワーグナーへの渇も癒えた。パルジファルと関連の深いローエングリンであったことも偶然とは思えない。

ゲルギエフの指揮法は独特で、とても真似できるものではないが、ひとつ大事なヒントは頂いた。

それは、シンバルはじめ打楽器が打ち鳴らされるときの棒さばき。その懐の深さと絶妙のタイミングである。あの深さと溜めがあってこその凄絶な響きが生まれるのだ。

来る26日のブルックナー#8。
アダージョのクライマックスで、昨夜の体験を活かせるよう精進あるのみ。




祝 マエストロ井上道義 完全復活!

2014-10-11 21:47:18 | コンサート



井上道義先生のブルックナー9番。
神の存在を思わせるような深遠な演奏であった。
井上先生といえば、自由人でアナーキーなイメージもあり、宗教から最も遠い存在にも思われがちが、作品によって「神」と向き合うような瞬間を思わせることがある。
そう感じたのは、神戸や札幌で合唱指揮者として共演させて頂いたベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」の時であったが、今日、鎌倉芸術館に鳴り響いたブルックナーでは、さらに神に近づいた、というか神と戯れているような境地をも感じさせた。

(写真上は終演後、愛知祝祭管コンサートマスター高橋広氏とともにマエストロを囲んで)



マエストロの全身全霊の音楽に献身的に応えたN響も見事!

これまで、朝比奈隆、マタチッチ、ヨッフム、ヴァント、スクロヴァチェフスキーら、ブルックナー指揮者と呼ばれる巨匠の実演を聴いた耳と心にも、最高ランクの感動を与えられたことを告白しておく。

井上道義先生の完全復活を心より祝したい! ブラヴィッシモ、マエストロ!









そして誰もいなくなった

2014-10-08 21:59:13 | コーラス、オーケストラ
今宵19時50分、長岡リリックホールのリハーサル室から忽然と人が消えた。

理由は、申すまでもなく、皆既月食鑑賞のため、長岡混声の休み時間を、通常より早めにとったのである。



こちらは、17時45分頃、ホテルの部屋より。このまま、ソファーに座したまま鑑賞したいくらいの最高のロケーション(笑)。



さらに、18時50分頃、レッスン前。あれよあれよと言う間に、大分月食は進んでいた。



これが、20時頃、長岡リリックホールの駐車場より。肝心のときに雲が出てきたが、何度か切れ目より姿を見せてくれたのはありがたかった。



携帯している小型デジカメでは、これくらいが限界かな。三脚もなかったが、ソニーの優秀な手ブレ防止機能のお蔭でこの程度には何とか撮影できた次第。ありがたや、ありがたや。