2019年7月31日(水)②
務めている会社が旅行業がメインだったころ、社員旅行を扱うことも多かったです。その社員旅行て網走がルートに入ると「網走監獄」に立ち寄るプランを多く目にしたのですが、なんでそんなに怖いところに行かせようとするんだろう・・・と心の隅っこで思っていました(笑)。(監獄=暗くて、怖いところ)
今回、ゴールデンカムイスタンプラリーの旅を企画した時に「行ってみたい!」に変わっていました。ミーハーですが、なんか面白そうって思ってしまったの。
たって、建造物として素晴らしい。
まずは、「監獄食堂」で監獄ランチをいただきます。
お店の雰囲気はウッディで明るい雰囲気。これが監獄フロントとは思えません(笑)。
券売機で購入します。(先に席を確保した方がいいです。)あたしは監獄食A(720円)のさんまランチにしました。(だんなの人は監獄食B(820円)のほっけランチ、のん太郎はまったく無視したラーメン(笑)でした。)
実際は味噌汁ではなく番茶が出されていたそうです。(味噌汁の塩分で脱獄した人がいたらしい。)
網走監獄ではたくさんの蝋人形たちが働いています。シニカルなのもあります。
なぜ、網走に監獄ができたのか。
ざっくり説明すると、時代が江戸から明治になり、それに抗った人たち(戊辰戦争や西南戦争で武士の時代に戻したい!と戦った人たち)は多くの国事犯(国の政治秩序を侵害する犯罪人)となりました。日本中はたくさんの罪人であふれかえった時代。監獄も日本全国にありました。
また、日本は鎖国から開国となり、海外の文化を早く取り入れようと躍起になっていました。追いつき追い越せ、富国強兵の時代です。そのためには肥沃な北海道の開拓が急がれました。また、北海道の開拓はロシアからの侵略を守るという意味でも重要なことでした。
しかし、開拓するには道すらない。道を作るにも莫大な資金がかかる。そこで、どんどん増え続ける罪人に明治政府は目を付けました。罪人なら、民間に頼むよりずっと安く済ませられるし、万が一亡くなったとしても悲しむ人もない(はず)、一石二鳥じゃんか!と。
そこで網走にたくさんの囚人たちが送り込まれました。
今、網走への道や鉄道の路線が開けているのも、魚を獲ることができる漁港があるのも、耕すことができる農地があるのもみんなこの網走監獄の囚人たちのおかげなのだそうです。
ちなみに、この偉そうにしている看守さんたち(実際、蝋人形を見ていると偉そうだなぁ~、囚人を人間とも思っていなかっただろうなぁ~と思っておりました。)
実は囚人の方が豪勢な食事をしていたようです。
一番重労働をする囚人は、麦:米=6:4のご飯を食べていたようですが、看守さんは一般と同じように配給されるものを食べていたので、米飯はほとんど口にしていなかったんですって。
それなのに、この極寒の地で、緊張を強いられ、時には囚人に脅かされるときもあり、割に合わない仕事だったのかもしれないです。
そして、「ムショ帰り」のムショは麦米飯の比率64でムショらしいです。刑務所のムショだとばかり思ってました。(刑務所という言葉ができる前から、ムショ帰りという言葉はあったんだそうです。)へー!
囚人たちが一番怖かったのは独房だそうです。
なんだかんだ言っても、仲間がいる方がいいよね。
網走監獄、ぜひ網走に行く際はプランに入れてみてください。
務めている会社が旅行業がメインだったころ、社員旅行を扱うことも多かったです。その社員旅行て網走がルートに入ると「網走監獄」に立ち寄るプランを多く目にしたのですが、なんでそんなに怖いところに行かせようとするんだろう・・・と心の隅っこで思っていました(笑)。(監獄=暗くて、怖いところ)
今回、ゴールデンカムイスタンプラリーの旅を企画した時に「行ってみたい!」に変わっていました。ミーハーですが、なんか面白そうって思ってしまったの。
たって、建造物として素晴らしい。
まずは、「監獄食堂」で監獄ランチをいただきます。
お店の雰囲気はウッディで明るい雰囲気。これが監獄フロントとは思えません(笑)。
券売機で購入します。(先に席を確保した方がいいです。)あたしは監獄食A(720円)のさんまランチにしました。(だんなの人は監獄食B(820円)のほっけランチ、のん太郎はまったく無視したラーメン(笑)でした。)
実際は味噌汁ではなく番茶が出されていたそうです。(味噌汁の塩分で脱獄した人がいたらしい。)
網走監獄ではたくさんの蝋人形たちが働いています。シニカルなのもあります。
なぜ、網走に監獄ができたのか。
ざっくり説明すると、時代が江戸から明治になり、それに抗った人たち(戊辰戦争や西南戦争で武士の時代に戻したい!と戦った人たち)は多くの国事犯(国の政治秩序を侵害する犯罪人)となりました。日本中はたくさんの罪人であふれかえった時代。監獄も日本全国にありました。
また、日本は鎖国から開国となり、海外の文化を早く取り入れようと躍起になっていました。追いつき追い越せ、富国強兵の時代です。そのためには肥沃な北海道の開拓が急がれました。また、北海道の開拓はロシアからの侵略を守るという意味でも重要なことでした。
しかし、開拓するには道すらない。道を作るにも莫大な資金がかかる。そこで、どんどん増え続ける罪人に明治政府は目を付けました。罪人なら、民間に頼むよりずっと安く済ませられるし、万が一亡くなったとしても悲しむ人もない(はず)、一石二鳥じゃんか!と。
そこで網走にたくさんの囚人たちが送り込まれました。
今、網走への道や鉄道の路線が開けているのも、魚を獲ることができる漁港があるのも、耕すことができる農地があるのもみんなこの網走監獄の囚人たちのおかげなのだそうです。
ちなみに、この偉そうにしている看守さんたち(実際、蝋人形を見ていると偉そうだなぁ~、囚人を人間とも思っていなかっただろうなぁ~と思っておりました。)
実は囚人の方が豪勢な食事をしていたようです。
一番重労働をする囚人は、麦:米=6:4のご飯を食べていたようですが、看守さんは一般と同じように配給されるものを食べていたので、米飯はほとんど口にしていなかったんですって。
それなのに、この極寒の地で、緊張を強いられ、時には囚人に脅かされるときもあり、割に合わない仕事だったのかもしれないです。
そして、「ムショ帰り」のムショは麦米飯の比率64でムショらしいです。刑務所のムショだとばかり思ってました。(刑務所という言葉ができる前から、ムショ帰りという言葉はあったんだそうです。)へー!
囚人たちが一番怖かったのは独房だそうです。
なんだかんだ言っても、仲間がいる方がいいよね。
網走監獄、ぜひ網走に行く際はプランに入れてみてください。
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