先日、父が亡くなりました。
最後に会いに行って10日後のことでした。
3月から毎月1回、わずか2日間の滞在ずつでしたが会いに行くことができて、そこは本当によかったと思っています。
1年半前のお正月明け、父から電話があって、癌が見つかったと言われました。
方言もそこそこあって、しゃべるのに強弱の強い口調の父が電話の向こうで言った言葉は、正直あんまり聞き取れていませんでしたが、私はうんうんと聞いていました。
去年の夏、家族で父に会いに行きました。
抗がん剤治療をしていて、一時は髪がなくなりやせ細った父も、私たちが訪れるのに合わせて、体調を整え、以前と変わらない黒々として、フサフサした髪で迎えてくれました。
何十年も沖縄に住んでいるのに、美ら海水族館に行ったことがなかったらしく、何を思ったのか、私たちと一緒に行ってくれました。
そして11月。
だいぶ体も細くなって、それでも気丈にふるまってくれて、のんたんと私を首里城観光や地元のおいしい沖縄そばに連れて行ってくれました。
今年に入って入院して、もう、退院することはないことを知って、それからこまめに会いに行きました。
死を目の前にすると「生」って何だろうとつくづく考えさせられました。
まだ答えは出ていないけど、人はおぎゃーと産声をあげた時から、死へ向かって生きてるんだということも考えました。
そして、どんどん体の自由が利かなくなっても人は生きようとする。
大学の頃に入っていた部活で、創作活動をしていました。
私は文章を書いたりするのが好きで、でも、読むのはちょっと苦手で(笑)、さらに、その感想を言い合ったりするのはもっと苦手で。
その時にある後輩が身近な人の死を題材にした小説を書きました。
自分がその感想をどう言ったのかは覚えていないのですが、身近な人を亡くした友達が「身近な人を亡くさないとこの気持ちはわからない。」と言ったのを今でも覚えています。
私は幸いにも今まで身近な人を亡くしたことがありません。
死はどこか遠い世界の話でした。
だんだん弱っていく父を見ながら、いろいろな延命装置につながれている父を見ながら、私は楽になってもらいたいとも考えました。
これが正しいのかどうかわからないけれど、大好きな新聞や本も読めなくなった体で、それが「生」というのかどうかも考えました。
最後、お風呂に入ってきれいになったところで、眠るようにして父はなくなったと聞きました。
父の奥さんに聞くと、最後まで意思はあったんだよ、って言います。
たまにしか行かない私には何にもわかってないのかもしれない。
でも、苦しいよりもすっと、水にすっと入るように、眠りにすっとつくように、自分が永遠の眠りについたことも分からないような状態は私にはとても嬉しかった。表現がちょっとおかしいかもしれないけど、安心した。
お葬式のときに棺にいろいろなものを入れて持たせたけれど、のんたんが後で「なかったから入れられなかったけれど、ジイジに本を入れてあげたかった。」って言っていました。
入院中も難しい、クロマニヨン人はどこから来たのか?みたいなタイトルの本を読んでいました。
のんたんはよく考えてるな、って思いました。
最後までジイジに触れて、お骨も我先に全部拾って、のんたんってすごいな!って思いました。
たくさんの人に囲まれて父は煙になりました。
いろいろあった人生だったけれど、こんな風にみんながお別れの挨拶をしに来てくれるなんて、幸せだったんだなぁ~ってつくづく思いました。
お父さん、ありがとう。
これからも近くで見守っていてください。
今回は那覇市のナハナホテル&スパに宿泊しました。
到着は夜。
ホテルの近くで夕食が食べられないかな?とベルガールに聞いたら、すぐに「近くのちゅらさん亭がおススメですよ。」と教えてくれました。
具志堅用高さんも御用達のお店のようです。
昔からの素朴な沖縄料理が食べられるお店でした。
那覇なので駐車場代がかかるのがコスパ重視のakicoco家家訓に反するのですが(笑)、お部屋も広いし、宿泊者専用ラウンジもあるし、540円で入ることのできるスパがまたいい!
さらに隣はファミリーマートで便利だし、少し歩けば国際通りもあるので夕食にも事欠きません。
ランチで立ち寄ったパーラー徳ちゃん。迷ってたどり着いたのでもう2度と行けないかもしれない…
ちなみに、沖縄そばの大盛りと普通盛りの区別がいまいちわからず、ほとんど同じ大きさのような気がしました(笑)。さすが沖縄、てーげーです。
沖縄には沖縄そば屋さんがたくさんあるのですが、どれ一つとして同じ味はないように思います。
私が好きな味でした。
最終日の夕食には、20年前、父と奥さん、そして娘のリョウコとだんなの人と私の5人で一緒に行った国際通りのヘリオスパブへ行きました。
昔と全く変わっていなくて、時間だけが過ぎた気がして、とても不思議な気分でした。
今年は沖縄がとても身近に感じることができたような気がします。
最後に会いに行って10日後のことでした。
3月から毎月1回、わずか2日間の滞在ずつでしたが会いに行くことができて、そこは本当によかったと思っています。
1年半前のお正月明け、父から電話があって、癌が見つかったと言われました。
方言もそこそこあって、しゃべるのに強弱の強い口調の父が電話の向こうで言った言葉は、正直あんまり聞き取れていませんでしたが、私はうんうんと聞いていました。
去年の夏、家族で父に会いに行きました。
抗がん剤治療をしていて、一時は髪がなくなりやせ細った父も、私たちが訪れるのに合わせて、体調を整え、以前と変わらない黒々として、フサフサした髪で迎えてくれました。
何十年も沖縄に住んでいるのに、美ら海水族館に行ったことがなかったらしく、何を思ったのか、私たちと一緒に行ってくれました。
そして11月。
だいぶ体も細くなって、それでも気丈にふるまってくれて、のんたんと私を首里城観光や地元のおいしい沖縄そばに連れて行ってくれました。
今年に入って入院して、もう、退院することはないことを知って、それからこまめに会いに行きました。
死を目の前にすると「生」って何だろうとつくづく考えさせられました。
まだ答えは出ていないけど、人はおぎゃーと産声をあげた時から、死へ向かって生きてるんだということも考えました。
そして、どんどん体の自由が利かなくなっても人は生きようとする。
大学の頃に入っていた部活で、創作活動をしていました。
私は文章を書いたりするのが好きで、でも、読むのはちょっと苦手で(笑)、さらに、その感想を言い合ったりするのはもっと苦手で。
その時にある後輩が身近な人の死を題材にした小説を書きました。
自分がその感想をどう言ったのかは覚えていないのですが、身近な人を亡くした友達が「身近な人を亡くさないとこの気持ちはわからない。」と言ったのを今でも覚えています。
私は幸いにも今まで身近な人を亡くしたことがありません。
死はどこか遠い世界の話でした。
だんだん弱っていく父を見ながら、いろいろな延命装置につながれている父を見ながら、私は楽になってもらいたいとも考えました。
これが正しいのかどうかわからないけれど、大好きな新聞や本も読めなくなった体で、それが「生」というのかどうかも考えました。
最後、お風呂に入ってきれいになったところで、眠るようにして父はなくなったと聞きました。
父の奥さんに聞くと、最後まで意思はあったんだよ、って言います。
たまにしか行かない私には何にもわかってないのかもしれない。
でも、苦しいよりもすっと、水にすっと入るように、眠りにすっとつくように、自分が永遠の眠りについたことも分からないような状態は私にはとても嬉しかった。表現がちょっとおかしいかもしれないけど、安心した。
お葬式のときに棺にいろいろなものを入れて持たせたけれど、のんたんが後で「なかったから入れられなかったけれど、ジイジに本を入れてあげたかった。」って言っていました。
入院中も難しい、クロマニヨン人はどこから来たのか?みたいなタイトルの本を読んでいました。
のんたんはよく考えてるな、って思いました。
最後までジイジに触れて、お骨も我先に全部拾って、のんたんってすごいな!って思いました。
たくさんの人に囲まれて父は煙になりました。
いろいろあった人生だったけれど、こんな風にみんながお別れの挨拶をしに来てくれるなんて、幸せだったんだなぁ~ってつくづく思いました。
お父さん、ありがとう。
これからも近くで見守っていてください。
今回は那覇市のナハナホテル&スパに宿泊しました。
到着は夜。
ホテルの近くで夕食が食べられないかな?とベルガールに聞いたら、すぐに「近くのちゅらさん亭がおススメですよ。」と教えてくれました。
具志堅用高さんも御用達のお店のようです。
昔からの素朴な沖縄料理が食べられるお店でした。
那覇なので駐車場代がかかるのがコスパ重視のakicoco家家訓に反するのですが(笑)、お部屋も広いし、宿泊者専用ラウンジもあるし、540円で入ることのできるスパがまたいい!
さらに隣はファミリーマートで便利だし、少し歩けば国際通りもあるので夕食にも事欠きません。
ランチで立ち寄ったパーラー徳ちゃん。迷ってたどり着いたのでもう2度と行けないかもしれない…
ちなみに、沖縄そばの大盛りと普通盛りの区別がいまいちわからず、ほとんど同じ大きさのような気がしました(笑)。さすが沖縄、てーげーです。
沖縄には沖縄そば屋さんがたくさんあるのですが、どれ一つとして同じ味はないように思います。
私が好きな味でした。
最終日の夕食には、20年前、父と奥さん、そして娘のリョウコとだんなの人と私の5人で一緒に行った国際通りのヘリオスパブへ行きました。
昔と全く変わっていなくて、時間だけが過ぎた気がして、とても不思議な気分でした。
今年は沖縄がとても身近に感じることができたような気がします。