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■ 御府内二十一ヶ所霊場の御朱印-3

Vol.-2からのつづきです。


■ 第7番 仏到山 無量寿院 西光寺
(さいこうじ)
公式Web

台東区谷中6-2-20
新義真言宗
御本尊:五大明王
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第70番、弘法大師二十一ヶ寺第15番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第7番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-23 をベースに再編しています。

第7番札所は谷中の西光寺です。

西光寺はかつて御府内八十八ヶ所霊場第70番札所でしたが、現在第70番札所は練馬石神井の禅定院に替わっています。

御府内霊場第70番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに谷中の西光寺となっており、第70番札所は御府内霊場開創当初から江戸末期まで谷中の西光寺で、明治初頭以降に石神井の禅定院に変更となった可能性があります。

下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

西光寺は慶長八年(1603年)、傳燈大阿闍梨妙音院法印宥義大和尚(佐竹氏代16代当主・義篤次子、元和四年(1618年)寂)が幕府より神田北寺町に寺地を賜り開山といいます。
開基檀越は佐竹右京大夫義宣。
当山は佐竹氏との所縁がふかいので、佐竹氏について少しく追ってみます。

佐竹氏は新羅三郎源義光公の孫昌義(1081-1147?年)が常陸国久慈郡佐竹郷(現・茨城県常陸太田市)に土着し、佐竹氏を称したという清和源氏の名族です。

源平合戦では平家にくみしたため頼朝公により所領を没収された(Wikipedia)ものの、後に再興し奥州討伐では鎌倉方に加わりました。
南北朝時代の8代当主・貞義、9代・義篤は足利氏に応じて北朝方として活躍し、その功から守護職に任ぜられて家勢は興隆しました。

足利満兼公制定と伝わる「関東八屋形」に列せられ、戦国時代の15代当主・義舜は反目する佐竹山入家を討って佐竹氏統一を果たし、18代の義重は常陸の大半を支配下に置き、奥州南部にも進出して有力戦国大名としてその名を馳せました。

義重の子・19代義宣は秀吉公の小田原征伐に参陣し、常陸國54万5800石の大名となり、
徳川・上杉・毛利・前田・島津とともに「豊臣六大将」と呼ばれるほど勢力を拡大。

佐竹義宣は佐竹義重の嫡男で母は伊達晴宗の娘。
官位は従四位上・左近衛中将、右京大夫を賜るという、家柄・格式を有する、名実兼ね備えた太守でした。

義宣は幾度か石田三成のとりなしを受け、天正十八年(1590年)三成の忍城攻めに加勢したこともあり、石田三成との関係は良好でした。
慶長四年(1599年)3月、前田利家逝去ののち、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、浅野幸長、黒田長政、細川忠興、池田輝政らが三成の屋敷を襲撃した際、義宣が三成を女輿に乗せ、宇喜多秀家邸に逃れさせたという逸話は有名です。
また、秀吉から羽柴姓を与えられるなど豊臣色の強い大名でした。

関ヶ原の戦いでは水戸城へ引き上げ、積極的に徳川方に与力しなかったため戦後咎を受けましたが家康公に謝罪し、家名断絶は遁れたものの出羽国秋田、54万石から20万石への減転封となりました。

義宣が家康公から転封の沙汰を受けたのは慶長七年(1602年)5月(Wikipedia)、出羽(秋田)入国は同年9月なので、水戸から秋田への転封直後にみずから開基となって西光寺を創建(慶長八年(1603年))したことになりますが、その背景は史料からは辿れませんでした。

慶安元年(1648年)神田北寺町の寺地が幕府用地として収公、谷中の現所に替地となりました。
慶安二年(1649年)佐竹修理大夫義隆(秋田久保田藩第2代当主)が堂舎を再建したため、義隆は中興開基とされます。
以降何度か火災に遭っていますが、都度佐竹家により再建されています。

公式Webによると、当山は「秋田藩(秋田市)佐竹家・伊勢津藩(三重県津市)藤堂家の祈願寺として信仰されてきた歴史」があるそうです。

公式Webによると、仏寺創建の際には藤堂高虎が財政的支持をおこなったと伝えられ、山内の韋駄天像は藤堂高虎安置と伝わり、別名「韋駄天寺」とも称されたようです。

江戸時代の西光寺は御府内二十一ヶ所霊場のほか、御府内八十八ヶ所霊場、弘法大師二十一ヶ寺、上野王子駒込辺(西國)三十三観音霊場の札所を兼ねられてお大師さまとの所縁もふかい寺院です。

明治初頭の神仏分離の波も乗り越えているのに、おそらく明治初頭以降のどこかのタイミングで御府内八十八ヶ所霊場第70番の札所は石神井の禅定院に変更となっています。

西光寺は和歌山の根來寺を総本山とする新義真言宗。
禅定院は真言宗智山派で宗派も異なり、変更の理由についてはよくわかりません。


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【史料・資料】

『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
七十番
谷中 門前町あり
佛到山 無量壽院 西光寺
本所彌勒寺末 新義
本尊:不動明王 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.98』
谷中 不唱小名
本所彌勒寺末
佛到山無量壽院西光寺
当寺之濫觴慶長八年(1603年) 開山宥義 於神田北寺町寺地拝領仕
堂舎 佐竹右京太夫義宣公建立
慶安元年(1648年)右寺地御用地ニ付 於当所旧地之●第四世宥鏡代拝領仕
慶安二年(1649年)佐竹修理太夫義隆公堂舎再建仕候

開山 伝灯大阿闍梨法印宥義、俗姓佐竹大膳太夫義篤公二男 元和四年(1618年)寂
開基 佐竹右京太夫義宣公 寛永十年(1633年)卒
中興開基 佐竹修理太夫義隆公(秋田久保田藩第2代当主) 寛文十一年(1671年)卒

本堂
 本尊 不動尊鋳型座像 附二童子木像
 四大明王木像 十一面観音木像 聖天府秘符
 阿弥陀如来木像
 弘法大師木像 興教大師木像
 愛染明王木像座像 地蔵菩薩木像座像 不動明王古像座像
境内鎮守社 天神稲荷疱瘡合殿
十一面観音石像
地蔵尊石像
韋駄天石像

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
西光寺(谷中上三崎南町二〇番地)
本所彌勒寺末、佛到山無量壽院と号す。本尊不動明王、五大尊。慶長八年(1603年)、開山妙音院宥義。(佐竹義篤次子、元和四年(1618年)寂)
幕府より神田北寺町に於て寺地を給せられ、佐竹右京大夫義宣開基檀越として当寺を創建した。慶安元年(1648年)同所幕府用地となるや、現所に替地を給せられ、翌二年(1649年)佐竹修理大夫義隆堂舎を再建した。義隆はために中興開基と呼ばれる。時の住持は第四世宥鏡であった。(略)
佐竹家の他に藤堂家の祈願所であつた。境内の韋駄天石像は同家の寄進する所で、韋駄天寺の俗称は之に基くのである。



「西光寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約10分。
東京メトロ千代田線「根津」駅からも歩けます。

三崎坂から南下して瑞輪寺よこを通り一乗寺に向かう路地沿いには、いくつかの寺院があってそのひとつ。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 韋駄天石碑

山内入口は門柱で、その横には「足病平癒 韋駄天安置 藤堂候 佐竹候旧御府内祈祷所」の石碑。


【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 左が韋駄天



【写真 上(左)】 石佛群-1
【写真 下(右)】 石佛群-2

正面が本堂、向かって左奥が庫裏(寺務所)というシンプルな伽藍配置です。
参道右手手前から、六地蔵、地蔵尊、十一面観世音菩薩、韋駄天、庚申様、如意輪観世音菩薩などの古色を帯びた石佛が並びます。

韋駄天は四天王の増長天に従う八将の一神で、走力に優れ邪神を追い払うことから伽藍の守護神とされ、とくに禅刹の庫裏(玄関)によく祀られています。


【写真 上(左)】 庫裏側の石像と句碑
【写真 下(右)】 本堂

本堂はおそらく切妻造桟瓦葺流れ向拝で手前に修行大師像とかわいい地蔵尊像が御座します。


【写真 上(左)】 修行大師像
【写真 下(右)】 斜めからの向拝

向拝は水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に蟇股を置いています。
正面硝子戸には佐竹家の家紋「佐竹扇/五本骨扇に月丸」が描かれ、見上には山号扁額が掲げられています。


【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 門柱の寺号標

御朱印は本堂向かって右手の庫裡にて拝受しました。
西光寺は以前は御朱印不授与でしたが、近年カラフルな月替わり御朱印で一気に人気のお寺となり、おそらく参拝者(というか絵御朱印ファン)の数は御府内八十八ヶ所霊場の札所より多いかと思います。
絵御朱印の威力おそるべし。

なお、こちらは授与日・授与時間限定でで案内が出ています。
授与日がすくなく授与時間も短いのでこのサイトで事前確認必須です。


〔 西光寺の御朱印 〕

 

中央に「五大明王」の揮毫と不動明王のお種子「カン/カーン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。カラー御朱印の場合は主印が不動明王の御影となるようです。
右に「佐竹候藤堂候祈祷所」の印判。
左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第8番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
(ちょうきゅういん)
台東区谷中6-2-16
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第55番、江戸八十八ヶ所霊場第55番、弘法大師二十一ヶ寺第19番、閻魔三拾遺第4番、江戸・東京四十四閻魔参り第12番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19 をベースに再編しています。

第8番は谷中の長久院です。

第55番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに長久院で、第55番札所は開創当初から谷中の長久院であったとみられます。

下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

長久院は、慶長十六年(1611年)幕府より賜地を得て宥意上人が神田北寺町に開山、慶安十一年(1658年)幕府による寺地召上げを受け、代地として賜った谷中の現在地へ移転したといいます。

『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での賜地および創建、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)と同様とみられます。

江戸期の長久院は、本堂に御本尊の金剛界大日如来、弘法大師、興教大師、不動尊、愛染明王、薬師如来、歓喜天三躰、地蔵尊を奉安し、御府内霊場としての要件を満たしていたとみられます。

本堂とは別に閻魔法王石像(台石とも六尺)を奉安。
こちらは閻魔三拾遺第4番、江戸・東京四十四閻魔参り第12番の札所となっており、御府内でも著名な閻魔様であったことがわかります。

こちらの閻魔法王石像は右左にそれぞれ司命、司録像を配し「六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像」として台東区登載文化財に指定されています。
なお、閻魔法王(大王)王冥界の王で、司命は閻魔王の判決を言い渡し、司録は判決内容を記録する従者であるとされます。

台座銘文に六十六部聖の光誉円心が享保十一年(1726年)に造立とあります。
六十六部聖とは、生前の罪障を滅し、死後の往生に近づくために法華経を六十六部写経し、全国の六十六箇所の霊場に一部ずつ奉納して回る聖のことをいいます。

六十六部聖は巡拝先に奉納経石塔を建立することが多いですが、石仏を奉納する例もみられます。
石仏は地蔵菩薩が多く、閻魔王像は極めて稀であるとされ、この稀少さもあって区登載文化財に指定されている模様です。

『寺社書上』には「飯縄不動安置」とあり、飯縄修験の流れが入っていた可能性があります。
同じく『寺社書上』にある「稲荷社」は、鎮守神かもしれません。

長久院は「弘法大師二十一ヶ寺」第19番の札所でもあります。
この霊場は、「弘法大師二十一ヶ寺御詠歌所附版木」が伝える弘法大師霊場で、この附版木は寛政二年(1790年)の開版ですからかなり古い来歴をもちます。

これとは別に「弘法大師 御府内二十一ヶ所」という霊場もあります。
「ニッポンの霊場」様によると、この霊場は元禄(1688年)から宝暦(1751年)の間に開創とされる古い霊場で、宝暦五年(1755年)頃の開創とされる御府内霊場より古い可能性があります。

二十一ヶ所霊場は、八十八ヶ所霊場のミニ版として開創され八十八ヶ所と札所が重複するケースもみられますが、「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」ともに御府内霊場(八十八ヶ所)との札所重複は多くありません。

ご参考までにリストします。
なお、「弘法大師二十一ヶ寺」の札所の出所は↓『御府内八十八ヶ所 弘法大師二十一ヶ寺 版木』(台東区教育委員会刊)です。



【弘法大師二十一ヶ寺】
1番 萬昌山 金剛幢院 圓満寺
 真言宗御室派 文京区湯島1-6-2
2番 宝塔山 多寶院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-35
3番 五剣山 普門寺 大乗院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-16
4番 清光院 台東区下谷(廃寺)
5番 恵日山 延命寺 地蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草1-15-8
6番 阿遮山 円満寺 不動院
 真言宗智山派 台東区寿2-5-2
7番 峯松山 遮那院 仙蔵寺
 真言宗智山派 台東区寿2-8-15
8番 高野山 金剛閣 大徳院
 高野山真言宗 墨田区両国2-7-13
9番 青林山 最勝寺 龍福院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-17-2
10番 本覚山 宝光寺 自性院
 新義真言宗 台東区谷中6-2-8
11番 摩尼山 隆全寺 吉祥院
 真言宗智山派 台東区元浅草2-1-14
12番 神勝山 成就院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-8-12
13番 広幡山 観蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-18-5
14番 望月山 般若寺 正福院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-7-21
15番 仏到山 無量寿院 西光寺
 新義真言宗 台東区谷中6-2-20
16番 鶴亭山 隆全寺 威光院
 真言宗智山派 台東区寿2-6-8
17番 十善山 蓮花寺 密蔵院
 真言宗御室派 中野区沼袋2-33-4(移転)
18番 象頭山 観音寺 本智院
 真言宗智山派 北区滝野川1-58-2
19番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-16
20番 玉龍山 弘憲寺 延命院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-2
21番 宝林山 大悲心院 霊雲寺
 真言宗霊雲寺派 文京区湯島2-21-6

このうち、「御府内八十八ヶ所」「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」の3つの霊場すべての札所となっているのは、霊雲寺(第28番/湯島)、多寶院(第49番/谷中)、自性院(第53番/谷中)、長久院(第55番/谷中)の4箇寺しかなく、札所重複が少ないことを示しています。
※( )は御府内八十八ヶ所霊場の札番。


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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十五番
谷中寺町
瑠璃光山 薬王寺 長久院
本所弥勒寺末 新義
本尊:阿弥陀如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.97』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所弥勒寺末
瑠璃光山薬師寺長久院
慶長十六年(1611年)二月、神田北寺町ニ●寺地拝領仕 其後慶安元年(1648年)右地所御用地ニ相成 同年十一月廿一日当所ニ●代地拝領仕候
開山宥意 寛永四年(1627年)正月三日寂
本堂
 本尊金剛 大日如来木像
 弘法大師 興教大師 不動尊
 愛染明王木坐像 薬師如来木坐像 歓喜天三躰金佛厨子入 地蔵尊木立像
宝篋印塔
閻魔法王石像、臺石共六尺
稲荷社
飯縄不動安置

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
長久院(谷中上三崎町一七番地)
本所彌勒寺末、瑠璃光山薬師寺と号す。本尊大日如来。当寺も亦多寶院、自性院等と同じく慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を給うて開創せられ、慶安元年(1648年)現地に移ったのである。開山は僧宥意。(寛永四年(1627年)一月三日寂)
境内に飯綱不動、石像閻魔等を安置する。



「長久院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)
※『江戸切絵図』では「長久寺」となっています。

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約10分。
東京メトロ千代田線「根津」駅からも歩けます。

三崎坂から南下して瑞輪寺よこを通り一乗寺に向かう路地沿いには、いくつかの寺院があってそのひとつ。
谷中寺町のほぼ中心部です。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 閉門時の山門

路地から少し引き込み、左右に築地塀と植栽をめぐらした山門の構えはなかなか風格があります。

山門は切妻屋根桟瓦葺の薬医門ないし高麗門で、見上げに院号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 山門の扁額
【写真 下(右)】 山内

山門をくぐると左手に智拳印を結ばれる金剛界大日如来像。


【写真 上(左)】 大日如来像
【写真 下(右)】 本堂と大師堂

参道正面が庫裡で、その右手に本堂、さらにその右手前に直角に向きを変えて大師堂。
本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ虹梁、中備に本蟇股。
端正に整ったいい本堂です。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 閻魔様

本堂向かって右の堂前には、閻魔様、司命、司録が御座しています。
そばには「『笑いえんま』とよばれています。」という木板も掲げられていました。


【写真 上(左)】 大師堂
【写真 下(右)】 大師堂の扁額

大師堂は屋根に宝珠をおいた宝形造で流れ向拝。
向拝まわりの柱や虹梁はいずれも直線で、きっちりまとまった印象です。

御朱印は本堂向かって左の庫裡にて拝受しました。
なお、こちらは16:00閉門なので、時間に余裕をもった参拝をおすすめします。


〔 長久院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十五番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています


■ 第9番 寶塔山 龍門寺 多寶院
(たほういん)
台東区谷中6-2-35
真言宗豊山派
御本尊:多宝如来
札所本尊:多宝如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第49番、江戸八十八ヶ所霊場第49番、弘法大師二十一ヶ寺第2番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-16 をベースに再編しています。

第9番は谷中の多寶院です。

下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

多寶院は、慶長十六年(1611年)幕府から神田北寺町に寺地を賜り建立されました。
開山は大僧都法印宥純(寛永五年(1628年)寂)、開基は不明です。

慶安元年(1648年)同所が幕府用地として召し上げとなり、現寺地に替地を得て移転しています。
湯島根生院の末寺の新義真言宗寺院で、御本尊は行基菩薩作と伝わる多宝如来です。
多宝如来は法華経に記され、東方・宝浄国の教主の如来です。

多宝如来は単独で奉安されることは少なく、御本尊の例もほとんどありません。
ただし、日蓮宗では法華経信仰に基づき釈迦如来とともに二体一組で信仰され重要なポジションです。
とくに、題目宝塔の両脇に釈迦如来と多宝如来を配した「一塔両尊」という安置形式は日蓮宗特有の御本尊として多くみられます。

密教では作例は少なく、札所本尊の例もほとんどないので当山の多宝如来は稀少です。
ちなみに、本四国八十八ヶ所に札所本尊が多宝如来の例はなく、他の弘法大師霊場でもみたことがありません。

当山は吉祥天の奉安でも知られています。
吉祥天はヒンドゥー教の女神・ラクシュミーが仏教にとり入れられたもので、仏教では母は鬼子母神、夫を毘沙門天とされます。

鬼子母神はとくに日蓮宗で信仰される尊格で、この点からも日蓮宗の影響が想起されますが当山は当初から純然たる密寺のようです。
この点は弘法大師霊場である御府内霊場の「御府内八十八ヶ所大意版木」が、多寶院が中心となって開版されたことからもわかります。

また、谷中エリアでの代表的な弘法大師霊場は、
 1.御府内霊場(御府内八十八ヶ所霊場)
 2.弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場
 3.弘法大師二十一ヶ寺
の3つありますが、多寶院は3つの霊場すべての札所となっており、弘法大師巡拝に外せない寺院であったことがわかります。
(「御府内八十八ヶ所大意版木」、「弘法大師二十一ヶ寺御詠歌所附版木」ともに当山に収蔵。)

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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
四十九番
谷中門外
寶塔山 龍門寺 多宝院
湯嶋根生院末 新義
本尊:多宝如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.57』
湯島根生院末 谷中不唱小名
寶塔山龍門寺多宝院
慶長慶長十六年(1611年)二月十五日神田小寺町ニ寺地所拝領仕 其後慶安元年(1648年)御用地ニ●召上当時之地所拝領仕候
開山大僧都法印宥純(寛永五年(1628年)寂)
開基不分明
中興開山権大僧都法印澄正
本堂
 本尊 多宝如来 行基菩薩作
聖天堂
 聖天尊像
稲荷社
四国写八十八ヶ所碑三本 第四十九番目
石地蔵尊

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
多寶院(谷中町三二番地)
湯島根生院末、寶塔山龍門寺と号す。本尊多寶如来、開山宥純(寛永五年(1628年)八月五日寂)。慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を給せられて建立した。慶安元年(1648年)同所が幕府の用地となるに及び現地に替地を給うて移転した。



「多宝院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』本郷湯島絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約8分。メトロ千代田線「千駄木」駅からも歩けます。
(→ 谷中マップ
千駄木(団子坂下)から谷中に登る三崎坂(さんざきざか)が谷中霊園に月当たるところにあり、谷中界隈では比較的開けたところです。

門柱に札所札。門柱手前に吉祥天安置標。
門柱脇にも札所標がありますが、写真がうまく撮れていません。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 つつじの時期の門柱


【写真 上(左)】 門柱の院号札
【写真 下(右)】 吉祥天安置標

参道左手に六地蔵を含む地蔵尊、その先に慈母観音。
本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝で、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
見上げに山号扁額を掲げています。
雰囲気のあるいい本堂で、落ち着いて参拝ができます。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝


【写真 上(左)】 斜めからの向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額

本堂向かって右手に谷中吉祥天のお堂。
堂前には幟がはためき、向拝見上げには「吉祥天」の扁額が掲げられています。


【写真 上(左)】 谷中吉祥天
【写真 下(右)】 谷中吉祥天の扁額

背後に円光(輪光)、胸部に瓔珞(ようらく)を帯び、右手は与願印、左手には宝珠を持たれる煌びやかな立像です。
吉祥天は仏教のなかでも屈指の美形の尊格として知られますが、こちらのお像も整った面立ちです。

御朱印は本堂向かって右手の庫裡にて拝受しました。
なお、「谷中吉祥天」の御朱印は不授与とのことです。


〔 多寶院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

【専用集印帳】
中央に「本尊多宝如来」「弘法大師」の揮毫とお種子の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「第四十九番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
多宝如来のお種子は「ア」とされますが、このお種子は「ア」ではないと思われます。


■ 第10番 本覚山 寶光寺 自性院
(じしょういん)
公式Web

台東区谷中6-2-8
新義真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第53番、江戸八十八ヶ所霊場第53番、弘法大師二十一ヶ寺第10番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-18 をベースに再編しています。

第10番は「谷中愛染堂」とも呼ばれる谷中の自性院です。

第53番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに自性院で、第53番札所は開創当初から谷中の自性院であったとみられます。

公式Web、下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

自性院は、慶長十六年(1611年)、道意上人により江戸神田北寺町(現・千代田区神田錦町)に開創、慶安元年(1648年)幕府用地となったため、谷中の現在地を賜り移転と伝わります。

中興開山は第9世貫海上人。
元文年間(1736-1741年)上人が境内の楠を切り彫刻された像高1メートルの像内には、上人が高野山参詣のとき奥之院路上で拾われた小さな愛染明王が納められているといいます。(公式Webによると、「近年修理をしたところ像内より胎内仏を確認」とのこと。)

当山は愛染堂安置の愛染明王像で知られ、文化文政の頃(1804-1830年)になると、その名は近在まで広がり「愛染寺」と呼ばれて親しまれたそうです。

愛染明王はとくに縁結び、家庭円満のご利益で信仰されます。
昭和12年(1937年)1月から翌年5月にかけ「婦人倶楽部」に連載された、文豪・川口松太郎の『愛染かつら』は、当山奉安の愛染明王の縁結びのご利益と本堂前のかつらの古木をモチーフとして書かれた作品といいます。(作品中では「永法寺」として描かれる。)

主人公ふたりは当山の愛染堂前のかつらの木に手をふれ、愛染明王に愛を誓約しました。恋人同士がこうして誓うと、将来かならず結ばれるという筋書きで、「愛染かつら」は昭和13年(1938年)松竹映画として、上原謙と田中絹代が共演して大ヒットとなりました。

また、映画の主題歌『旅の夜風』(昭和13年)を歌った霧島 昇と松原 操(ミス・コロムビア)が共演をきっかけに結ばれるというエピソードもあいまって、当山の愛染明王への参詣者は急増したといいます。

いまは谷中の奥まった一画で、御府内霊場巡拝者を迎える静かな寺院となっています。


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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十三番
谷中寺町
本覺山 寶光寺 自性院
本所弥勒寺末 新義
本尊:大日如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.99』
本所彌勒寺末
谷中不唱小名
本覺山寶光寺自性院
新義真言宗
本所弥勒寺末 谷中不唱小名
慶長十六年(1611年)二月 神田北寺町ニ而拝領仕候処 其後慶安元年(1648年) 御用地ニ奉差上、於当所代地拝領仕候
開山 道意上人
本堂
 本尊 金胎両部大日如来木像坐像 弘法大師木像 興教大師木像 不動尊木像 薬師如来木立像
宝篋印塔
地蔵堂 地蔵尊石像
中興開山 貫海上人
愛染堂 境内にあり 貫海上人の建立
愛染堂ハ今本堂と●●り 昔ハ別に本堂ありしと云

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
自性院(谷中上三崎南町六番地)
本所彌勒寺末、本覺山寶光寺と号す。本尊金剛界大日如来、胎蔵界大日如来。慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を給うて開創せられ、慶安元年(1648年)現地に移ったのである。開山は僧道意。慶安元年(1648年)同所幕府の用地となり、現地に替地を給せられて移転した。



「自性院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋国立国会図書館DC(保護期間満了)


「自證寺(自性院)」/原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)
※『江戸切絵図』では「自證寺」と記されています。

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約7分。
東京メトロ千代田線「根津」駅からも歩けます。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 愛染明王安置碑

谷中六丁目のこのあたりは、ゆったりした区画の寺町で、落ち着いて参拝ができます。
路地に面した山内入口には愛染明王安置碑と『愛染かつらゆかりの地』の説明板。
左右の門柱は、それぞれ山号・寺号標と院号標となっています。


【写真 上(左)】 山号・寺号標
【写真 下(右)】 院号標

よく整備された山内。本堂前の大木が桂の木かどうかはうかつにも確認し忘れました。
参道が本堂前で右に折れる曲がり参道で、曲がった正面が本堂。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

入母屋造本瓦葺流れ向拝、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ虹梁、中備に本蟇股を備えた端正な本堂です。

向拝硝子格子扉のうえに「愛染寺」の扁額。
通称が扁額となるのはめずらしいと思います。


【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 慈母観世音菩薩

御朱印は本堂向かって左手の庫裡で拝受しましたが、現況は専用納経帳のみへの授与かもしれません。(直近の状況は未確認)
また、こちらは16:00に閉門となるので、時間に余裕をもった参拝をおすすめします。


〔 自性院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十三番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内二十一ヶ所霊場の御朱印-4

記事リスト



【 BGM 】
■ 黄昏に風る feat.Osakana / Music&Arrangement:Koa


■ 春空-ハルソラ- - 石野田奈津代


■ Far On The Water - kalafina Live FOTW Special Final
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■ 御府内二十一ヶ所霊場の御朱印-2

Vol.-1からのつづきです。


■ 第3番 蓮葉山 妙智院 観音寺
(かんのんじ)
公式Web

台東区谷中5-8-28
真言宗豊山派
御本尊:大日如来・阿弥陀如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第42番、江戸八十八ヶ所霊場第42番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第32番、東方三十三観音霊場第13番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-14 をベースに再編しています。

第3番札所は、御府内八十八ヶ所霊場札所の集中エリア・谷中の観音寺です。

公式Web、下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

観音寺は、慶長十六年(1611年)神田北寺町(現・千代田区神田錦町周辺)に、長福寺を号し尊雄和尚を開基に創建されました。
神田など、江戸城まわりにあった寺院は江戸城の拡張やこれにともなう武家屋敷地化もあって次々と移転を命ぜられましたが、当山もその例にもれず、慶安元年(1648年)御用地として召し上げられ、谷中清水坂(現・台東区池之端周辺)に移転したもののこちらもまた御用地となり、延宝八年(1680年)現在地に移転しています。

元禄十四年(1701年)三月十四日、浅野内匠頭長矩が江戸城内にて刃傷。即日切腹となり浅野家はお家断絶、領地を没収されました。
元禄十五年(1702年)二月、当山でしばしば密議を重ねた近松勘六行重、奥田貞右衛門行高(ともに当山6世朝山和尚(文良)の兄弟)は江戸を下り、十二月十四日赤穂義士討入り。
主君の仇の吉良上野介義央の首級をあげ本懐を遂げました。
元禄十六年(1703年)赤穂義士切腹。当山は義士の供養塔を建て、義士の菩提を弔うこととなりました。
これより、当山は「赤穂義士ゆかりの寺」としても知られています。

享保元年(1716年)8代将軍・徳川吉宗公の長子の長福丸(家重公)と寺号が重なるため、ときの住職朝海和尚はこれをはばかり寺号を長福寺から観音寺へと改めました。

『寺社書上』ではこの朝海和尚を中興開基とし、真言宗江戸四箇寺の本所弥勒寺末とされたと記され、公式Webでも朝海和尚の功績がとり上げられています。

谷中は江戸城周辺から寺院の移転が相次ぎ、元禄年中(1688-1703年)頃には御府内有数の寺町となりました。
御府内霊場の開創は宝暦年間(1751-1763年)とみられるので、御府内霊場に谷中の札所が多数定められる下地はすでに整っていました。
公式Webにも「宝暦年中(1751-1763年)江戸府内八十八所霊場巡拝が設けられ、観音寺は四十二番札所となる。」と明記されています。

明和九年(1772年)、行人坂の大火で諸堂宇を失い、寺伝類の多くも焼失しました。
しかし、谷中の中心にある御府内霊場札所で、観音堂安置の如意輪観音信者の助力もあってか、観音寺の復興ははやかったと伝わります。

安永年中(1772-1780年)には「三十三所観音参/上野より王子駒込辺西国の写し霊場」が開創。
観音寺は第32番札所に定められ、弘法大師(御府内霊場)、観音(上野王子駒込霊場)両霊場の札所となりました。
『江戸歳事記 4巻 付録1巻 [2]』(国立国会図書館)に「上野より王子駒込辺西国の写三十三所観音参」の一覧があり、たしかに第32番として「谷中観音寺」がみられ、札所本尊は如意輪観世音菩薩となっています。
(→ 札所リスト(「ニッポンの霊場」)様)

この霊場は「上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場」とも呼ばれますが、筆者がまわった範囲では「西国霊場」の方が通りがよく、札所印つき御朱印授与の札所もあれば、廃寺や御朱印じたい不授与の札所も多く、御朱印拝受しにくい霊場となっています。

■ 希少な札所印

 
↑ 第4番札所思惟山 正受院(北区滝野川)の札所御朱印。
「西國四番寫」の札所印が捺されています。

明治初頭の神仏分離・廃仏毀釈により寺地を官有地とされましたが、住職および檀信徒の寺運繁栄の努力により昭和18年現本堂が落慶しています。
このとき境内佛(濡佛)であった胡銅製大日如来像と阿弥陀如来像が本堂内に遷座され、御本尊となっています。

公式Webによると、当山創建当初の御本尊は五智如来木座像(金剛界五佛仏/大日如来(中心)、阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北))で開基・尊雄和尚が師子相承されていた尊佛でしたが、火災により失われました。

ついで観音堂本尊であった如意輪観世音菩薩と不空羂索観世音菩薩が御本尊となられ、昭和18年現本堂落慶とともに大日如来・阿弥陀如来両尊が御本尊となりました。
旧御本尊の観音菩薩像は、現在本堂内位牌堂に安置されています。

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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
四十二番
谷中●●門前町
蓮葉山 妙智院 観音寺
本所彌勒寺末 新義
本尊:大日如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [112] 谷中寺社書上 四』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.104』
本所弥勒寺末 谷中不唱小名
蓮葉山妙智院観音寺
起立慶長年中
権現様御代 神田北寺町ニて拝領仕候
大猷院様御代 御用地ニ相成代地谷中清水坂ニ●右之●坪数程拝領仕候
厳有院様御代 御用地ニ相成 延寶八年只今之場所代地拝領仕候
開基 尊雄 寂年月不知
中興開基 当寺第六世朝快住職中 本所弥勒寺之末寺ニ●
右等之始末古記録等焼失仕候ニ付●●分不申候
本堂
 本尊五智如来
 四佛 阿閦 宝生 弥陀 釈迦 各木坐像
 弘法大師 興教大師 各木坐像
護摩堂
 本尊不動明王木坐像
観音堂
 本尊如意輪観音木坐像
稲荷社
濡佛二体 大日如来 阿弥陀

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
観音寺(谷中上三崎北町七番地)
本所彌勒寺末、蓬莱山と号す。本尊大日如来。慶長十六年、幕府より神田北寺町に地を賜うて起立し、慶安元年谷中清水坂に移り、延寶八年現地に転じた。開山は僧尊雄。境内に観音堂(如意輪観音安置)、大師堂(弘法大師像安置)、駄枳尼天堂(駄枳尼天安置)がある。


「観音寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約5分。メトロ千代田線「千駄木」駅からも歩けます。

谷中は都内有数の寺院の集積地で、複数の御府内霊場札所が立地します。
観音寺は日暮里駅から谷中銀座(夕やけだんだん)に至る御殿坂と千駄木から谷中にのぼる三崎坂を南北に結ぶ通り沿いにあります。
谷中マップ

南側路地沿いの築地塀は国の国の登録有形文化財(建造物)に指定され、その趣きある風景は寺町・谷中のシンボルとしてしばしばメディアなどでとり上げられます
「観音寺の築地塀」は、幕末頃の築造で、南面のみ現存しています。


【写真 上(左)】 築地塀
【写真 下(右)】 山内入口

前面道路から少し引き込んで石畳。
右手石標は特徴ある字体の御寶号「南無大師遍照金剛」。


【写真 上(左)】 御寶号の石標
【写真 下(右)】 観音霊場札所碑


【写真 上(左)】 遠忌碑
【写真 下(右)】 山門

左手の「西国三十二番 近江観音寺うつし」とある石標は、「上野王子駒込辺三十三観音霊場」第32番の札所標。
そのとなりには弘法大師九百五十年と興教大師六百五十年の併記遠忌碑。

山門は切妻屋根本瓦葺で、おそらく薬医門と思われます。


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 本堂

参道正面の本堂は入母屋造本瓦葺流れ向拝、照り気味に秀麗に葺きおろす屋根が風格を感じさせます。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に蟇股。
向拝正面の4連の桟唐戸が意匠的に効いています。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂右手

本堂向かって右手には宝形造銅板葺の大師堂があり、こちらは御府内霊場の拝所となっています。


【写真 上(左)】 大師堂-1
【写真 下(右)】 大師堂-2

堂宇前には年季の入った御府内霊場の札所標。
堂宇前面には複数の御府内霊場の札所板、向拝見上げに御府内霊場の札所板と上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所板。
貴重な御府内二十一ヶ所第参番の札所札もみえます。

『江戸歳事記』では、「上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場」の第32番札所(観音寺)の札所本尊は如意輪観世音菩薩となっていますが、この札所板には千手観世音菩薩と刻されています。
また、札所板の霊場名は「西國三十三ヶ所寫」とみえ、やはり従前からこの霊場名で通っていたようです。


【写真 上(左)】 御府内霊場札所板-1
【写真 下(右)】 御府内霊場札所板-2


【写真 上(左)】 御府内廿一ヶ所札所板
【写真 下(右)】 観音霊場札所板と千社札

軒裏を埋める古びた千社札が、札所としての古い歴史を感じさせます。
(現在はほとんどの寺社で千社札の貼付は禁止されています。)

堂内中央に弘法大師坐像、向かって右手に不動明王立像、左に興教大師坐像を奉安。


【写真 上(左)】 大師堂向拝
【写真 下(右)】 赤穂義士供養塔

本堂と大師堂の間には赤穂義士の供養塔と宝篋印塔。
その周辺には、聖観世音菩薩立像、如意輪観世音菩薩の石仏、救世菩薩地蔵尊などが安置されています。

『全国霊場大事典』(六月書房)によると、御府内霊場の開創は宝暦年間(1751-1764年)頃とされています。
同書によると、信州・浅間山真楽寺の憲浄僧正と千葉県松戸の諦信によって四国八十八ヶ所霊場が写されたもの。

『全国霊場巡拝事典』(大法輪閣)では、宝暦五年(1755年)刊の『大進夜話』に「江戸にも此頃は信州浅間山の上人本願にて、四国の八十八箇所を移して立札など見えたり」とあり、文化十三年(1816年)の札所案内には「宝暦五乙亥三月下総葛飾松戸宿諦信の子、出家して信州浅間山真楽寺の住になりぬ。両人本願して江戸に霊場をうつす」とあることを紹介しています。
また、このことは「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総國 諦信」と刻まれた札所碑が第42番観音寺にあり、他の札所にも同様の石碑が残ることからも裏付けられるとされています。


【写真 上(左)】 御府内霊場札所碑
【写真 下(右)】 「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総國 諦信」とあります

本堂並びにある客殿も登録有形文化財(建造物)に指定されています。


【写真 上(左)】 客殿
【写真 下(右)】 客殿からの本堂

御朱印は本堂向かって左手の庫裡にて拝受しました。

こちらの御朱印拝受については、以前はいささか敷居が高い印象がありましたが、久しぶりにWebで観音寺の御朱印情報を検索してみたら、なんとスワロフスキー(クリスタルガラス)付御朱印や切り絵御朱印で有名になっている模様。(ぜんぜん知らなかった。)

 
【写真 上(左)】 スワロフスキー付御朱印の案内
【写真 下(右)】 スワロフスキー付御朱印

大師堂前には↓のような掲示が依然としてあります。


スワロフスキー付御朱印や切り絵御朱印目当ての人も、いちおうは参拝しているのでしょうか・・・。

谷中の西光寺も以前は御朱印不授与でしたが、いまでは絵御朱印が人気となり、遙拝を条件とした御朱印郵送対応までされています。

■ 谷中の御朱印・御首題

やはり絵御朱印の人気はかなりのものがありそうです。
個人的には絵御朱印や切り絵御朱印にさほど興味はありませんが、これをきっかけに仏教に興味をもつ人が増えるのは、意義あることなのかもしれません。


〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に金剛界大日如来のお種子「バン」、「本尊大日如来」「弘法大師」の揮毫とお種子「ア」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「第四十番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
公式Web掲載の御本尊は智拳印を結ばれる金剛界大日如来、当山の当初の御本尊は五智如来で金剛界系です。
御寶印の「ア」は、胎蔵大日如来のお種子というより、通種子(すべての尊格をあらわす)として用いられているのかもしれません。

 
【写真 上(左)】 御本尊・大日如来の御朱印
【写真 下(右)】 お種子(ア)の御朱印

上記のとおり、現在観音寺の御朱印はスワロフスキー付御朱印や切り絵御朱印がメインの模様で、無申告での墨朱御朱印は大日如来の揮毫御朱印か、お種子(ア)の揮毫御朱印が授与されている模様です。
御府内霊場御朱印の汎用御朱印帳への授与については不明です。


■ 第4番 長谷山 元興寺 加納院
(かのういん)
台東区谷中5-8-5
新義真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第64番、江戸八十八ヶ所霊場第63番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-21 をベースに再編しています。

第64番は谷中の加納院。御府内霊場では数すくない、紀州根來寺を総本山とする新義真言宗の寺院です。

下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

加納院は、慶長十六年(1611年)、幕府より神田小(北)寺町に寺地を給せられて尊慶上人が開基、慶安元年(1648年)谷中へ移転したといいます。

慶安元年(1648年)の移転は旧寺地が幕府用地となったためで、『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での幕府からの賜地、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)、長久院(第55番)、明王院(第57番)、観智院(第63番)などと同様とみられますが、慶安元年(1648年)に一旦谷中清水坂に遷ったあと、延宝八年(1680年)再び幕府用地となったため現在地へ移転といいます。
※( )は御府内八十八ヶ所霊場の札番。

加納院は情報が少ないですが、『寺社書上』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考』には、本堂御本尊は阿弥陀如来で両脇侍は正観世音菩薩と勢至菩薩。
御本尊の阿弥陀如来は「(御府内)八十八ヶ所ノ第六十三番」と記されています。

本堂内(『下谷区史』では大師堂内)に弘法大師像、興教大師像を奉安し、御府内霊場札所としての要件は整っていたようです。

聖天堂には大聖歓喜天二躰(秘佛)と本地佛として十一面観世音菩薩を奉安。
相殿に稲荷。阿弥陀如来、弁財天二躰、千手観世音菩薩も安置と伝わります。

『ルートガイド』によると、当山所蔵の「両界曼荼羅版木」は台東区有形文化財に指定されているとのこと。

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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
六十四番
谷中
長谷山 元興寺 加納院
本所弥勒寺末 新義
本尊:阿弥陀如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [111] 谷中寺社書上 四』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.102』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所彌勒寺末
長谷山元興寺加納院
起立 慶長十六年(1611年)
開基 尊慶 寛永十三年(1636年)寂
権現様御代 神田北寺町ニ寺地拝領仕候 慶安元年(1648年)大猷院様御代 神田北寺町御用ニ付 谷中清水坂ニテ替地拝領仕候 延宝八年(1680年)厳有院様御代御用地ニ付 清水坂地処差上● 只今ハ当所ニ住居仕候

本堂
 本尊 阿弥陀如来木座像
八十八ヶ所ノ第六十三番
 両脇士 観世音 勢至
 弘法大師 興教大師
 位牌壇 大日如来 
聖天堂
 歓喜天二躰 秘佛
 本地 十一面観音
 相殿稲荷 阿弥陀如来 弁財天二躰 千手観世音

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
加納院(谷中上三崎北町六番地)
本所彌勒寺末、長谷山元興寺と号す。本尊阿彌陀如来。慶長十六年(1611年)幕府より神田北寺町に寺地を給せられて起立した。開山を尊慶(寛永十三年(1636年)四月六日寂)といふ。慶安元年(1648年)同所が幕府用地となったため谷中清水坂(現谷中清水町)に移り、延寶八年(1680年)同所亦用地となり、現地に転じた。
境内に聖天堂(大聖歡喜天を安置す)及び大師堂(弘法大師像及び興教大師像を安置す)がある。



「加納院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約7分。
東京メトロ千代田線「千駄木」駅からの方が距離的には近いくらいですが、急な登りとなります。

台地上にある「日暮里」駅から歩くとわかりにくいですが、千駄木方面から望むとかなりの高台にあることがわかります。

寺院に囲まれた路地奥の立地ですが、観光スポットの観音寺の築地塀の先にあり、目立つ朱塗り門を構えているので、訪れる人は意外に多いのかもしれません。

位置的には三崎坂から明王院と観智院のあいだの路地を北に入った路地の突き当たりにあります。
この路地まわりはほとんどが寺院で、谷中が都内屈指の寺町であることを実感できます。


【写真 上(左)】 加納院前から望む観音寺の築地塀(左)
【写真 下(右)】 山門

山門は切妻屋根桟瓦葺の朱塗りの薬医門で、脇塀とともにコの字型の空間をつくり出し、どこか城門のようです。

山門前に御府内霊場札所標。
これは御府内八十八ヶ所霊場(第64番)と御府内二十一ヶ所霊場(第4番)を併記したもので、比較的めずらしいかたちでは。


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山内

緑濃い山内はよく手入れされて心なごみます。
四季折々の花々が咲き誇る花の寺でもあるようです。

本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に蟇股。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの向拝

向拝に扁額はないですが、向拝扉右手に御府内霊場(第64番)と御府内二十一ヶ所霊場(第4番)の札所板が掲げられています。


【写真 上(左)】 札所板
【写真 下(右)】 御朱印案内

御朱印は本堂向かって左の庫裡にて拝受しました。
御府内霊場は参拝後の御朱印申告が原則ですが、こちらでは参拝前に御朱印帳を預ける旨の掲示があります。


〔 加納院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊阿弥陀如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫とお種子(おそらく阿弥陀如来のお種子・キリーク)の御寶印。
御寶印は八葉をかたちどったもので、胎蔵曼荼羅の中心部・中台八葉院をモチーフとしたものかも。
右に「第六十四番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
西暦で書かれた奉拝日が個性的です。


■ 第5番 天瑞山 観福寺 明王院
(みょうおういん)
台東区谷中5-4-2
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第57番、江戸八十八ヶ所霊場第57番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19 をベースに再編しています。

第5番は谷中の明王院です。

下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

明王院は、慶長十六年(1611年)二月、御水尾天皇の勅願により、幕府より神田北寺(小寺)町に寺地を給せられ、僧辨圓が創建。慶安元年(1648年)同所が幕府用地となつたため谷中に移ったといいます。
『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での幕府からの賜地、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)、長久院(第55番)と同様とみられますが、『ルートガイド』には慶安元年(1648年)に一旦谷中清水坂に遷ったあと、万治三年(1660年)に現地に移転とあります。

本堂には御本尊阿弥陀如来を奉安。
境内聖天堂には大聖歓喜天尊と本地十一面観世音菩薩、不動堂には不動尊、大師堂には弘法大師像を安置と伝わり、御府内霊場としての要件を満たしていたとみられます。

『寺社書上』にある「稲荷社」は、鎮守神かもしれません。


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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十七番
谷中三●●町
天瑞山 観福寺 明王院
本所弥勒寺末 新義
本尊:阿弥陀如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [111] 谷中寺社書上 三』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.101』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所彌勒寺末
天瑞山歓福寺明王院
権現様御代慶長十六年(1611年) 開山辨圓法印代 於神田小寺町ニ拝領仕候
大猷院様御代慶安元年(1648年)中、右之寺地御用地ニ付被召上、谷中●代地拝領仕候
開山 辨圓法印 寛永五十月四日遷化
中興開基 朝誉法印、宝永三年(1706年)遷化
本堂
 本尊 阿弥陀佛 丈一尺七寸立像
聖天宮 尊像金佛秘尊 本地十一面観音立像
不動堂 不動尊丈五寸座像
稲荷社 神躯幣束

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
明王院(谷中初音町一丁目二三番地)
本所彌勒寺末、天瑞山觀福寺と号す。本尊三尊彌陀如来。
当寺も慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に於て寺地を給せられ、僧辨圓の建立する所で、慶安元年(1648年)同所は幕府用地となつたため現地に移つた。
境内聖天堂には大聖歓喜天像を安置し、大師堂には弘法大師像を安置する。



「明王院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りは東京メトロ千代田線「千駄木」で徒歩約5分。
JR「日暮里」駅からも歩けます。

千駄木から谷中霊園へ向かう三崎坂をほぼ登り切ったところに道に面してあります。
このあたりも谷中寺町のほぼ中心部に当たります。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 院号標

山内入口の門柱は院号標を兼ねています。
参道左手に六地蔵、正面に大師堂がみえます。
大師堂前を斜め左に折れると、その正面が本堂です。

山内は手入れが行き届いてきもちがいいです。

大師堂右手前には、椅子式の牀座に坐される真如親王様の弘法大師像が刻まれた見事な宝篋印塔(納経塔?)があります。


【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 宝篋印塔

当山は明治17年(1884年)の火災で堂宇を焼失し、本堂は昭和46年(1971年)、大師堂は平成7年(1995年)に再建されています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 天水鉢


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額

本堂は宝形造桟瓦葺流れ向拝で、屋根には火焔宝珠を置いています。
近代建築で向拝まわりはコンクリ造ですが、小壁に菱格子、向拝左右に花頭窓を置き引き締まった意匠です。
向拝見上げには山号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 大師堂(手前)と本堂(奥)
【写真 下(右)】 大師堂


大師堂は宝形造本瓦葺で向拝柱はなく、屋根には宝珠を置いています。
大師堂前から拝むと、本堂の桟瓦と大師堂の本瓦、本堂の火焔宝珠と大師堂の宝珠が呼応して、見応えのある意匠となっています。


【写真 上(左)】 大師堂扁額
【写真 下(右)】 注意書き

山内には納経ないし読経を促す掲示があり、勤行式を貸し出しいただけます。
「大師堂のお大師さま、本堂の阿弥陀如来両方にお参り下さい。」とあるので、やはり御府内霊場(というか弘法大師霊場)の正式参拝はお大師さまと御本尊(ないし札所本尊)への参拝ということになるのでしょう。

御朱印は本堂向かって左手前の庫裡にて拝受しました。


〔 明王院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に阿弥陀如来のお種子「キリーク」「本尊阿弥陀如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十七番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第6番 初音山 東漸寺 観智院
(かんちいん)
公式Web

台東区谷中5-2-4
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:御府内八十八ヶ所霊場第64番、江戸八十八ヶ所霊場第64番

※この記事は御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-21 をベースに再編しています。

第6番は谷中の観智院です。

公式Web、下記史料、山内掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

観智院は、慶長十六年(1611年)、照譽法印が小(北)寺町に開山、慶安元年(1648年)谷中へ移転したといいます。

慶安元年(1648年)の移転は旧寺地が幕府用地となつたためで、『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での幕府からの賜地、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)、長久院(第55番)、明王院(第57番)などと同様とみられますが、寺伝には慶安元年(1648年)に一旦谷中清水坂に遷ったあと、万治年中(1658-1660年)に現在地へ移転とあります。
※( )は御府内八十八ヶ所霊場の札番。

延宝八年(1680年)、当山12世・宥朝法印が入山され元禄十一年(1698年)に院号を現在の観(觀)智院に改めました。
当初の院号は圓照院。
宥朝法印は「”圓照”は”炎焦”に通ずる」との霊告を受けられて号を改めたといいます。

宥朝法印の入山により寺勢はますます興隆しましたが、公式Webでは当山と檀越関係にあった奥医師・丸山玄棟の外護も大きかったと推察されています。

安永八年(1779年)には不動堂を建立、興教大師作と伝わる不動尊像が安置され、五大明王像を奉安という史料もみられます。
五大明王とは不動明王を中心に降三世明王(東)、軍荼利明王(南)、大威徳明王(西)、金剛夜叉明王(北)と配置される明王像で、霊験ことにあらたかとして広く信仰されます。

元禄十六年(1703年)十一月、大震災につづいて本郷追分、小石川辺から出火した火災は、折からの強風にあおられて江戸の町の大半を焼きつくしました。
谷中の寺院も多くが焼失しますが、観智院は奇跡的に炎禍を遁れたといいます。

観智院の不動尊は興教大師御作と伝わる霊像であること、中興開山・宥朝法印の「火除けの改号」のいわれ、そして大火の炎禍を免れたことなどもあってか、「谷中の火除不動尊」と呼ばれて多くの参詣者を集めたといいます。

文化・文政(1804-1829年)の頃になると、江戸御府内はもちろん近隣からも参詣人が訪れ、門前は市がたつほどの賑わいになったと伝わります。
谷中のメインロードであった「三崎坂」(さんざきざか)に面していたことも大きいのでは。

明治初頭の神仏分離の際には大店の商人をはじめとする町人の檀信徒が23世・真興法印のもとに結集して寺門を支えたといい、御府内霊場札所のポジションも堅持しています。
明治39年、24世・海隆法印が入山、先々代・石本海隆師も堂宇整備に尽力されて大正年間にはふたたび寺容を整えたといいます。

関東大震災では延焼を免れた当山に人々が避難したといい、昭和20年3月の東京大空襲では本堂・庫裡に砲弾を受けたものの大師堂・不動堂は焼失の難を遁れ、いまなお戦前の姿を残すとともに、御本尊・大日如来をはじめすべての仏像、什器もまた焼失を遁れています。
火除不動尊の霊験まことにあらたかというべきでしょうか。

昭和24年初音幼稚園を設置し、いまでも山内は園児の声でにぎやかです。

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【史料・資料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
六十三番
谷中三崎通り
醫王山 東漸寺 観智院
本所弥勒寺末 新義
本尊:弘法大師

『寺社書上 [111] 谷中寺社書上 三』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.100』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所彌勒寺末
醫王山東漸寺観智院
権現様御世慶長十六年(1611年)2月15日、当寺開山照誉法印代 於神田小寺町ニ寺地拝領仕候 大猷院様御世慶安元年(1648年)中、神田小寺町御用地ニ付被召上 谷中ニ代地拝領仕候
開山 照誉法印 卒年月不知
中興開基 宥朝法印 享保六年(1721年)遷化

本堂
 本尊 弘法大師座像
不動尊土蔵
 不動尊座像 興教大師作
稲荷社

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
觀智院(谷中初音町一丁目二三番地)
本所彌勒寺末、醫王山東漸寺と号す。本尊弘法大師。当寺亦慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を賜うて起立し、慶安元年(1648年)同所幕府用地となるや現地に転じた。開山は僧照譽、中興は僧宥朝。(享保六年(1721年)五月二十二日寂)
境内に不動堂がある。



「観智院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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※ 休園日に撮った写真がなぜか見つかりません。見つかったら追加します。

最寄りは東京メトロ千代田線「千駄木」で徒歩約7分ほど。
JR「日暮里」駅からも同じくらいで歩けます。

千駄木から谷中霊園へ向かう三崎坂をほぼ登り切ったところに道に面してあります。
第57番明王院の並びにあり、谷中寺町のほぼ中心部に当たります。


【写真 上(左)】 全景
【写真 下(右)】 本堂

山内のほとんどは幼稚園として使われ、平日の日中はセキュリティ上から閉門されているので、休日の参拝がベターとみられます。

山内入口に初音六地蔵。
昭和58年秋の像立と新しいお像ですが、手篤く供養されて存在感があります。

門柱に院号標があり、おくに本堂は見えますが、平日昼間は園児たちが走り回り幼稚園バスが停まっていたりしてほぼ幼稚園です。

正面の階段上に唐破風の向拝を備えた本堂。
複雑な意匠で見応えがあります。


【写真 上(左)】 不動堂(右)と大師堂(左)
【写真 下(右)】 不動堂の扁額

本堂向かって左手前に不動堂と大師堂があります。
不動堂は宝形造銅板葺で向拝に「火除不動尊」の扁額を掲げています。

大師堂は不動堂の向かって右手に連接してあります。
柱には御府内霊場ではなく、「弘法大師廿一ヶ所六番」の札所板が打ち付けられていました。
お大師さまは、堂内の大ぶりな厨子のなかに御座されています。

御朱印は本堂向かって左手前の庫裡にて拝受しました。
なお、「火除不動尊」の御朱印は授与されていないそうです。


〔 観智院の御朱印 〕
〔 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と胎蔵大日如来のお種子「ア」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第六十三番」の札所印。左に地蔵尊の御影印、院号の揮毫と寺院印が捺されています。


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内二十一ヶ所霊場の御朱印-3

記事リスト



【 BGM 】
■ 君がいない世界は切なくて - CHIHIRO feat. KEN THE 390


■ First Desire feat.HIRO from LGYankees, 山猿 中村舞子


■ 願い - 童子-T feat.YU-A (Foxxi misQ)
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■ 三社祭

本日から19日まで、浅草、浅草神社の三社祭(さんじゃまつり)です。

三社祭特別御朱印については本日17日から19日までの3日間、こちらの要領で授与されています。


【写真 上(左)】 浅草神社の三社祭特別御朱印
【写真 下(右)】 浅草神社のオリジナル御朱印帳(小)

転売防止のため、御朱印は書置のものを持参の御朱印、ないし頒布のオリジナル御朱印帳に貼付けての授与となります。
オリジナル御朱印帳(小タイプ)は御朱印1体込みで1,500円。
特別御朱印もご対応いただけるので、御朱印帳+特別御朱印で1,500円と廉価にて授与いただけます。


【写真 上(左)】 浅草神社の拝殿
【写真 下(右)】 浅草神社のオリジナル御朱印帳見本


【写真 上(左)】 三社祭の風景-1
【写真 下(右)】 三社祭の風景-2

雷門から浅草寺、浅草神社にかけて、場所によっては日本人よりインバウンドの方が多い感じがありました。
浅草にはこれまで幾度となく出向いていますが、こんなにもインバウンドが多いのは初めてです。
人種は多種多様で、ほとんどオリンピックのようです(笑)

以前はメイン動線から外れてインバウンドの姿などあまり見られなかった、銭塚地蔵堂弁天山などにもしっかりインバウンドの参拝者がいました。
堂に入ったお参りの仕方からみても、とても初来日とはみえず、来日を重ねる日本ファンなのかもしれません。


浅草神社には特設の御朱印所が設けられていましたが、待ち時間は受付まで5分程度、拝受まででも5分強で、これをみると、やはり御朱印ブームはすでに収束しているとみられます。

その一方、浅草寺の授与所(影向堂/ようごうどう)は、インバウンドメインの拝受者の行列が影向堂の外まで伸びて大盛況でした。


【写真 上(左)】 影向堂の外まで伸びる御朱印行列
【写真 下(右)】屋台と五重塔


話しが逸れますが、下町の雑踏・浅草駅から2時間ほど電車に揺られれば、緑濃い神域・日光、名湯・鬼怒川温泉に到着ですから、インバウンドにとって日本は奇跡のような国なのかも・・・。
高原のお寺で写経と極上の白濁イオウ泉を楽しめる日光湯本の「温泉寺」(→ 入湯レポ)など、今頃はインバウンドに占拠されているのかもしれません。

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なんと、筆者がすべての御朱印帳のなかでもっとも愛用している浅草寺の龍の御朱印帳が2,000円から3,000円と大幅値上げとなっていました。


【写真 上(左)】 浅草寺の龍の御朱印帳(朱と紺の二色)
【写真 下(右)】 浅草寺の以前の御朱印帳

じつは以前にもっとも愛用していたのは浅草寺の緑地の御朱印帳(1,000円)だったのですが、これが販売中止となり、1,500円だった龍の御朱印帳が2,000円となりました。
それでも、この龍の御朱印帳はすこぶる紙質がよいので、愛用していました。

でも、御朱印帳に3,000円拠出はさすがにきついので、今後は他寺の御朱印帳に変えると思います。
10年ほど前に1,500円だった龍の御朱印帳が2倍の3,000円になった訳で、ここでもインバウンドの影響を実感しました。
(たしかにインバウンドにとっては、御朱印帳が2,000円だろうが3,000円だろうが、まったく関係ないと思う。)


【写真 上(左)】 仲見世からの浅草寺
【写真 下(右)】 雑踏の観音堂前
※浅草寺参拝時はちょうどなにかの催しがあったらしく、参道はスタジアム状態と化していました。


止まらない物価高騰、下げ続ける実質賃金・・・。
しかも多くの寺社の御朱印が書置で500円となると、一般の方は二の足を踏んでしまう感じもわからぬではありません。
それに、御朱印に興味をもった方の多くはすでにだいたい拝受してしまった感じもあります。

そんなこともあって、一時の御朱印ブームが落ち着きをみせているのかと思います。
(筆者の個人的な感じからすると、御朱印ブームのピークは、令和元年初日だったように思う。→ 関連記事


帰りは例によって各線ダイヤ乱れの大混雑。
なにか、日本の国力の低下を一段と感じるお参りとなってしまいました。

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浅草・雷門周辺の雑踏に嫌気がさして、吾妻橋を渡り本所、駒形方面に足を伸ばしてみました。
こちらは対岸の雑踏がうそのように静かで、落ち着いたお参りと御朱印・御首題をすこぶるご親切な対応にて拝受できました。

 
【写真 上(左)】 宝珠山 如意輪寺の御朱印
【写真 下(右)】 能勢妙見山別院の御首題

如意輪寺の御朱印は札所申告なしでお願いしましたが、なんと(新)葛西三十三ヶ所観音霊場の札所印が捺されていました。
この霊場の札所印ははじめてだと思います。
(以前はなかったと思う。→ ■ 東京都区内の如意輪観音の御朱印


【 BGM 】
■ FictionJunction i reach for the sun


■ Yuki Kajiura - Credens justitiam


■ FictionJunction Everlasting song
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■ 弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-1

お大師さまゆかりの寺院を巡る弘法大師霊場には、主に八十八ヶ所と二十一ヶ所があります。
ご参考(「ニッポンの霊場」様)

八十八ヶ所はかなりの時間と根気を要し、結願までの道のりはなかなか困難です。
そこで生まれたのが簡易(ミニ)版である二十一ヶ所という説がみられます。

簡易(ミニ)版であれば八十八ヶ所の札所からダイジェスト的に選定すればいい筈ですが、そうはなっていないケースもみられます。

「弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場」(以下、御府内二十一ヶ所霊場)もそのひとつです。

「御府内二十一ヶ所霊場」は、『東都歳事記』(国書データベース)に霊場名「弘法大師二十一ヶ所参」と、第21番が湯島霊雲寺であることが記載されていますが、札所一覧は記載されていません。
(これは後述する「弘法大師二十一ヶ寺」を示すものかもしれません。)

しかし、「ニッポンの霊場」様に札所リストが掲載されているので、こちらにもとづき巡拝しました。

『東都歳事記』の編纂は天保九年(1838年)ですから、それ以前の開創とみられます。
「ニッポンの霊場」様によると、この霊場は元禄(1688年)から宝暦(1751年)の間に開創とされる古い霊場で、宝暦五年(1755年)頃の開創とされる御府内霊場より古い可能性があります。

第21番がふたつあるようで、札所数は22となります。
台東区内の札所が多く、御府内八十八ヶ所霊場よりも東(下町)寄りの霊場となっています。

当初は第20番の寛永寺 一乗院のみ天台宗で残りはすべて(広義の)新義真言宗でしたが、明治に一乗院が廃寺となったのちは根岸の時雨岡不動堂(西蔵院の境外仏堂)に承継されたといい、現在はすべて(広義の)新義真言宗寺院となっています。

【弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場】

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-1
1番 法輪山 法幢院 浄光寺
 真言宗豊山派 荒川区西日暮里3-4-3 /豊・荒
2番 補陀落山 観音院 養福寺
 真言宗豊山派 荒川区西日暮里3-3-8 /豊・荒

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-2
3番 蓮葉山 妙智院 観音寺
 真言宗豊山派 台東区谷中5-8-28 /御・江
4番 長谷山 元興寺 加納院
 新義真言宗 台東区谷中5-8-5 /御・江
5番 天瑞山 観福寺 明王院
 真言宗豊山派 台東区谷中5-4-2 /御・江
6番 初音山 東漸寺 観智院
 真言宗豊山派 台東区谷中5-2-4 /御・江

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-3
7番 仏到山 無量寿院 西光寺
 新義真言宗 台東区谷中6-2-20 /江
8番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-16 /御・江
9番 宝塔山 龍門寺 多寶院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-35 /御・江
10番 本覚山 宝光寺 自性院
 新義真言宗 台東区谷中6-2-8 /御・江

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-4
11番 圓明山 宝福寺 西蔵院
 真言宗智山派 台東区根岸3-12-38 /荒
12番 鐡砂山 観音院 世尊寺
 真言宗豊山派 台東区根岸3-13-22 /荒
13番 東光山 等印院 龍泉寺
 真言宗智山派 台東区竜泉2-17-15 /荒
14番 恵日山 延命寺 地蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草1-15-8 /荒

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-5
15番 瑞光山 如意寺 密厳院
 真言宗豊山派 荒川区荒川4-16-3 /豊
16番 五剣山 普門寺 大乗院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-16 /荒
17番 和光山 興源院 大龍寺
 真言宗霊雲寺派 北区田端4-18-4 /御・豊
18番 象頭山 観音寺 本智院
 真言宗智山派 北区滝野川1-58-2 /荒
19番 阿遮羅山 蓮華寺 阿遮院
 真言宗豊山派 荒川区東尾久3-6-25 /豊

弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場-6
20番 東叡山 寛永寺 一乗院(廃寺)
 天台宗 台東区上野公園
→(20番) 時雨岡(御行の松)不動堂
 真言宗智山派 台東区根岸4-9-5
21番-1 宝林山 大悲心院 霊雲寺
 真言宗霊雲寺派 文京区湯島2-21-6 /御・江
21番-2* 大黒山 宝生院
 真言宗智山派 葛飾区柴又5-9-8 /南
※ 21番-2* 宝生院は池之端茅町から移転

〔八十八ヶ所霊場の略記凡例〕
 御:御府内八十八ヶ所霊場
 江:江戸八十八ヶ所霊場
 豊:豊島八十八ヶ所霊場
 荒:荒川辺八十八ヶ所霊場
 南:南葛八十八ヶ所霊場(いろは大師)

↑をみると、22ヶ所のうち御府内八十八ヶ所霊場との重複札所はわずか9ですが、ほぼすべての札所が複数の八十八ヶ所弘法大師霊場と重複しています。
しかも第12番世尊寺は、荒川辺八十八ヶ所霊場の第1番を担われています。
ここからしても、御府内二十一ヶ所霊場は、単なる御府内八十八ヶ所霊場の簡易(ミニ)版とはいえないと思います。

上記のとおり、「ニッポンの霊場」様によると、この霊場は元禄(1688年)から宝暦(1751年)の間に開創とされ、宝暦五年(1755年)頃の開創とされる「御府内八十八ヶ所霊場」より古い可能性があります。
同じく「ニッポンの霊場」様によると、「荒川辺八十八ヶ所霊場」は天保九年(1838年)年頃かそれ以前、「豊島八十八ヶ所霊場」は明治41年(1908年)の開創ですから、やはりこの霊場の方が古いとみられます。

「江戸八十八ヶ所霊場」「御府内八十八ヶ所霊場」の前身と仮定すると、むしろ「江戸八十八ヶ所霊場」をベースのひとつとして成立したのかもしれません。


  
【写真 上(左)】 第3番観音寺の札所板
【写真 下(右)】 第14番地蔵院の御朱印


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「御府内二十一ヶ所霊場」とは別に「弘法大師二十一ヶ寺」という霊場もあります。

【弘法大師二十一ヶ寺】 (八十八ヶ所霊場の略記凡例は同上)

1番 萬昌山 金剛幢院 圓満寺
 真言宗御室派 文京区湯島1-6-2 /御・江
○2番 宝塔山 多寶院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-35 /御・江
○3番 五剣山 普門寺 大乗院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-16 /荒
4番 清光院 台東区下谷(廃寺)
○5番 恵日山 延命寺 地蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草1-15-8 /荒
6番 阿遮山 円満寺 不動院
 真言宗智山派 台東区寿2-5-2 /御・江
7番 峯松山 遮那院 仙蔵寺
 真言宗智山派 台東区寿2-8-15 /荒
8番 高野山 金剛閣 大徳院
 高野山真言宗 墨田区両国2-7-13 /御・江
9番 青林山 最勝寺 龍福院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-17-2 /御・江
○10番 本覚山 宝光寺 自性院
 新義真言宗 台東区谷中6-2-8 /御・江
11番 摩尼山 隆全寺 吉祥院
 真言宗智山派 台東区元浅草2-1-14 /御・江
12番 神勝山 成就院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-8-12 /御・江
13番 広幡山 観蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-18-5 /御・荒
14番 望月山 般若寺 正福院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-7-21 /御・江
○15番 仏到山 無量寿院 西光寺
 新義真言宗 台東区谷中6-2-20 /江
16番 鶴亭山 隆全寺 威光院
 真言宗智山派 台東区寿2-6-8 /御・江
17番 十善山 蓮花寺 密蔵院
 真言宗御室派 中野区沼袋2-33-4(移転) /御・江
○18番 象頭山 観音寺 本智院
 真言宗智山派 北区滝野川1-58-2 /荒
○19番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-16 /御・江
20番 玉龍山 弘憲寺 延命院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-2 /御・荒
○21番 宝林山 大悲心院 霊雲寺
 真言宗霊雲寺派 文京区湯島2-21-6 /御・江

札所の出所は↓『御府内八十八ヶ所 弘法大師二十一ヶ寺 版木』(台東区教育委員会刊)です。


「弘法大師二十一ヶ寺御詠歌所附版木」が伝える弘法大師霊場で、この附版木は寛政二年(1790年)の開版ですからこちらもかなり古い来歴をもちます。

「御府内二十一ヶ所霊場」と「弘法大師二十一ヶ寺」の重複札所は○を付した8ヶ所ですが、両者の関係についてはよくわかりません。
「弘法大師二十一ヶ寺」は「御府内二十一ヶ所霊場」よりも御府内八十八ヶ所霊場との重複が多く、こちらの方が「御府内八十八ヶ所霊場の簡易(ミニ)版」の性格が強いのでは。

筆者は「弘法大師二十一ヶ寺」も結願していますが、こちらは21札所のうち廃寺となった第4番清光院を除いてすべて御朱印を拝受しています。

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■ 「御府内二十一ヶ所霊場」と「弘法大師二十一ヶ寺」の関係について

『御府内八十八ヶ所 弘法大師二十一ヶ寺 版木』(台東区教育委員会刊、以下「同書」)には下記の記載があります。

**********(引用)
当巡礼(弘法大師二十一ヶ寺)の開設は、御府内札所(御府内八十八ヶ所霊場)設定の宝暦年間(1751-1764年)より本版木開版の寛政二年(1790年)までの三〇数年の間のことと考えたい。
さらに『東都八十八ヶ所』は明治時代の二十一ヶ所を紹介している(巻末一覧表/註:同書『弘法大師御府内二十一所』項には「明治期の案内によったものである」というが、出典は明記されていない)。
これによれば、寛政二年と比べ十五ヶ寺の異動があり、他の六ヶ寺中の五ヶ寺は札所番号が変わっている。明治時代の札所中、第一一番西蔵院には(中略)江戸末期までに大きな改変があったと推定できる。
ところが、(御府内八十八ヶ所霊場)のように札所の改変は寺院の統・廃合に応じた場合が多いが、寛政二年当時の札所は明治一〇年までは確実に顕在していた。
このことから改変の理由は他にあったと思われ、あるいは、当巡礼(弘法大師二十一ヶ寺)は一時衰え、江戸末期に改めて編成されたとも考えられる。
**********(引用おわり)


上記の「明治時代の二十一ヶ所」は、「御府内二十一ヶ所霊場」と同一です。
「ニッポンの霊場」様によると「御府内二十一ヶ所霊場」の開創は元禄(1688年)から宝暦(1751年)。
これに対して同書による「弘法大師二十一ヶ寺」の開設は宝暦年間(1751-1764年)より寛政二年(1790年)の間で、「御府内二十一ヶ所霊場」の方が古い可能性があります。

さらに、同書でも「札所の改変は寺院の統・廃合に応じた場合が多い」と述べているとおり、神仏分離前の江戸期に全面改編に等しい札所改編があったとはどうしても考えられません。
「弘法大師二十一ヶ寺」の札所の多くが江戸時代に廃されたならばともかく、ほとんどの札所は現存しています。

となると、「弘法大師二十一ヶ寺」が改編されて「御府内二十一ヶ所霊場」(同書では「明治時代の二十一ヶ所」)になったのではなく、もともと江戸期から別個の霊場だったのでは?

なにぶん、弘法大師二十一ヶ寺の版木は発見されたばかり(おそらく平成に入ってからの発見と思われる)で、今後研究が進めば新たな関係がみえてくるのかもしれません。

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その他、近隣の墨田・葛飾両区をメインとする「弘法大師 隅田川二十一ヶ所霊場」という霊場もあり、下町エリアの二十一ヶ所の札所は錯綜気味です。

なお、「弘法大師 隅田川二十一ヶ所霊場」は「荒川辺八十八ヶ所霊場」あるいは「荒綾八十八ヶ所霊場」の簡易(ミニ)版とみる説もありますが詳細は不明です。


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「御府内二十一ヶ所霊場」の御朱印については、「御府内八十八ヶ所霊場」との重複札所では後者の御朱印の授与となるようです。
「豊島八十八ヶ所霊場」との重複札所でも同様の模様です。

この条件のもとですが、筆者は22ヶ所のうち20ヶ所で御朱印を拝受しています。

「御府内二十一ヶ所霊場」のみの札所の場合は御府内二十一ヶ所霊場での申告としましたが、この霊場を回る人は極めて希らしく、霊場名が通じない場合もありました。
むしろ、「お大師さまのお参り」あるいは「二十一大師のお参り」と申告した方が通りがいいかもしれません。

「御府内八十八ヶ所霊場」との重複札所以外では御朱印授与を想定されていない感じがあり、ご不在のケースもかなりあります。
御朱印目当てというより、荒綾霊場や荒川辺霊場と同様、往年の弘法大師霊場を辿るというスタンスが必要かもしれません。

御府内八十八ヶ所霊場は結願し、ご案内の記事もUP(→ こちら)していますが、御府内二十一ヶ所霊場は先日ようやく結願しましたので、御府内八十八ヶ所霊場の記事と同様のフォーマットでご紹介していきたいと思います。


それでは第1番から順にご紹介していきます。
なお、御朱印の授与については現在休廃止している可能性があります。


■ 第1番 法輪山 法幢院 浄光寺
(じょうこうじ)
荒川区西日暮里3-4-3
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来?
司元別当:諏方神社(荒川区西日暮里)
他札所:豊島八十八ヶ所霊場第5番、荒川辺八十八ヶ所霊場第8番、東都六地蔵霊場第3番、豊島六地蔵霊場第3番

第1番札所は日暮里の浄光寺です。
谷中から日暮里につづく「諏訪台」にある真言宗豊山派の寺院です。

『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図会』、現地掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

創建年代は当山が諏方神社の別当であったため、諏方神社の創建(現地掲示によると元久二年(1205年))と同時期とみられています。
なお、諏方神社は豊嶋左衛門尉経泰の創建と伝わりますが、太田道灌(1432-1486年)とする説もあり、別当の浄光寺についても豊島左衛門尉経泰説と太田道灌説があるようです。

創建時から法輪山法幢院を号したとみられ、御本尊は薬師如来と伝わります。

諏方神社は三代将軍徳川家光公(1604-1651年)に社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰を集めたといい、その別当である当山も重要な役割を果たしていたとみられます。

元禄四年(1691年)には空無上人の勧化により「江戸六地蔵」(近郷六地蔵)のひとつが安置されています。
この「江戸六地蔵」は、現在まで伝わる「後の六地蔵」ではなく、下谷池之端影向山心行寺三世の(慈済庵)本誉空無(浄土木食)が元禄四年(1691年)に建立開眼した「はじめの六地蔵」です。

『江戸砂子温故名蹟誌 6巻3』(国立国会図書館DC)の醫王山 真性寺の項には以下の記載があります。

***************
地蔵坊正元法師建立唐銅六地蔵の三番也所謂六軀ハ
一番 品川 真言 品川寺
二番 四谷 浄土 大宗寺
三番 巣鴨 同(真言) 真性寺
四番 山谷 禅 東禅寺
五番 深川 浄土 霊巌寺
六番 深川 真言 永代寺

右六地蔵の●●元坊ハ俗名吉之郎とて八百屋の女お七●●もの●出家と云もの●●出家 ●六軀を造立●といひつ
されは宝永年中沙門正元坊か建立せし金銅丈六の六軀ハ世に後の六地藏といふと也

慈済庵空無上人勧化の助力を以 金銅立像八尺の地藏六軀を造立し江戶六ヶ所に安置す 元禄四年開眼供養を執行す これをはしめの六地藏といふ所謂六所ハ
一番 駒込 浄土 瑞泰寺
二番 千駄木 浄土 專念寺
三番 日暮里 諏訪 浄光寺
四番 池端 心行寺
五番 東叡山 大仏側 慈濟庵
六番 淺艸寺内 正智院
***************

下欄の「はし(じ)めの六地藏」の三番に浄光寺の記載があります。
「はじめの六地蔵」は毎月二十四日ないし十八日の縁日に多くの信者を集めたと伝わりますがいつしか衰退し、いくつかは廃寺となったこともあり、現在江戸六地蔵として知られているのは正元坊建立の「後の六地蔵」です。
「はじめの六地蔵」で現存するのは浄光寺と専念寺だけとみられています。

なお、「江戸六地蔵」については→ (こちらの記事)をご覧ください。

元文二年(1737年)有徳院殿(八代将軍徳川吉宗公)が御遊猟の折りに当山に立ち寄られて以降、将軍鷹狩りの際の御膳所に定められたという格式をもちます。
山内には、三代将軍徳川家光公が腰掛けたという「三代将軍御腰掛石」があります。

高台にあって眺望に優れた「諏訪台」は江戸時代、人気の景勝地で、諏訪台八景(筑波茂陰、黒髪晴雪、前畦落雁、後岳夜鹿、隅田秋月、利根遠帆、暮荘烟雨、神祠老松)が定められて詩歌にうたわれました。

とくに浄光寺の雪景色は有名で「雪見寺」と称されました。
近くの本行寺は「月見寺」、青雲寺は「花見寺」と呼ばれ、江戸の文人墨客を集めたことが記録に残っています。


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【史料・資料】

『新編武蔵風土記稿 豊島郡巻十』(国立国会図書館)
(新堀村)諏訪社
村内及谷中ノ惣鎮守トス 一寸許ナル薄黒キ圓石ヲ神躰トス 社領五石ノ御朱印ハ慶安二年(1649年)附ラル 元享年中(1321-1324年)豊嶋左衛門尉経泰信州ノ諏訪ヲ勧請セル由縁起ニ載タリ 例祭七月廿六日社邊東ノ方ヲ諏訪臺ト号シ眺望勝景ノ地ナリ 林信充カ浄光寺八景詩歌ハ則此処ニテノ作ナリ 所謂八景ハ筑波茂陰 黒髪晴雪 前畦落雁 後岳夜鹿 隅田秋月 利根遠帆 暮荘烟雨 神祠老松ナリ 皆望中ノ景色ナリ 末社 山王 稲荷
別当浄光寺
新義真言宗田端村与楽寺末 法輪山法幢院ト号ス 本尊薬師 元文二年四月十四日 有徳院殿御遊猟ノ時始テ当寺ヘ成セ給ヒ 同五年正月廿五日御膳所ニ命セラレシヨリ 今モ此邊放鷹ノ節ハ御膳所トナレリ
御腰掛石 庭前ニアリ 有徳院殿始テ渡御アリシ時憩セ給フ石ナリト云傳フ
人麿社 頓阿作ノ像ヲ安ス 享保年中起立ス
地蔵 銅像ニテ近郷六地蔵ノ一ナリ

『江戸名所図会 巻之五』(国立国会図書館)
同所(日暮里)北の方、諏訪の台にあり。信州諏訪の祭神におなじ。当社は元享の頃、豊島左衛門佐建立す。其後太田道灌、此地を江戸城の出張の砦とせしみぎり、修営して、郭内の鎮守となせしとぞ。社頭今も杉の木立生茂りて上久(かみさび)たり。当社別当は真言宗にして、法輪山浄光寺と号す。当寺の書院は、高崖に架して、眼下に千歩の田園を見下せり。風色尤も幽雅にして、四時の眺望たらずと云ふ事なし。中に雪のながめ勝れたれば、世に称して雪見寺とも名くとかや。
人麻呂の祠
当院庭中に安ず。頓阿法師の作にして、杉の白木をもって作り。是則ち播州住吉社へ奉納ありし三百体の其一なりといへり。
地蔵堂
同じく門のかたはらにあり。本尊は紫銅(カラカネ)にて、立像八尺の地蔵尊なり。慈済庵空無上人建立ありて、元禄四年に開眼供養す。六地蔵の一なり。

『荒川区史』(国立国会図書館)
法輪山浄光寺は法幢院とも号し新義真言宗豊山派に属し田端町與楽寺末、本尊は薬師如来である。
当寺の創立は不明であるが、古老の説に太田道灌の建立と云ふ。一説には元享年間(1321-1324年)豊島左衛門尉経泰の創建せし所とも云ふ。
寺は諏訪台の高処を占め、舊幕時代は諏方神社の別当職で、此の境内は展望開豁であって雪見に適していたので俗に之を雪見寺と称した。
元文二年(1737年)将軍吉宗(一説には三大将軍家光とも云ふ)が遊猟に際し当寺に休憩し、又同五年正月膳所に命ぜられしよりその事幕府の末に及んだ。(中略)
江戸六地蔵の内二體が当寺入口左側にある。
古記に、「地蔵堂 本尊は紫銅にて立像八尺の地蔵尊なり。慈済庵空無上人建立ありて元禄四年(1691年)に開眼供養す、六地蔵の一なり。」とある。
尚、地蔵の外不動、観音、厄除大師等も安置されている。古くは人麻呂祠があった。

【現地案内掲示/荒川区教育委員会】
■ 江戸六地蔵と雪見寺(浄光寺)
山門をくぐって左手に、高さ一丈(約三メートル)の銅造地蔵菩薩がある。元禄四年(1691年)、空無上人の勧化により江戸東部六か所に六地蔵として開眼された。もと門のかたわらの地蔵堂に安置されていたもので門前は「地蔵前」ともよばれる。
浄光寺は、真言宗豊山派の寺院。法輪山法幢院と称し、江戸時代までは諏方神社の別当寺であった。元文二年(1737年)、八代将軍吉宗が鷹狩の際にお成りになり、同五年以降御膳所となった。境内に「将軍腰かけの石」がある。
眺望にすぐれた諏訪台上にあり、特に雪景色がすばらしいというので「雪見寺」ともよばれた。

【現地案内掲示/荒川区教育委員会】
■ 諏訪神社
信濃国上諏訪社と同じ建御名方命を祀る。
当社の縁起によると、元久二年(1205年)豊嶋左衛門尉経泰の造営と伝える。
江戸時代、三代将軍徳川家光に社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰を集めた。



出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』 根岸谷中辺絵図,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR・メトロ千代田線「西日暮里」駅で徒歩数分。
「西日暮里」駅は武蔵野台地の崖の下にあり、駅出口からすぐの歩道橋を兼ねた急な階段を上ると西日暮里公園です。


西日暮里公園

この公園の案内板には下記のとおりあります。

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道灌山は、上野から飛鳥山へと続く台地上に位置します。(中略)この公園を含む台地上にひろがる寺町あたりは、ひぐらしの里と呼ばれていました。
道灌山の地名の由来として、中世、新堀(日暮里)の土豪、関道閑が屋敷を構えたとか、江戸城を築いた太田道灌が出城を造ったなどの伝承があります。
江戸時代、人々が日の暮れるのも忘れて四季おりおりの景色を楽しんだことから、「新堀」に「日暮里」の文字をあてたといわれています。(中略)
道灌山・ひぐらしの里は、江戸時代の中頃になると、人々の憩いの場として親しまれるようになりました。寺社が競って庭園を造り、さながら台地全体が一大庭園のようでした。

桃さくら 鯛より酒のさかなには みところ多き 日くらしの里
十返舎一九

雪見寺(浄光寺)、月見寺(本行寺)、花見寺(妙隆寺、修性院、青雲寺)、諏訪台の花見、道灌山の虫聴きなど、長谷川雪旦や安藤広重ら著名な絵師の画題となり、今日にその作品が知られています。
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【写真 上(左)】 ■ 『江戸名所図会 第3 (有朋堂文庫)』(国立国会図書館)
【写真 下(右)】 道灌山の虫聴き(現地掲示より)

西日暮里公園あたりは「虫聴き」の名所として知られていたようです。

公園を抜けて左手の社叢は諏方神社。
日暮里・谷中の総鎮守として人々の崇敬を集め、浄光寺はその別当でした。
諏方神社では、日暮里・谷中エリアでは貴重な神社の御朱印を授与されています。


【写真 上(左)】 諏方神社
【写真 下(右)】 諏方神社の御朱印

浄光寺は、諏方神社の鳥居のよこに山門を構えています。
いかにも別当然とした位置関係です。


【写真 上(左)】 諏方神社鳥居と浄光寺山門
【写真 下(右)】 浄光寺山門


【写真 上(左)】 山門の扁額
【写真 下(右)】 六地蔵三番目の石標

山門脇には「六地蔵三番目」の石標が置かれています。
山門は切妻屋根桟瓦葺の高麗門で、見上げに山号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 二体の地蔵尊
【写真 下(右)】 西村和泉守作の地蔵尊

山門をくぐって左手には座像と立像の二体の銅造地蔵尊が御座し、いずれも区の指定文化財。
手前の銅造地蔵菩薩座像は江戸の鋳物師として有名な西村和泉守の作で、文化六年(1809年)の造立。
奥の銅造地蔵菩薩立像は元禄四年(1691年)造立の江戸六地蔵三番目の尊像で、下谷心行寺二世空無上人の権化により元禄四年(1691年)に開眼されています。
もとは山門脇に奉じられていましたが、昭和初期に山内に遷されたとのことです。

江戸六地蔵はもとより、西村和泉守作の地蔵尊の台座にも多数の願主の名が刻まれていることから、浄光寺は江戸時代地蔵信仰の寺として知られていたとみられます。


【写真 上(左)】 江戸六地蔵の地蔵尊
【写真 下(右)】 土蔵造りの堂宇

地蔵尊のさらに奥に土蔵造りの堂宇がありますが、扁額がなく堂宇本尊は不明です。


【写真 上(左)】 本堂-1
【写真 下(右)】 本堂-2


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝の扁額

山内左手奥の階段上に本堂。
入母屋造桟瓦葺で手前に向拝を附設しています。
身舎はコンクリ造で、水引虹梁は装飾少なく直線的ですが中備に蟇股を置いています。
向拝見上げには寺号扁額を掲げています。



【写真 上(左)】 山門と六地蔵
【写真 下(右)】 石佛群

山門右手の壁際には石佛群と六地蔵。
山内のどこかにおそらく「将軍の腰掛石」があると思いますが、超うかつにも撮りわすれました。

御朱印は庫裏にて拝受しました。
先日(2024年4月)の参拝時には庫裏の扉に「御朱印対応自粛中です。」の張り紙があり、御朱印授与を休止している模様ですが、Web情報には「セルフ捺しの御朱印あり」の情報もあって、よくわかりません。



もし、御朱印授与休止中だとしたら、現時点では豊島八十八ヶ所霊場の御朱印はコンプリートできないことになります。


〔 浄光寺の御朱印 〕

中央に「薬師如来」の印判と薬師如来のお種子「バイ」の御寶印。
左に山号・寺号の印判と寺院印が捺されています。


■ 第2番 補陀落山 観音院 養福寺
(ようふくじ)
荒川区西日暮里3-3-8
真言宗豊山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩?
司元別当:
他札所:荒川辺八十八ヶ所霊場第7番、東京三十三観音霊場第28番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第27番、東都七観音霊場第5番、近世江戸三十三観音霊場第10番、東方三十三観音霊場第12番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第9番、豊島六地蔵霊場第6番

第2番札所は日暮里の養福寺です。
こちらも「諏訪台」にある真言宗豊山派の寺院です。

『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図会』、荒川区資料、現地掲示などから縁起・沿革を追ってみます。

Wikipediaには元和六年(1620年)、法印乗蓮によって開山とあります。
『江戸名所図会』には開山は木食義高上人とありますが、荒川区資料その他には湯島圓満寺の木食義高上人(享保三年(1718年)没)は中興とあります。

『江戸名所図会』によると、義高上人は初め高野山高臺院の住職でしたが当地に赴き、百番の観音札所を遷す事を企られたといいます。
当地にあった小庵を開いて寺とし、野山より遷し奉る霊像を礼拝しつつ修補して、ついに百體の尊像を安されたといいます。

『新編武蔵風土記稿』によれば新義真言宗田端村東覺寺門徒(末)、補院山観王院と号し、御本尊は阿弥陀如来。
仁王門、鐘楼を擁し、天神社、諏訪社が御鎮座とあります。
観音堂には春日作の如意輪観世音菩薩、弘法大師御作の十一面観世音菩薩、慈覚大師御作の正観世音菩薩を安置ともあります。
 
寺宝として台徳院殿(二代将軍徳川秀忠公)御筆の色紙ありと記されています。
仁王門は宝永年間(1704-1711年)に建立とされ、門中の仁王像は運慶作とも伝わります。

養福寺には、「日暮里(ひぐらしのさと)」を訪れた江戸時代の文人たちの遺蹟が残ります。
「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる「談林派歴代の句碑(区指定文化財)」や、江戸時代の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭の碑」、自堕落先生こと山崎北華が自ら建立の「自堕落先生の墓」など、文学の香り高い寺院として知られています。

当山は、筆者にて確認できた範囲でじつに9もの霊場札所となっています。
『新編武蔵風土記稿』には「観音堂には春日作の如意輪観世音菩薩、弘法大師御作の十一面観世音菩薩、慈覚大師御作の正観世音菩薩を安置」とあり、おのおのの観音様が札所本尊となられていた可能性があります。

『江戸名所図会』の記事からすると、上野王子駒込辺三十三観音霊場は西國写しなので春日作の如意輪観音、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場は板東写しなので弘法大師御作の十一面観音、近世江戸三十三観音霊場ないし東方三十三観音霊場を秩父写しと見立てると慈覚大師御作の正観音がそれぞれ札所本尊であった可能性があります。

『江戸切絵図』では当山とおぼしき場所に「梅ノ天神」の記載があります。
『新編武蔵風土記稿』には山内に「天神社」とあるので、こちらの天神社は梅の名所だったのかもしれません。


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【史料・資料】

『新編武蔵風土記稿 豊島郡巻十』(国立国会図書館)
(新堀村)養福寺
新義真言宗田端村東覺寺門徒 補院山観王院ト号ス 中興ハ湯嶋圓満寺住職木食義高ナリ 本尊彌陀 寺寶ニ台徳院殿御筆ノ色紙アリ 伝来詳ナラス左ノ如シ

~ いか●にむかし むすへる契にて こ乃世にかゝる 中乃隔り ~

天神社 諏訪社
観音堂 春日作ノ如意輪観音 弘法大師作ノ十一面観音 慈覚大師作ノ正観音ヲ安置ス
鐘楼 仁王門

『江戸名所図会 巻之五』(国立国会図書館)
観王院と号す。同所(日暮里)北の方にあり。本尊は三尊の彌陀佛、開山は木食義高上人なり。
観音堂
西國板東秩父百番の札所をうつせり。
本尊如意輪観音 佛工春日の作にして、西國札所第一番紀州那智山のうつしなり。
十一面観音 弘法大師の作にして、板東札所第一番鎌倉杉本のうつしなり。
正観音 慈覚大師の作にして、秩父札所第一番四萬部寺のうつしなり。

抑此百観音は、義高上人の建立なり。上人初め高野山の高臺院に住職たりしが、後彼寺を退去し、当地に赴き、百番の札所をうつさん事を企つ。是本土に至りがたき兒女等の結縁の為となり。拠て此地に小庵のありけるを、闢きて寺とし(往古太田道灌勧請ありし下諏訪明神の社地なり)、数千歩の地を寄付せられしとぞ。
本尊おほくは野山より遷し奉る霊像なりといへども、百體に充たざるを嘆き、これを修補し、一軆毎に佛舎利一顆を御首に籠め、竟に百體の尊像全からしむとなん。
二王門の額に補陀山とあるは、油小路隆貞卿の眞蹟なり。

『荒川区史』(国立国会図書館)
補陀落山養福寺は又観音院と称し新義真言宗豊山派に属し田端の與楽寺末である。
本尊は阿弥陀如来、開基並びに其の年代は不明であるが、中興開山は木食義高上人(湯島圓満寺)と云はれ享保三年(1718年)示寂。
今本堂の外に観音堂地蔵堂等がある。
観音堂は如意輪観音(帝都七観音の一)を本尊とし、其の他百軆観音像が安置されて居る。
西國第二十七番播磨國書寫山及び秩父第一番四萬部より移したものである。
又御府内二十一ヶ所第二番 豊島弘法大師 荒川辺八十八ヶ所第七十三の霊場である。
当寺の仁王門は寶永年間の建立で仁王尊二天王像が安置されて居る。二天王像は運慶の作と伝へる。
本堂の如意輪観音は春日作と伝へ、其の他弘法大師作の十一面観音、慈覚大師作の正観音と伝へられるものも安置されて居る。
境内の枝絲桜は古来有名。

【現地案内掲示/荒川区教育委員会】
■ 養福寺と文人たち
養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保三年(1718年)没)によって中興されたという。江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里(ひぐらしのさと)」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる「談林派歴代の句碑(区指定文化財)」や、江戸時代の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭の碑」、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などさまざまな文人の碑が残る寺として知られている。



出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』 根岸谷中辺絵図,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR・メトロ千代田線「西日暮里」駅で徒歩約5分。
「西日暮里」駅方向から来ると「諏訪台通り」の浄光寺の並びにあります。



【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 山内入口


【写真 上(左)】 門柱の寺号札
【写真 下(右)】 六地蔵

「諏訪台通り」からやや引きこんで、まずは門柱を構え、その先の朱塗りの仁王門が目を引きます。
切妻屋根桟瓦葺、三間一戸の八脚門で見上げに寺号扁額を掲げ、脇間に二王尊が御座します。


【写真 上(左)】 仁王門
【写真 下(右)】 鐘楼

山内は緑が多く、しっとりと落ち着いた空気感。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂は入母屋造桟瓦葺で、前面すべてに向拝屋根が置かれているので、二重屋根風の意匠となっています。
身舎はコンクリ造ながら向拝正面に桟唐戸を置き、その両側に二つ引き紋を配して風格をたたえる堂前です。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 御本尊の御真言

御本尊は如意輪観世音菩薩で、向拝柱には御真言が掲出されていました。
堂前には修行大師像が御座され、御府内弘法大師霊場の趣ゆたかです。

御朱印は庫裏にて拝受しました。


〔 養福寺の御朱印 〕※豊島霊場の御朱印



中央に「如意輪観世音菩薩」のお種子「キリーク」&尊格と「弘法大師」の揮毫と三寶印。
右上に「豊島第七十三番」の札所印。
左に山号・院号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内二十一ヶ所霊場の御朱印-2


【 BGM 】
■ 夢の大地 - Kalafina


■ This Love - アンジェラ・アキ


■ 本当の音 [Hontou no Oto] (True Sound) - KOKIA
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■ 谷中の御朱印・御首題

久しぶりに追加しました。
なお、これまで非掲載としていた寺院の御朱印もWeb上でみつかるようになったので、こちらも併せてUPします。


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2021/02/23 UP
※ さらに御朱印や写真を追加しました。


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2020/03/07 UP
※ エリアや寺社の写真を追加してみました。

谷中で拝受できる御朱印については、「東京都台東区の札所と御朱印」でご紹介していますが、今回は谷中の最新情報を交えて整理してみます。

 
  

谷中は日蓮宗・法華宗の御首題を抜きにして語ることはできません。
このところ、本妙院様や長運寺様がカラフルな絵御首題(絵御朱印)を出され拝受層が広がっていること、また、Web上でも授与情報が増えてきているので、今回日蓮宗・法華宗寺院(御首題)情報も加えて再UPします。
なお、拝受したところと、不授与の確認がとれたところは記載していますが、現時点で不明な日蓮宗・法華宗寺院については記載しておりません。

谷中はメディアのとりあげも多く、ガイド類もたくさん出ているので御朱印のメッカと思われがちですが(実際、授与される寺院はかなり多い)、じつは敷居の高い寺院もかなりあります。
もちろん、丁寧なご対応をいただけるお寺さんもたくさんあり、お寺ごとの対応の差が大きい印象があります。
神社がすくないことも拝受難易度を高めている一因です。

このあたりは、御朱印拝受が容易な上野公園エリアとは様相が異なり、御朱印初心者は上野公園エリアから入った方がベターかと思われます。
(なお、いわゆる「塩対応」はお寺さんのお考えやそういうお考えをもたれた背景をお伺いするまたとない機会(実際、委細にお話を伺えた場合、勉強になることが多い)なのですが、不慣れな局面でいきなりこれをくらうと正直キツイです(笑))

以前、御府内霊場を結願したときも「谷中のお寺は予想以上に手ごわい」という印象がありましたが、その傾向はますます強まっているような感じがします。
納経所前に「御朱印は、御府内霊場専用の御朱印帳にしか授与しない。」旨の明示をされている寺院もあります。

(たしかに、谷中界隈でとんでもない態度で御朱印を乞う観光客を見たことは一度や二度ではないですし、お寺さんのこのような対応はわからなくもないです。
ただし、(専用納経帳でなく)汎用御朱印帳で札番を振り、弘法大師霊場(八十八ヶ所)をコンプリートするのはまず不可能です。
となると、新規巡拝者の間口も狭まってしまう感じも(個人的には)します。発願寺の高野山東京別院をはじめ、すばらしい対応をしていただける札所も多いだけに、こういう流れはいささか残念な気もします。)

一方、マイナー系札所や非札所では、御朱印授与に積極的なお寺さんが増えている感じもします。
上記の本妙院様や長運寺様、数年前は非授与だった西光寺様が御朱印授与をはじめられたなどがその具体例です。
また、御朱印をお断りされたお寺さんでも「いまのところはお出ししていない。」という、含みのある表現をされたところが数箇寺ありました。

今回は、不授与の寺院(私自身が直接ご住職ないし大黒さんに確認したもの(2017~2019年)、日蓮宗寺院も含む)もご紹介します。
動線的に連続している荒川区西日暮里三丁目の御朱印も併せてご紹介します。

 
  

【エリア概要】

言問通りから北は、いよいよ都内屈指の寺町、谷中エリアに入る。
このエリアは上野駅から入るよりも、千代田線「根津」駅から入った方が便利がよい。
ちなみにこのあたりは、「谷根千」(谷中・根津・千駄木)と呼ばれ、下町情緒やグルメが楽しめるエリアとして近年人気急上昇中。

言問通り・善光寺坂北側の谷中一丁目は日蓮宗・御首題メインのエリア。坂を上りきった谷中六丁目は日蓮宗と他宗派の混在エリアとなり、御府内八十八箇所の札所も。
ここから北側の谷中五丁目から西日暮里三丁目(荒川区)にかけてが谷中のメインエリア。
東は谷中霊園で、JR「日暮里」駅からスタートする散策客も目立つ。

谷中五丁目の真言宗寺院は御府内八十八箇所の札所も多く、御朱印収集的に外せないエリア。これを抜きにしても寺町の趣ゆたかで散策する価値は十分にあると思う。



【拝受データ】 (おおむね谷中一丁目から。現時点で授与休廃止の可能性あり、形態(直書・書置など)は状況により変化する可能性大です。)
なお、末尾○欄は御朱印をいただいていない霊場で、古いものが多いです。


■楞伽山 天眼寺
台東区谷中1-2-14
臨済宗妙心寺派
〔御朱印不授与〕

■栄源山 本寿寺
台東区谷中1-4-9
日蓮宗
〔御首題不授与・・・Web上に拝受御首題ありますが不授与とのこと〕

■祝融山 瑞松院
台東区谷中1-4-10
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
〔御朱印不授与〕

■妙経山 成就院 信行寺
台東区谷中1-5-7
日蓮宗
〔御首題不授与・・・Web上に拝受御首題ありますが不授与とのこと〕

■長久山 妙泉寺
台東区谷中1-5-34
法華宗本門流
 
・御首題 書置(筆書) 

■顕寿山 佛心寺
台東区谷中1-5-35
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 佛心寺山門
【写真 下(右)】 佛心寺本堂
 

・御首題 直書(筆書)

 
・御朱印 書置(筆書) 
・毘沙門天の御朱印 直書(筆書)
※ご対応はたいへん親切です。御首題は書置ご用意の可能性があります。

■大法山 一乗寺
台東区谷中1-6-1
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 一乗寺山門
【写真 下(右)】 一乗寺本堂

 
【写真 上(左)】 ・御首題 直書(筆書)
【写真 下(右)】 ・御朱印 直書(筆書)
※御朱印・御首題についてのご対応は→こちら。時間限定ですが、快く授与いただけます。
カラー御朱印・御首題は郵送対応可。墨朱御朱印・御首題は参拝者のみに授与のようです。

■倍増山 宝城院 金嶺寺
台東区谷中1-6-27
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)
○上野王子駒込辺三十三観音霊場第31番

■大乗山 長運寺
台東区谷中1-7-4
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 長運寺山門
【写真 下(右)】 長運寺本堂

 
【写真 上(左)】 ・御首題 直書(筆書)
【写真 下(右)】 ・絵御首題 直書(筆書)
※絵御首題・絵御朱印で有名。授与時間は→こちら(インスタ)でUPされます。。

■望湖山 玉林寺
台東区谷中1-7-15
曹洞宗 御本尊:釈迦牟尼佛
 
・朱印尊格:釋迦牟尼佛 札番:なし 直書(筆書)
○江戸浅草辺三十三観音霊場第25番

■六浦山 延壽寺 (日荷堂) 
台東区谷中1-7-36
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 延壽寺本堂
【写真 下(右)】 延壽寺日荷堂
 
 
【写真 上(左)】 ・御首題 書置(筆書)
【写真 下(右)】 ・御首題 直書(筆書)

■正栄山 妙行寺
台東区谷中1-7-37
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■石岡山 妙福寺
台東区谷中1-7-41
日蓮宗
〔御首題不授与・・・Web上に拝受御首題ありますが不授与とのこと〕

■龍興山 臨江寺
台東区谷中1-4-13
臨済宗大徳寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
 
・朱印尊格:南無本師釋迦牟尼佛 札番:なし 直書(筆書)
○秩父写山の手三十四観音霊場第3番

■谷中冨士
台東区谷中1-6-14
参拝記念スタンプあり
 

■光雲山 元導寺 法蔵院
台東区谷中1-6-26
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)

■高光山 大圓寺
台東区谷中3-1-2
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 大圓寺山門
【写真 下(右)】 大圓寺境内

 
【写真 上(左)】 ・御首題 直書(筆書)
【写真 下(右)】 ・御朱印 直書(筆書)

■妙祐山 宗林寺 (江戸十大祖師/舟守祖師)
台東区谷中3-10-22
日蓮宗
 
・御首題 書置(筆書)

■円妙山 本授寺
台東区谷中3-11-6
顕本法華宗
〔御首題不授与〕

■慈雲山 久成院
台東区谷中4-1-5
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■正行院
台東区谷中4-1-6
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■慈雲山 浄延院
台東区谷中4-1-8
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■慈雲山 瑞輪寺 (江戸十大祖師/安産飯匙の祖師)
台東区谷中4-2-5
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 瑞輪寺参道
【写真 下(右)】 瑞輪寺山門

 
【写真 上(左)】 瑞輪寺本堂
【写真 下(右)】 東京七面山

 
・御首題 直書(筆書)

 
・御朱印(妙法) 直書(筆書)

■本妙院
台東区谷中4-2-11
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 本妙院山門
【写真 下(右)】 本妙院本堂

 
【写真 上(左)】 ・御首題 直書(筆書)
【写真 下(右)】 ・御朱印(妙法) 書置(筆書) 
※絵御首題・絵御朱印で有名。

■法栄山 本通寺
台東区谷中4-2-33
法華宗陣門流
 
・御首題 直書(筆書)

■栄照山 龍谷寺
台東区谷中4-2-35
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■寂静山 蓮華寺
台東区谷中4-3-1
日蓮宗
 
・御首題 書置(筆書)

■日長山 領玄寺
台東区谷中4-3-5
日蓮宗
〔御首題不授与〕

■円住山 妙円寺
台東区谷中4-4-29
日蓮宗
〔御首題不授与・・・「御朱印不授与」の貼紙あり、御首題も不授与とのこと〕

■海雲山 天龍院
台東区谷中4-4-33
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
〔御朱印不授与・・・Web上に拝受御朱印ありますが不授与とのこと〕

■興福山 永久寺
台東区谷中4-2-37
曹洞宗 御本尊:釈迦牟尼佛
 
・朱印尊格:南無釈迦牟尼佛 札番:なし 直書(筆書)
○江戸浅草辺三十三観音霊場第31番、秩父写山の手三十四観音霊場第6番

■象頭山 頣神院
台東区谷中4-3-27
臨済宗妙心寺派 御本尊:不詳
 
・朱印尊格:大日如来 札番:なし 直書(筆書)

■初音山 東漸寺 観智院
台東区谷中5-2-4
真言宗豊山派 御本尊:大日如来
 
・朱印尊格:本尊 阿弥陀如来・弘法大師・興教大師 御府内八十八箇所第63番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第6番、江戸八十八ヶ所霊場第64番
※「谷中の火除不動尊」の御朱印は不授与。幼稚園があるので開園時参拝のタイミング留意要。

■大道山 興禅寺
台東区谷中5-2-11
臨済宗興聖寺派
〔御朱印不授与〕
○弁財天百社参り第58番

■運立山 養傅寺
台東区谷中5-2-16
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■大道山 長安寺
台東区谷中5-2-22
臨済宗妙心寺派 御本尊:千手観世音菩薩
 
・朱印尊格:大悲殿 上野王子駒込辺三十三観音霊場第22番印判 直書(筆書)
○谷中七福神(寿老人)、東方三十三観音霊場第14番

■感応山 常在寺
台東区谷中5-2-25
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■長清山 養泉寺
台東区谷中5-2-28
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■常観山 安立寺
台東区谷中5-3-17
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■天瑞山 観福寺 明王院
台東区谷中5-4-2
真言宗豊山派 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:本尊 阿弥陀如来・弘法大師・興教大師 御府内八十八箇所57番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第5番、江戸八十八ヶ所霊場第57番

■普門山 全生庵
台東区谷中5-4-7
臨済宗国泰寺派 御本尊:葵正観世音菩薩
 
・朱印尊格:葵正観音 札番:なし 直書(筆書)
○大東京百観音霊場第25番

■松栄山 福相寺
台東区谷中5-4-9
日蓮宗
 
・御首題 書置(筆書)

■延寿山 長久寺
台東区谷中5-4-11
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)
※多忙時不可。

■長興山 立善寺
台東区谷中5-4-19
日蓮宗
 
・御首題 (筆書)

■長谷山 元興寺 加納院
台東区谷中5-8-5
新義真言宗 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:本尊 阿弥陀如来・弘法大師・興教大師 御府内八十八箇所第64番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第4番、江戸八十八ヶ所霊場第63番

■妙見山 本立寺
台東区谷中5-8-7
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)
※ご丁寧なご対応、頭が下がります。

■百丈山 霊梅院
台東区谷中5-8-19
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
〔御朱印不授与〕

■福聚山 海蔵院
台東区谷中5-8-25
臨済宗妙心寺派
〔御朱印不授与〕

■蓮葉山 妙智院 観音寺
台東区谷中5-8-28
真言宗豊山派 御本尊:大日如来
 
【写真 上(左)】 観音寺本堂
【写真 下(右)】 観音寺の築地塀


・朱印尊格:大日如来(御本尊) 札番:なし 書置(筆書)

・朱印尊格:大日如来・弘法大師 御府内八十八箇所42番印判 直書(筆書)

・お種子(ア)の御朱印

・スワロフスキー付御朱印
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第3番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第32番、東方三十三観音霊場第13番、江戸八十八ヶ所霊場第42番
※参拝客以外は山内立入禁止の掲示あり。

■長光山 龍泉寺
台東区谷中5-9-26
日蓮宗
〔山内立入制限看板あり/御朱印不授与?〕

■日照山 長明寺
台東区谷中5-10-15
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■円妙山 大行寺
台東区谷中6-1-13
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■長昌山 大雄寺
台東区谷中6-1-26
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■光照山 感應寺
台東区谷中6-2-4
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■本覚山 宝光寺 自性院
台東区谷中6-2-8
新義真言宗 御本尊:大日如来
 
・朱印尊格:本尊 大日如来・弘法大師・興教大師 御府内八十八箇所第53番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第10番、江戸八十八ヶ所霊場第53番

■薬王寺 長久院
台東区谷中6-2-16
真言宗豊山派 御本尊:大日如来
 
・朱印尊格:本尊 大日如来・弘法大師・興教大師 御府内八十八箇所第55番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第8番、江戸八十八ヶ所霊場第55番
※閻魔大王(江戸・東京四十四閻魔第12番)の御朱印は不授与

■仏到山 無量寿院 西光寺
台東区谷中6-2-20
新義真言宗
 
【写真 上(左)】 西光寺山門
【写真 下(右)】 西光寺本堂


・朱印尊格:五大明王 主印判:種子 札番:なし 直書(筆書)

・朱印尊格:五大明王 主印判:不動明王御影印 札番:なし 直書(筆書)
こちらをメインに授与されているようです。

※以前は不授与でしたが御朱印授与を開始され対応も親切です。カラー御朱印マニアを中心に人気を集めている模様。
○上野王子駒込辺三十三観音霊場第7番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第7番、江戸八十八ヶ所霊場第70番

■金輪山 最勝寺 總持院
台東区谷中6-2-33
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:谷中不動尊 札番:なし 直書(筆書)
※こちらのお寺様につきましては、Web上での拝受情報がほとんどみつからず、現在でも授与されているかは不明です。
なお、御本尊の御朱印は授与されておりません。

■宝塔山 龍門寺 多宝院
台東区谷中6-2-35
真言宗豊山派 御本尊:多宝如来
 
・朱印尊格:本尊 多宝如来・弘法大師 御府内八十八箇所第49番印判 直書(筆書)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第9番、江戸八十八ヶ所霊場第49番
※「谷中吉祥天」の御朱印は不授与

■清林山 和光院 大泉寺
台東区谷中6-2-13
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
 
・朱印尊格:阿彌陀如来 札番:なし 直書(筆書)

■無量山 功徳林寺
台東区谷中7-6-9
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来
  
【写真 上(左)】 功徳林寺本堂
【写真 下(右)】 笠森稲荷堂


・朱印尊格:無量壽 札番:なし 書置(筆書)

・朱印尊格:笠森稲荷 札番:なし 書置(筆書)

■安立院
台東区谷中7-10-4
曹洞宗系単立
〔御朱印不授与〕

■護国山 尊重院 天王寺
台東区谷中7-14-8
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
  
【写真 上(左)】 天王寺山門
【写真 下(右)】 天王寺本堂


・朱印尊格:本尊 阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)

・朱印尊格:毘沙門天 札番:なし 直書(筆書)(谷中七福神)

・朱印尊格:閻魔大王 札番:なし 直書(筆書)(ご縁日のみ?/江戸・東京四十四閻魔参り第11番)
○谷中七福神(毘沙門天)、上野王子駒込辺三十三観音霊場第9番
※上野王子駒込辺三十三観音霊場第9番の御朱印は不授与

■隨龍山 境智院 了俒寺
台東区谷中7-17-2
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
〔御朱印不授与〕

【荒川区西日暮里三丁目】
■長久山 本行寺
荒川区西日暮里3-1-3
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)

■大黒山 経王寺
荒川区西日暮里3-2-6
日蓮宗
 
・御首題 直書(筆書)
〔大黒天(荒川下町七福神)の御朱印は不授与・・・Web上に拝受御朱印ありますが不授与とのこと〕

■法要山 啓運寺
荒川区西日暮里3-2-14
法華宗本門流
 
・御首題 直書(筆書)
〔毘沙門天(荒川下町七福神)の御朱印は不授与〕

■補陀落山 観音院 養福寺
荒川区西日暮里3-3-8
真言宗豊山派
 
・朱印尊格:如意輪観世音菩薩・弘法大師 豊島八十八ヶ所霊場第73番印判 直書(筆書)
○東京三十三観音霊場第28番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第2番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第27番、荒川辺八十八ヶ所霊場第7番、東都七観音霊場第5番、近世江戸三十三観音霊場第10番、東方三十三観音霊場第12番

■法輪山 法幢院 浄光寺
荒川区西日暮里3-4-3
真言宗豊山派 御本尊:薬師如来
 
・朱印尊格:薬師如来 札番:なし 印判(豊島八十八ヶ所霊場第5番)
○弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第1番、荒川辺八十八ヶ所霊場第8番、東都六地蔵霊場第3番

(神社御朱印)
■諏方神社
荒川区西日暮里3-4-8
 
・諏方神社 直書(筆書)

■浄居山 青雲寺
荒川区西日暮里3-6-4
臨済宗妙心寺派
 
・朱印尊格:恵比寿神(谷中七福神) 書置(筆書)
※御本尊の御朱印は不授与
○荒川下町七福神(恵比寿神)

■運啓山 修性院
荒川区西日暮里3-7-12
日蓮宗
  
【写真 上(左)】 修性院山門
【写真 下(右)】 修性院本堂


・御首題 直書(筆書)

・朱印尊格:布袋尊(谷中七福神) 札番:なし 直書(筆書) 
○荒川下町七福神(布袋尊)

■瑞応山 南泉寺
荒川区西日暮里3-8-3
臨済宗妙心寺派
〔御朱印不授与〕
○東方三十三観音霊場第11番

■日照山 法光寺
荒川区西日暮里3-8-6
法華宗陣門流
 
・御首題 直書(筆書)

■宝珠山 延命院
荒川区西日暮里3-10-1
日蓮宗
 
【写真 上(左)】 延命院境内
【写真 下(右)】 延命院の授与案内



 
【写真 上(左)】 ・御朱印(妙法)
【写真 下(右)】 ・御朱印(妙法)


【 BGM 】
■ 空気力学少女と少年の詩 -piano vocal ver.-


■ 消えてしまえたならいいのに、なんて - めありー(歌ってみた)


■ 夢の大地 - Kalafina


■ This Love - アンジェラ・アキ


■ 本当の音 [Hontou no Oto] (True Sound) - KOKIA

歌詞
「日本よりも海外で評価が高い説」あり。どーゆーこと??
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■ 富士山周辺の御朱印

目下、富士山周辺はインバウンドに占拠されている感もありますが、GWで訪れる方も多いと思います。

先日、富士山周辺の御朱印情報をWebで当たってみたところ、浅間神社メインのものが多く、網羅的にまとめたものがあまりないので、一念発起して(こればっかし(笑))まとめてみることにしました。

富士山周辺の御朱印はおおむね拝受していますが、富士山頂の浅間大社奥宮をはじめ、未拝受の寺社もいくつかあります。
未拝受御朱印は拝受次第UPすることとし、とりあえず拝受済の御朱印情報をUPしてみます。

なお、御朱印は寺社様の状況やお考えにもとづき授与されるもので、以下の御朱印が現在も授与されているかは不明です。

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富士山の北側から時計まわりにリストしていきます。
富士河口湖町、富士吉田市、西桂町、忍野村、山中湖村、小山町、御殿場市、裾野市、三島市、長泉町、清水町、沼津市、富士市、富士宮市の順です。

まずは御朱印のみUPし、後日寺社の写真とコメントを入れていきます。

なお、現在、富士北麓の7社で「神玉巡拝」を催行している模様です。
詳細は→(こちら(富士吉田市観光ガイド))


01.富士河口湖町

■ 河口浅間神社
(かわぐちあさまじんじゃ)
公式Web
富士河口湖町河口1
主祭神:浅間大神
社格等:式内社(名神大)論社
授与所:境内
 

■ 母の白滝神社
(ははのしらたきじんじゃ)
やまなし観光推進機構Web
富士河口湖町河口
御祭神:栲幡千千姫命
授与所:河口浅間神社
 

■ 富士山遥拝所 (天空の鳥居)
(ふじさんようはいじょ)
河口湖.net
富士河口湖町河口1119-2
御祭神:浅間大神
授与所:遙拝所売店にて


□ 富士山パノラマロープウェイ山頂 うさぎ神社
御祭神:大国主命・大山祇命・木花開耶姫命
※御朱印未拝受です。

□ 浅間日月神社 (大石浅間神社)
山梨県神社庁
富士河口湖町大石268
御祭神:木花開耶姫命、天照皇大神、月読命
社格等:旧村社
授与所:境内
※御朱印未拝受です。

■ 鸕鷀嶋神社
(うのしまじんじゃ)
河口湖.net
富士河口湖町大石2584
主祭神:豊玉姫命
授与所:浅間日月神社 (大石浅間神社)


■ 霊鷲山 常在寺
(じょうざいじ)
富士河口湖町観光連盟Web
富士河口湖町小立139
法華宗本門流
札所:甲斐百八霊場第33番
授与所:山内庫裏


■ 蓮華山 妙法寺
(みょうほうじ)
富士河口湖町観光情報Web
富士河口湖町小立692
法華宗本門流
札所:甲斐百八霊場第32番
授与所:山内庫裏


■ 冨士御室浅間神社二合目本宮(奥宮)
(ふじおむろせんげんじゃ)
公式Web
富士河口湖町勝山
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社/旧県社
授与所:冨士御室浅間神社里宮


■ 冨士御室浅間神社里宮
(ふじおむろせんげんじゃ)
公式Web
富士河口湖町勝山3951
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社/旧県社
授与所:境内
 

■ 長徳山 妙本寺
(みょうほんじ)
富士河口湖町勝山609
法華宗
授与所:山内庫裏


■ 広大山 圓通寺
(えんつうじ)
河口湖.net
富士河口湖町船津3932
臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:甲斐之国都留郡三十三ヶ所観音霊場第3番
授与所:山内庫裏
※要事前予約


■ 筒口神社
(つつぐちじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津5
主祭神:中筒男命
社格等:小船津組産土神、旧村社、神饌幣帛供進社
※タイミングが合えば拝受可?


■ 八王子神社
(はちおうじじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津4013
御祭神:素戔嗚尊、、五男三女神
社格等:大船津組産土神、旧村社、神饌幣帛供進社
※タイミングが合えば拝受可?


■ 無戸室浅間神社(船津胎内神社)
(むつむろせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津6603(船津胎内樹型フィールドセンター)
主祭神:木花開耶姫命
授与所:船津胎内樹型フィールドセンター



02.富士吉田市

□ 富士山天拝宮
富士吉田市上吉田(吉田口登山道八合目)
※御朱印未拝受

□ 富士山小御嶽神社
富士吉田市上吉田小御岳下5617(五合目御鎮座)
御祭神:磐長姫命、桜大刀自命、苔虫命
※御朱印未拝受

■ 新屋山神社 本宮
(あらややまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市新屋1230
御祭神:大山祇大神、天照大御神、木花開耶姫命
授与所:境内
・金運上昇、商売繁盛の神様として広く知られる。
※ 御朱印はWebでたくさんみつかるので、そちらを参照下さい。
 
■ 新屋山神社 奥宮
(あらややまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市侭5615
御祭神:大山祇大神、天照大御神、木花開耶姫命
授与所:境内
※12~4月下旬までアプローチ林道のゲート閉鎖。
・富士山麓を代表するパワスポとして知られる。
・Webには「ご縁のある人だけがたどり着ける」などのスピリチュアルな記事があるが、本宮で地図をいただけるので特段迷うことはない。ただし林道を30分弱も走るので慣れない方は要注意。
※ 御朱印はWebでたくさんみつかるので、そちらを参照下さい。

□ 冨士山小御嶽神社 里宮
(ふじさんこみたけじんじや さとみや)
富士吉田市上吉田4202
※御朱印未拝受

■ 北口本宮冨士浅間神社
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5558
主祭神:木花開耶姫命、彦火瓊瓊杵命、大山祇神
社格等:別表神社、旧県社
授与所:境内授与所
 

■ 諏訪神社
(すわじんじゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5558
(北口本宮冨士浅間神社境内社)
御祭神:建御名方神、八坂刀売神
授与所:北口本宮冨士浅間神社授与所


■ 大塚丘社
(おつかやましゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5619
(北口本宮冨士浅間神社境内社)
御祭神:日本武尊
授与所:北口本宮冨士浅間神社授与所
・景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、相模国足柄の坂本より甲斐国酒折宮へ向かわれる途中に冨士を遥拝された丘で、当社発祥の地とされる。


■ 吉祥山 上行寺
(じょうぎょうじ)
富士吉田市上吉田38
日蓮宗
授与所:山内庫裏


■ 吉積山 西念寺
(さいねんじ)
公式Web
富士吉田市上吉田7-7-1
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:甲斐百八霊場第30番
授与所:山内庫裏

・寺伝によると、養老三年(719年)行基菩薩が富士山二合目付近・錫原の地に庵を結んだのが草創という。
・富士山頂に出現の阿弥陀三尊を行基みずからが三寸八分の像に彫刻し、この尊像を御本尊として、富士道場大蓮院と号したという。
・その後、古吉田に移転ののち、永仁六年(1298年)遊行二祖他阿真教上人が諸国遊行の砌、西念寺に留錫して念仏の法門を説かれたところ多くの信者が参集し、ついに宗派を時宗に改めたという。
・遊行二祖真教上人を開基上人、その弟子の真海和尚が開山となる。
・永仁年間、武田氏の一族・一条右衛門大夫吉積が伽藍を造営寄進し、吉積山西念寺と改めたという。
・元亀三年(1572年)、旧地の村が富士山の雪代(雪解け水の災害)を避けるため村をあげて移転の折、当山も現在地に移転。
・富士山信仰とのゆかり深く、江戸時代、富士講の信者は西念寺が定めた「西念寺精進場」で身を清めた後、富士に登拝したといわれる。

■ 水上山 月江寺
(げっこうじ)
富士吉田市下吉田869
臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
札所:甲斐百八霊場第29番
授与所:山内庫裏


■ 小室浅間神社(下宮浅間神社)
(おむろせんげんじんじゃ/しもみやせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市下吉田5221
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社、旧郷社
授与所:境内授与所


■ 大塔宮社・雛鶴社
公式Web
富士吉田市下吉田5221
(小室浅間神社境内社)
御祭神・大塔宮護良親王、雛鶴姫
授与所:小室浅間神社境内授与所


■ 寶松山 大正寺
(だいしょうじ)
公式Web
富士吉田市新倉621
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・寺伝によると文永年間(1264-1275年)、真宗祖門六老僧の源誓上人が、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵を当所字宮の下に草創という。
・文安年間(1444-1449年)に本願寺8世蓮如上人が当地を御巡錫ま際、藤原氏の末裔・遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜る。
・その後、草庵を念仏道場として水石山新念寺と号し、後に新福寺と改め、さらに正保元年(1644年)に現在地へ移転、寛文八年(16658年)に寺号を大正寺と改めた。

■ 大原山 如来寺
(にょらいじ)
公式Web
富士吉田市浅間1-5-6
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・嘉禄三年(1228年)勝沼万福寺の聖徳太子旧跡を巡排中の親鸞聖人に帰依して真宗へ改宗。
・宝徳三年(1451年)法性寺、慶長十五年(1610年)万蔵寺と寺号を改め、さらに享保二年(1718年)如来寺と改めて現在に至る。

■ 新倉山 正福寺
(しょうふくじ)
TERA MACHI(築地本願寺Web)
富士吉田市浅間1-5-38
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・大同二年(807年)に弘法大師が当地を訪れ、弟子道海に寺院建立を命じ、富北院(ふほくいん/真言宗)として創建。
・当時は神仏習合色を帯び、富士山五合目神域の別当を勤めたという記録も残るとの由。
・安貞二年(1228年)、9代住職道祐が親鸞聖人に邂逅して真宗に改宗し、正福寺と改めた。

■ 三國第一山 新倉富士浅間神社
(さんごくだいいちさん あらくらふじせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市浅間2-4-1
御祭神:木花咲耶姫命、大山祗命、瓊瓊杵尊
社格等:旧村社、甲斐国八代郡荒倉郷氏神
授与所:境内授与所

・慶雲三年(705年)、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として創祀。
・大同二年(807年)の富士山大噴火に際し、朝廷からの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行、平城天皇より「三国第一山」の称号および天皇御親筆の勅額等を奉納。
・境内上部の戦没者慰霊の五重塔「忠霊塔」と新倉山浅間公園の桜と富士山が重なる絶景はSNSなどでも人気で、とくにインバウンドの来訪が多い。

■ 荒濱神社
(あらはまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市浅間2-4-1
(新倉富士浅間神社境内社)
御祭神:機神様
授与所:新倉富士浅間神社境内授与所

・当地はふるくから養蚕・織物の産地として栄え、養蚕・織物の神様として当社がお祀りされている。
・織物はタテとヨコの糸を交差させて織ることから、縁結びの神様としても知られている。

■ 福地八幡宮/福地八幡社
(ふじはちまんぐう/ふくちはちまんしゃ)
山梨県神社庁
富士吉田市下吉田5178
御祭神:天照皇大神、息長足姫、誉田別命、渡辺綱命
授与所:境内に案内あり

 
■ 北東本宮小室浅間神社(大明見浅間神社)
(おおあすみおむろせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士吉田市大明見2-1-1
御祭神:木花開耶姫命、誉田別命、国狭槌命、泥土煮命、上筒男命、他十三柱
授与所:境内授与所


■ 護国神社
(ごこくじんじゃ)
富士吉田市大明見2-1-1
(北東本宮小室浅間神社境内社)
授与所:小室浅間神社境内授与所


■ 明見山 慈光院
(じこういん)
公式SNS
富士吉田市大明見3-246
臨済宗妙心寺派
御本尊:
授与所:山内庫裏


■ 不二阿祖山太神宮
(ふじあそやまだいじんぐう)
公式Web
富士吉田市大明見3537
授与所:境内授与所


■ 引接山 西方寺
(さいほうじ)
公式Web
富士吉田市小明見2058
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:甲斐百八霊場第28番、郡内三十三番観音霊場第8番
授与所:山内庫裏


■ 小明見富士浅間神社
(こあすみふじせんげんじんじゃ)

富士吉田市向原1-21-11
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:旧村社
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社


■ 三寳山 此教院 萬年寺
(まんねんじ)
富士吉田市小明見6071
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:郡内三十三番観音霊場第7番、同第14番
授与所:山内庫裏


■ 山之神社
山梨県神社庁Web
富士吉田市小明見4-9-22
主祭神:大山祗命
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社


■ 明見根元神社
(あすみねのがみ)
山梨県神社庁Web
富士吉田市小明見6214
御祭神:天御柱命、罔象女命
社格等:御大沢部落の守護神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社



03.西桂町

■ 不二山 一乗寺
(いちじょうじ)
公式Web
西桂町小沼1997
臨済宗妙心寺派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所:甲斐八十八ヶ所霊場12番、郡内三十三番観音霊場15番

・開祖は笑山西堂和尚。開山は永享三年(1431年)本如実性景川禅師(妙心寺四派の一・龍泉派開祖)
・延暦十九年~廿三年(800-804年)の富士山延暦大噴火の際、国家安寧の祈祷と衆生供養のために建てられた永興庵が前身と伝わる。
・元禄二年(1689年)鳳谷守逸和尚により再興、永興寺から一乗寺へと改める。
・昭和39年、旧品第寺本堂を移転して書院として再建した際に、旧品第寺の十一面観世音菩薩(郡内三十三番観音霊場札所第15番札所本尊)を合祭して札所となる。


04.忍野村

■ 忍草山 大日院 東圓寺
(とうえんじ)
公式Web
忍野村忍草38
天台宗
御本尊:阿弥陀三尊
司元別当:忍草浅間神社
札所:甲斐之国都留郡三十三ヶ所観音霊場第4番、富士山北口元八湖霊場発願・結願
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印(常時授与かは不明)
【写真 下(右)】 聖観世音菩薩の御朱印

 
【写真 上(左)】 鈴原不動尊の御朱印
【写真 下(右)】 鈴原不動尊の御朱印

・弘仁年間(810-824年)、弘法大師が東国巡錫の折、富士山北麓で霊泉の湧出を見つけられここに一宇を建立、大日如来を安置されたのが創建と伝わり、当初は湖畑山南泉寺と号した真言宗寺院とされる。
・鎌倉時代に入って天台宗寺院となり忍草山大日院東圓寺と改めたという。
・寺伝によると、古くは富士山の鬼門を守護する蛇頭疫神社に隣接する地にあったといい、源頼朝公より広大な寺領の寄進を得たという。
・正徳元年(1711年)現在地に移転。
・古くから富士修験の道場として重要なポジションにあり、朝日浅間宮(現・忍草浅間神社)の別当を務めた。
・江戸後期には、富士講中が禊の地とした元八湖霊場(現・忍野八海)の拠点の寺として隆盛したという。
・古本尊は大日如来。現在の御本尊として阿弥陀三尊を奉じている。
・明治の神仏分離で富士山北口一合目より御遷座の不動明王像は鈴原不動尊と呼ばれて信仰を集める。

■ 蛇頭疫神社
忍野村忍草1967
御祭神:大禍津日神、八十禍津日神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・御祭神の性格については諸説あるようだが、現地縁起書に「忍草部落の北東艮(うしとら)の方表鬼門に位置し、古来から部落の安泰をみそなはしてきた。」とあり、東圓寺公式Webに「富士山の鬼門を守護する」とあるので、当社は富士山および忍草部落の鬼門鎮護の性格がうかがわれる。

■ (忍野八海)浅間神社/忍草浅間神社
(おしのはっかいせんげんじんじゃ/しぼくさせんげんじんじゃ)
公式SNS
忍野村忍草456
御祭神:木花開耶姫命、天津日高日子番能邇々藝能尊、大山祇命
旧社格:村社
元別当:忍草山 大日院 東圓寺(忍草)
授与所:境内授与所

・大同二年(807年)創建、建久四年(1193年)源頼朝公の富士巻狩りの際に広大な御朱地を賜り、和田義盛と畠山重忠が随神門と金剛力士像(運慶作)を建立したという。
・広い地域の神社を官掌され、複数の御朱印を授与されている。

[ 富士山北口元八湖霊場 ]
世界遺産富士山の構成資産の一部として認定された忍野八海の8つの池それぞれを守護する八大竜王を巡拝する霊場。発願、結願ともに忍草の東圓寺。
八のつく日(8・18・28日)限定で御朱印が授与されている。→ 情報

■ 忍草山 大日院 東圓寺
(とうえんじ)
忍野村忍草38
札所:富士山北口元八湖霊場発願・結願
札所本尊:八大竜王(守護)
授与所:山内庫裏


■ 忍野八海一番出口池守護 灘陀竜王
(でぐちいけしゅご なんだりゅうおう)
忍野村忍草3483-2
札所:富士山北口元八湖霊場第1番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・やや離れて最も面積が広い池で水深0.5メートル。
・別名「精進池」とも呼ばれ、富士講信者はこの池の湧水で登山前に身を清めたという。


■ 忍野八海二番お釜池守護 跋難陀竜王
(おかまいけしゅご うぱなんだりゅうおう)
忍野村忍草111-2
札所:富士山北口元八湖霊場第2番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・最も小さな池で 水深:4メートル。

■ 忍野八海三番底抜池守護 娑加羅竜王
(そこなしいけしゅご しゃがらりゅうおう)
忍野村忍草272-2
札所:富士山北口元八湖霊場第3番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・樹林が生い茂る静かな池で水深1.5メートル。「はんの木林資料館」入館料300円が必要。

■ 忍野八海四番銚子池守護 和修吉竜王
(ちょうしいけしゅご ぶぁ-すきりゅうおう)
忍野村忍草266-3
札所:富士山北口元八湖霊場第4番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・銚子の形から名付けられたといい水深4メートル。縁結びの池と伝わる。

■ 忍野八海五番湧池守護 徳叉迦竜王
(わくいけしゅご とくしゃかりゅうおう)
忍野村忍草361-2
札所:富士山北口元八湖霊場第5番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・八海一の湧水量で水深4メートル。中心部にあり賑わう。

■ 忍野八海六番濁池守護 阿那婆達多竜王
(にごりいけしゅご あなぶぁたぶたりゅうおう)
忍野村忍草269-2
札所:富士山北口元八湖霊場第6番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・湧池に隣接し、阿原川と合流して水深0.5メートル。濁ってはいない。

■ 忍野八海七番鏡池守護 摩那斯竜王
(かがみいけしゅご まなすう゛ぃんりゅうおう)
忍野村忍草339-2
札所:富士山北口元八湖霊場第7番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・見事な逆さ富士で知られ水深0.3メートル。

■ 忍野八海八番菖蒲池守護 優鉢羅竜王
(しょうぶいけしゅご うっぱらかりゅうおう)
忍野村忍草444-2
札所:富士山北口元八湖霊場第8番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・菖蒲が繁る水深0.5メートルの池。奥は八海菖蒲池公園。


■ 出口稲荷社
(でぐちいなりしゃ)
忍野村忍草3483-2
御祭神:
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・忍野八海一番出口池のほとりの小高い場所に御鎮座の稲荷社。
・池のほとりに3匹のキツネが棲み、いたずらをしては村人を困らせていた。『キツネを神として祀れば災いは無くなる』とのお告げを受けた村人たちは、大正14年お告げ通りに「出口稲荷大明神」を建立し祀ったところ、キツネの被害はなくなったという。

■ 穂見神社
(ほみじんじゃ)
忍野村忍草2206
御祭神:保食神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・金融通の守護神として崇敬される。

■ 醫王山 承天寺
(じょうてんじ)
公式Web
忍野村内野192
臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
札所:甲斐百八霊場第31番、郡内三十三番観音霊場第9番
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 甲斐百八霊場の御朱印
【写真 下(右)】 郡内三十三番観音霊場の御朱印
・寺記によると壽永三年(1184年)、真言宗寺院、長寿山上天寺として現在より山寄りの地に創建。
・開基は鎌倉の有力御家人・畠山重忠公。建久四年(1193年)に鎌倉往還の普請奉行として忍野に来た重忠公がこの寺を定宿とし、時の住職に帰依して堂宇を整え開基となったという。
・御本尊薬師如来像、脇立日光大士十二神将像はいずれも運慶作と伝わる。
・江戸時代の再建時に臨済宗に改め山号を醫王山とし、寺号を承天寺としたという。
・甲斐百八霊場、郡内三十三番観音霊場のふたつの霊場の札所となっており、郡内三十三番観音霊場の札所本尊は十一面観世音菩薩。

■ 内野八幡神社(八幡社)
(うちのはちまんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野3
御祭神:誉田別尊
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・幕末までは神仏混淆で法華経の題目講が行われていたという。
・神仏分離令により神社と視点から存続するが、村資料によると9月15日の例祭日の前日14日の夜には現在でも法華経信者が集まり、唱題が行われるという。
・例祭では相撲が奉納され、境内は賑わいをみせる。

■ (内野)浅間神社
(うちのせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野1
御祭神:木花開耶姫命、天児屋根命、太玉命
旧社格:村社、神饌幣帛供進指定社
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・山梨県神社庁資料によると、南北朝後の応永年間(1394-1428年)に尹良親王が南朝の四皇を奉祀して四皇三社浅間大神と称した。永享六年(1434年)尹良親王の従兄・與良親王の孫・梅若王が神主となるが3年で亡くなり、その霊を祀り富士浅間神社と称したという。山梨県神社庁資料には「其の霊を産土神に祀る足利氏に憚り富士浅間神社と稱す。」とある。
・本殿には貞治二年(1363年)の棟札が現存し、村内最古の建物とされる。

■ (内野)天狗社
(てんぐしゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野381-1
御祭神:武甕槌命
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・創祀不詳。御神体は三百年以上前に稲荷坂の脇から掘り出されたという。
・内野地区は日清日露戦争で多くの兵士を送り出したが一人の戦死者も無かったことから天狗社のご加護と崇められている。


05.山中湖村

■ 山中諏訪神社
(やまなかすわじんじゃ)
公式Web
山中湖村山中13
御祭神:建御名方命、豊玉姫命
旧社格:村社
授与所:境内授与所

・人皇十代崇神天皇の御代七年(西暦104年)、国中に疫病が蔓延したとき、勅命をもって土人創祀されたのが創祀と伝わる。康保三年(966年)には、村人が諏訪大明神を奉ったといい、天文二十一年(1552年)には武田信玄公が北条氏との合戦に際して、戦勝祈願のため本殿を造営寄進という。
・安産子授けの守護神として広く崇敬される。

■ 山中浅間神社
(やまなかせんげんじんじゃ)
公式Web
山中湖村山中113
御祭神:木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山祇命
授与所:山中諏訪神社境内授与所

・承平元年(931年)、郷民が社殿を造営し、三柱の神を勧請して奉ったのが創祀という。

□ 平野天満宮((平野)天神社)
(ひらのてんまんぐう)
山梨県神社庁Web
山中湖村平野1877
御祭神:素盞鳴尊、菅原道真朝臣
授与所:
※御朱印未拝受

□ 石割神社
(いしわりじんじゃ)
山梨県神社庁Web
山中湖村平野1979
御祭神:天手力男命
授与所:
※御朱印未拝受

■ 海雲山 寿徳寺
(じゅとくじ)
公式Web
山中湖村平野147
臨済宗妙心寺派
御本尊:地蔵菩薩
札所:郡内三十三番観音霊場第10番
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 郡内三十三番観音霊場の御朱印
・山中湖東岸にある臨済宗の古刹。甲斐、駿河、相模の国境に当たる要衝の地のため、武田信玄公が国境守備の祈願所に定めて栄えたという。
・狩野常信作という涅槃図、明兆作といわれる星曼陀羅など多くの文化財を蔵する。
・国際的なプリマドンナとして知られた三浦環の墓所。

■ 山中観音堂
(やまなかかんのんどう)
山中湖村平野741
臨済宗妙心寺派?
御本尊:一葉観世音菩薩
札所:郡内三十三番観音霊場第11番
授与所:海雲山 寿徳寺(平野147)

・江戸時代中期には創建されていたという郡内三十三番観音霊場の札所観音堂。
・郡内三十三番観音霊場は、現在でも御朱印をいただける札所が多い。


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■ ヒカリノイト - 池田綾子 in Moerenuma Park


■ 空に近い週末 - 今井美樹


■ far on the water - Kalafina
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■ 埼玉県秩父市・横瀬町・小鹿野町・皆野町の御朱印-1




埼玉県・秩父地方は関東有数の御朱印エリアです。

秩父を代表する霊場、秩父札所三十四観音霊場(秩父札所)は文暦元年(1234年)開創説がある歴史ある霊場で、第32番札所の法性寺に残る長享二年(1488年)の札所番付(長享番付)から、すでに室町時代後期には観音霊場として定着していたとみられています。

秩父札所は当初三十三所(33箇寺)で開創され、天文五年(1536年)頃に第2番真福寺(大棚観音)が加わって34箇寺となりました。

西国三十三所巡礼、坂東三十三観音霊場、秩父札所三十四観音霊場の3つの観音霊場の百の札所を巡ることを「日本百観音巡礼(巡拝)」といいます。
後に「日本百観音」の写し霊場が各地で開創されますが、西国写、板東写はそれぞれ33箇所、秩父写は34箇所の計100箇所の構成となっています。

西国三十三所巡礼は関西の広域、坂東三十三観音霊場も関東の広域を巡る霊場ですが、秩父札所は秩父地方の限られたエリアを巡ります。
よって、秩父には札所寺院が多く存在します。

秩父札所のほかにも秩父十三仏霊場(とみまいり)、秩父七福神があり、それぞれ多彩な尊格の御朱印を授与されています。

霊山に囲まれる秩父はふるくからのパワスポで、三峯神社、両神神社、秩父神社、椋神社などの名社が御鎮座されます。
いずれも御朱印を授与され、秩父市中町の今宮神社、秩父市黒谷の聖神社、小鹿野町の小鹿神社の御朱印も人気です。

このように複数の霊場札所、名社を擁する秩父は、さながら御朱印王国の様相を呈しています。

秩父札所三十四観音霊場(秩父札所)は午歳(うまどし)の総開帳で、次回は再来年の令和8年(2026年)3月18日~11月30日の予定です。



このようなタイミングでもあるので、一念発起して(笑)、これまでいただいた御朱印をすべてご紹介します。

なお、秩父市・横瀬町・小鹿野町・皆野町の4市町はおおむね秩父盆地に位置し、それぞれ秩父札所の札所寺院が立地するので、ひとつの記事にまとめます。

適宜『古寺巡礼 秩父三十四カ所めぐり』(JTBパブリッシング刊)を参照しています。引用時には『古寺巡礼』と記します。


【エリア概要】 (秩父市・横瀬町・小鹿野町・皆野町を併せてまとめています。)

「ちちぶ」は延喜年間(901-923年)成立とされる『旧事本紀』の『国造本紀』に「知知夫国造、瑞籬朝の御世に八意思兼命の十世の孫、知知夫彦命国造に定め賜ふ。」とあり、この時代から国造が置かれていたことがわかります。
また、平安時代中期の延喜式には式内社として秩父神社、椋神社が収録されています。

中世の秩父は武蔵七党の丹党中村氏の勢力下にあったとみられ、11世紀初頭からは桓武平氏良文流の平将恒公が入って、秩父氏の本拠地ともなっています。
秩父氏初代・将恒公は、武蔵介・平忠頼公と平将門公の娘・春姫の子で、秩父には将門公ゆかりの地がいくつかあります。

秩父氏は関東屈指の名族で、「武蔵国留守所総検校職」として武蔵国内の武士を統率・動員する権限をもち、「坂東八平氏」のひとつに数えられます。

秩父氏からは畠山氏、河越氏、江戸氏などの秩父党を輩出。
治承四年(1180年)の源頼朝公の挙兵時、秩父党は当初平家方につき、衣笠城合戦で三浦義明を討ち取っています。
しかし葛西清重の仲裁により頼朝公に服属し、以降は鎌倉幕府の開創に尽力しました。
小山田氏、稲毛氏、榛谷氏、渋谷氏、高山氏などの鎌倉御家人は秩父党で、豊島氏、葛西氏も秩父党の流れとされます。

鎌倉幕府内の政争のなか河越氏、畠山氏は勢いを失い、室町時代には挽回したものの、正平二十三年(1368年)の武蔵平一揆で敗れて地盤を失いました。

後北条氏の時代には鉢形北条氏の支配下に入りましたが、隣国甲斐からしばしば武田氏の侵攻を受けたことは、多くの伝承が語っています。

後北条氏没落ののちは徳川家康公の配下に入り、後北条氏の旧臣は秩父地方に隠棲、あるいは地主として存続したともいいます。

江戸期は忍藩秩父領となり、忍藩主の統治下にありました。

なお、秩父党の江戸氏は武蔵平一揆後も勢力を保ち、世田谷城主吉良氏の家臣から徳川家康公の家臣に転じて喜多見藩藩主となりましたが、元禄二年(1689年)に改易され大名の地位を失いました。

秩父に(江戸期の)城下町はないため、大名家や重臣の菩提寺や祈願寺は多くなく、寺院は秩父札所がメインだったようです。
秩父の寺院は素朴で親しみやすい雰囲気がありますが、このような歴史によって育まれたものかもしれません。

秩父札所は江戸時代に入るといよいよ隆盛となりました。

江戸から秩父まで関所がなかったこともあり、江戸の町人や商家の娘達は観音巡礼の名のもとにこぞって秩父を訪れたといいます。

秩父札所の江戸出開帳の功績も大きいとみられます。
ことに、明和元年(1764年)、音羽の護国寺で催された秩父札所惣出開帳は、将軍家治公の代参のほか、諸大名、大奥女中、旗本などの参詣を集め大いに賑わったといいます。

秩父は養蚕が盛んで、郡内各地に「秩父絹」や「鬼秩父」(秩父銘仙の前身)の市が立ちました。
大宮郷の妙見宮(秩父神社)は最大の市で、現在「秩父夜祭」として知られている付祭りも催されて賑わいをみせました。

大正~昭和にかけて秩父鉄道が開通、秩父セメントが設立され、秩父はセメント生産の要地としてさらに発展しました。

このように、山間にありながら、江戸をはじめ各地からの巡拝者や交易者を迎え、各地の最新情報が得られたことが、秩父独特の文化を育てたという見方があります。

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江戸から秩父へのルートはつぎの3つがありました。
1.正丸峠越えの「吾野通り」
2.粥仁田峠越えの「河越通り」
3.熊谷から荒川沿いに入る「熊ヶ谷通り」(秩父往還)

現在の東京から秩父方面へのアプローチは通常、関越道「花園」IC(深谷市)~皆野寄居有料道路経由となります。(秩父往還)

このルートは多摩エリアや埼玉中西部からは遠回りとなるので、国道299号から正丸峠を越えて横瀬に入るルートもあります。(旧・「吾野通り」)
ただし、この国道はほとんど昭和の国道で、カーブが多く車の流れも速いので、運転に不慣れな方は「花園」ICルートをおすすめします。

【秩父エリアと札所】
なんといっても秩父札所三十四観音霊場(秩父札所)が代表格。
上記のとおり「日本百観音」を構成するとともに、武蔵野三十三観音霊場、狭山三十三観音霊場と併せて「武蔵の国百観音」も構成しています。
正丸峠を挟んで秩父側が秩父札所、飯能側が武蔵野三十三観音霊場の領域となります。

秩父札所は曹洞宗寺院が多いですが、御本尊は観世音菩薩の例が多く、御本尊の御朱印は不授与の例が多いです。

秩父札所に曹洞宗寺院が多いことは、『武蔵国秩父札所三十四観音霊場の形成にみる中世後期禅宗の地方展開』(小野澤 眞氏/PDF)に詳しいです。

同書によると、当初の秩父札所の堂宇の多くは修験の影響を受けた小堂や草庵だったとの由。

秩父では武甲山の男神と秩父氏の妙見信仰(女神)が混淆した独自の修験が発展したといいます。
秩父の妙見信仰は、上野国花園の七星山息災寺の「羊妙見菩薩」由来とされます。
息災寺は天台宗とみられ、秩父の修験寺もおおむね天台宗系の本山修験ないし天台宗寺門派の配下にあったようです。
(七星山息災寺については→こちら(■ 伊香保温泉周辺の御朱印-1.6.三鈷山 吉祥院 妙見寺)をご覧ください。)

なお、『千葉市地域情報デジタルアーカイブ』では、「羊妙見菩薩」ゆかりの羊一族は和銅元年(708年)、秩父郡より和銅を献上した一族と推測しています。
妙見信仰といえば千葉氏が有名ですが、秩父もまた妙見信仰が盛んで、とくに秩父神社は「秩父妙見宮」と呼ばれて当地の妙見信仰の中心でした。

このような天台宗地盤の秩父で曹洞宗が勢力を伸ばした理由については、いくつかの説がみられます。

秩父の禅宗が鎌倉由来とする説がいくつかあります。
横瀬の西善寺のWebには、これを裏付ける記述があります。

鎌倉圓覚寺の白涯寛正禅師が熊谷直俊公の請に応じ、応安元年(1373年)圓福寺(幻住派~白涯禅)を開山、圓福寺3世の竹印昌岩禅師が長興寺(秩父札所第5番)を開山し、続いて寛正元年(1460年)に西善(禅)寺(秩父札所第8番)を開山といいます。
この系譜からすると、秩父には鎌倉圓覚寺の法統が入っていることになります。

しかし鎌倉は臨済禅の牙城で、曹洞宗寺院はほとんどなく、鎌倉をもととするには無理があります。
秩父曹洞宗の発祥として知られる廣見寺は、奥州水沢の正法寺2祖月泉良印禅師の高弟天光良産大和尚が明徳二年(1391年)開創といいます。

正法寺は奥州・水沢の妙見山 黒石寺の奥の院に建てられた奥州初の曹洞宗寺院とされます。
また、黒石寺は天台宗で、もとは修験寺という情報(Wikipedia)があります。
つまり、正法寺は天台修験に曹洞禅が入って成立発展した寺院とみることができます。

曹洞宗寺院の御本尊は釈迦牟尼佛が多いですが、正法寺の御本尊は如意輪観世音菩薩です。

廣見寺の末寺には秩父札所の寺院がいくつかあるので、秩父の曹洞宗はあるいは奥州・正法寺系とみることができるかも。
秩父札所の寺院のいくつかが修験系の発祥であること、曹洞宗寺院でありながら観世音菩薩を御本尊とすることなどは、奥州・正法寺の系譜とみることで説明がつくような感じもします。

脇道がながくなりました。
秩父エリアを巡拝範囲とする秩父十三仏霊場は秩父札所と重複がなく、秩父の御朱印のバリェーションを高めています。
秩父七福神も他霊場との重複が少なくなっています。

新しいところでは横瀬町で「横瀬まいり」が設定され、参画の8箇寺できれいな切り絵御朱印が授与されています。



なお、秩父エリアの弘法大師霊場は確認できておりません。

その他、関東八十八箇所、関東三十三観音霊場 (ぼけ封じ)、関東百八地蔵尊霊場、東国花の寺百ヶ寺霊場、七観音霊場など広域霊場の札所が立地しますが数は多くありません。

秩父の霊場札所はいずれも御朱印授与率が高く、ご不在出直しもほとんどありません。
このあたりは、関東有数の札所文化圏の矜持が感じられます。

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それでは、秩父札所の札番にしたがって横瀬町、秩父市、小鹿野町、皆野町の順に、おおむね南東から北西に向かう方向でご紹介していきます。
件数が多いので、連載形式でじっくりといきます。

なお、秩父は熊谷と並んで日本有数の酷暑の地です。
夏場の巡拝は、どうぞ充分にお気をつけくださいませ。

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1.横瀬町

■ 武甲山御嶽神社(里宮)
横瀬町大字横瀬880-2
御祭神:日本武尊、男大述尊、広国押武金日天皇
旧社格:
授与所:境内のご神職宅



・武甲山山頂に御鎮座の武甲山御嶽神社(奥宮)の里宮として、明治初期にご遷座された里宮。
・秩父は日本武尊とのゆかりふかく、三峯神社は日本武尊東征の折、伊弉諾尊、伊弉册尊をお祀りしたのが草祀といい、秩父の名山・武甲山にも日本武尊を主祭神とする当社が祀られている。

・御朱印は境内のご神職宅にて拝受しましたが、ご不在の場合もあるようです。

〔拝受御朱印〕

御朱印揮毫:武甲山御嶽神社 書置(筆書)


■ 清泰山 西善寺
横瀬町横瀬598
公式Web
臨済宗南禅寺派
御本尊:阿弥陀三尊(公式Webより)
秩父札所の札所本尊:十一面観世音菩薩
旧・秩父札所:第31番西禅寺(十一面観世音菩薩)
札所:秩父札所三十四観音霊場第8番、東国花の寺百ヶ寺霊場埼玉第1番、横瀬まいり



・秩父札所第8番で、もっとも東寄りの札所。
・寺伝によると、鎌倉時代初期、旅の僧侶が武甲山の麓にお堂(根岸堂)を建立したのが草創といい、当初は秩父札所の第31番札所だったと伝わる。
・「長享番付」には「三一番 西禅寺 十一面」とあるが、当山が別当として管理していた「根岸堂」(永正十二年(1515年)山内に移築)がもともとの秩父札所の堂宇という説もみられる。
・恵心僧都作と伝わる十一面観世音菩薩は、「持山観音」とも呼ばれる坐像。
・『古寺巡礼』によると、当山は当初浄土宗、または天台宗と考えられ西方浄土の阿弥陀三尊を祀ることから「安楽往生の寺」とも呼ばれているとの由。
・本堂前の樹齢約600年の巨大なコミネカエデは秩父を代表する銘木として知られ、東国花の寺百ヶ寺霊場の札所にもなっている。

・御朱印は本堂向かって右手の庫裏か、山門左手の授与所で拝受できます。
・秩父札所の御朱印のほか、東国花の寺百ヶ寺霊場、横瀬まいりの切り絵御朱印も拝受できます。
・東国花の寺百ヶ寺の御寶印は御本尊の阿弥陀三尊、横瀬まいりの切り絵御朱印には「根岸堂」「本師釋迦三尊」の揮毫があります。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第8番の御朱印
十一面観世音菩薩
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

2.東国花の寺百ヶ寺霊場埼玉第1番の御朱印
阿弥陀三尊
 
【写真 上(左)】 専用用紙
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

3.横瀬まいりの切り絵御朱印
釋迦三尊



■ 吉祥山 大忠院
横瀬町横瀬1399
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所:横瀬まいり



・『新編武蔵風土記稿』によると、善庵良置禅師(天正元年(1573年)寂)の開山と伝わる曹洞宗寺院で入間郡越生郷龍穏寺末。
・御本尊は正観世音菩薩座像で、裏山の愛宕社から遷られたという勝軍地蔵菩薩立像は江戸時代中期頃の鋳造仏の美作とされ、横瀬町の有形文化財に指定されている。
・愛宕権現-勝軍地蔵菩薩という尊格から火伏せの霊験あらたかとみられ、切り絵御朱印にも「火伏せ佛」の揮毫がある。

・切り絵御朱印は在庫切れということで、卜雲寺にて拝受しました。

〔拝受御朱印〕
1.横瀬まいりの切り絵御朱印
勝軍地蔵菩薩


2.汎用御朱印張の御朱印
勝軍地蔵菩薩



■ 向陽山 卜雲寺
横瀬町横瀬1430
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩(荻の堂観音)
秩父札所の札所本尊:聖観世音菩薩
旧・秩父札所:旧・秩父札所:第30番荻(野)堂
札所:秩父札所三十四観音霊場第6番



・江戸時代初期、嶋田與左衛門により撫外春道を開山に創建と伝わる曹洞宗寺院で、寺号は與左衛門の法号“卜雲源心庵主”に由来という。入間郡越生郷龍穏寺末。
・武甲山山頂の蔵王権現社に行基作と伝わる聖観世音菩薩を祀ったのが草創で、大蛇が住む”とが池”をこの観音さまに祈願して退散させたことから、”とが池”を埋め立てて荻(野)堂を建て、武甲山頂から観音さまをお遷しし、さらに宝暦十年(1760年)現在地に移転したという。
・山門よこの「ねがい地蔵」は、元文二年(1737年)、疫病退散、病気平癒を願い建立された尊像で、病気平癒だけでなく、子授け、入試合格などにも霊験あらたかとして信仰を集める。
・山内には弘法大師の御作というも伝わる薬師如来、鎮守社とみられる卜雲稲荷、寺宝として行基菩薩ゆかりの「山姥の歯」も納められている。
・武甲山に近い高台にあって、山内からの武甲山の眺望は圧巻。

・御朱印は本堂向かって右手の授与所にて拝受できます。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第6番の御朱印
聖円通閣(聖観世音菩薩)
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

2.横瀬まいりの切り絵御朱印
聖円通閣(聖観世音菩薩)



■ 青苔山 法長寺
横瀬町横瀬1508
曹洞宗
御本尊:釋迦牟尼佛
秩父札所の札所本尊:十一面観世音菩薩
旧・秩父札所:第32番牛伏
札所:秩父札所三十四観音霊場第7番、横瀬まいり



・青苔院傑岑常英が開基となり、凉室清和和尚(慶長十一年(1606年)寂)が開山したという禅刹。
・秩父札所として行基菩薩の御作という十一面観世音菩薩を安する根古屋の牛伏堂があり、別当を法長寺が勤めていたところ、天明二年(1782年)現在地(法長寺)に移転という。
・本堂は江戸の科学者・平賀源内の原図をもとに設計されたといい、秩父札所最大規模の伽藍といわれる。
・堂内正面の欄間には四国八十八箇所第86番志度寺の縁起、海女の珠取り物語の彫刻がある。
・平賀源内は讃岐・志度の出身で、その縁から海女の珠取り図の彫刻が置かれたのかもしれない。

・御朱印は本堂対面の授与所にて拝受できます。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第7番の御朱印
大光普照殿(十一面観世音菩薩)
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

2.横瀬まいりの切り絵御朱印
欄間彫刻(海女の珠取り伝説)



■ 明星山 明智寺
横瀬町横瀬2160
臨済宗南禅寺派
御本尊:如意輪観世音菩薩
秩父札所の札所本尊:如意輪観世音菩薩
旧・秩父札所:第29番明地
札所:秩父札所三十四観音霊場第9番、横瀬まいり



・建久二年(1191年)明智禅師の開創と伝わる古刹。
・御本尊は長七寸二分の如意輪観世音菩薩木坐像で惠心僧都の御作という。
・一条天皇(980-1011年)の中宮・藤原道長の娘の彰子が難産の折、(この?)仏像を祀り祈願すると玉のような男子を授かった。
その後すぐにこの仏像はお姿を隠され、人々が探しているときに明星があたりを照らし(仏像が御座する)観音堂に入ってこの尊像を得たという逸話にちなみ明星山と号したとも。
・安産子育ての観音さまとして知られ、1月16日、8月16日の縁日には女性の参詣者で賑わいを見せたという。
・参拝した女人が苦悩から救われるために願いを書いて納めたという文塚が残る。
・観音堂は札所第5番語歌堂と同時代同形式だったが明治16年焼失。平成2年に現在の観音堂(六角堂)が再建される。

・御朱印は観音堂(六角堂)向かって左手の授与所にて拝受しました。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第9番の御朱印
如意輪大士(如意輪観世音菩薩)
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

2.横瀬まいりの切り絵御朱印
如意輪観世音菩薩



■ 小川山 語歌堂(長興寺)
横瀬町横瀬6086
臨済宗南禅寺派
御本尊:准胝観世音菩薩(語歌堂)
秩父札所の札所本尊:准胝観世音菩薩
旧・秩父札所:旧・秩父札所:第26番五閣堂
札所:秩父札所三十四観音霊場第5番、七観音霊場第6番



・めずらしい准胝観世音菩薩が御座す観音堂。
・本間孫八が慈覚大師作と伝えられる准胝観音を安置するため建立と伝わる。
・孫八は詩歌に堪能で、堂宇を訪れた旅僧と歌の道を語り合い和歌の奥義を極めたことにちなんで号したという。
・別当は長興寺で、いまでも語歌堂の納経所は長興寺となっている。
・語歌堂の堂宇は端正な宝形造で、横瀬町の指定史跡
・長興寺は渓苔山と号して田村郷の圓福寺末。『新編武蔵風土記稿』によると御本尊は地蔵菩薩だが、御本尊の御朱印は授与されていない。
・准胝観世音菩薩を札所本尊とする日本百観音の札所は当山と西国第11番上醍醐寺のふたつしかなく、貴重な存在となっている。
・語歌堂は「七観音霊場」の札所。
「七観音霊場」とは「七種七躰それぞれの変化観音を御本尊とする寺院七箇寺により結成される霊場」で、札所は以下のとおり。

第1番 海照山 品川寺 聖観世音菩薩(品川区南品川)
第2番 瑞應山 弘明寺 十一面観世音菩薩(横浜市南区弘明寺町)
第3番 天照山 光明寺 如意輪観世音菩薩(鎌倉市材木座)
第4番 飯盛山 妙音寺 不空羂索観世音菩薩(神奈川県三浦市初声町下宮田)
第5番 巌殿山 正法寺 千手観世音菩薩(埼玉県東松山市岩殿)
第6番 小川山 語歌堂 准胝観世音菩薩(横瀬町横瀬)
第7番 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩(秩父市上影森)
札所の多くは大寺名刹だが、語歌堂が選ばれているのは慈覚大師作という縁起と、秩父札所の名声があるのかも。

・御朱印は長興寺の授与所にて拝受しました。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第5番の御朱印
大悲殿(准胝観世音菩薩)
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

2.七観音霊場第6番
大悲殿(准胝観世音菩薩)


3.横瀬まいりの切り絵御朱印
藤の花



■ 萬松山 大慈寺
横瀬町横瀬5151
曹洞宗
御本尊:正観世音菩薩
秩父札所の札所本尊:正観世音菩薩
旧・秩父札所:第27番大慈寺
札所:秩父札所三十四観音霊場第10番



・延徳二年(1490年)開創、明応二年(1493年)東雄朔方大和尚により開山の禅刹で、当初は秩父札所第27番だったとみられる。
・御本尊の聖観世音菩薩は惠心僧都の御作と伝わる長一尺三寸の木坐像で、秩父ではめずらしいとされる法衣垂下像。町指定有形文化財
・山門は三間一戸の樓門で左右脇間に仁王尊を安置。
・往時から多くの尊仏を安し、子育観音金銅仏は寛政六年、寄木造りの地蔵菩薩像は正徳四年の作とされ、十一面観音菩薩も奉安という。
・本堂内の宮殿厨子は優れた彫刻が施され、秩父札所の中でも屈指の名作として知られる。町指定有形文化財。
・本堂入口の「おびんずる様(なで仏)」は存在感を放ち人気の模様。
・アニメ映画の舞台となり、アニメファンの聖地としても知られている。

・御朱印は本堂向かって右の授与所にて拝受しました。

〔拝受御朱印〕
1.秩父札所第10番の御朱印
南無正観音(正観世音菩薩)
 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

3.横瀬まいりの切り絵御朱印
聖観音/夫婦龍



■ 嶽頂山 東林寺
横瀬町横瀬3537
曹洞宗
御本尊:准胝観世音菩薩
札所:秩父七福神(宇根恵比寿)、横瀬まいり
公式Web



・寛永年間(1624-1645年)初頭、吉田の清泉寺七世清翁全吉大和尚が大檀那今井家の寄進を受け創建と伝わる。開基は東林院殿慶香妙瑞大姉。
・御本尊は仏母ともいわれる准胝観世音菩薩で、開基のご遺徳をたたえるためとも伝わる。
・平成元年に秩父大仏造立(翠雲堂)、平成9年に客殿建築、平成26年には本堂の改築造立と、近年伽藍が整えられている。
・本堂向かって右手の高みの御堂に御座す恵比寿は「宇根恵比寿」と称され秩父七福神の一尊。
・ちなみに秩父七福神は下記のとおりで、大寺名刹が多く廻り応えがあります。
 東林寺(宇根恵比寿)/横瀬町横瀬3537
 惣圓寺(八臂大弁財天)/秩父市東町17-19
 金仙寺(聖山布袋尊)/秩父市下影森6650
 円福寺(延命寿老人)/秩父市田村967
 鳳林寺(大悲毘沙門天)/小鹿野町下小鹿野1387
 円福寺(福寿大黒天)/皆野町皆野293
 総持寺(殿平福禄寿)/長瀞町本野上924

・御朱印は庫裏にて拝受しましたが、お正月以外はご不在のケースもありそうです。
・「横瀬まいり」の札所ですが、こちらの御朱印は横瀬町ブコーさん観光案内所(横瀬町大字芦ヶ久保159)で授与されています。

〔拝受御朱印〕 御本尊の御朱印は不授与の模様
1.秩父七福神(宇根恵比寿)の御朱印
恵比寿神


2.横瀬まいりの切り絵御朱印
佛心(秩父大仏)



これで横瀬町は終了です。
つぎは秩父市となります。

以下、つづきます。


【 BGM 】
■ 夢の大地 - kalafina


■ Erato - 志方あきこ


■ One Reason - milet
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■ 東京都世田谷区の札所と御朱印 (前編)

2024/04/24 追加UP
2021/08/29 追加UP
2021/01/02 追加UP

■ 東京都世田谷区の札所と御朱印(後編)


東急線 花御朱印巡り 第2弾の御朱印は→ こちらをご覧ください。


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2020/07/03 UP

リストだけUPして3年以上も放置していましたが、神社とその後参拝した寺社を追記し、御朱印と画像を追加します。
日蓮宗・法華宗系の御首題についても追記しました。

ブログの字数制限に引っかかるので、前後2編に分けました。
寺社概要は、追って加えていきます。

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2017/03/31 UP
東京都世田谷区の札所と御朱印授与寺社のご紹介です。

【エリア概要】
東京山の手、屈指の高級住宅地として知られる世田谷区だが、山谷が複雑に入り組む地勢で、区域も広いためじつは多彩な顔をもつ。
住宅地メインながら寺院は意外に多く、御朱印授与寺もさりげに多い。隠れた御朱印エリアといってもいいかもしれない。

中世には奥州(武蔵)吉良氏の本拠地となり、豪徳寺(世田谷城)、九品仏浄真寺(奥沢城)、満願寺(兎々呂城)など、吉良氏の城跡とされる寺院があり、吉良氏ゆかりの名刹も少なくない。

神社では鎮守社が多く残り、別当寺との関係をわかりやすく示す例も多くみられるが、これは江戸近郊の農村から城西の戸建て住宅地へと、比較的穏やかに都市化した背景もあるかもしれない。

都心寄りの北沢・世田谷地域は東急田園都市線・世田谷線・東横線、京王井の頭線、小田急線などに囲まれ、鉄道アプローチに恵まれたエリアといえる。
人気タウン三軒茶屋駅のそばには名刹目青不動尊(教学院)があり、複数の霊場の札所となっている。近くには月替わりの絵御朱印が人気の太子堂八幡神社も鎮座されている。

ここから南の目黒区寄り、下馬・野沢エリアにかけての住宅地にも札所寺院が点在している。
北側、下北沢駅周辺や北沢、代田、大原、松原方面にかけては寺院は少ないが、北澤八幡宮は世田谷区内では稀少な御朱印帳を頒布されている。北澤八幡宮の元別当、森巌寺も御朱印を授与されている。

世田谷線沿線には名刹、豪徳寺をはじめとして、玉川八十八ヶ所霊場、世田谷三十三ヶ所観音霊場の札所が複数立地している。授与寺が多く、区内有数の御朱印エリアとなっている。
歴史の香り高い落ちついた寺院が適度な距離をもって点在し、まわっていて楽しいエリア。
松陰神社、世田谷八幡宮など格式の高い神社も鎮座されている。

この界隈をまわるには「世田谷線散策きっぷ/340円」が有効だが、小田急線乗り換え駅の「山下」駅では発売がなく、車内発売もないので一旦発売駅の「上町」駅までいかないと精算&購入できないのは不便。

小田急線と京王線の間、桜上水、船橋、千歳台、上祖師谷あたりになると両線の距離が次第に離れるのでややアプローチが不便となる。
たいていのお寺は駐車場を持っているが、住宅地で細い道が錯綜し、一方通行など交通規制も多いので、車でのアプローチは神経をつかうところ。
このエリアにも玉川八十八ヶ所霊場、世田谷三十三ヶ所観音霊場の札所が点在している。

北烏山界隈は関東大震災を契機に、浅草、築地、本所、荒川など東京下町から移転してきた寺院が集積し、城西エリア有数の大規模な寺町を形成している。
区資料などで紹介されている26軒のうち、真宗13、日蓮宗4、法華宗3、浄土宗4、真言宗1、臨済宗1と、真宗、日蓮宗、法華宗寺院が過半を占め、御朱印エリアとしてのイメージはあまり強くはないものの、メジャー霊場・御府内八十八箇所の札所(多聞院)があり、御朱印収集的には外せないところか。

区中央部の弦巻、上馬、駒沢、深沢あたりは寺院は少なく、御朱印授与寺も深沢の醫王寺を数える程度だが、いくつかの神社が御朱印を授与されている。

区西南部にあたる東急大井町線沿線には比較的多くの寺院が立地する。
九品仏浄真寺、傳乗寺、満願寺、等々力不動尊(満願寺別院)、などの名刹をはじめ、二子玉川駅北側の瀬田四丁目には御朱印授与寺が集中している。
いくつかの神社も点在し、等々力の玉川神社、瀬田玉川神社ともに境内社や兼務社の御朱印も授与されている。

武蔵野台の南端、国分寺崖線に沿ったこのあたりは予想以上に土地の起伏が激しく、歩き応えがある。

ここから多摩川上流方向に向かった鎌田、喜多見エリアにも霊場札所がいくつか点在する。
鉄道交通の便はいまひとつで、車によるアプローチの効率がよい。

区全体でみると、宗派的には真宗、日蓮宗、浄土宗が多く、曹洞宗寺院も10以上を数えるものの授与寺は多くない。真言宗は智山派、豊山派併せて20以上を数え、相当数が霊場札所となっている。
世田谷区内での御朱印収集では、この真言宗寺院の存在が大きい。

【世田谷区と札所】
弘法大師霊場としては区内ほぼ全域に玉川八十八ヶ所霊場の札所が立地している。
最近はまわる人が増えているらしく、対応はおおむね手慣れておられるが、小規模なお寺も多くご住職ご不在時には大判の規定用紙書置対応となるケースが多い。


【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の専用納経帳-1
【写真 下(右)】 玉川八十八ヶ所霊場の専用納経帳-2

観音霊場では世田谷三十三ヶ所観音霊場があるものの授与状況は微妙で、札所印付きの揮毫御朱印を授与いただける寺院もあれば、不授与の寺院もある。
玉川八十八ヶ所との兼務寺も相当数あるが、玉川霊場で授与されている場合は観音霊場で授与されていないケースが多い模様。
また、多摩川三十四観音霊場が喜多見方面で一部入ってくる。

他に御府内八十八箇所(多聞院・北烏山)、江戸三十三観音札所(観音寺・下馬)、関東三十六不動尊霊場(等々力不動尊)、関東三十三観音霊場 (ぼけ封じ)(玉真院・瀬田)、関東九十一薬師霊場(醫王寺・深沢)、関東百八地蔵尊霊場(知行院・喜多見)などの御朱印授与札所がある。

その他、京王三十三観音霊場、小田急武相三十三観音霊場、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)、玉川北百番霊場などの札所があるが、いずれも現役の札所として機能している寺院は少ない模様。

【拝受データ】 (おおむね東部から。番地・号は昇順。現時点で授与休廃止の可能性あり、授与形態(直書・書置など)は状況により変化する可能性大です。)

こちらのデータについては下記サイトのデータを参考・引用させていただきました。いずれも貴重なデータ満載のすばらしい内容です。
「日本を巡礼する」様 → リンク
「東大和と寺院散策」様 → リンク
「猫のあしあと」様 → リンク
「マッハ墨朱&絵馬による布陣(仮)」様 → リンク

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■ 池尻稲荷神社

公式Web
世田谷区池尻2-34-15
御祭神:宇迦之御魂神
旧社格:村社、旧池尻村・池沢村鎮守
元別当:常光院(池尻)
授与所:境内授与所

■ 聖王山 法明院 圓泉寺

公式Web
世田谷区太子堂3-30-8
真言宗豊山派
元司別当:太子堂八幡神社
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:玉川八十八ヶ所霊場第51番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第14番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第27番
〔玉川八十八ヶ所霊場第51番の御朱印〕
・御朱印尊格:不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第51番印判 書置(筆書) 規定用紙

■ 竹園山 最勝寺 教学院(目青不動尊)


世田谷区太子堂4-15-1
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸五色不動尊、関東三十六不動尊霊場第16番、大東京百観音霊場第54番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第15番、東京三十三観音霊場第10番

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目青不動明王 江戸五色不動尊印判 直書(筆書)

〔関東三十六不動尊霊場第16番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:目青不動明王 関東三十六不動尊霊場第16番印判 書置(筆書)

〔関東三十六不動尊霊場第16番の御朱印/御朱印帳〕

・御朱印尊格:目青不動明王 関東三十六不動尊霊場第16番印判 直書(筆書)

〔大東京百観音霊場第54番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音 大東京百観音霊場第54番印判 書置(筆書)

〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第15番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音 世田谷区内第15番印判 直書(筆書)
※御本尊の御朱印は不授与です。

■ 太子堂八幡神社

公式Web
世田谷区太子堂5-23-5
御祭神:誉田別尊
旧社格:村社
元別当:聖王山 圓泉寺(太子堂)
授与所:境内授与所
御朱印揮毫:太子堂八幡神社 印判
※月替わりの絵御朱印で有名。

■ 太子堂弁財天社

世田谷区太子堂5-23-5
御祭神:弁財天
太子堂八幡神社境内社
授与所:太子堂八幡神社境内授与所
御朱印揮毫:太子堂弁財天社 印判

■ 松陰神社

公式Web
世田谷区若林4-35-1
御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命
旧社格:府社
授与所::境内授与所
御朱印揮毫:松陰神社 直書(筆書)(27日月命日御朱印)

■ 日輪山 薬王院 西澄寺

世田谷区下馬2-11-6
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第52番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第16番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第25番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第63番
〔玉川八十八ヶ所霊場第52番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 薬師如来 玉川八十八ヶ所霊場第52番印判 印判

■ 世田谷山 観音寺(世田谷観音)

公式Web
世田谷区下馬4-9-4
天台宗系単立 御本尊:聖観世音菩薩
札所:江戸三十三観音札所第32番
〔江戸三十三観音札所第32番の御朱印〕
・御朱印尊格:聖観世音菩薩 江戸三十三観音札所第32番印判 直書(筆書)

■ 駒繋神社

公式Web
世田谷区下馬4-27-26
御祭神:大国主命
旧社格:無格社
元別当:新清山 寿福寺(上目黒)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:駒繋神社 直書(筆書)

■ 八幡山 宗圓寺

世田谷区上馬3-6-8
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
元司別当:駒留八幡神社(若宮八幡)
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第18番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第23番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第18番の御朱印〕
・御朱印尊格:南無観世音菩薩 世田谷区内第18番印判 直書(筆書)

■ 如法山 感應寺

公式Web
世田谷区上馬4-30-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
元司別当:
札所:江戸東方四十八地蔵霊場第41番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:南無阿弥陀佛 書置(筆書)

■ 駒留八幡神社(若宮八幡)

世田谷区上馬5-35-3
御祭神:天照大神、応神天皇
旧社格:村社 旧馬引澤村鎮守
元別当:八幡山 宗圓寺(上馬)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:駒留八幡神社 直書(筆書)

■ 大澤山 龍雲寺

公式Web
世田谷区野沢3-38-1
臨済宗妙心寺派
御本尊:聖観世音菩薩
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第17番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第24番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第17番の御朱印〕
・御朱印尊格:聖観世音菩薩 世田谷三十三ヶ所観音霊場第17番印判 直書(筆書)
○玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第24番
※御本尊の御朱印授与は不明。

■ 北澤八幡宮(七澤八社随一正八幡宮)


世田谷区代沢3-25-3
御祭神:応神天皇、比売神、神功皇后、仁徳天皇
旧社格:無格社
元別当:八幡山 森巌寺(代沢)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:北澤八幡宮 直書(筆書)
※御朱印帳頒布あり

■ 八幡山 浄光院 森巌寺

公式Web
世田谷区代沢3-27-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
元司別当:北澤八幡宮(七澤八社随一正八幡宮)
札所:小田急武相三十三観音霊場第3番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第13番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第28番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)

■ 代永山 真勝寺 圓乗院

世田谷区代田2-17-3
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
元司別当:代田八幡神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第50番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第12番、玉川北百番霊場第33番
〔玉川八十八ヶ所霊場第50番の御朱印〕
・御朱印尊格:不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第50番印判 書置(筆書)

■ 代田八幡神社

世田谷区代田3-57-1
御祭神:応神天皇
旧代田村鎮守
元別当:代永山 圓乗院(代田)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:代田八幡神社 直書(筆書)

■ 大原稲荷神社

世田谷区大原2-29-21
御祭神:倉稲魂神
大原町、代田町の一部の鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:稲荷神社 書置(筆書)

■ 代田橋大鳥神社

世田谷区大原2-29-21
御祭神:天鳥船大神
大原稲荷神社の境内社
授与所:大原稲荷神社境内社務所
御朱印揮毫:代田橋大鳥神社 直書(筆書)
※酉の市限定の授与

■ 九品山 往生院 浄光寺

世田谷区世田谷1-38-20
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第5番、玉川北百番霊場第18番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第5番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 阿弥陀如来・聖観世音菩薩 世田谷区内第5番印判 印刷?

■ 護国山 天照院 大吉寺

世田谷区世田谷4-7-9
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第4番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第31番

〔御本尊の御朱印〕

・御朱印尊格:阿弥陀如来 札番:なし 書置(筆書)


・御朱印尊格:南無阿弥陀佛 札番:なし 書置(筆書)

■ 大悲山 明王寺 円光院

公式Web
世田谷区世田谷4-7-12
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第49番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第3番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第32番
〔玉川八十八ヶ所霊場第49番の御朱印〕
・御朱印尊格:不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第49番印判 直書(筆書)

■ 青龍山 勝国寺

世田谷区世田谷4-27-4
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第48番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第2番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第33番
〔玉川八十八ヶ所霊場第48番の御朱印〕
・御朱印尊格:不動明王 玉川八十八ヶ所霊場48番印判 直書(筆書)

■ 延命山 勝光院

世田谷区桜1-26-35
曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第7番、玉川北百番霊場第20番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 虚空蔵菩薩 札判:なし 印判

■ 寶樹山 常在寺

世田谷区弦巻1-34-17
日蓮宗
・御首題 直書(筆書)

■ 弦巻神社

世田谷区弦巻3-18-22
御祭神:宇迦之御魂神、応神天皇、菅原道真公
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:弦巻神社 直書(筆書)

■ 鶴松山 実相院

世田谷区弦巻3-29-6
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第6番、玉川北百番霊場第17番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第6番の御朱印〕
・御朱印尊格:薬師如来 世田谷区内第6番印判 直書(筆書)

■ 赤堤山 善性寺

世田谷区豪徳寺1-55-23
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第47番、玉川北百番霊場第31番
〔玉川八十八ヶ所霊場第47番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第47番印刷 印刷

■ 大谿山 豪徳寺


世田谷区豪徳寺2-24-7
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
札所:東京三十三観音霊場第11番、大東京百観音霊場特番7、小田急武相三十三観音霊場特別、世田谷三十三ヶ所観音霊場第1番、玉川北百番霊場第30番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 釋迦牟尼佛 札判:なし 直書(筆書)
※霊場札所の御朱印は不授与の模様。

■ 世田谷八幡宮

世田谷区宮坂1-26-3
御祭神:応神天皇(誉田別命)、仲哀天皇、神功皇后
旧社格:郷社 旧世田谷村鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:世田谷八幡宮 印判

■ 観谷山 常徳院

世田谷区宮坂2-1-11
曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第8番、玉川北百番霊場第28番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:十一面観世音 札判:なし 直書(筆書)

■ 経堂山 福昌寺

世田谷区経堂1-22-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
元司別当:経堂鎮守天祖神社
札所:小田急武相三十三観音霊場第4番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第9番、玉川北百番霊場第29番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 釋迦牟尼佛 札判:なし 書置(筆書)

■ 経堂鎮守天祖神社

公式Web
世田谷区経堂4-33-2
御祭神:天照大御神、稲荷大神、北野大神
旧社格:村社、旧経堂在家村鎮守
元別当:経堂山 福昌寺(経堂)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:経堂鎮守 天祖神社 直書(筆書)

■ 稲荷森稲荷神社

公式Web
世田谷区桜丘2-29-3
御祭神:宇迦之御魂神
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:稲荷森稲荷神社 直書(筆書)

■ (赤堤)六所神社

公式Web
世田谷区赤堤2-25-2
御祭神:大国魂命、伊弉冊尊、素戔嗚尊、布留大神、大宮売命
旧社格:村社、旧赤堤村鎮守
元別当:光林山 西福寺(赤堤)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:六所神社 印判

■ 光林山 持明院 西福寺

公式Web
世田谷区赤堤3-28-29
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
元司別当:(赤堤)六所神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第46番、京王三十三観音霊場第4番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第11番、玉川北百番霊場第27番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第62番
〔玉川八十八ヶ所霊場第46番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 薬師如来 玉川八十八ヶ所霊場46番印判 印判 規定用紙

■ (世田谷)菅原神社

世田谷区松原3-20-16
御祭神:菅原道真公
旧社格:村社、松原地区鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:菅原神社 直書(筆書)

■ 幽谿山 観音寺 密蔵院

世田谷区桜上水2-24-6
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第45番、小田急武相三十三観音霊場第5番、京王三十三観音霊場第5番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第10番、玉川北百番霊場第26番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第61番

〔玉川八十八ヶ所霊場第45番の御朱印〕

・御朱印尊格:本尊 不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第45番印判 直書(筆書)

〔小田急武相三十三観音霊場第5番の御朱印〕

・御朱印尊格:百體観世音 小田急武相三十三観音霊場第5番印判 直書(筆書)

■ 勝利八幡神社

世田谷区桜上水3-21-6
御祭神:誉田別命
旧社格:村社、旧上北沢村鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:勝利八幡神社 印判

■ 波羅密山 観光院 寶性寺

世田谷区船橋4-39-32
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第43番、玉川北百番霊場第23番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第58番
〔玉川八十八ヶ所霊場第43番の御朱印〕

・御朱印尊格:大日如来 南無遍照金剛 南無興教大師 玉川八十八ヶ所霊場第43番印判 書置(筆書)

〔玉川八十八ヶ所霊場第43番の御朱印〕
・御朱印尊格:不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第43番印判 直書(筆書)


■ 青林山 薬王寺 東覺院

世田谷区千歳台4-11-11
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第42番、玉川北百番霊場第24番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第59番、江戸・東京四十四閻魔参り第26番
〔玉川八十八ヶ所霊場第42番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第42番印判 印判 規定用紙

■ 舜栄山 行王院 安穏寺

世田谷区上祖師谷2-3-6
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第41番、○大東京百観音霊場第86番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第57番
〔玉川八十八ヶ所霊場第41番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 不動明王 玉川八十八ヶ所霊場第41番揮毫 印刷 規定用紙

■ 向旭山 源良院

世田谷区北烏山4-10-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
〔観音様の御朱印〕
・御朱印尊格:南無観世音菩薩 札番:なし 直書(筆書)
※非札所につき、常時御朱印授与されているかは不明。

■ 金剛山 悲願寺 多聞院

世田谷区北烏山4-12-1
真言宗豊山派
御本尊:地蔵菩薩
札所:御府内八十八箇所第3番、玉川八十八ヶ所霊場第44番

〔御府内八十八箇所第3番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:本尊 地蔵菩薩 御府内八十八箇所第3番印判 直書(筆書) 規定用紙

〔御府内八十八箇所第3番の御朱印/御朱印帳〕

・御朱印尊格:本尊 地蔵菩薩 御府内八十八箇所第3番印判 直書(筆書)

〔玉川八十八ヶ所霊場第44番の御朱印〕

・御朱印尊格:本尊 地蔵菩薩 玉川八十八ヶ所霊場第44番 直書(筆書)
○江戸八十八ヶ所霊場第3番

■ 春陽山 永隆寺

公式Web
世田谷区北烏山4-17-1
法華宗本門流本能寺派
札所:○京王三十三観音霊場第9番

・御首題 直書(筆書)

・御朱印尊格:神保大黒天 (筆書) ※正月のみ

■ 常徳山 玄照寺
世田谷区北烏山4-21-1
日蓮宗

・御首題 直書(筆書)

■ 霊照山 蓮池院 専光寺

世田谷区北烏山4-28-1
〔御本尊の御朱印〕
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
・御朱印尊格:南無阿彌陀佛 札番:なし 直書(筆書)
※非札所につき、常時御朱印授与されているかは不明。

■ 瑞泉山 高源院

世田谷区北烏山4-30-1
臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦牟尼仏
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:釋迦牟尼佛 札番:なし 直書(筆書)
※非札所につき、常時御朱印授与されているかは不明。

■ 妙祐山 幸龍寺

世田谷区北烏山5-8-1
日蓮宗
・御首題 直書(筆書) 江戸十大祖師

■ 一心山 極楽寺 称往院

世田谷区北烏山5-9-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
〔御本尊(御名号)の御朱印〕

・御朱印尊格:南無阿弥陀佛 直書(筆書)

〔京王三十三観音霊場第8番の御朱印〕

・御朱印尊格:本尊 阿弥陀如来 京王三十三観音霊場第8番 直書(筆書)
○円光大師東都二十五ヶ所霊場第18番、御府内円光大師二十五拝霊場第19番、坂東写東都三十三観音霊場第3番

■ 本覚山 妙壽寺
世田谷区北烏山5-15-1

法華宗本門流
・御首題 書置(筆書)


■ 東京都世田谷区の札所と御朱印(後編)


【 BGM 】
John Jarvis - A Perfect Rain


Dwight Sills - I'll be Right Here


Richard Elliot - Take To The Skies
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■ 東京都世田谷区の札所と御朱印 (後編)

2024/04/24 追加UP
2021/08/29 追加UP
2020/07/03 追加UP


■ 東京都世田谷区の札所と御朱印(前編)

リストだけUPして3年以上も放置していましたが、神社とその後参拝した寺社を追記し、御朱印と画像を追加します。
日蓮宗・法華宗系の御首題についても追記しました。

ブログの字数制限に引っかかるので、前後2編に分けました。
寺社概要は、追って加えていきます。


東急線 花御朱印巡り 第2弾の御朱印は→ こちらをご覧ください。

--------------------------------------------

■ 深澤神社

公式Web
世田谷区深沢5-11-1
御祭神:天照皇大神、大山都見尊、倉稲魂命
旧社格:村社
御朱印揮毫:深澤神社 直書(筆書)

■ 薬應山 寳壽院 醫王寺

世田谷区深沢6-14-2
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第34番、関東九十一薬師霊場第11番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第19番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第9番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第65番

〔玉川八十八ヶ所霊場第34番の御朱印〕

・御朱印尊格:薬師如来 玉川八十八ヶ所霊場34番印判 直書(筆書)

〔関東九十一薬師霊場第11番の御朱印〕

・御朱印尊格:薬師如来 札番:なし 書置 規定用紙
※深沢不動尊の御朱印は不授与

■ 奥澤神社

世田谷区奥沢5-22-1
御祭神:誉田別命、倉稲魂之命
旧社格:村社 旧奥澤新田村鎮守
元別当:明楽山 密蔵院(下沼部)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:奥澤神社 直書(筆書)

■ 九品山 唯在念仏院 浄真寺


公式Web
世田谷区奥沢7-41-3
浄土宗
御本尊:釈迦牟尼如来
札所:大東京百観音霊場第53番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第33番、江戸・東京四十四閻魔参り第24番、閻魔三拾遺第26番、第全国善光寺会

・御朱印尊格:九品阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)

・御朱印尊格:五劫思惟 札番:なし 直書(筆書)

・御朱印尊格:阿弥陀如来の梵字 札番:なし 印判 ※勧進御朱印

・御朱印尊格:釈迦牟尼如来の梵字 札番:なし 印判 ※勧進御朱印
※御朱印帳頒布あり
※閻魔大王の御朱印は不授与。
※ 私事ですが、こちらは母方の実家の菩提寺なので、子供の頃からなじみがあります。
3年に一度(2014年までは8月16日、以降は5月5日)厳修されるこちらの行事「二十五菩薩来迎会(おめんかぶり)」は、令和2年5月5日の予定でしたが、新型コロナ禍により令和3年に延期となり、更に令和3年5月5日の勤修も中止となっています。

■ 東玉川神社

世田谷区東玉川1-32-9
御祭神:建御名方命、大山咋尊
旧社格:無格社
元別当:西光寺(等々力村)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:東玉川神社 直書(筆書)

■ 松高山 法生院 傳乗寺

世田谷区尾山台2-10-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
元司別当:宇佐神社(尾山台)
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場31番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第16番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場31番の御朱印〕
・御朱印尊格:阿彌陀如来 世田谷三十三ヶ所観音霊場31番印判 印判

■ 宇佐神社

世田谷区尾山台2-11-3
御祭神:応神天皇
旧社格:無格社、旧小山村鎮守
元別当:松高山 傳乗寺(尾山台)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:宇佐神社 直書(筆書)

■ 致航山 満願寺

公式Web
世田谷区等々力3-15-1
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第54番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第29番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第13番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第71番
〔玉川八十八ヶ所霊場第54番の御朱印〕
・御朱印尊格:大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第54番印判 直書(筆書)

■瀧轟山 満願寺別院 明王院 (等々力不動尊)

公式Web
世田谷区等々力1-22-47
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:関東三十六不動尊霊場17番、玉川八十八ヶ所霊場第33番

〔関東三十六不動尊霊場17番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:等々力不動尊 関東三十六不動尊霊場17番印判 直書(筆書) 規定用紙

〔関東三十六不動尊霊場17番の御朱印/御朱印帳〕

・御朱印尊格:等々力不動尊 関東三十六不動尊霊場17番印判 直書(筆書)

〔玉川八十八ヶ所霊場第33番の御朱印〕

・御朱印尊格:等々力不動尊 玉川八十八ヶ所霊場第33番印判 直書(筆書)

■ 玉川神社

世田谷区等々力3-27-7
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解命
旧社格:村社、旧等々力村鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:玉川神社 直書(筆書)

■ 家岳山 善養院

世田谷区新町2-5-12
曹洞宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第20番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第8番
〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第20番の御朱印〕
・御朱印尊格:南無観世音 世田谷区内第20番印判 直書(筆書)

■ 久富稲荷神社


公式Web
世田谷区新町2-17-1
御祭神:宇迦之魂命、大宮女命、猿田彦命
旧枝郷新町村鎮守
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:久富稲荷神社 直書(筆書)/御朱印帳購入時
※御朱印帳頒布あり。

■ 桜神宮

公式Web
世田谷区新町3-21-3
古式神道(教派神道十三派の一派)
御朱印揮毫:桜神宮 直書(筆書)
※御朱印帳頒布あり。

■ 影光山 佛生院 善養寺

世田谷区野毛2-7-11
真言宗智山派
御本尊:大日如来
元司別当:野毛六所神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第32番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第30番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第15番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第69番
〔玉川八十八ヶ所霊場第32番の御朱印〕
・御朱印尊格:大日尊 玉川八十八ヶ所霊場第32番印判 直書(筆書)

■ 野毛六所神社

世田谷区野毛2-14-2
御祭神:伊弉諾命、伊弉冉命、天照皇大神、譽田和気命、大山都見命、菅原道真命
旧社格:村社、旧上野毛村・下野毛村鎮守
元別当:影光山 善養寺(野毛)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:六所神社 直書(筆書)

■ 東陽山 薬王院 金剛寺

世田谷区中町2-20-11
真言宗智山派
御本尊:大日如来
元司別当:中町天祖神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第35番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第28番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第10番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第67番
〔玉川八十八ヶ所霊場第35番の御朱印〕
・御朱印尊格:大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第35番印判 直書(筆書)

■ 中町天祖神社

世田谷区中町3-18-1
御祭神:天照皇大神、倉稲魂神
旧社格:無格社、旧野良田村鎮守
元別当:東陽山 金剛寺(中町)
授与所:玉川神社(等々力)社務所
御朱印揮毫:天祖神社 印判

■ 自性山 聖徳院 覚願寺

世田谷区上野毛2-15-15
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第36番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第27番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第11番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第68番
〔玉川八十八ヶ所霊場第36番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第36番印判 直書(筆書)

■ 上野毛稲荷神社

世田谷区上野毛3-22-2
御祭神:倉稲魂神
旧社格:無格社、旧上野毛村鎮守
授与所:玉川神社(等々力)社務所
御朱印揮毫:稲荷神社 印判

■ 獅子山 西光院 行善寺

世田谷区瀬田1-12-23
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:玉川六阿弥陀霊場第4番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第26番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第1番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:阿弥陀如来 札番:なし 直書(筆書)

■ 喜楽山 教令院 慈眼寺

公式Web
世田谷区瀬田4-10-3
真言宗智山派
御本尊:大日如来・虚空蔵菩薩
元司別当:瀬田玉川神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第37番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第24番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第3番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第54番
〔玉川八十八ヶ所霊場第37番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第37番印判 書置(筆書)

■ 瀬田玉川神社

公式Web
世田谷区瀬田4-11-32
御祭神:日本武尊、大己貴命、少彦名命
旧社格:村社
元別当:喜楽山 慈眼寺(瀬田)
授与所:境内社務所
御朱印揮毫:瀬田玉川神社 直書(筆書)

■ 瘡守稲荷神社

世田谷区瀬田4-32-19
御祭神:倉稲魂命
瀬田玉川神社の飛地境内末社
授与所:瀬田玉川神社社務所
御朱印揮毫:瘡守稲荷神社 直書(筆書)

■ 妙隆山 玉川寺(身延山関東別院)

世田谷区瀬田4-12-4
日蓮宗
・御首題 印判


・御朱印 直書(筆書)

 
■ 寶泉山 玉真院(玉川大師)

世田谷区瀬田4-13-3
真言宗智山派
御本尊:弘法大師
札所:玉川八十八ヶ所霊場第5番、関東三十三観音霊場第10番、○世田谷三十三ヶ所観音霊場第25番

〔御本尊の御朱印〕

・御朱印尊格:遍照尊 札番:なし 直書(筆書)

〔玉川八十八ヶ所霊場第5番の御朱印〕

・御朱印尊格:遍照尊 玉川八十八ヶ所霊場第5番印判 直書(筆書)

〔関東三十三観音霊場第10番の御朱印〕

・御朱印尊格:大慈尊 関東三十三観音霊場第10番印判 直書(筆書)

■ 妙日山 妙蓮寺 両親閣東京別院(敬親玉川教会)

世田谷区瀬田4-13-4
日蓮宗
・御首題 直書(筆書)

■ 如意山 大空閣寺

公式Web
世田谷区瀬田4-21-15
真言宗豊山派
御本尊:虚空蔵菩薩
札所:玉川八十八ヶ所霊場第38番、○世田谷三十三ヶ所観音霊場第23番
〔玉川八十八ヶ所霊場第38番の御朱印〕
・御朱印尊格:虚空蔵菩薩 玉川八十八ヶ所霊場第38番印判 書置(筆書)

■ 用賀神社

世田谷区用賀2-16-26
御祭神:天照大神、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
旧社格:村社、旧用賀村鎮守
元別当:瑜伽山 眞福寺(用賀)
授与所:境内社務所 or 玉川神社?
御朱印揮毫:用賀神社 直書(筆書)

■ 瑜伽山 眞如院 眞福寺

公式Web
世田谷区用賀4-14-4
真言宗智山派
御本尊:大日如来
元司別当:用賀神社
札所:玉川八十八ヶ所霊場第39番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第21番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第66番
〔玉川八十八ヶ所霊場第39番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第39番印判 直書(書置)規定用紙

■ 祟鎮山 観音院 無量寺

世田谷区用賀4-20-1
浄土宗
御本尊:三尊阿弥陀如来
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場第22番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第5番
〔御本尊の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 阿弥陀如来 札判:なし 直書(筆書)

■ 岡本山 安養院 長円寺

世田谷区岡本1-20-1
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:玉川八十八ヶ所霊場第40番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第4番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第55番
〔玉川八十八ヶ所霊場第40番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第40番印判 直書(筆書)
※現在無住のようです。等々力の満願寺で拝受できます。

■ 鎌田山 地蔵寺 吉祥院

世田谷区鎌田4-11-18
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:玉川八十八ヶ所霊場第61番、玉川北百番霊場第14番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第56番
〔玉川八十八ヶ所霊場第61番の御朱印〕
・御朱印尊格:本尊 大日如来 玉川八十八ヶ所霊場第61番印判 直書(筆書)
※ご不在気味のようです。

■ 成城山 耕雲寺

公式Web
世田谷区砧7-12-22
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
〔福徳観世音大菩薩の御朱印〕
・御朱印尊格:福徳観世音大菩薩 直書(筆書)

■ 東光山 妙法寺

世田谷区大蔵5-12-3
日蓮宗
・御首題 直書(筆書)

■ 永劫山 華林院 慶元寺

世田谷区喜多見4-17-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:多摩川三十四観音霊場第4番、玉川六阿弥陀霊場第2番、小田急武相三十三観音霊場第6番、玉川北百番霊場第10番

〔御本尊の御朱印〕

・御朱印尊格:阿弥陀如来 直書(筆書)

〔多摩川三十四観音霊場第4番の御朱印〕

・御朱印尊格:十一面千手観世音菩薩 多摩川三十四観音霊場第4番 印刷 規定用紙

■ (喜多見)氷川神社

公式Web
世田谷区喜多見4-26-1
御祭神:素戔鳴尊、天照大神、稲田姫命
旧社格:郷社、旧喜多見村鎮守
元別当:禱善寺(喜多見)
授与所:境内社務所
未参拝です。御朱印授与情報あり。

■ 長徳山 宝寿院 光伝寺

世田谷区喜多見4-17-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
〔御本尊(玉川六阿弥陀霊場第3番)の御朱印〕
・御朱印尊格:阿弥陀如来 玉川六阿弥陀霊場第3番印判

■ 龍寶山 常楽寺 知行院

世田谷区喜多見5-19-2
天台宗
御本尊:薬師如来
札所:関東百八地蔵尊霊場第99番、玉川北百番霊場第12番

〔御本尊の御朱印〕

・御朱印尊格:醫王殿 印判:なし(御本尊) 直書(筆書)

〔関東百八地蔵尊霊場第99番の御朱印〕

・御朱印尊格:延命地蔵尊 関東百八地蔵尊霊場第99番印判 書置 規定用紙


【 BGM 】
Tim Heintz - We Live For Love


Norman Brown - Just Between Us


Earl Klugh - Whisper and Promises
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■ 東急線 花御朱印巡り 第2弾

期間は2024年5月6日(祝)まで。残り約1ヶ月です。
これから気候もよくなりますし、いかがですか。

■ ひらひら ひらら - ClariS


■ 桜 - 中村舞子


■ 朧月夜 - 中島美嘉


-------------------------
2024/01/06 UP

令和6年能登半島地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
また、被災者救助・支援に入られている皆様のご苦労・ご心労をお察し申し上げるとともに、被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

かたや世界各地の紛争も終息の気配がみえず、日々犠牲者が増えつづけている状況です。

**********
真言宗の勤行式のなかに「祈願文」(きがんぶん・きがんもん)があります。
わが国では、中世の昔から僧侶のみならず在家の人々もこのような大きな願いを営々と託してきたとは、おどろくばかりです。

祈願文

至心発願(ししんほつがん)
天長地久(てんちょうちきゅう)
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
密厳国土(みつごんこくど)

風雨順時(ふううじゅんじ)
五穀豊饒(ごこくぶにょう)
万邦協和(ばんぽきょうわ)
諸人快楽(しょにんけらく)

乃至(及以)法界(ないし(ぎゅうい)ほうかい)
平等利益(びょうどうりやく)


(意訳)愛宕山弘正寺様(愛知県岡崎市)の公式Webより引用
----------
真心を持って祈ります。
宇宙が永遠に存在し
すべての人がこの身このままで仏様になり
この世が仏様の世界となり

天地宇宙が順調に進み
農作物が豊かに実り
この世が平和で
人々が幸せであって

世界であまねく
仏様の恵みが平等でありますように

----------

こういう状況だからこそ、世の中の安寧と人々の幸せを願っての寺社巡りは意義あることなのかもしれません。

現在、■ 東急線 花御朱印巡り 第2弾が下記のとおり開催されています。

先般、西上州(群馬県西部)の寺院で企画実施された「ウクライナ難民支援御朱印」とは企画趣旨が異なりますが、東急グループが企業の社会貢献活動としてこの寺社巡り企画を能登半島地震復興支援に役立てる方策はあるのかも。
(ex.全額寄附の「復興支援御朱印」を追加するなど・・・)

東急沿線は生活に余裕のある方も多いですし、情報発信力の高い方も多くお住まいなので、このような方々の賛同を集めればさらに大きな動きとなるかもしれません。

個人の勝手なアイデアで申し訳ないですが、いちおう提起させていただきます。


-------------------------
2023/12/11 UP

先日結願しましたので、とりまとめてみます。





あらためて御朱印尊格をながめると、神仏霊場の趣きがあります。
真言宗の弘法大師御影、禅宗の「南無釋迦牟尼佛」、六字御名号(天台宗ですが)、日蓮宗の御首題も入って宗派的にもバラエティゆたかです。

それにしても、エリアが飛びまくるガイドブックの整理No.には最後まで苦しめられました(笑)
路線別に振っていったのが間違い(?)のもとかとも思いますが、鉄道会社の企画なのでいたしかたないところか・・・。

筆者がエリアを勘案して勝手につけた番号順に、寺社データといただいた御朱印をUPしていきます。

※ ( )はガイドブックの整理No.
※※ 写真 上(左)は東急花御朱印、下(右)は通常御朱印(御首題)。通常御朱印は以前拝受の(現行とことなる)ものもあります。


-------------------------
01.(1).金王八幡宮
東京都渋谷区渋谷3-5-12
御祭神:応神天皇
御朱印尊格:金王八幡宮
渋谷・青山地区総鎮守
元別当:東福寺

 

02.(12).(青山)熊野神社
東京都渋谷区神宮前2-2-2
御祭神:五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、伊弉冊命
御朱印尊格:青山 熊野神社社号
旧村社、神宮前・北青山総鎮守
元別当:浄性院

 

03.(11).金吾龍神社 東京分祠
東京都渋谷区代々木2-26-5 バロール代々木510
御祭神:大元尊神、国常立尊
御朱印尊格:金吾龍神社

 

04.(10).平田神社
東京都渋谷区代々木3-8-10
御祭神:神霊真柱平田篤胤大人命
御朱印尊格:平田神社(神代文字版もあり)
旧無格社

   
【写真 上(左)】 平田神社の花御朱印(漢字)
【写真 下(右)】 平田神社の花御朱印(神代文字)

  
【写真 上(左)】 同 通常御朱印(漢字)
【写真 下(右)】 同 通常御朱印(神代文字)

05.(20).(渋谷)氷川神社
東京都渋谷区東2-5-6
御祭神:素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴尊、天照皇大神
御朱印尊格:渋谷氷川神社
旧下渋谷村、豊沢村総鎮守
元別当:寳泉寺

  

06.(21).(上目黒)氷川神社
東京都目黒区大橋2-16-21
御祭神:素盞嗚尊、天照大御神、菅原道真公
御朱印尊格:上目黒氷川神社
旧上目黒村宿山組の鎮守

 

07.(22).世田谷山 観音寺 (世田谷観音)
東京都世田谷区下馬4-9-4
天台宗系単立系
御本尊:聖観世音菩薩
御朱印尊格:大悲殿(江戸観音霊場札番)
札所:江戸三十三観音札所第32番

 

08.(3).駒繋神社
東京都世田谷区下馬4-27-26
御祭神:大国主命
御朱印尊格:駒繋神社
旧無格社、旧下馬引沢村鎮守
元別当:寿福寺

 

09.(56).寶樹山 常在寺
東京都世田谷区弦巻1-34-17
日蓮宗
御本尊:久遠実成の釈迦牟尼仏
御朱印尊格:御首題(お題目)

 

10.(57).大悲山 明王寺 円光院
東京都世田谷区世田谷4-7-12
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
御朱印尊格:本尊不動明王(玉川霊場札番)
札所:玉川八十八ヶ所霊場第49番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第3番、玉川東組三十三ヶ所霊場(写坂東)第32番

 

11.(24).寶泉山 玉真院 (玉川大師)
東京都世田谷区瀬田4-13-3
真言宗智山派
御本尊:大日如来
御朱印尊格:弘法大師(御影)
札所:玉川八十八ヶ所霊場第5番、関東三十三観音霊場第10番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第25番

 

12.(55).(赤堤)六所神社
東京都世田谷区赤堤2-25-2
御祭神:大国魂命、伊弉冊尊、素戔嗚尊、布留大神、大宮売命
御朱印尊格:世田谷赤堤 六所神社
旧村社、旧赤堤村鎮守
元別当:西福寺

 

13.(59).(太子堂)八幡神社
東京都世田谷区太子堂5-23-5
御祭神:誉田別命
御朱印尊格:太子堂八幡神社
旧村社
元別当:圓泉寺

 

14.(23).用賀神社
東京都世田谷区用賀2-16-26
御祭神:天照大御神、応神天皇、菅原道真公
御朱印尊格:用賀神社
旧村社、旧用賀村鎮守
元別当:真福寺

 

15.(58).松陰神社
東京都世田谷区若林4-35-1
御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命
御朱印尊格:松陰神社
旧府社

 

16.(25).瀬田玉川神社
東京都世田谷区瀬田4-11-3
御祭神:日本武尊、大己貴命、少彦名命
御朱印尊格:瀬田玉川神社
旧村社
元別当:慈眼寺

 

17.(13).松林山 大圓寺(大円寺)
東京都目黒区下目黒1-8-5
天台宗
御本尊:釈迦如来
御朱印尊格:大黒天(山手七福神札番)
札所:山手七福神(大黒天)

 

18.(14).不老山 薬師寺 成就院 (蛸薬師)
東京都目黒区下目黒3-11-11
天台宗
御本尊:薬師如来
御朱印尊格:蛸薬師如来
札所:江戸薬師如来霊場三十二ヶ所(25番)

 

19.(16).霊雲山 称明院 蟠龍寺 (目黒岩屋辨天)
東京都目黒区下目黒3-4-4
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
御朱印尊格:辨財天(山手七福神札番)
札所:山手七福神(辨財天)

 

20.(15).天恩山 羅漢寺 (五百羅漢寺)
東京都目黒区下目黒3-20-11
浄土宗系単立
御本尊:釈迦如来
御朱印尊格:五百羅漢尊
札所:江戸・東京四十四閻魔参り第44番、江戸南方四十八地蔵霊場第3番、弁財天百社参り番外30

 

21.(2).實相山 正覚寺
東京都目黒区中目黒3-1-6
日蓮宗
御朱印尊格:御首題(お題目)

 

22.(4).(自由が丘)熊野神社
東京都目黒区自由が丘1-24-12
御祭神:速玉之男尊、伊弉冊命、泉津事解之男尊
御朱印尊格:自由が丘 緑が丘 熊野神社
旧村社、緑が丘一帯鎮守

 

23.(36).(旗岡)八幡神社 (中延八幡宮)
東京都品川区旗の台3-6-12
御祭神:誉田別尊、比売大神、息長帯比売命
御朱印尊格:旗岡八幡神社
旧郷社
元別当:法蓮寺

 

24.(46).(戸越)八幡神社
東京都品川区戸越2-6-23
御祭神:誉田別命
御朱印尊格:戸越八幡神社
旧村社、旧戸越村鎮守
元別当:行慶寺

 

25.(48).帰命山 如来寺 養玉院 (大井の大仏)
東京都品川区西大井5-22-25
天台宗
御本尊:釈迦如来
御朱印尊格:五智如来殿
札所:大東京百観音霊場第41番、荏原七福神(布袋尊)

 

26.(39).大井蔵王権現神社
東京都品川区大井1-14-8
御祭神:蔵王大権現
御朱印尊格:大井蔵王権現神社
大井権現台鎮守
札所:荏原七福神(福禄寿)

 

27.(47).居木神社(いるぎ神社)
東京都品川区大崎3-8-20
御祭神:日本武尊
御朱印尊格:居木神社
旧村社、大崎鎮守、旧居木橋村鎮守?
元別当:観音寺

 

28.(38).(下神明)天祖神社
東京都品川区二葉1-3-24
御祭神:天照大御神、応神天皇、天児屋根命
御朱印尊格:下神明 天祖神社
旧村社、旧蛇窪村(のち旧下蛇窪村)鎮守
元別当:東光寺

 

29.(37).蛇窪神社((上神明)天祖神社)
東京都品川区二葉4-4-42
御祭神:天照大御神
御朱印尊格:蛇窪神社
旧村社、旧蛇窪村(のち旧上蛇窪村)鎮守
元別当:長遠寺
札所:荏原七福神(弁財天)

 

30.(40).明鏡山 善行院 養願寺
東京都品川区北品川2-3-12
天台宗
御本尊:虚空藏菩薩
御朱印尊格:虚空藏尊
札所:東海七福神(布袋尊)

 

31.(49) .(下丸子)六所神社
東京都大田区下丸子4-16-5
御祭神:大己貴命、伊邪那岐命、素盞嗚命、大宮比売命、瓊々杵命、布留大神
御朱印尊格:六所神社
旧村社、旧下丸子村鎮守
元別当:蓮光院

 

32.(54).(多摩川)諏訪神社
東京都大田区多摩川2-10-22
御祭神:建御名方命、八坂戸売命
御朱印尊格:諏訪神社
多摩川二丁目地区(旧原地区)鎮守
元別当:東福寺
御朱印授与所:徳持神社(大田区池上3-38-17)

 

33.(42).長栄山 大国院 池上本門寺
東京都大田区池上1-1-1
日蓮宗大本山
御本尊:三宝尊
御朱印尊格:妙法
札所:池上の寺めぐり-朗師講第6番、東国花の寺百ヶ寺霊場東京第4番

 

34.(41).徳持神社(御幡山八幡宮)
東京都大田区池上3-38-17
御祭神:誉田別之命
御朱印尊格:徳持神社
旧無格社、旧徳持村鎮守
元別当:徳乗院

 

35.(45).(雪ヶ谷)八幡神社
東京都大田区東雪谷2-25-1
御祭神:誉田別命
御朱印尊格:雪ヶ谷八幡神社
旧村社、東雪谷六郷領鎮守
元別当:圓長寺、長慶寺

 

36.(50).新田神社
東京都大田区矢口1-21-23
御祭神:新田義興公
御朱印尊格:新田大明神
旧府社
元別当:真福寺
札所:多摩川七福神(恵比寿)

 

37.(52).十寄神社(とよせ神社)
東京都大田区矢口2-17-28
御祭神:新田義興公の支族および近習将兵
御朱印尊格:十寄神社
旧無格社
札所:多摩川七福神(毘沙門天)
御朱印授与所:徳持神社(大田区池上3-38-17)

  

38.(51).福田山 蓮花寺 花光院
東京都大田区矢口2-3-12
真言宗智山派
御本尊:大日如来
御朱印尊格:本尊大日如来(玉川霊場札番)
札所:玉川八十八ヶ所霊場第62番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第25番

 

39.(53).(東)八幡神社 (湯坂八幡)
東京都大田区矢口3-17-3
御祭神:誉田別命
御朱印尊格:東八幡神社
旧村社、旧古市場村鎮守
元別当:圓應寺
札所:多摩川七福神(弁財天)
御朱印授与所:徳持神社(大田区池上3-38-17)

 

40.(43).(久が原東部)八幡神社
東京都大田区久が原2-18-4
御祭神:誉田別尊
御朱印尊格:久が原東部八幡神社
旧村社、旧久ヶ原村(馬込領)鎮守
御朱印授与所:徳持神社(大田区池上3-38-17)

 

41.(44).(久が原西部)八幡神社
東京都大田区久が原4-2-7
御祭神:誉田別尊
御朱印尊格:久が原西部八幡神社
旧村社、旧久ヶ原村(六郷領)鎮守
元別当:安詳寺
御朱印授与所:徳持神社(大田区池上3-38-17)

 

42.(32).(武州柿生)琴平神社
神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5-46-15
御祭神:大物主神、天照大御神
御朱印尊格:武州柿生 琴平神社

 

43.(31).長尾山 薬王院 妙楽寺
神奈川県川崎市多摩区長尾3-9-3
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
御朱印尊格:阿弥陀佛
札所:関東百八地蔵尊霊場第83番、小田急沿線花の寺四季めぐり第21番

 

44.(30).神木山 長徳寺 等覚院
神奈川県川崎市宮前区神木本町1-8-1
天台宗
御本尊:不動明王
御朱印尊格:種子(カン)(東国花の寺霊場札番)
札所:関東三十六不動尊霊場第6番、関東九十一薬師霊場第16番、東国花の寺百ヶ寺霊場神奈川第5番、小田急沿線花の寺四季めぐり第16番

 

45.(29).高津山 大明王院(身代り不動尊)
神奈川県川崎市高津区下作延692
真言宗醍醐派
御本尊:不動明王
御朱印尊格:身代不動尊(武相不動尊霊場札番)
札所:武相二十八不動尊霊場第2番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第1番

 

46.(26).興林山 宗隆寺
神奈川県川崎市高津区溝口2-29-1
日蓮宗
御朱印尊格:諸天宝華

 

47.(27).医王山 薬師院
神奈川県川崎市高津区新作3-27-1
臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
御朱印尊格:薬師瑠璃光(稲毛七薬師霊場札番)
札所:稲毛七薬師霊場第7番

 

48.(28).松林山 安楽院 明鏡寺
神奈川県川崎市高津区末長2-27-42
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
御朱印尊格:南無阿弥陀佛(六字御名号)

 

49.(5).(丸子山王)日枝神社
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1-1555
御祭神:大己貴神(大国主神)
御朱印尊格:丸子山王 日枝神社
旧村社、丸子庄総鎮守
元別当:大楽院

 

50.(33).神鳥前川神社(しとどまえかわ神社)
神奈川県横浜市青葉区しらとり台61-12
御祭神:日本武尊、弟橘比売命
御朱印尊格:神鳥前川神社
元別当:萬福寺

 

51.(34).慈雲山 大林寺
神奈川県横浜市緑区長津田6-6-24
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
御朱印尊格:南無釋迦牟尼佛

 

52.(35).薬王山 医王院 福泉寺
神奈川県横浜市緑区長津田町3113
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
御朱印尊格:本尊薬師如来
札所:関東八十八箇所霊場第65番、関東九十一薬師霊場第17番、 武相寅歳薬師如来霊場第23番、富士見楽寿観音霊場第4番

 

53.(18).歸命山 安國院 無量寺
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町2021
高野山真言宗
御本尊:無量寿如来
御朱印尊格:無量寿
札所:武相寅歳薬師如来霊場第9番

 

54.(19).佛法山 般若院 東漸寺
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町2240
高野山真言宗
御本尊:不動明王
御朱印尊格:文殊菩薩
札所:関東八十八箇所霊場第67番、武相二十八不動尊霊場第12番、武相寅歳薬師如来霊場第8番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第28番

 

55.(7).菊名神社
神奈川県横浜市港北区菊名6-5-14
御祭神:誉田別命、天照皇大神、日本武尊、木花咲耶姫命、武内宿禰命
御朱印尊格:菊名神社
旧村社
元別当:本乗院、法華寺、長福寺

 

56.(17).八幡山 観音寺
神奈川県横浜市港北区篠原町2777
真言宗智山派
御本尊:十一面観世音菩薩
御朱印尊格:大悲殿 不動明王(2種あり)
札所:玉川八十八ヶ所霊場第82番、新四国東国八十八ヶ所霊場第24番

 

【写真 上(左)】 花御朱印(大悲殿(観世音菩薩))
【写真 下(右)】 花御朱印(不動明王)

 
【写真 上(左)】 通常御朱印(十一面観世音菩薩)
【写真 下(右)】 通常御朱印(阿遮羅殿(不動明王))

57.(6) .補陀洛山 安養院 西方寺
神奈川県横浜市港北区新羽町2586
真言宗系単立
御本尊:阿弥陀如来
御朱印尊格:黒阿弥陀
札所:武相二十八不動尊霊場第9番、旧小机領三十三観音霊場第15番、横浜七福神(恵比寿大神)、武相四十八ヶ所不動尊霊場第22番

 

58.(9).開塔山 日輪院 宗興寺
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6
曹洞宗
御本尊:聖觀世音菩薩
御朱印尊格:聖觀世音菩薩(小机観音霊場札番)
札所:旧小机領三十三観音霊場第8番、横浜市内三十三観音霊場第15番

 

59.(8).吉祥山 芳艸院 慶運寺(浦島寺)
神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
御朱印尊格:浦島聖観世音(小机霊場札番)
札所:旧小机領三十三観音霊場第9番

 


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2023/10/03 UP

2023年9月16日(土)~2024年5月6日(祝)、「東急線 花御朱印巡り 第2弾」が開催されています。→公式Web
東急線・東急バス沿線の59の寺社が参画、期間中「花」をテーマとした特別御朱印が授与されています。

第1弾は参加しませんでしたが、今回はトライしてみます。
10/1に専用御朱印帳をゲットしてすこしまわってみたので、感想や気になった点など書いてみます。


■ チラシ


1.寺社選定のコンセプト
↑の参画寺社リストをみてもわかるとおり、寺院宗派は多岐にわたり、特定の霊場をベースにしているものではなさそうです。
かなり渋めの寺社が参画されている一方、沿線を代表するメジャーな寺社が不参画だったりして、寺社選定のコンセプトがよくわかりません。

たとえば、豪徳寺、目黒不動尊(瀧泉寺)、目青不動尊(教学院)、祐天寺、嶺御嶽神社、浄真寺(九品仏)、等々力不動尊、多摩川浅間神社、溝口神社、師岡熊野神社、妙蓮寺、伊勢山皇大神宮などが不参画です。

2.御朱印帳
専用納経帳は3,500円(税込)といいお値段ですが、これがないと専用御朱印を授与されない寺社もありそうなので、よんどころなく購入することになります。
装丁はかなり華奢で傷つきやすいので、ビニールカバーがほしいところか。
(筆者は手元にあった大サイズ御朱印帳用のビニールカバーを装着しました。)



■ 専用御朱印帳

御朱印はすべて書置。
3,500円の高額御朱印帳なので四隅挿込み式を想定しましたが、ごくふつうののり貼り式でした。


■ 四隅挿込み式の例(養平寺/埼玉県熊谷市)

サイズは横12.1㎝×縦18.2㎝で、ほぼ大サイズ御朱印帳規格です。

筆者はワンデーパスセット(1日有効のワンデーパス(特別仕様)、専用御朱印帳、ガイドブック、4,000円(税込))を購入しました。
ワンデーパスは、通常780円で発売されているものの特別仕様です。


■ 特別仕様のワンデーパス

今回は東急バス沿線寺社の参画が目玉のようなので、鉄道のみの「ワンデーパス」ではなく「東急線・東急バス 一日乗り放題パス」(1,070円)がほしいところ。
4,000円(税込)の高額セットなので、そのくらいの振る舞いはあってもバチはあたらないかと。

3.ガイドブック
おそらくプロのデザイナーが入っているので、全体に綺麗な仕上がり。
でも、機能優先の霊場案内や御開帳手引に慣れている筆者にとって、これは使いにくいものでした。
全体図から沿線図に飛び、そこからさらに「御利益」毎にまとめられている寺社案内に飛ぶのでふた手間かかります。


■ ガイドブック

どうにも使いにくいので、↑のとおり一覧をつくってみました。
なお、ガイドブックで整理No.は振られていますが、これは「札番」とは異なるもののようです。


御朱印対応時間は概ね9時~16時ないし16時半。
17時までの対応は少数で、これは日の短い秋~春の企画ゆえいたしかたないかも。
期間はたっぷりあるし、見どころの多い寺社多数なので、時間をかけてゆったりまわるのがベターかと。

4.御朱印授与料
ガイドブックには明示なしですが、多くの寺社が500円の模様です。(通常御朱印が300円のところも500円)

なので、最大59枚×500円+御朱印帳セット4,000円=33,500円となります。
収まらぬ物価高騰、下がりつづける実質賃金。
しかも10月からのインボイス導入でさらに景況の悪化が懸念されている状況で、寺社巡りに大枚3万円以上もはたいて参加する人がはたしてどれだけいるかどうか・・・。

全寺社の御朱印コンプリートというより、自宅近くの、日頃お参りしている寺社の特別御朱印ゲットというニーズがメインでは?
あるいは、交通費や宿泊費高騰で旅行を諦めた人が、身近なレジャーとしてトライするニーズもあるかも。
なんか、だんだんと家のそばの写し霊場を廻っていた江戸時代に回帰しているような・・・(笑)

【追記】
その後巡拝したところでは、お納め300円の寺社もそれなりにありました。
とくに川崎市内の寺院の多くは300円で、↑ の概算額よりは低額で巡拝できるかと思います。


【写真 上(左)】 上目黒氷川神社の花手水
【写真 下(右)】 渋谷氷川神社の花手水


まぁ、いろいろ書きましたが、趣きある寺社も多いし、御朱印も美しいのでこれはこれでありかと思います。

全59社寺のほとんどの通常御朱印を拝受していますので、これから随時花御朱印と通常御朱印を比較できるかたちでご紹介していきます。

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前回(第1弾)の紹介記事がみつかりましたのでリンクします。
期間は2022年4月29日(金)~2022年10月31日(月)
参加対象寺社は下記の48寺社でした。

日蓮宗本山 池上大坊 本行寺、日蓮宗大本山 池上本門寺、長尾山 妙楽寺、興林山 宗隆寺、宗興寺、吉祥山 慶運寺、宮益御嶽神社、松林山 明鏡寺、下神明天祖神社、寶樹山 常在寺、満願寺、たこ薬師 成就院、臥龍山 安養院、名楽山 森立寺 密蔵院、薬王山 医王院 福泉寺、上目黒氷川神社、正覚寺、大崎鎮守 居木神社、摩尼山 延壽院 徳恩寺、菊名神社、高田天満宮、松陰神社、蟠龍寺、赤堤六所神社、桜神宮、神鳥前川神社、浅間神社、新田神社、本牧神社、雪ヶ谷八幡神社、太子堂八幡神社、旗岡八幡神社、世田谷八幡宮、戸越八幡神社、千束八幡神社(洗足池八幡宮)、寶泉山 玉眞院 玉川大師、長谷山 祥泉院、補陀洛山 西方寺、天恩山 五百羅漢寺、松林山 大圓寺、蛇窪神社、身代り不動尊 大明王院 川崎本山、円光院、泉福寺、神木山 等覚院(神木不動)、八幡山観音寺、等々力不動尊、蒲田不動尊 大楽寺


※ 関連記事
■ 東京都世田谷区の札所と御朱印 (前編)
■ 東京都世田谷区の札所と御朱印 (後編)


【 首都圏の私鉄と霊場札所 】
京成電鉄の歴史は成田山新勝寺への参詣客輸送を鏑矢とする説があるように、首都圏の私鉄と著名参詣地との関係は密接なものがありました。

京成は成田山新勝寺や柴又帝釈天、東武本線系は日光・足利・赤城、東武東上線は川越・秩父・三峯、西武は飯能・秩父・三峯、京王は高尾山・八王子・府中、小田急は大山・箱根・江ノ島、京急は川崎大師・三浦など、名だたる参詣地を擁しています。

一方、東急は通勤・通学路線としての色彩が強く、決定的な参詣地はみあたりません。
昭和初期、私鉄各社で沿線の寺院を巡る霊場札所が相次いで設けられたのに対し、東急ではそのような動きがみられなかったのは、このような背景があったからかもしれません。

それでも、格式の高い神社や名刹には事欠きませんので、遅ればせながら(?)このような企画が導入されているのかも。

なお、昭和初期に私鉄が主導した霊場は、現在「幻の霊場」的な存在となっており、現役霊場として活動しているのは西武の武蔵野三十三観音霊場くらいです。
西武は秩父三十四箇所霊場、狭山三十三観音霊場ともにサポート的な動きをしており、沿線で百観音すべての御朱印が揃う、貴重な例となっています。

また、三浦半島の各霊場(観音、不動尊、薬師、地蔵尊など)の御開帳時に京急が後援に入る例もみられます。


※ご参考(別記事「■ 希少な札所印」から一部転載)

■ 小田急武相三十三観音霊場(小田急電鉄)



天桂山 王寶寺
小田原市扇町5-1-28
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所:〔小田急武相三十三観音霊場第24番〕
札所本尊:十一面観世音菩薩

昭和11年(1936年)、小田急電鉄が企画し沿線寺院によって札所が選定された観音霊場。

発願は新宿の天龍寺、第4番で経堂、第7番で向ヶ丘遊園、第10番で町田、第13番で海老名、第15番で厚木、第21番で秦野、第24番で小田原に至り、第33番結願はなぜか鎌倉・腰越の満福寺なので、江ノ島線利用の巡拝も兼ねていたと思われます。

宗派は多彩ですが、比較的禅宗が多く歴史ある名刹が目立ちます。
札所33ヶ寺のほか、特別霊場として豪徳寺、伊勢原の日向薬師、大山寺、大雄山最乗寺、藤沢の清浄光寺(遊行寺)のメジャー5寺院を招聘し、豪華な顔ぶれとなっています。
札所一覧は→こちら(「ニッポンの霊場」様)

このような鉄道会社が企画した霊場は、京成の「東三十三観音」、西武の「武蔵野三十三観音」、京王の「京王三十三観音」などがありますが、現役の霊場として活動しているのは「武蔵野三十三観音」のみとみられます。

札所印は稀少ですが、小田原の王寶寺(五百羅漢)でいただけました。
札所本尊は十一面観世音菩薩のようですが、御朱印尊格は御本尊(釈迦如来)でした。
古の観音霊場の場合、よくみられるケースです。
札所印は「小田急沿線武相観音第二十四番」と読めます。


■ 京王三十三観音霊場(京王電鉄)




第33番結願寺 福聚山 慈眼寺(八王子市長房町)の御朱印

三栄山 常行院 大正寺
調布市調布ケ丘1-22-1
新義真言宗
御本尊:大日如来
札所:〔京王三十三観音霊場第15番〕、多摩新四国八十八ヶ所霊場第5番、多摩川三十四観音霊場第8番、調布七福神(恵比寿)
札所本尊:十一面観世音菩薩

「ニッポンの霊場」様によると、「観光ブーム+電車利用の促進を目的に、京王電鉄と沿線の寺院によって霊場札所が選定された。」とのこと。
開創時期、開創の経緯など詳細は不明です。

発願は新宿の天龍寺、第6番で下高井戸、第10番で調布、第18番で府中、第24番で八王子に至り、結願は八王子の慈眼寺です。
鉄道系の札所だけあって宗派は変化に富み、多摩川三十四観音、多摩八十八ヶ所、八王子三十三観音、武相卯歳四十八観音との重複札所がかなりあり、京王観音霊場の御朱印を出されている札所もいくつかありますが、どことなく通向けのイメージがある霊場です。
これは、兼務の霊場じたいがかなりマニアックなためと思われます。

発願寺の天龍寺は現在御朱印不授与のようですが、筆者の調べでは33の札所のうち31で、御朱印ないし御首題を授与されている模様です。
(ただし、京王観音霊場の札所印つきは数箇寺。大正寺様のように、現役の兼務札所がありながら、京王観音霊場の札所印をいただける例は希だと思われます。)

布多天神社のそばにある、すこぶる趣きのある寺院です。
京王三十三観音霊場の札所本尊は多摩川三十四観音霊場と同様、立入禁止の庭園おくにある観音堂に御座します。


■ 東三十三観音霊場(京成電鉄)




明王山 不動院 寳性寺
葛飾区堀切2-25-21
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:〔南葛八十八ヶ所霊場(いろは大師)第60番〕、〔(京成)東三十三観音霊場第4番〕、荒綾八十八ヶ所霊場第12番、荒川辺八十八ヶ所霊場第62番、隅田川二十一ヵ所霊場第8番
札所本尊:不動明王

南葛八十八ヶ所霊場(いろは大師/大心講)も比較的古く、御朱印拝受がむずかしい霊場です。
こちらではこの南葛霊場札所印のみならず、希少な東三十三観音霊場(昭和十年京成電車が企画した霊場)の印判もいただけました。

御本尊の不動明王で、「南葛八十八ヶ所いろは大師第六十番」と「東第四番」の印判が別個に捺されています。
こちらは他に荒綾八十八ヶ所霊場12番、荒川辺八十八ヶ所霊場62番、隅田川二十一ヵ所霊場8番の札所も兼ねていますが、霊場を申告せずにお願いしたところ、この御朱印を拝受できました。

なお「南葛八十八ヶ所霊場」は2系統あります。
 1.「いろは大師」(大心講)と呼ばれ、発願は葛飾区奥戸の善紹寺、結願は葛飾区奥戸の妙厳寺
 2.通称名は不明。発願は江戸川区東小松川の善照寺、結願は江戸川区東小松川の宝積院
(2については、「南葛新四国霊場」と呼ばれることもあるようです。)
一部の札所は重複し、このふたつの南葛霊場の識別をよりむずかしいものにしています。

たとえば、「いろは大師」の葛飾区鎌倉の札所は「南葛八十八ヶ所まんだら六ヶ所参り」として、毎年11月下旬の1日のみ御開帳(というか巡拝)されます。
この6札所のうち、浄光院(1.では第14番、2.では第55番)、輪福寺(1.では第17番、2.では第56番)は札所が重複していますが、「六ヶ所参り」では、1.の「いろは大師」の御朱印が授与されます。


■「南葛八十八ヶ所まんだら六ヶ所参り」の御朱印

どちらも御朱印拝受がむずかしいですが、「1.いろは大師」の方が授与札所は多そうです。(調査中)


【 BGM 】
■ A Perfect Rain - John Jarvis


■ Getaway - Keith Thomas feat. Halston Dare


■ The Time Is Now - Michael Omartian
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■ 美女神社

2021/08/20・2020/10/13 更新UP / 2019/10/22 UP

御朱印と写真を追加しました。

・当社を含む「朝霞五社巡り」の記事もご覧くださいませ。
・お隣の志木市には志木開運・招福七社参りもあります。

朝霞市の黒目川~志木市の新河岸川周辺は桜の名所です。
春先に巡ってみるのもいいかもしれません。


【写真 上(左)】新河岸川の桜
【写真 下(右)】敷島神社の桜


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美女祈願の寺社はかずかずあれど、そのものズバリの「美女神社」。
先日発刊された「御朱印でめぐる埼玉の神社」(ダイヤモンド・ビッグ社)に掲載されているのですでにご存じの方もいるかと思いますが、埼玉県朝霞市に鎮座する神社です。
御朱印授与開始は比較的最近(2018年夏ごろ?)と思われます。

埼玉県朝霞市田島2-16-33
御祭神:市杵島姫命
旧社格:- 、田島神明神社の飛地境内社
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:美女神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫の足あと」様



 

朝霞市の荒川寄りの、なかなか行きにくい場所にあります。駐車場はおそらくないと思います。
詳細は「猫の足あと」様で紹介されていますのでこちらを



境内の由緒書によると御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
古くから「美宮」「宇津久志の宮」「うつくしさま」と親しまれ、子供の病気を治したり、健康を守る神様として信仰されてきたとのこと。

社号の由来については、由緒書では、一説として「いちきしま→うつくしさま」の訛化をあげていますが、荒川の対岸、首都高のジャンクションで有名な美女木には「美女」にちなむ伝承があり、これと何らかの関係があるかもしれません。(戸田市美女木には、美女木八幡神社という神社があります。)

『新編武蔵風土記稿 巻之155足立郡21』(国立国会図書館DC)より。
「美女木村ハモト上笹目ト云ヒシカ後今ノ村名トナリシ 謂レハ古へ京師ヨリ故アリテ美麗ノ官女数人当所ニ来リ居リシコトアリ 其頃近所ノモノ当村ヲサシテ美女来トノミ呼シニヨリ イツトナク村名ノ如クナリユキテ其古名ヲハ失ヒタリト云」
この地に京から数名の美麗の官女が来て居住したため「美女来」と呼ばれ、それがいつしか村名となったという、明らかに「美女」由来の伝承があります。

なお、「美女木」は「美女来」からの訛化かもしれません。

当社の御祭神、市杵島姫命は古くから水、美、芸能などと関係の深い尊格として尊崇されているので、関わりはあるとみていいのかもしれません。
〔 追記 〕
宮戸神社の公式Webに「子どもの神様とも言われ、疱瘡やはしか、百日咳になったときは、社殿の大きな鈴についている布を腕に巻いてお願いすると、痕が残らず美女になると言われ(中略)現在でも子供の七五三の時などには参詣する人が多く賑わいを見せます。」とあり、「美女」との関連が確認できました。

ちなみに、弁財天は神仏習合では市杵島姫命の本地仏とされ、ちかごろ美人の神様・美人証明で有名な足利の「美人弁天」は市杵島姫命の御分身とされます。
また、美人祈願で有名な江島神社・中津宮も市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。
(下記をご覧ください。)

メイン道路から少し引き込んだところにあるので、通りがかりに気づくことはまずありません。
社頭、玉垣の親柱に「美女神社」の社号。由緒書と最近建てられた「朝霞五社巡り」の案内板。
(先日巡拝しましたので、近日UPします。)
鳥居は石造丸柱で貫の抜けがない神明系です。



石敷の参道のすぐ先に社殿。一間社流造で、社殿では比較的めずらしい桟瓦葺です。
妻部に経の巻3個の獅子口は、これも社殿としてはめずらしいもの。
向かって右の妻部軒下に「美女宮」の扁額を掲げます。
向拝柱上部に斗栱、水引虹梁に木鼻と彫刻、中備に板蟇股、軒天に二軒の平行垂木。
正面の桟唐戸は閉されているので、御内陣は拝めません。

御朱印は朝霞市内に鎮座する(宮戸神社)の兼務社である(天明稲荷神社)で拝受できます。
近くの((田島鎮座)神明神社)(旧村社)の飛地境内社的な位置づけなので、神社印は現在のところ(田島鎮座)神明神社のものを捺印されているそうです。
※リンクは「『猫の足あと』様」に貼らさせていただいています。


【写真 上(左)】 宮戸神社
【写真 下(右)】 お守り

宮戸神社の御祭神、面足尊は「身体と容貌の完備した最初の神」とされ、これにあやかってか、両社の社務を務められている天明稲荷神社では「美男守」「美女守」が授与されています。

〔追加情報-2019/10/22〕
美女神社の御朱印が新しくなっていました。
神社印が新調され、カラーの書置タイプも授与されています。(揮毫御朱印も可)
わたしはカラー御朱印と墨朱御朱印の選択ができる場合、ふつうは墨朱タイプを拝受しますが、このカラー書置御朱印はたいへん綺麗で、思わずこちらを拝受していました(笑)
天明稲荷神社では朝霞市内の5社をまわる「朝霞五社巡り」を始められていますが、それに合わせてか御朱印代も500円になっていました。→ ( 「朝霞五社巡り」の記事


美女神社の御朱印(新/カラー書置Vers.)

 
【写真 上(左)】 美女神社の御朱印(新/御朱印帳書入Vers.)
【写真 下(右)】 美女神社の御朱印(旧Vers.)


【写真 上(左)】 (田島鎮座)神明神社の御朱印
【写真 下(右)】 同、カラー書置御朱印
※即位礼正殿の儀当日の神明神社(御祭神天照皇大神)の御朱印です。


本社の神明神社(天照皇大神)の光により、境内社の美女神社(市杵島姫命)が照らされ、鳳凰を舞い踊らせながら輝く、という美しい図柄の御朱印です。


お正月、3月、夏休み限定授与の御朱印です。


南隣の和光市には御朱印を授与される寺社が複数あり、北隣の志木市では日にち限定ながら「田子山富士塚」の御朱印が授与されるなど、このあたり、御朱印スポットとしての機運が高まっているのかもしれません。

【写真 上(左)】 田子山富士塚の御朱印
【写真 下(右)】 田子山富士塚の隣に鎮座する敷島神社の御朱印

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※ 追加です
この際なので(笑)、美人祈願に関連する尊格が御座され、御朱印を授与されている寺社の御朱印もご紹介します。

江島神社・中津宮
神奈川県藤沢市江の島2-3-21
御祭神:市寸島比責命(いちきしまひめのみこと)


美人弁天(明石弁天)
栃木県足利市本城2-1860
御祭神:美人弁天(厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身)

【写真 上(左)】 美人弁天の御朱印
【写真 下(右)】 足利七福神では、本城厳島神社(明石弁天)の御朱印となります。

雷電神社境内の弁財天
群馬県板倉町板倉2334
御祭神:弁財天(公式Webに「別の名を市杵島姫命」)


上神明天祖神社(蛇窪神社)の弁財天
東京都品川区二葉4-4-12
御祭神:厳島弁天社の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

【写真 上(左)】 蛇窪神社の弁財天の御朱印
【写真 下(右)】 蛇窪神社の蛇窪祭の御朱印

穏田神社
東京都渋谷区神宮前5-26-6
御祭神:淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、櫛御食野神


櫻木神社境内の川屋神社
千葉県野田市桜台210-1
御祭神:埴山姫神(はにやまひめ)、弥都波能売神(ミヅハノメ)
※植村花菜のヒット曲で歌われていた「トイレの神様」です。


☆トイレの神様/植村花菜


川崎大師(金剛山平間寺)しょうづかの婆さん
神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
尊格:しょうづかの婆さん


【写真 上(左)】 しょうづかの婆さん
【写真 下(右)】 川崎大師の御朱印

霊雲山 蟠龍寺のおしろい地蔵尊
東京都目黒区下目黒3-4-4
尊格:おしろい地蔵尊


おしろい地蔵尊


【写真 上(左)】 岩屋辨天の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印

梧棲山 玉鳳寺の御化粧延命地蔵尊
東京都港区三田4-11-19
尊格:御化粧延命地蔵尊

【写真 上(左)】 御化粧延命地蔵尊の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印

※ ↑ の「御祭神」「尊格」は美人祈願に御利益ありとされる尊格で、主祭神、御本尊とはことなる場合もあります。

美人祈願の神社で御朱印をいただける神社は京都の下鴨神社の摂社、河合神社、八坂神社の境内社、美御前社などが有名ですが、関東にも ↑ のようにいくつかあります。
ほかにも見つかったら追加していきます。

また、萌え寺で有名な八王子の了法寺は、八王子七福神の弁財天をお祀りされています。
了法寺のキャラ(たしかにけっこうかわいい(笑))


【 BGM 】
二木蒼生 × 熊田このは - A Whole New World / 2020/01/12 「あおいとこのは SPECIAL 2マン STAGE」溝ノ口劇場


三阪咲 × 富金原佑菜 - Y / C&K / 2018/09/17 あべのAステージ


ClariS『アンダンテ』 Music Video 【TVアニメ「狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF」エンディングテーマ】


■ kalafina - into the world
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■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編&全記事のリスト)

記事リストのリンクが錯綜して、バックナンバー(UP済記事)がたどりにくくなっていましたので、末尾に最新の記事リスト&リンクをまとめてみました。

秋~冬の鎌倉もいいですが、やはり花で彩られる春の鎌倉は格別です。
気の向くままに、巡ってみてはいかがでしょうか。


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2022/01/22 UP


【写真 上(左)】 鶴岡八幡宮参道
【写真 下(右)】 建長寺半僧坊大権現からの相模湾


【写真 上(左)】 安国論寺(大町)
【写真 下(右)】 満福寺の義経腰越状の像(腰越)


鎌倉といえば寺社、寺社といえば鎌倉。
鎌倉にはいったいどのくらいの寺社があるのでしょうか。

鎌倉市統計書によると、平成29年の宗教法人数(P.130)は仏教系寺院で121、神道系神社で41となっています。宗教法人数と寺社の数は厳密には一致しないとは思いますが、Web上で寺社数150程度としている情報がみられるので、おおむねその程度なのでしょう。

同統計書(P.132)によると平成28年の各寺社(有料)の年間観光客数は582万人、鶴岡八幡宮1,184万人、銭洗弁財天120万人で、これだけで年間1,886万人、月で157万人、日で5.1万人ですから、その数はハンパではありません。(ちなみに鎌倉市の人口は17万人程度)

じつは、神奈川県資料をみると、鎌倉市の宗教法人数は際立って多い訳ではありません。

1.横浜市 1,092
2.川崎市 334
3.小田原市 256
4.横須賀市 237
5.相模原市 215
6.鎌倉市 174
6.平塚市 174
8.伊勢原市 170
9.厚木市 138
10.秦野市 111

市域の広い政令指定都市の横浜、川崎、相模原はさておき、小田原、横須賀より少なく、平塚と同数です。
それでも鎌倉に「寺社だらけ」のイメージがあるのは、寺社が特定のエリアにかたまっていること、著名な観光寺社が多いことなどが原因と思われます。
しかも、多くの寺院は複数の札所を兼ね、数種の御朱印を授与されているので、拝受できる御朱印の数はおのずから多くなります。
やはり、鎌倉は「御朱印王国」といってもいいのだと思います。

鎌倉でいただける御朱印・御首題はほぼ拝受した気がするし、今年は鎌倉をメイン舞台とするNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も放映されるので、無謀な試みとは思いつつも、一念発起してこれまでいただいた御朱印・御首題をご紹介することとしました。

【エリア概要】
鎌倉は平安時代に相模守となった清和(河内)源氏直系の源頼義公が戦で勝利した際、源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を勧請し、康平六年(1063年)鶴岡八幡宮(元八幡・現在の由比若宮)の地に社殿を造営、頼義公の子、八幡太郎義家公も永保元年(1081年)八幡宮を改修と伝わり、天養二年(1145年)頃には頼朝公の父、義朝公が寿福寺のあたりに住んでいたと伝わります。
このように源氏は平安時代より鎌倉と深いつながりをもっていました。

旗揚げ後の石橋山の合戦で大敗を喫し安房国に逃れた源頼朝公に対し、地元の豪族千葉介常胤が「今いる所(房総半島)は、敵襲を受けたとき防ぐには適当な場所ではなく、源家ゆかりの地でもない。速やかに相模国の鎌倉に赴くべきである。」と鎌倉入りを薦め、これを受けて頼朝公が入ったとされます。(吾妻鏡)

鎌倉は南方を相模湾、残り三方を山に囲まれた天然の要害で、陸上交通や物資の搬入は困難をきわめました。市中も狭隘で、いまでも車での鎌倉入りは苦労の多いものとなっています。

往年の鎌倉の中心地はおそらく雪ノ下の鶴岡八幡宮~若宮大路で、そこから、相模湾と七口とも八口とも云われる切り通しに向かって寺社が分布します。
鎌倉七切通しは朝比奈(朝夷奈)切通し(北東)、名越切通し(東)、極楽寺坂切通し(南西)、大仏切通し(西)、化粧坂切通し(北西)、巨福呂坂切通し(北)、亀ヶ谷坂切通し(北)とされています。
この切り通しの内側のすべてのエリアにバランスよく観光寺社が立地し、見どころが分散しているのが観光都市・鎌倉の強みだと思います。(北鎌倉エリアは切り通し外))

なお、切り通し外側の寺社は観光客もすくなく中心部とはいささか趣きが異なります。

鎌倉の寺院は、将軍家や北条執権家、鎌倉御家人ゆかりのものが多く、歴史の香りが高くなっています。山内が名勝となり、拝観料が必要な寺院も少なくありません。

宗派は、禅宗が多くメインエリアでは臨済宗建長寺派、臨済宗円覚寺派が目立ち、曹洞宗寺院は多くはありません。
密寺では真言宗では高野山真言宗、御室派、大覚寺派、泉涌寺派や真言律宗がメインで、新義真言宗はほとんどありません。天台宗寺院も比較的少なくなっています。
浄土宗は材木座に大本山光明寺があり、その影響か浄土宗寺院も比較的多いです。
時宗もおとなりの藤沢市に総本山清浄光寺(通称 遊行寺)があるためか、複数みられます。

鎌倉は日蓮聖人ゆかりの地で、霊跡寺院や由緒寺院、著名な寺院が複数立地します。
妙本寺、本覚寺、安国論寺などがその例です。


【写真 上(左)】 妙本寺の御首題
【写真 下(右)】 安国論寺の御首題

龍ノ口法難ゆかりの霊蹟寺院龍口寺は藤沢市ですが、輪番制度を担った龍口寺輪番八ヶ寺のうち六ヶ寺が鎌倉市内に位置しています。

【鎌倉と札所】
鎌倉は霊場札所のメッカです。
超メジャー霊場、坂東三十三箇所(観音霊場)は鎌倉・杉本寺からの打ち始めです。

【写真 上(左)】 坂東霊場初番・杉本寺の御朱印
【写真 下(右)】 坂東霊場第3番・安養院の御朱印

鎌倉のメジャー霊場として鎌倉三十三観音霊場、鎌倉二十四地蔵霊場、鎌倉・江ノ島七福神があり、現役霊場として円覚寺百観音霊場、鎌倉十三仏霊場、鎌倉六阿弥陀霊場、これに知名度は低いですが相州二十一ヶ所霊場が加わり、さらに認知度の低い相模国準四国八十八ヶ所霊場、鎌倉郡三十三観音霊場の札所が点在します。


■ 鎌倉三十三観音霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 観音霊場発願の御朱印(杉本寺)
【写真 下(右)】 観音霊場結願の御朱印(円覚寺佛日庵)


■ 鎌倉二十四地蔵霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 地蔵霊場発願の御朱印(宝戒寺)
【写真 下(右)】 地蔵霊場結願の御朱印(安養院)


■ 相州二十一ヶ所霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所発願の御朱印(宝戒寺)
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所結願の御朱印(荘厳寺)


【写真 上(左)】 鎌倉十三仏霊場発願寺の御朱印(明王院)
【写真 下(右)】 鎌倉十三仏霊場結願寺の御朱印(星井寺)


【写真 上(左)】 円覚寺百観音霊場第1番の御朱印
【写真 下(右)】 円覚寺百観音霊場第100番の御朱印頁(未拝受)

霊場とはいえないかもしれませんが、鎌倉五山は有名で、鎌倉寺院御朱印の入門コースとしているガイドもあります。(じつは、さりげに難易度高いのですが・・・(笑))
日蓮宗寺院では龍口寺輪番八ヵ寺のうち六ヶ寺が鎌倉市内です。


【写真 上(左)】 鎌倉五山第一位 建長寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第一位 建長寺の扁額


【写真 上(左)】 鎌倉五山第二位 円覚寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第三位 寿福寺の御朱印


【写真 上(左)】 鎌倉五山第四位 浄智寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第五位 浄妙寺の御朱印

広域霊場では、坂東三十三箇所(観音霊場)、東国花の寺百ヶ寺霊場、関東八十八箇所、新四国東国八十八ヶ所霊場、関東九十一薬師霊場、関東百八地蔵尊霊場、七観音霊場、小田急沿線花の寺四季めぐりの札所があり、まさにカオス的状況となっています。


【写真 上(左)】 七観音霊場の御朱印・光明寺
【写真 下(右)】 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印・補陀洛寺

鎌倉は現役霊場比率が高く、ひとつの寺院で4~5種類程度の御朱印を授与される例はざらで、「御朱印をいただきたい」旨の申告をするとすかさず「何の御朱印ですか?」と切り返されるケースもあります。
また、地蔵尊霊場や十三仏霊場は境外仏堂も多く、御朱印申告をすると「お地蔵さまの場所はわかりましたか?」などと訊かれたりします。
快く一度に数種の御朱印をいただける札所もあれば、1回の参拝でひとつだけとされている寺院もあります。

観光寺院が多い鎌倉ですが、このように御朱印難易度はけっこう高く、御朱印コンプリートを目指す向きは、事前に霊場についてしっかり押さえられたほうがベターかと。
また、霊場をきっちり巡拝したいならば、専用納経帳をつくることをおすすめします。

おどしめいたことをいろいろ書きましたが(笑)、とくに知識がなくても容易く御朱印をいただける寺社ももちろんたくさんあります。
間口の広い観光寺院とマニアックな知る人ぞ知る系寺院が混在する鎌倉は、さながら「御朱印のパラレルワールド」ともいえましょう。

【鎌倉の寺社の回り方】
鎌倉の寺社を車でまわるか、歩いてまわるかは難しい選択です。
中心部をまわるには鉄道+バス+徒歩が無難ですが、繁忙期には電車もバスもかなり混み、バスでは乗り残しが出たりします。
鎌倉は地形的に抜け道・裏道が少なく交通規制も多いので、繁忙期に鎌倉に車で突入するのはほとんど自殺行為です。

ただし、周辺部は車が圧倒的に便利で、中心部でも平日はそれなりに走れるし、コインパーキングも増えてきました。(探せばけっこう良心的な料金のところもあり)
なので、週末は鉄道・バス・徒歩、平日ならば車という選択もありかと思います。

鉄道の便は、横須賀線が直通している千葉方面からは以前からよく、2001年からは湘南新宿ラインが運行開始したので、埼玉方面からのアクセスも向上しました。
変わったところでは、繁忙期の週末に不定期運行される「ホリデー快速 鎌倉」号で、武蔵野線から武蔵野貨物線(武蔵野南線)に入り、鶴見・生麦あたりから東海道線、大船から横須賀線に入るという変則ルートで、普段は乗れない武蔵野貨物線(武蔵野南線)に乗れるので、鉄道ファンには有名な列車です。(全席指定)

鎌倉の第2の玄関口である「北鎌倉」駅は従来、円覚寺寄り(逗子方)の改札のみで、ホームが狭いため、シーズン週末午前などは大船寄りの車両から降りると大混雑に巻き込まれました。
生徒通学専用として設置された下り線大船側出口が平成29年4月から臨時改札口として利用できるようになったため(情報)、いまはさほどでもないかもしれませんが、臨時改札は交通系ICカード専用で精算はできません。なので、いずれにしても北鎌倉下車の場合は前寄り(逗子寄り)の車両に乗るのがベターです。

県央方面からだと、藤沢から江ノ電で鎌倉に入る手があり、車窓は楽しめますがけっこう時間はかかります。腰越、極楽寺、長谷あたりで下車して寺社を回るなら、江ノ電1日乗車券『のりおりくん』がお得です。

北鎌倉、二階堂、浄妙寺あたりの寺院は高低差が大きく見どころも多い大寺が多く、参拝に思いのほか時間を要します。佐助方面の神社アクセスもほとんどハイキングコースです。
よくばらずに、エリアを絞り時間をかけてじっくりまわるのが鎌倉寺社めぐりのポイントかと思います。

季節については、鎌倉はもともと湿気が多いので梅雨~夏場の暑気は耐え難いものがあります。
春は花、晩秋は紅葉と、それぞれに混み合います。
なので、一番のおすすめは空気が乾いて陽射しの明るい冬場~春先です。修学旅行生は多いですが、紅葉前で暑さが落ち着いた10月あたりもおすすめです。

鎌倉の寺社をまとめるには、やはりエリア別がわかりやすく、観光ガイドもたいていそのようになっています。
この記事もこれに従い、東から西、北から南の流れで括ってみたいと思います。


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それでは順にご紹介していきます。(連載形式とし、時間をかけていきます。)

■ 鎌倉の御朱印-2(A.朝夷奈口)へつづく


【 記事リスト 】

■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)

■ 鎌倉市の御朱印-2 (A.朝夷奈口)

1.十二所神社 /鎌倉市十二所
2.岩蔵山 光觸寺 /十二所
3.飯盛山 明王院 /十二所
4.稲荷山 浄妙寺 /浄明寺

■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)

5.(浄明寺)熊野神社 /浄明寺
6.長盛山 松久寺 /浄明寺
7.功臣山 報国寺 /浄明寺
8.大蔵山 杉本寺 /二階堂

■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)

9.荏柄天神社 /二階堂
10.鎌倉宮 /二階堂
11.南方社・村上社 /二階堂
12.錦屏山 瑞泉寺 /二階堂

■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)

13.鷲峰山 覚園寺 /二階堂
14.(西御門/大蔵)白旗神社 /西御門
15.満光山 来迎寺 /西御門
16.鶴岡八幡宮 /雪ノ下 ※現況御朱印のみ掲載。
17.(鶴岡八幡宮境内)白旗神社 /雪ノ下 ※同上
18.旗上辨財天社 /雪ノ下 ※同上
19.巌窟堂 岩谷不動尊 /雪ノ下

■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)

20.妙法華経山 安国論寺 /大町4
21.楞厳山 妙法寺 /大町4
22.法華山 本興寺 /大町2
23.法久山 上行寺 /大町2

■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)

24.祇園山 安養院 /大町3
25.稲荷山 別願寺 /大町1

■ 鎌倉市の御朱印-8 (B.名越口-3)

26.多福山 大寳寺 /大町3
27.八雲神社 /大町1
28.慧雲山 常栄寺 /大町1
29.中座山 教恩寺 /大町1

■ 鎌倉市の御朱印-9 (B.名越口-4)

30.長興山 妙本寺 /大町1
31.金龍山 宝戒寺 /小町3
32.叡昌山 妙隆寺 /小町2

■ 鎌倉市の御朱印-10 (B.名越口-7)

33.蛭子神社 /小町2
34.長慶山 大巧寺 /小町2
35.妙厳山 本覚寺 /小町1

■ 鎌倉市の御朱印-11 (B.名越口-6)

36.天照山 光明寺 /材木座6

■ 鎌倉市の御朱印-12 (B.名越口-7)

37.天照山 蓮乗院 /材木座6
38.天照山 千手院 /材木座6
39.石井山 長勝寺 /材木座2

■ 鎌倉市の御朱印-13 (B.名越口-8)

40.隨我山 来迎寺 /材木座2

最新記事は↑です。
以下、当面のUP予定です。

41.五所神社 /材木座2
42.弘延山 實相寺 /材木座4
43.南向山 補陀落寺 /材木座6
44.内裏山 九品寺 /材木座5
45.円龍山 向福寺 /材木座3
46.海潮山 妙長寺 /材木座2



【 BGM 】
■ ヴィヴァルディ: 「四季」より冬


■ Ave Maria - 志方あきこ w / 葉加瀬太郎


■ 冬景色 - はいだしょうこ
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■ 江戸六地蔵の御朱印

自分で書いたことを忘れていた記事です。
目下、年度末で仕事がテンパってるので時間ができたら追記します。

■ 武州江戸六阿弥陀詣 → 記事
■ 江戸五色不動 → 記事

これらの札所には桜の名所もいくつかあります。
また、武州江戸六阿弥陀詣は、お彼岸に詣でるものとされていました。
春の一日、桜を愛でつつ寺院めぐりでもいかがでしょうか。


■ 朧月夜 - 中島美嘉

名曲だから、こういう優れたアレンジテイクが生まれる。
中島美嘉の歌唱力も凄いが、葉加瀬太郎のバイオリンも圧巻。


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作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一
大正3年『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出

菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端(は) 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわづ)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
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■ 桜曲40曲! もどうぞ。


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2021/09/06 UP


「武州江戸六阿弥陀詣の御朱印」「江戸五色不動の御朱印」がけっこうなアクセスをいただいているので、江戸六地蔵についてもまとめてみます。

作成中です。文字だらけですみません。

江戸六地蔵は、江戸に入る街道の入口に安置された6体の地蔵菩薩を巡拝する地蔵尊霊場です。
江戸六地蔵には「はじめの六地蔵(最初建立江戸六地蔵)」と「後の六地蔵」があり、これを把握しないと混乱するので最初にまとめてみます。

「はじめの六地蔵」は、下谷池之端影向山心行寺三世の(慈済庵)本誉空無(浄土木食)が元禄四年(1691年)に建立開眼したと伝わります。
こちら(『本譽空無上人道影贊』翻刻と解題/関口靜雄氏・PDFに直リンク、以下資料1)に詳しいです。)
「後の六地蔵」は、沙門正元坊が宝永年間(1704-1711年)に建立したと伝わります。

「はじめの六地蔵」は毎月二十四日ないし十八日の縁日に多くの信者を集めたと伝わりますがいつしか衰退し、いくつかは廃寺となったこともあり、現在江戸六地蔵として知られているのは正元坊建立の「後の六地蔵」です。

ただし、資料1によると『地藏本願經囑累品』/谷中安立院光輪印施には、
------------
空無上人發願造立
○六地藏尊靈塲  ○毎月十八日巡拜ノ衜順ニ記ス
 番外 湯島新花町  靈雲寺
 四番 池ノ端七軒町 心行寺
 一番 駒込蓬萊町  瑞泰寺
 二番 同千駄木町  專念寺
 三番 日暮里    淨光寺
 番外 谷中五重塔ノ奥  安立院
 八万四千躰 上野山内  淨名院
 五番 上野慈眼堂内   地藏堂
 六番 金龍山仲見世   正智院
 番外 淺草       駒形堂
------------
とあり、「はじめの六地蔵」の番外に「後の六地蔵」関連の靈雲寺と淨名院が姿をみせています。

また、Web上でみつかった『地藏菩薩俗談(三』)/眞鍋廣濟氏・PDFに直リンクには、「元緑四年になつてから『江戸はじめの六地藏』が設定せられ、次いで寳永三年には『江戸六地藏建立勘化帳』一巻が著されてゐるが、今日いふ東都の六地藏は、本郷駒込蓬莱町の瑞泰寺、同じく駒込千駄木町の專念寺、豊島區日暮里町の浄光寺、下谷廣池端七軒町の心行寺、同じく上野慈眼堂内の地藏堂、それに淺草寺雷門内の正智院の六個所で、尚この外に鋳銅六地藏と構してゐるのもあるが、これは荏原區品川町南品川宿の品川寺、淺草榮久町の東禅寺、豊島區巣鴨町の眞性寺、四谷區新宿二丁目の大宗寺、深川區霊岸町の霊巌寺、下谷區上野山内の浄名院の六寺院で、洛陽の信仰に摸つて、江戸の人士たちがそこに安置した鋳銅の地藏尊を一組として巡拝するものである。」とあります。

「東都の六地蔵」が「はじめの六地蔵」、「鋳銅六地藏」が「後の六地蔵」を示していることがわかります。

以降は「後の六地蔵」を江戸六地蔵とし、その概略を辿ってみます。
史料のほか、こちら(巣鴨史跡散歩)/巣鴨駅前商店街振興組合・PDFに直リンクの資料がたいへんよくまとまっているので、参考にさせていただきました。

〔 江戸六地蔵の略縁起と概要 〕
江戸深川の(地蔵坊)正元坊が若い頃大病を患い、父母とともに病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒しました。
快癒ののち、諸国を廻った正元坊は7つの苦行を成就しました。

正元坊は京都の六地蔵に倣い、宝永三年(1706年)に丈六金銅の地蔵菩薩坐像六体の造立の願を発しました。
正元坊は地蔵尊建立にあたり、愛宕、深川、神田、湯島などの神前に4年をかけて千日参りをなし、『江戸六地蔵建立之略縁起』という教化書(寄付を募る趣旨を記した書)発刊し、衆生に地蔵尊の御利益を説いて寄進活動をはじめました。

14年間にわたり寄進を募り浄財を集め、東都の(街道の)出入口にあたる六ヶ所にそれぞれ一体づつ安置開眼したといいます。
その六ヶ所とは東海道の品川寺(品川)・奥州街道の東禅寺(浅草)・甲州街道の太宗寺(新宿)・中山道の真性寺(巣鴨)・水戸街道の霊巌寺(白河)・千葉街道の永代寺(深川)です。

六体の地蔵菩薩像の像身ないし台座には勧進者や造立年代などが陰刻され、神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正義(儀)によって鋳造されたことがわかります。
寄進額は一文から二十両、身分を問わず幅広い人々から募ったという記録があるようです。

なお、『江戸砂子』や『東都(江戸)歳事記』には、正元坊は俗名を吉之郎といい、浮世草子『好色五人女』(貞享三年(1686年)刊)、浄瑠璃、歌舞伎などで広くとりあげられた八百屋お七の恋人(吉三郎)であったことを示す記述があります。(時代が合いませんが・・・)

江都三十三観音霊場(江戸三十三観音霊場の前身とされる)第11番の南緑山 圓乗寺はお七にゆかりがあり、江戸五色不動の目黒不動尊に向かう途中の明王院も、お七の恋人吉三郎が出家(西運上人)して入った寺と伝わるので、江戸のお寺めぐりと八百屋お七は、いずれつながりがあったのかもしれません。

六地蔵のうち、深川富岡八幡宮の二の鳥居付近にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、明治の廃仏毀釈で取り壊され現在は5体が残っています。
6体のうち、太田正義作の5体はすべて東京都指定有形文化財に指定されています。

現在は復興された永代寺のほか、旧6番の代仏とされる上野桜木の浄名院も参拝することが多いので、実質7ヶ寺の巡拝となります。

「後の六地蔵」の縁起は寶永三年(1706年)刊の『當國六地蔵造立之意趣』(『江戸六地蔵建立之略縁起』所収)(東京国立博物館デジタルライブラリー)に記載され、享保十七年(1732年)刊の『江戸砂子温故名跡誌』、天保九年(1838年)刊の『東都歳事記』にもとり上げられています。

原典とみられる『當國六地蔵造立之意趣』(同)から引用しますが、誤読があるかもしれません。(●は解読不能)

「抑(そもそも)(正元房)十二歳の頃故郷を出。十六歳に志て剃髪受戒す。そののち廿四歳の秋乃頃より重病を請。廿五歳の春の末に至て。醫術も叶難く死既に極れり。是●来のませるところにを。前日よりその相既に現れり。父母是を悲。偏に地蔵菩薩に延命を祷奉る。自も親の歎骨髄に通(とをり)。一心に地蔵菩薩に誓願すら●。我●菩薩の慈恩を蒙て。父母存生の内命を延るを得(ゑ)ば。盡未来際に至るまで。衆生の為に菩薩の御利益を勧。多(おおく)尊像を造立して衆生に帰依せしめ。共に安楽を得(ゑ)せしめんと誓。其夜不思議の霊験を得(ゑ)て重病速に本復す。其後諸国をめぐり無縁の衆生に多縁を結ば志む。我まさに世に生をふるとも。●●●●に。報恩乃ため地蔵菩薩の像前にて。七の難苦行を修せり。(中略)人のあざけりを省●。名利を求るに似たりといへども。------予づ願誓のこ妄にあらざるを示す。童男童女の信を勧て。尊像造立の願速に成就せしめんが為の事あり。我先年回国志せし砌。御在城を拝奉るに前念願しける。回国依り●べ二度こくに来て信人を勧。帝都の六地蔵に同く 御当地の入口毎に一躰づつ金銅壱丈六尺の地蔵菩薩を六所(むところ)に都合六躰造立して。天下安全 武運長久 御城下繁栄を祝願し。兼●ハ又諸国往来の一切衆生へ。普(あまね)く縁を結べ志めんと誓。」

「抑(そもそも)帝都六地蔵の濫觴ハ。人王五十四代仁明天皇の御宇参議小野篁。平等利益乃旨を思惟し給ひて。六度の能化なれバとて。自(みずから)六地蔵菩薩を造立し。天下安全宝祚延長洛陽繁栄万民快楽の為。かつ諸人性来の衢(ちまた)に安置し奉て。一切の衆生に普(あまね)く縁を結バしめ給んとぞ。帝都の六地蔵是也。我既に時節を得て。今度六躰の尊像像立をもよほして。此書見もんの人々。吾志を憐れ●ひて。一紙半銭の撰なく助成を加させ●え。我生ゞ世ゞにおいて永くその恩を報べし。大凡この尊像像立ハ。国土あらん限りの宝なるべし。金銅仏なれば火災●●滅せじ。壱丈六尺の大像なれば盗賊の失もなかるべし。諸人往来の衢(ちまた)に立れば一切●生皆悉く縁を結び奉る。拝願ハ神明仏薩の加護を蒙て。六躰の尊像つつがなく像立志て。万代の一切衆生と共に同く善行に●ん事を。」
勤化沙門 深川 地蔵坊正元謹言 寶永三丙戌年5月吉祥日 地蔵坊(印)

『江戸砂子温故名蹟誌 6巻3』(国立国会図書館DC)の醫王山 真性寺の項には以下の記載があります。
***************
地蔵坊正元法師建立唐銅六地蔵の三番也所謂六軀ハ
一番 品川 真言 品川寺
二番 四谷 浄土 大宗寺
三番 巣鴨 同(真言) 真性寺
四番 山谷 禅 東禅寺
五番 深川 浄土 霊巌寺
六番 深川 真言 永代寺

右六地蔵の●●元坊ハ俗名吉之郎とて八百屋の女お七●●もの●出家と云もの●●出家 ●六軀を造立●といひつ
されは宝永年中沙門正元坊か建立せし金銅丈六の六軀ハ世に後の六地藏といふと也

慈済庵空無上人勧化の助力を以 金銅立像八尺の地藏六軀を造立し江戶六ヶ所に安置す 元禄四年開眼供養を執行す これをはしめの六地藏といふ所謂六所ハ
一番 駒込 浄土 瑞泰寺
二番 千駄木 浄土 專念寺
三番 日暮里 諏訪 浄光寺
四番 池端 心行寺
五番 東叡山 大仏側 慈濟庵
六番 淺艸寺内 正智院
***************

また、『東都(江戸)歳事記 4巻 付録1巻』(国立国会図書館DC)に以下の記載があります。
***************
「江戸六地藏參  銅仏壹丈六尺坐像なり享條の頃深川の沙門地蔵坊正元造立す●●勤化の以宝永三戌六月(托鉢)して施銭をつのり●●建立縁起あり
一番 品川品川寺
二番 四谷大宗寺
三番 巣鴨真性寺
四番 山谷東禅寺
五番 深川霊巌寺
六番 同(深川)永代寺

正元房●十二歳の頃故地(未詳)を辞し其師に従ひ十六歳にして薙髪受戒を志うるに廿四歳の頃より重キヤマヒに伏し●●薬石の験もあらで今ハ黄泉の客と成ぬ●うりし●ハ 父母深く悲しみ地蔵尊●願●●れハ(中略)命を延る●らば(中略)多くの尊像を像立し後世の衆生に永く帰依せしめ●るべしと一心に誓しに 其夜不思議の霊夢(験)を感じて忽に快復しぬ 爾後諸国を回●●●衆生に縁を結ひ(中略)を修し或ハ千日に万巻の地蔵経をずしなりと東都●● 
頃●●必復ひ●に此に来て銅像の六地蔵を造立し一軀ツツ東都の入口毎に安置し
保元二年例●●慕し天下安全を祈り●●往来の人々に●く縁を結んで
宝永三年●●の五月に●て初て●人と勤化し愛宕深川●田の三所へ
心願成就を祈り享保の(中略)建立縁起の●を志●●江戸砂子小云六地蔵の願主正元●俗名吉●●とて八百屋の女や七と云●●ふ出家し●六軀を造立●といひつ●ふ
***************

六地蔵の造立については、『蓮華三昧経』の所説に依るという説があります。
資料1では、當國六地蔵造立之意趣(東京国立博物館デジタルライブラリー)の「六地蔵の図」に「御姿ハ十王経によるなり。利益●ハ蓮花経に志たかふ」とあるのは、「その出典を明らかにしている。」とし、「正元のいう『蓮華経』は『蓮華三昧経』すなわち『法蓮華三昧秘密三昧耶経』のことである。」と記されています。

それにしても、東都江戸の街道の出入口に「天下安全洛陽繁栄万民快楽の為」に地蔵菩薩を造立安置するというのは、どうみても為政者の発想です。
実際、江戸守護のために置かれたという江戸五色不動は、「天海大僧正が江戸の守護結界のために五色の不動尊を安置」あるいは将軍家光公の命により整備されたと伝わります。

発願・建立者の正元坊の出自ははっきりとしていませんが、いかに地蔵尊への誓願により重病が快癒したとはいえ、六体の金銅仏を建立し市内各寺に安置開願するということは並大抵の苦労ではなかったと思われます。

6体の地蔵尊のうち5体までが東京都指定有形文化財に認定されている名作で、露仏で身近に拝せるということもあってか、江戸六地蔵はいまもなお参拝者を集めています。

〔 江戸六地蔵の所在 〕
江戸六地蔵には札番が振られていますので順にリストします。
第6番永代寺の代仏とされる浄名院、江戸六地蔵と同じ仏師作とされる地蔵尊が御座す浄土寺についてもご紹介します。

第1番 旧東海道
■ 海照山 普門院 品川寺
品川区南品川3-5-17
真言宗醍醐派 御本尊:正観世音菩薩


第2番 奥州街道
■ 洞雲山 東禅寺
台東区東浅草2-12-13
曹洞宗 御本尊:釈迦如来


第3番 甲州街道
■ 霞関山 本覚院 太宗寺
新宿区新宿2-9-2
浄土宗


第4番 旧中山道
■ 医王山 東光院 真性寺
豊島区巣鴨3-21-21
真言宗豊山派 御本尊:薬師如来


第5番 水戸街道
■ 道本山 東海院 霊巌寺
江東区白河1-3-32
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来


第6番 千葉街道(房総往還)
■ 大栄山 金剛神院 永代寺
江東区富岡1-15-1
高野山真言宗 御本尊:


第6番 千葉街道(房総往還)の代仏
■ 東叡山 浄名院
江東区富岡1-15-1
高野山真言宗 御本尊:阿弥陀如来


-------------
■ 平河山 源照院 浄土寺
港区赤坂4-3-5
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来


〔 江戸六地蔵の宗派 〕
第1番 海照山 普門院 品川寺 / 真言宗醍醐派
第2番 洞雲山 東禅寺 / 曹洞宗
第3番 霞関山 本覚院 太宗寺 / 浄土宗
第4番 医王山 東光院 真性寺 / 真言宗豊山派
第5番 道本山 東海院 霊巌寺 / 浄土宗
第6番 大栄山 金剛神院 永代寺 / 高野山真言宗
第6番(代仏) 東叡山 浄名院 / 高野山真言宗

7箇寺のうち、真言宗が4、浄土宗が2、曹洞宗が1で、江戸五色不動や江戸六阿弥陀でみられる天台宗寺院が入っていないのが特徴かもしれません。

〔 江戸六地蔵の回り方 〕
江戸時代には1番と6番以外は札番にこだわらず回られていたようなので、1日で回れそうな下のコースを考えてみました。

1.品川寺/1番(青物横丁)
2.太宗寺/4番(新宿御苑前・新宿三丁目)
3.真性寺/3番(巣鴨)
4.東禅寺/2番(東浅草)
5.霊巌寺/5番(清澄白河)
6.永代寺/旧6番(門前仲町)
7.浄名院/6番代仏(上野桜木)

駅からのアプローチはおおむねいいですが、4.東禅寺は駅から離れており、ここへのアプローチがポイントになります。
各寺見どころも多いので、できれば9時すぎには品川寺に到着したいところです。

1.品川寺/1番(青物横丁)
最寄り駅は京浜急行「青物横丁」駅、徒歩4分です。
「青物横丁」から「新宿御苑前」までは、JRを使うと品川・新宿の乗り換えがやっかいなので、下記がおすすめです。
■青物横丁(京浜急行・都営浅草線)→新橋〔乗換〕(メトロ銀座線)→赤坂見附〔乗換〕(メトロ丸ノ内線)→ 新宿御苑前 【乗換2回、約40分】
※青物横丁から都営浅草線直通に乗るか、品川で浅草線直通に乗り換える必要があります。

2.太宗寺/4番(新宿御苑前・新宿三丁目)
「新宿御苑前」駅3番出口(前寄り)、徒歩2分。
■太宗寺(徒歩3分位)→新宿三丁目(都営新宿線)→神保町〔乗換〕(都営三田線)→巣鴨 【乗換1回、約25分】

3.真性寺/3番(巣鴨)
「巣鴨」駅A3番出口(前寄り)、徒歩3分。
巣鴨からつぎの東禅寺(東浅草)までが最大の難関です。
ルートはいろいろとれますが、徒歩と乗り換えが少ないのは以下のルートかと思います。
■巣鴨(山手線・9分)→鶯谷〔乗換・徒歩約7分〕根岸三丁目バス停(区営バスぐるーりめぐりん・17分・時刻表)→吉原大門バス停  【乗換1回、約40分】

4.東禅寺/2番(東浅草)
吉原大門バス停、約200m徒歩3分。
鉄道駅までは遠いので、バスを使います。
■東禅寺→(徒歩200m3分位)→東浅草バス停(都バス42-1または42-2系統/本数多い・12分)→蔵前駅前バス停〔乗換〕蔵前(都営大江戸線・5分)→清澄白河  【乗換1回、約20分】

5.霊巌寺/5番(清澄白河)
「清澄白河」駅A3番出口(前寄り)、徒歩2分。
霊巌寺から旧6番永代寺までは1㎞ほどで歩けます。鉄道利用の場合は↓。
■霊巌寺→(徒歩2分)→清澄白河(都営大江戸線・2分)→門前仲町  【乗換なし、約4分】

6.永代寺/旧6番(門前仲町)
「門前仲町」駅1番出口(前寄り)、徒歩2分。
門前仲町から浄名院まではいろいろなルートがありますが、徒歩距離が短いのは下記のルートです。

■永代寺→(徒歩2分)→清澄白河(都営大江戸線・12分)→上野御徒町(A3出口)〔乗換・徒歩約2分〕上野公園バス停(都バス上25系統・時刻表・15分)→上野桜木バス停  【乗換1回、約30分】
ただし、都バス上25系統は30分~1時間に1本と本数が少ないので、時間が合わないときは御徒町からJRに乗り、鶯谷下車(北口・前寄り)で浄名院まで徒歩約8分です。

7.浄名院/6番代仏(上野桜木)
上野桜木バス停下車すぐです。
こちらは「上野さくら浄苑」寺務所で御朱印受付しており対応時間は原則17時までのようですが、16時を過ぎる場合はTEL確認がベターです。(0120-257-577/03-5832-9511)

なお、六地蔵の御朱印はすべての寺院で拝受できます。


それでは、1番から順にご案内していきます。

(つづく)
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1A(導入編)

■ 2023/02/15 UP
今年(令和五年)は弘法大師御誕生1250年の記念の年です。
金剛峯寺の公式Web
そこで、御府内八十八ヶ所霊場の御朱印のご紹介をはじめることにしました。

■ 2024/02/28 UP
ようやく(一応)完成しました。
この記事を書いている途中で『御府内八十八ケ所道しるべ』の存在に気づいたため、途中から構成が変わっております。
ひとまずはこれで完結としますが、後日前半の構成を整えていきたいと思います。

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□ 札所リスト



□ 記事へのリンク

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1B
第1番
高野山東京別院(港区高輪)
第2番
金峰山 東福寺(中野区江古田)
第3番
金剛山 多聞院(世田谷区北烏)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-2
第4番
永峯山 高福院(品川区上大崎)
第5番
金剛山 延命院(港区南麻布)
第6番
五大山 不動院(港区六本木)
第7番
源秀山 室泉寺(渋谷区東)
第8番
海岳山 長遠寺(大田区南馬込)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-3
第9番
古碧山 龍厳寺(渋谷区神宮前)
第10番
観谷山 聖輪寺(渋谷区千駄ヶ谷)
第11番
光明山 荘厳寺(渋谷区本町)
第12番
明王山 宝仙寺(中野区中央)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-4
第13番-1
三田高野山 龍生院(弘法寺)(港区三田)
第13番-2
和光山 大龍寺(北区田端)
第14番
白鷺山 福蔵院(中野区白鷺)
第15番
瑠璃光山 南蔵院(練馬区中村)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-5
第16番
亀頂山 三寶寺(練馬区石神井台)
第17番
東高野山 長命寺(練馬区高野台)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-6
第18番
獨鈷山 愛染院(新宿区若葉)
第19番-1
瑠璃山 青蓮寺(板橋区成増)
第19番-2
陽岳山 圓乗院(大田区南馬込)
第20番
身代山 鏡照院(港区西新橋)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-7
第21番
寶珠山 東福院(新宿区若葉)
第22番
天谷山 南蔵院(新宿区箪笥町)
第23番
川崎大師東京別院 薬研堀不動院(中央区東日本橋)
第24番
高天山 最勝寺(新宿区上落合)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-8
第25番
六所山 長楽寺(日野市程久保)
第26番
海賞山 来福寺(品川区東大井)
第27番
瑠璃山 正光院(港区元麻布)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-9
第28番
宝林山 霊雲寺(文京区湯島)
第29番
大鏡山 南蔵院(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-10
第30番
光松山 放生寺(新宿区西早稲田)
第31番
照林山 多聞院(新宿区弁天町)
第32番
萬昌山 圓満寺(文京区湯島)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-11
第33番
醫王山 眞性寺(豊島区巣鴨)
第34番
薬王山 三念寺(文京区本郷)
第35番
金剛寶山 根生院(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-12
第36番
瑠璃山 薬王院(新宿区下落合)
第37番
瑠璃光山 萬徳院(江東区永代)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-13
第38番
神霊山 金乗院(豊島区高田)
第39番
金鶏山 真成院(新宿区若葉)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-14
第40番
福聚山 普門院(江東区亀戸)
第41番
十善山 密蔵院(中野区沼袋)
第42番
蓮葉山 観音寺(台東区谷中)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-15
第43番
神勝山 成就院(台東区元浅草)
第44番
金剛山 顕性寺(新宿区須賀町)
第45番
廣幡山 観蔵院(台東区元浅草)
第46番
萬徳山 弥勒寺(墨田区立川)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-16
第47番
平塚山 城官寺(北区上中里)
第48番
瑠璃光山 禅定院(中野区沼袋)
第49番
寶塔山 多寶院(台東区谷中)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-17
第50番
高野山 大徳院(墨田区両国)
第51番
玉龍山 延命院(台東区元浅草)
第52番
慈雲山 観音寺(新宿区西早稲田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-18
第53番
本覚山 自性院(台東区谷中)
第54番
東豊山 新長谷寺(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19
第55番
瑠璃光山 長久院(台東区谷中)
第56番
宝珠山 與楽寺(北区田端)
第57番
天瑞山 明王院(台東区谷中)
第58番
七星山 光徳院(中野区上高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-20
第59番
佛寶山 無量寺(北区西ヶ原)
第60番
摩尼山 吉祥院(台東区元浅草)
第61番
望月山 正福院(台東区元浅草)
第62番
鶴亭山 威光院(台東区寿)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-21
第63番
初音山 観智院(台東区谷中)
第64番
長谷山 加納院(台東区谷中)
第65番
明王山 大聖院(港区三田)
第66番
白龍山 東覚寺(北区田端)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-22
第67番
摩尼珠山 真福寺(港区愛宕)
第68番
大栄山 永代寺(江東区富岡)
第69番
龍臥山 宝生院(港区三田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-23
第70番
照光山 禅定院(練馬区石神井町)
第71番
新井山 梅照院(中野区新井)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-24
第72番
阿遮山 不動院(台東区寿)
第73番
法号山 東覚寺(江東区亀戸)
第74番
賢臺山 法乗院(江東区深川)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-25
第75番
智劔山 威徳寺(港区赤坂)
第76番
蓮華山 金剛院(豊島区長崎)
第77番
高嶋山 佛乗院(神奈川県秦野市蓑毛)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-26
第78番
摩尼山 成就院(台東区東上野)
第79番
清水山 専教院(文京区小日向)
第80番
太元山 長延寺(港区三田)
第81番
医王山 光蔵院(港区赤坂)
第82番
青林山 龍福院(台東区元浅草)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-27
第83番
放光山 蓮乗院(新宿区若葉)
第84番
五大山 明王院(港区三田)
第85番
大悲山 観音寺(新宿区高田馬場)
第86番
金剛山 常泉院(文京区春日)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-28
第87番
神齢山 護国寺(文京区大塚)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-29
第88番
遍照山 文殊院(杉並区和泉)


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御府内八十八ヶ(箇)所とは、東京都内にある弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する弘法大師霊場です。(以下、「御府内霊場」と記します。)

「御府内」とは「江戸町奉行が支配の対象とする江戸(の範囲内)」ないし「寺社勧化場として許可された江戸(の範囲内)」といわれ、時代によって変化したといいます。
東京都公文書館のWeb資料には以下のとおりあります。

-------------------------
文政元年(1818)8月に、目付牧助右衛門から「御府内外境筋之儀」についての伺いが出されました。
この伺いを契機に、評定所で入念な評議が行われました。このときの答申にもとづき、同年12月に老中阿部正精から「書面伺之趣、別紙絵図朱引ノ内ヲ御府内ト相心得候様」と、幕府の正式見解が示されたのです。

その朱引で示された御府内の範囲とは、およそ次のようになります。
 東…中川限り
 西…神田上水限り
 南…南品川町を含む目黒川辺
 北…荒川・石神井川下流限り
この朱引図には、朱線と同時に黒線(墨引)が引かれており、この墨引で示された範囲が、町奉行所支配の範囲を表しています。朱引と墨引を見比べると、例外的に目黒付近で墨引が朱引の外側に突出していることを除けば、ほぼ朱引の範囲内に墨引が含まれる形になっていることが見てとれます。

以来、江戸の範囲といえば、この朱引の範囲と解釈されるようになったのです。
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このようにきわめて明快に説明されています。
つまり、江戸御府内=江戸朱引図内ということです。


■ 江戸朱引図東京都公文書館Web公開資料

たとえば 江戸朱引図(東京都公文書館)をみると田畑村はしっかり朱引図内に収まっており、田端は御府内に位置することがわかります。


■ 朱引きと田畑村の位置関係東京都公文書館Web公開資料を筆者にて加工)

以上のとおり、文政元年(1818年)頃の「御府内」の範囲は、東は亀戸・小名木村辺、西は角筈村・代々木辺、南は上大崎村・南品川町辺、北は上尾久・下板橋村辺の内側と定められています。

-------------------------
『全国霊場大事典』(六月書房)によると、御府内霊場の開創は宝暦年間(1751年~)頃とされています。
同書によると、信州・浅間山真楽寺の憲浄僧正と千葉県松戸の諦信によって四国八十八ヶ所霊場が写されたものとされ、四国霊場の札所の土(お砂)を各札所の拝前におき、こちらを踏んで巡拝すれば四国霊場巡拝と同様のご利益が得られるとされる点は、全国各地の弘法大師(新四国)霊場と同様です。

『全国霊場巡拝事典』(大法輪閣)では、宝暦五年(1755年)刊の『大進夜話』に「江戸にも此頃は信州浅間山の上人本願にて、四国の八十八箇所を移して立札など見えたり」とあり、文化十三年(1816年)の札所案内には「宝暦五乙亥三月下総葛飾松戸宿諦信の子、出家して信州浅間山真楽寺の住になりぬ。両人本願して江戸に霊場をうつす」とあることを紹介しています。

さらに文政五年(1822年)刊の十返舎一九著『諸国道中金の草鞋』にも「宝暦の頃下総の國松戸宿の諦信●子●預して東都に八十八ヶ所の霊場を●●といへり。」との記載があり、宝暦年間、憲浄僧正と松戸の諦信による開創説でおおむね定まっているようです。



【写真 上(左)】 十返舎一九『諸国道中金の草鞋』二十一篇「東都大師巡八十八箇所」(文政五年(1822年))
【写真 下(右)】 同
十返舎一九 著 ほか『諸国道中金の草鞋』21,嵩山堂,〔 〕. 国立国会図書館DC より転載。

このことは「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総国 諦信」と刻まれた札所碑が第42番観音寺にあり、他の札所にも同様の石碑が残ることからも裏付けられるとされています。(『全国霊場巡拝事典』)


【写真 上(左)】 第42番観音寺の御府内霊場札所碑
【写真 下(右)】 「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総國 諦信」とあります

なお、同書によると、これとは別に正等和尚(1703-1774年)という人が開創という説もあるようです。



『御府内八十八ヶ所 弘法大師二十一ヶ寺 版木』(台東区教育委員会刊)には、「第十七番札所長命寺には「宝暦三癸酉三月廿一日」銘の御府内八十八ヶ所標石が現存する。(略)この銘文を信じる限り宝暦三年(1753年)三月までに開設されていたことになる。」
同書では第17番長命寺の標石と宝暦五年(1755年)刊の『大進夜話』を根拠とし、「ここでは、宝暦二年(1752年)頃『浅間山真楽寺住職』の開設とし、不明な点は後考に俟つこととしたい。」とあります。


【写真 上(左)】 第17番長命寺の御府内八十八ヶ所標石-1
【写真 下(右)】 同-2

また、同書には「本版木第二六丁によれば『廿三里十三丁五間』、約九二キロの行程で、御府内在住の健脚であれば三~四日で巡ったものと思われる。」とあります。


十返舎一九『諸国道中金の草鞋』二十一篇「東都大師巡八十八箇所」(文政五年(1822年))
十返舎一九 著 ほか『諸国道中金の草鞋』21,嵩山堂,〔 〕. 国立国会図書館DC より転載。

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御府内霊場の前身ともいわれる霊場に江戸八十八ヶ所霊場があります。
初番は高輪の正覚院、第88番結願は御府内霊場と同様文殊院で、御府内霊場と重複する札所が多いですが、微妙に異なる札番構成で廃寺も含みます。
→ 札所リストはこちら(『ニッポンの霊場』様)


【写真 上(左)】 第38番金乗院の御府内霊場札所碑
【写真 下(右)】 同 江戸八十八ヶ所霊場第38番の札所碑

御府内霊場第2番はもともとは新宿・余丁町の二尊院で、のちに江古田・東福寺に遷ったともされますが、江戸八十八ヶ所霊場第2番は二尊院となっています。
また、江戸八十八ヶ所の札所は御府内霊場に比べて御府内の札所が多くなっているので、あるいは御府内霊場の前身の可能性もあるのかもしれません。

廃寺・移動となった札番の変遷をこまかく追っていけばなにか見えてくるものがあるのかも知れませんが、なにぶん江戸八十八ヶ所霊場は記録がすくなく、それもむずかしいかもしれません。

現在、寺院移転により御府内霊場の2つの札所は都区外に移転していますが、それ以外は東京都区内の所在で、まさに「東京のお遍路」ということができます。


■ 第56番 宝珠山 地蔵院 與楽寺(北区田端)

『江戸名所図会』十五(国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

■ 第59番 佛寶山 西光院 無量寺(北区西ヶ原)

『江戸名所図会』十五(国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

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現在、霊場会の活動があるかは不明ですが、すべての札所で御朱印を授与され、発願(第1番)の高野山東京別院では専用の集印帳を頒布されています。
この集印帳は白地ですが差し替え方式もとれるため、現在はこの専用集印帳の使用が奨励されている模様です。

また、筆者は専用集印帳以外では御朱印を授与しないという掲示をされている札所も確認しています。(現況は不明)

多くの札所では汎用御朱印帳でも快く授与いただけますが、御朱印コンプリートを目指す向きは専用集印帳使用がベターかと思います。

札所一覧は→こちら(ニッポンの霊場様)、札所位置図については→こちら(第76番蓮華山金剛院様公式Web)に掲載があります。

筆者にて札番重複札所がふたつ(第13番、第19番)あることは確認しており、いずれも御朱印を拝受できます。
掛所、番外、特別札所はないので、コンプリートは90箇寺(札所)ということになります。

順路は、札番がエリアを越えて飛んでいるので順打ち、逆打ちともに効率が悪くなります。
発願(第1番)の高野山東京別院(港区高輪)、結願(第88番)の遍照山 文殊院(杉並区和泉)はおさえるとしても、その他の札所はアクセスを考えてランダムに回ってもいいかもしれません。

駐車場がない札所や狭い路地奥の札所もありますので、車での巡拝はおすすめしません。
多くの札所は鉄道駅から徒歩圏内で、東京メトロ駅利用も多いので「東京メトロ24時間券」が威力を発揮します。

日本橋、六本木、赤坂、四ッ谷など都心のお寺をはじめ、谷根千、高田、沼袋や烏山など都内有数の寺町も外さずに回る、エリア的にも変化に富んだ巡礼が味わえます。
ただし、荒綾霊場、南葛霊場、荒川辺霊場などがある下町エリアの札所は少なくなっており、どちらかというと都心~山の手寄りの霊場といえます。

宗派は禅宗1箇寺をのぞきすべて真言宗で、多くは新義真言宗(智山派、豊山派など)。
新義真言宗寺院が多い東京らしい弘法大師霊場といえましょう。

御朱印は多くが御寶印(札所本尊のお種子)で、札所本尊、弘法大師、興教大師が揮毫され、札所印も捺される華々しいものです。

 
【写真 上(左)】 霊場ガイド(メイツ出版)(以下『札所めぐり』)
【写真 下(右)】 専用集印帳

専用集印帳は大判で紙質がよく筆の走りもよいようで、いただいた御朱印はどれも見応えがあります。
和綴じ様式なので参拝の順序にかかわらず、札番順に綴じ込むことができるのは大きな利点です。
なお、お納めは以前は300円でしたが、現在は500円に改定されているかもしれません。(札所によりまちまちのようです。)

都内の札所メインですが、御朱印対応時間は9:00~16:00が多く夕刻には件数を稼げません。
札所での拝所は札所本尊(多くは本堂の御本尊)と弘法大師尊像ないし大師堂の二箇所となり、各寺見どころも多いので、じっくりと時間をかけて回る霊場かと思います。

また、他の霊場との兼任札所も複数ありますが、御府内霊場については1参拝ひとつの拝受がベターかもしれません。
とくに豊島八十八箇所の御朱印と併せてお願いすることは、実質的な弘法大師霊場の掛け持ち巡拝となるので個人的には避けた方がベターかと思います。

【 いわゆる「難所」について 】
八十八もの札所を数える弘法大師霊場では、いわゆる「難所」といわれる札所がでてきます。
「難所」にはいくつかのパターンがあるかと思います。

1.物理的にアクセスしにくい札所
エリア外に離れている札所。この霊場でも東京都日野市、神奈川県秦野市の札所があり、半日~1日がかりの巡拝となります。

2.ご不在気味の札所
ご多忙でご不在が多く、書置御朱印もご用意されていない札所があります。
とくに御府内霊場の場合、小規模な寺院札所も多く書置御朱印をご用意されていてもどなたもいらっしゃらない(ベルを押しても応答がない)という局面がかなりあります。
ご不在の場合、出直し参拝となるので、この場合は事前に電話で確認のうえお伺いした方がいいかもしれません。

3.いわゆる「塩対応」の札所
御府内八十八ヶ所は人気の御朱印スポットに立地する札所も多く、一時期御朱印拝受希望者が殺到したことがありました。
本堂にお参りもせず、いきなり御朱印所に向かう人も少なくなく、勤行が前提となる弘法大師霊場の札所として「御朱印ブーム」に疑問を抱かれたお寺様も少なくないのでは。

こういった経緯を受けてか、拝受希望者に納経や読経を促されたり、状況によっては参拝方法についてご指導をなされるお寺様もあるかと思います。
霊場札所としては自然なご対応だとは思いますが、慣れない人には「敷居が高い」「塩対応」などと感じられてしまうことはあるかもしれません。

そういう意味からすると、ある程度霊場巡拝に慣れた方向けの霊場ともいえ、メジャー寺院が多い「江戸三十三観音霊場」などで巡拝経験を積んだうえでトライするのがベターかもしれません。

筆者は二巡+αし、専用集印帳と汎用御朱印帳にいただいておりますので、両方ご紹介します。
ただし上記のとおり、現在汎用御朱印帳での拝受がむずかしい札所もあるかもしれません。


以前UPした「伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印」と同様、フルバージョンで時間をかけてUPしていきます。


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2023-05-14 UP

続編を書き進めたいのですが、御府内についてまとめた『御府内風土記』は明治5年に火災で焼失。
御府内の寺社の由緒・沿革は、『新編武蔵風土記稿』を使える都下や下町よりもたどりにくくなっています。

目下、『御府内風土記』の編纂史料『寺社書上』と格闘中です。
しばらくお待ちくださいませ。

それにしても、江戸の先人の記稿(というか記録全般)に対する執念はものすごいものがあります。
何百年でも残そうという気迫が感じられます。
これを自宅のPCで閲覧できるとは、すごい時代になったものです。

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2023/05/26 UP

御府内霊場の記録を当たっていたところ『御府内八十八ケ所道しるべ』という文献にたどり着きました。
これは、御府内霊場の札所ガイドのような内容で、しかも、国立国会図書館によりWeb公開されています。

御府内八十八ケ所道しるべ 天( 国立国会図書館DC)
御府内八十八ケ所道しるべ 地( 国立国会図書館DC)
御府内八十八ケ所道しるべ 人( 国立国会図書館DC)

Wikipediaによると、神仏分離は「明治新政府により出された神仏判然令(慶応4年3月13日から明治元年10月18日までに出された、太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき、全国的に公的に行われたものを指す。」とあります。
これを受けた廃寺の動きは明治初期に目立ったとみられています。

一方、『御府内八十八ケ所道しるべ』は慶応元年(1865年)序、明治二年(1869年)跋で、後半は神仏分離のさなかに編纂されたとみられます。

御府内霊場の札所は江戸期を通じて比較的変動が少なく安定しているのですが、この神仏分離の時期に複数の札所の異動がみられます。
『御府内八十八ケ所道しるべ』は神仏分離前の慶応元年序なので、神仏分離を受けて廃寺となった札所が記載された、たいへん貴重な記録となっています。

御府内に真言宗寺院はさほど多くなく、ほとんどの寺院が札所となっています。
天下の御府内の弘法大師霊場のご開創となれば、多くの真言宗寺院が諸手を挙げて参画したのかもしれません。

『御府内八十八ケ所道しるべ』によって明治初期時点での札所が確定できるので、憶測が少なくなると思います。
これまで書いた記事は当面そのままとし、今後の記事は『御府内八十八ケ所道しるべ』を参照したいと思います。
(『御府内寺社備考』(御府内備考第147巻)もゲットしたので、こちらもあわせて参照します。)

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『御府内八十八ケ所道しるべ』『寺社書上』と江戸八十八ヶ所霊場のデータを一覧形式にしたリストをつくってみました。

『寺社書上』は120巻もあって、88の札所をその中から探し出さなければならないので悪戦苦闘でした。
たとえば、第31番の牛込多聞院の記事はこんな感じです。(33巻34頁)
これで史料原典に直リンクする体制はできたのですが、果たして毛筆の達筆すぎる原文が読解できるかどうか・・・(笑)



このリストから、
・江戸八十八ヶ所霊場は、御府内霊場の前身または異称であった可能性がある。
・江戸時代の御府内霊場では神社が札所(内の拝所)として定められていた可能性がある。
・江戸時代は比較的札所は安定し、明治初期の神仏分離の流れを受けて複数の札所が異動した。
・明治以降の寺院の郊外移転の動きを受けて、札所も郊外に移動したケースがある。
・中野、幡ヶ谷、石神井、谷原など府外立地でも当初から御府内霊場札所となっていた寺院がある。
などが推定されます。

ともあれ、記事UPを再開します。


Vol.-1Bへつづきます。



【 BGM 】
■ 夢の大地 - Kalafina


■ 桜 - 中村舞子


■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-29

Vol.-28からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第88番 遍照山 高野寺 文殊院
(もんじゅいん)
杉並区の紹介Web

杉並区和泉4-18-17
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:弘法大師
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第88番

ついに札所第88番、結願です。
結願所の第88番は杉並の文殊院です。

第88番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに高野寺文殊院で、第88番札所は開創当初から白金臺町の高野寺文殊院であったとみられます。

杉並区の紹介Web、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

文殊院は開山を高野山興山寺の木食応其上人ともいいますが、『寺社書上』には慶長五年(1600年)文殊院勢誉師が徳川家康公の帰依を受けて駿府に寺地を拝領して開創とあるようです。
開創当時は興山寺を号していました。

寛永四年(1627年)、文殊院応昌師が江戸浅草に寺地を賜り、駿府城北の丸の建物を拝領して移築といいます。

元禄九年(1696年)麻布白金台町(現・白金二丁目)に移り「白金高野寺」と呼ばれました。
江戸期の当山は、高野山在番所行人方触頭として真言宗では重要ポジションの寺院でした。

高野山行人方については第50番の大徳院でもふれています。

江戸時代、高野山内の組織は学侶方・行人方・聖方の「高野三方(三派)」から成り立っていました。
wikipediaの「高野三方」(こうやさんかた)には以下のとおりあります
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高野三方は、平安時代から江戸時代まで高野山を構成した、学侶方・行人方・聖方による三派の総称。

・学侶方
密教に関する学問の研究・祈祷を行った集団。代表寺院は青巌寺であった。

・行人方
寺院の管理・法会といった実務を行った集団。また、僧兵としての役割も担った。代表寺院は興山寺であった。

・聖方
全国を行脚して高野山に対する信仰・勧進を行った集団。全国各地に伝わる空海による開湯・開山の伝説を生む要因となった。代表寺院は大徳院であった。
-------------------------

江戸における高野三方の拠点(在番所等)は、学侶方が高野山学侶方江戸在番所(現・高野山東京別院/第1番札所)、行人方が高野寺文殊院(第88番札所)、聖方が大徳院(第50番札所)。
いずれも御府内霊場札所で、しかも学侶方が第1番発願所、行人方が第88番結願所、聖方が第50番を押さえていたことになります。

御府内霊場は新義真言宗寺院が多いですが、こうしてみると高野山の江戸写し的な性格を帯びていることがわかります。
文殊院が結願所をつとめられている理由は、ここにあるのかとも思います。

『江戸切絵図』には芝三田日本榎高輪辺絵図に「高野寺」がふたつみえます。

ひとつは東禅寺の北側、もうひとつは清正公覚林寺の東側です。
前者が学侶方高野寺(現・高野山東京別院)、後者が行人方高野寺(現・文殊院、杉並に移転)とみられます。

行人方高野寺(文殊院の旧地)は、法華宗立行寺(港区白金2-2-6)の南側辺だったとみられます。
白金高野山(文殊院)と二本榎高野寺(高野山東京別院)は至近に位置し、御府内霊場は白金で発願し、白金で結願する霊場だったことがわかります。

また、■ 『江戸名所図会 7巻 [7]』の挿絵をみると、かなり広壮な敷地をもっていたことがわかります。

大正9年、文殊院は区画整理により現在地(杉並区和泉)に移転しました。
周辺は住宅地ですが、山内には弘法大師信仰を示す八十八ヶ寺大師石像や「お砂踏の石」があり、往年の御府内霊場結願所の趣きをいまに伝えています。

御本尊の弘法大師坐像は室町末期の作といわれ、「安産守護のご本尊」として広く信仰を集めたといいます。

弘法大師座像、弁財天像・付近出土の板碑・百度石・文殊院文書などが区の文化財に指定されている模様ですが、弘法大師座像をのぞいて詳細は不明です。
→ 弘法大師坐像についての杉並区史料(PDF)


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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
八十八番
●●●●町
高野寺
高野山●人●直番所
本尊:弘法大師 不動明王 愛染明王

『寺社書上 [16] 白銀寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.30』
麻布白金臺町壱町目
高野山行人方在番所
古義真言宗触頭 東西二箇寺

慶長五年(1600年)大権現様於駿府文殊院(当時興山寺ト申候)勢誉寺地拝領仕
其御御当地浅草から砌 寛永四年(1627年)於浅草●-● 文殊院應昌拝領仕
●-● 元禄九年(1696年)於白金臺町替地拝領仕候

本堂
 本尊 弘法大師木座像
 二脇士 不動明王木坐像 愛染明王木坐像
 二天幷八祖画像
本堂内護摩所
 不動明王木立像
本堂内大師前
 大聖歓喜天
 賓頭盧木座像
東在番所
西在番所
東在番交替所
西在番交替所
鎮守社
 丹生大明神 高野大明神 神體幣
八幡宮 神體幣
摩利支天小社 神體幣
入船稲荷社
金毘羅小社
 
『江戸名所図会 7巻 [7]』(国立国会図書館)
白金高野寺
高野山在ばん所行人方触所なり
本尊に弘法大師 幷 不動愛染観音歓喜天を安す
八十八ヶ所の札の打とめなり 



「白金高野寺」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[7],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836].国立国会図書館DC(保護期間満了)


「高野寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』目黒白金辺図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR・メトロ丸ノ内線「方南町」駅で徒歩約15分。
駅から南下して神田川を渡り、住宅街の路地をたどる道行きです。
駅からそれなりに歩きますが、御府内霊場結願に向かうにはこの程度のアプローチがあってもいいかもしれません。


【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 門前

住宅地のなかに突然に寺院があらわれます。
門前から背後を振り返ると、参道らしいまっすぐの道が延びているので歩いていくと院号標&札所標がありました。
正式にはここからが参道なのだと想います。


【写真 上(左)】 院号標
【写真 下(右)】 山内

門は門柱で、その手前に院号標。
山内は住宅地の寺院にしてはかなりの広さで、格式の高さが感じられます。

参道左手に文殊堂、正面が本堂、本堂向かって右手が庫裡です。


【写真 上(左)】 文殊堂
【写真 下(右)】 文殊堂扁額

文殊堂は宝形造銅板葺で頂に宝珠を置き、向拝に「文殊堂」の扁額と文殊菩薩の御真言が掲げられています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝、屋根の勾配が急で迫力があります。
本堂向かって右手に修行大師像。本堂前には御宝号の石碑?があります。


【写真 上(左)】 修行大師像と本堂
【写真 下(右)】 弘法大師御寶前の石碑?

水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
向拝見上げに院号扁額を掲げています。
向拝柱には札所板と御寶号の板とが掲げられています。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額


【写真 上(左)】 札所板
【写真 下(右)】 御寶号の板

シンプルながら随所にお大師さまゆかりの事物が配され、さすがに御府内霊場結願寺らしい趣きがあります。

御本尊は弘法大師。
初番・高野山東京別院の御本尊は弘法大師ですから、弘法大師で発願し、弘法大師で結願する、まことに弘法大師霊場らしい霊場といえましょう。

本堂向かって右のおくには五輪塔があり、そのまわりにはたくさんのお大師さまが御座されています。
そして、その回りがお砂踏場となっていて、これまでの巡拝をしのびながら巡拝することができます。


【写真 上(左)】 本堂向かって左手
【写真 下(右)】 お大師さま

御朱印は庫裡にて拝受しました。
結願証は授与されておられませんが、御朱印には「御府内霊場第八十八番 結願寺」の札所印を捺していただけます。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に弘法大師のお種子「ユ」「弘法大師」の揮毫と「ユ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「御府内霊場第八十八番 結願寺」の札所印。
左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


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これにて江戸・東京の弘法大師霊場・御府内八十八ヶ所霊場は結願となります。
結願に至るまでは長い道程ですが、それだけに達成したときの満足感はひとしおです。

興味をもたれた方は、トライされてみてはいかがでしょうか。


【註記】
この連載記事は、書いている途中で『御府内八十八ケ所道しるべ』の存在に気づいたため、
途中から構成が変わっております。
ひとまずはこれで完結としますが、後日前半の構成を整えていきたいと思います。


■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹


■ Mirai 未来 - Kalafina


■ 時代 - 薬師丸ひろ子
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