関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 困ったときはお互い様
〔ご案内〕
このデータは、平成23年3月に発生した東日本大震災に関連する情報です。
令和元年6月18日夜に発生した山形県沖を震源とする地震に係る情報ではありません。
ご注意願います。
2次避難の動きもしだいに活発化し、新規の受入情報も減ってきた(発表すべきところはもう発表している?)ので、1ヶ月以上つづけてきた「温泉地の被災者受入情報」の更新をひとまず休止します。(ただし、大きな動きがあったときは適宜更新します。)
この情報提供に賛同し、多くの情報をいただいた”一郷一会”メンバーの協力に深謝します。
個人的にこの情報をUPするきっかけになったのは、群馬県片品村の動きでした。
3/14に村の緊急会議で一億円の予算算出を決定、無料で被災者を受け入れるだけでなく、原発事故も重なって混乱を極める現地まで、バスを仕立てて被災者を迎えに行くというのです。(→ 報道 (5/2 東京新聞))
3/18には被災者を受入、そのスピード感と実行力は、まさに目を見はるものでした。
併行してみなかみ町など県内の温泉地で被災者受入が続々と表明され、これに触発されるかたち(?)で各地の温泉地でも被災者受入の機運が高まっていきました。
そのときに群馬県内の関係市町村首長がつかっていたのが「困ったときはお互い様」。
「福島とは尾瀬でつながっている。困ったときはお互い様だ。」(片品村 千明金造村長)
1億円の補正予算を組み積極的に被災者受入を打ち出したみなかみ町の岸良昌町長もこの言葉をつかわれていたのが、つよく記憶に残っています。
今回の震災では、日本国民の多くの人々がこの意識をもったのではないでしょうか。
たしかに、震災直後の混乱や復興にあたって、きれい事ばかりでなかったことは承知しています。
それでも、大きな流れでみると「困ったときはお互い様」の意識はいまも健在だったような気がしています。
ちなみに、江戸時代には”相身互い(あいみたがい)”という言葉がありました。
「同じ(困った)立場にある者は、互いに相手を思いやって助け合わねばならない」というほどの意味で、日本人が元来もっていた考え方のように思えます。
片品温泉の湯宿「子宝の湯 しおじり」のWebでは、被災者の方々を受け入れ、慣れない対応へのとまどいや、被災者の方々へのあたたかい気づかいがとてもよく伝わってきます。
一部引用させていただきます。
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伝えたい事を伝えるのには、どう話せばいいのでしょうか"........
☆とにかく、健康で元気に帰宅してもらう。その為のお手伝いと、協力をする為の避難所として宿の提供をしています。皆さんと、私たち家族一緒になってがんばろう。が、なかなか伝わらない。
☆傷付けないで、励ます言葉...難しすぎて見つからない。
☆個人の人格を、尊重しながら仲良く。穏やかに過ごしてもらいたい。が、伝わらない。若者。元気な年配の方。元気なお年寄り。持病や大病でも、じっと耐えて頑張っている方。それぞれの歴史の中で華やいで活躍していたのが分かります。
毎秒の様に流れるニュースでは、広がる不安。それでも...すぐに帰れる!と心に強い意志を持って耐えている皆さんです。
◎片品にいろんなボランティアさんが入って来る。片品の人達も色々やってくれる。整髪。マッサージ。炊き出し。音楽系。語りべ...。物資もやっと揃い、足りてきた。これ以上は贅沢すぎる。現地に行って助けてほしい。テレビや迎えの人達からの情報では、別の色んな避難所の大変な状況が伝わる。現地には避難勧告が出ているのに、帰る人達。大丈夫ではないのに、家が有る人達は家が心配だと帰る。帰る人達に駄目だとは、言えない。何もしてあげられない。
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■これに絡んだ”一郷一会”のメンバーの意見を紹介します。
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考えてみれば我々を動かしたのは、片品村の行動でした。
何を思ったか震災すぐに被災民の受け入れを表明し、バスを出して避難民を迎えにいくといった行動を起こしたことは、賞賛にあたいするものでした。
東電管内のエリアであって、福島県からの恩恵を得、福島県に隣接してるとはいえ、交流も少ない自治体総出で支援をしたのは凄いことだと思います。
実際には支援物資の受け入れや避難民の世話など通常業務のほかに、かなりの負担があると思います。
「困ったときはお互い様」こんな単純なことが日本人の最大の美徳だし、今回の震災で学んだことだと思います。
(参考) 雲仙普賢岳災害時の対応について
■また、”一郷一会”メンバーのおひとりは、宮城県に泥かきボランティアに行かれています。
「縁の下の泥かきは、狭い間隔の垂木下のヘドロかきで大変でした。スコップで掘って垂木の間を注意してスコップを通し、胸の高さになる一輪車に掬い上げます。一輪車も、初めはいいのですが、30分も経つと一輪車を通す道板がドロドロになり滑ります。もし、一輪車を押しながら滑ると、垂木の下に転げ落ち、大怪我をします。」
「最終日は雨だったので、海岸方面へ行ってみました。道路はかたづけてあるものの、甚大な津波被害に呆然となりました。テレビの画像そのままでした。戻る時に気づきましたが、私が泥かきをした地域は●●近辺で、この地区から海岸方向の集落は、住める家は一軒もありませんでした。」
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■ これまでUPしてきたリストやコラムを下記にまとめておきます。
【 メインリスト 】 被災者受入れ先情報 (from 2011/03/19)
○ 全国共通情報 (国の対応など)
○ 温泉地リスト-1 / 東北・北海道
○ 温泉地リスト-2 / 関東・新潟
○ 温泉地リスト-3 / 中部・北陸以西
【 サブリスト 】 主要温泉地のリンク集
■ 主要温泉地のリンク集-1 (北海道~北東北)
■ 主要温泉地のリンク集-2 (南東北~関東)
■ 主要温泉地のリンク集-3 (東海~甲信越)
■ 主要温泉地のリンク集-4 (北陸)
【 コラム 】
01.片品村などで被災者受け入れ (3/19)
※.温泉地や温泉旅館を被災県の指定避難所指定(災害救助法適用)することを提起 (3/19)
※.観光庁「県境を越えた被災者の受け入れ支援」で災害救助法の制度活用 (3/24発表)
02.3/19~3/21の情報
03.東北地方の温泉地の日帰り情報
04.どうなる? 温泉地への避難 (4/3)
05.なにこれ・・・?? Part-2 (経産省「西へ旅行を」呼びかけを受けて・・・)(4/10)
06.秋田方式 & 長野方式 (4/17)
07.GWは観光地に・・・ (4/18)
08.どうなる? 二次避難 (4/20)
このデータは、平成23年3月に発生した東日本大震災に関連する情報です。
令和元年6月18日夜に発生した山形県沖を震源とする地震に係る情報ではありません。
ご注意願います。
2次避難の動きもしだいに活発化し、新規の受入情報も減ってきた(発表すべきところはもう発表している?)ので、1ヶ月以上つづけてきた「温泉地の被災者受入情報」の更新をひとまず休止します。(ただし、大きな動きがあったときは適宜更新します。)
この情報提供に賛同し、多くの情報をいただいた”一郷一会”メンバーの協力に深謝します。
個人的にこの情報をUPするきっかけになったのは、群馬県片品村の動きでした。
3/14に村の緊急会議で一億円の予算算出を決定、無料で被災者を受け入れるだけでなく、原発事故も重なって混乱を極める現地まで、バスを仕立てて被災者を迎えに行くというのです。(→ 報道 (5/2 東京新聞))
3/18には被災者を受入、そのスピード感と実行力は、まさに目を見はるものでした。
併行してみなかみ町など県内の温泉地で被災者受入が続々と表明され、これに触発されるかたち(?)で各地の温泉地でも被災者受入の機運が高まっていきました。
そのときに群馬県内の関係市町村首長がつかっていたのが「困ったときはお互い様」。
「福島とは尾瀬でつながっている。困ったときはお互い様だ。」(片品村 千明金造村長)
1億円の補正予算を組み積極的に被災者受入を打ち出したみなかみ町の岸良昌町長もこの言葉をつかわれていたのが、つよく記憶に残っています。
今回の震災では、日本国民の多くの人々がこの意識をもったのではないでしょうか。
たしかに、震災直後の混乱や復興にあたって、きれい事ばかりでなかったことは承知しています。
それでも、大きな流れでみると「困ったときはお互い様」の意識はいまも健在だったような気がしています。
ちなみに、江戸時代には”相身互い(あいみたがい)”という言葉がありました。
「同じ(困った)立場にある者は、互いに相手を思いやって助け合わねばならない」というほどの意味で、日本人が元来もっていた考え方のように思えます。
片品温泉の湯宿「子宝の湯 しおじり」のWebでは、被災者の方々を受け入れ、慣れない対応へのとまどいや、被災者の方々へのあたたかい気づかいがとてもよく伝わってきます。
一部引用させていただきます。
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伝えたい事を伝えるのには、どう話せばいいのでしょうか"........
☆とにかく、健康で元気に帰宅してもらう。その為のお手伝いと、協力をする為の避難所として宿の提供をしています。皆さんと、私たち家族一緒になってがんばろう。が、なかなか伝わらない。
☆傷付けないで、励ます言葉...難しすぎて見つからない。
☆個人の人格を、尊重しながら仲良く。穏やかに過ごしてもらいたい。が、伝わらない。若者。元気な年配の方。元気なお年寄り。持病や大病でも、じっと耐えて頑張っている方。それぞれの歴史の中で華やいで活躍していたのが分かります。
毎秒の様に流れるニュースでは、広がる不安。それでも...すぐに帰れる!と心に強い意志を持って耐えている皆さんです。
◎片品にいろんなボランティアさんが入って来る。片品の人達も色々やってくれる。整髪。マッサージ。炊き出し。音楽系。語りべ...。物資もやっと揃い、足りてきた。これ以上は贅沢すぎる。現地に行って助けてほしい。テレビや迎えの人達からの情報では、別の色んな避難所の大変な状況が伝わる。現地には避難勧告が出ているのに、帰る人達。大丈夫ではないのに、家が有る人達は家が心配だと帰る。帰る人達に駄目だとは、言えない。何もしてあげられない。
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■これに絡んだ”一郷一会”のメンバーの意見を紹介します。
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考えてみれば我々を動かしたのは、片品村の行動でした。
何を思ったか震災すぐに被災民の受け入れを表明し、バスを出して避難民を迎えにいくといった行動を起こしたことは、賞賛にあたいするものでした。
東電管内のエリアであって、福島県からの恩恵を得、福島県に隣接してるとはいえ、交流も少ない自治体総出で支援をしたのは凄いことだと思います。
実際には支援物資の受け入れや避難民の世話など通常業務のほかに、かなりの負担があると思います。
「困ったときはお互い様」こんな単純なことが日本人の最大の美徳だし、今回の震災で学んだことだと思います。
(参考) 雲仙普賢岳災害時の対応について
■また、”一郷一会”メンバーのおひとりは、宮城県に泥かきボランティアに行かれています。
「縁の下の泥かきは、狭い間隔の垂木下のヘドロかきで大変でした。スコップで掘って垂木の間を注意してスコップを通し、胸の高さになる一輪車に掬い上げます。一輪車も、初めはいいのですが、30分も経つと一輪車を通す道板がドロドロになり滑ります。もし、一輪車を押しながら滑ると、垂木の下に転げ落ち、大怪我をします。」
「最終日は雨だったので、海岸方面へ行ってみました。道路はかたづけてあるものの、甚大な津波被害に呆然となりました。テレビの画像そのままでした。戻る時に気づきましたが、私が泥かきをした地域は●●近辺で、この地区から海岸方向の集落は、住める家は一軒もありませんでした。」
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■ これまでUPしてきたリストやコラムを下記にまとめておきます。
【 メインリスト 】 被災者受入れ先情報 (from 2011/03/19)
○ 全国共通情報 (国の対応など)
○ 温泉地リスト-1 / 東北・北海道
○ 温泉地リスト-2 / 関東・新潟
○ 温泉地リスト-3 / 中部・北陸以西
【 サブリスト 】 主要温泉地のリンク集
■ 主要温泉地のリンク集-1 (北海道~北東北)
■ 主要温泉地のリンク集-2 (南東北~関東)
■ 主要温泉地のリンク集-3 (東海~甲信越)
■ 主要温泉地のリンク集-4 (北陸)
【 コラム 】
01.片品村などで被災者受け入れ (3/19)
※.温泉地や温泉旅館を被災県の指定避難所指定(災害救助法適用)することを提起 (3/19)
※.観光庁「県境を越えた被災者の受け入れ支援」で災害救助法の制度活用 (3/24発表)
02.3/19~3/21の情報
03.東北地方の温泉地の日帰り情報
04.どうなる? 温泉地への避難 (4/3)
05.なにこれ・・・?? Part-2 (経産省「西へ旅行を」呼びかけを受けて・・・)(4/10)
06.秋田方式 & 長野方式 (4/17)
07.GWは観光地に・・・ (4/18)
08.どうなる? 二次避難 (4/20)
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