関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
■ James Ingram & Patti Austin 「How Do You Keep The Music Playing」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
■ The WARRIORS 「Destination」 (1982)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
そういえば、「なんとなく、クリスタル」のサントラ、ほとんどAORで固められてたもんな。
A面ラストにはAORの定番といわれたこんな名曲も。↓
■ Boz Scaggs 「We re all alone」 (1976)
この曲、米国より日本で人気あったといわれているけど、いま聴き直すとやっぱりそんな感じがする。
Marty BalinゃBertie Higginsもそうだけど、結構ベタなメロ曲もAORに括られていた気がする。
だから、やっぱり「AOR」は日本のジャンルで、米国の「AC」(Adult contemporary)とはニュアンスがちがうと思う。(どーでもいいことだけど、この手のベタな日本受けするArtistやヒット曲を「Big in Japan」といいます。)
これまた、どーでもいいことだけど、「なんクリ」のサントラ、この手の曲が多いと思う。
「ぼくだけの東京ドライブ」(たまらなく、アーべイン)を読むと、田中康夫氏は「AC」系に造詣が深く、あえて日本での受け狙いで選曲を図った感じがする。
この狙いは的中し、1982~1983年にかけて日本ではAORが一大ブームとなったが、これはあとから考えると”諸刃の剣”だったかも知れず、定型化したAORは時を経ずして凋落を迎えることとなる。(次回以降に書きます。)
■MARTY BALIN 「Hearts」 (1981)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
☆ ベストヒットUSA 2003 / 80's COUNT DOWN USA / 1980年代ベスト20
面子、豪華すぎ(笑) でもやっぱり'80年代前半が多いな・・・。
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
興味ある方はこちらもどーぞ。
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
(おすすめの曲をいくつかこちらにあげといたので、よろしければどぞ。)
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
■ James Ingram & Patti Austin 「How Do You Keep The Music Playing」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
■ The WARRIORS 「Destination」 (1982)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
そういえば、「なんとなく、クリスタル」のサントラ、ほとんどAORで固められてたもんな。
A面ラストにはAORの定番といわれたこんな名曲も。↓
■ Boz Scaggs 「We re all alone」 (1976)
この曲、米国より日本で人気あったといわれているけど、いま聴き直すとやっぱりそんな感じがする。
Marty BalinゃBertie Higginsもそうだけど、結構ベタなメロ曲もAORに括られていた気がする。
だから、やっぱり「AOR」は日本のジャンルで、米国の「AC」(Adult contemporary)とはニュアンスがちがうと思う。(どーでもいいことだけど、この手のベタな日本受けするArtistやヒット曲を「Big in Japan」といいます。)
これまた、どーでもいいことだけど、「なんクリ」のサントラ、この手の曲が多いと思う。
「ぼくだけの東京ドライブ」(たまらなく、アーべイン)を読むと、田中康夫氏は「AC」系に造詣が深く、あえて日本での受け狙いで選曲を図った感じがする。
この狙いは的中し、1982~1983年にかけて日本ではAORが一大ブームとなったが、これはあとから考えると”諸刃の剣”だったかも知れず、定型化したAORは時を経ずして凋落を迎えることとなる。(次回以降に書きます。)
■MARTY BALIN 「Hearts」 (1981)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
☆ ベストヒットUSA 2003 / 80's COUNT DOWN USA / 1980年代ベスト20
面子、豪華すぎ(笑) でもやっぱり'80年代前半が多いな・・・。
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
興味ある方はこちらもどーぞ。
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
(おすすめの曲をいくつかこちらにあげといたので、よろしければどぞ。)
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
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