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■ 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で出てくる寺院もけっこうあるので、こちらも「鎌倉殿の13人」と御朱印「鎌倉市の御朱印」と併行してUPしていきます。

新型コロナウイルス感染拡大警戒中です。また、令和3年7月伊豆山土砂災害等の影響も懸念され、寺社様によっては御朱印授与を中止されている可能性があります。ご留意をお願いします。

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伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-1
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-2
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-3
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-4
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-5から。
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7へ。

〔 参考文献 〕
『こころの旅』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 こころの旅』(㈱ピーシードクター 刊)
『霊場めぐり』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 霊場めぐり』(伊豆観光霊跡振興会 刊)
を示します。


■ 第42番 大浦山 長楽寺(ちょうらくじ)
下田市Web資料
下田市観光ガイド
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市三丁目13-19
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:伊豆横道三十三観音霊場第23番、伊豆国(下田南伊豆)七福神(弁財天)
授与所:庫裡

安政元年(1854年)12月、大目付格・筒井政憲/勘定奉行・川路聖謨とロシア全権提督・プチャーチンとの間で日露和親条約(日露通好条約)が締結、翌年1月に日本側応接掛・井戸対馬守等と米国使節・アダムス中佐との間で日米和親条約批准書の交換が行われた寺院で、下田市の文化財に指定されています。

現地由緒書には「真言宗 弘治元年(1555)中興開山尊有により再興創建」と明記されていますが、草創年代は諸説あるようです。

現在の長楽寺は、明治初頭の神仏分離令で廃寺の危機に追い込まれた際、法光院長命寺と合併することで存続したといいます。

法光院長命寺は、ペリー艦隊に便乗して海外渡航するという企てに失敗した吉田松陰と金子重輔が一時拘禁された寺で、長命寺跡地は「吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)」として下田市の文化財に指定されています。

長楽寺について、『豆州志稿』には「下田町七間 真言宗 紀州高野山金剛峯寺末 本尊薬師 本尊薬師文明七年(1475年)之ヲ鍋田ノ海ニ得タリト 今尊有ヲ以テ開山トス(承應元年(1652年)入滅) 北條氏勝ノ文書ヲ蔵ム」とあります。

『豆州志稿』で法光院長命寺についての記載はみあたりませんでした。

文明七年(1475年)に鍋田の海(岸)に示現された薬師如来を僧尊宥(承應元年(1652年寂)が御本尊として開山という説があります。
当初は薬師院長楽寺と号して別の地にあったものを、弘治元年(1555年)に僧尊宥が現在地に移して再興開山という説もあります。

『霊場めぐり』では長楽寺の旧地は大浦の大浦堂(西向院)という説を紹介しています。

文明七年(1475年)に鍋田の海(岸)で示現された薬師如来が大浦の薬師院長楽寺で祀られ、弘治元年(1555年)に僧尊宥が現在地に移して再興開山という流れではないでしょうか。

伊豆横道三十三観音霊場第23番の札所ですが、札所本尊の聖観世音菩薩はもともと法光院長命寺の御本尊と伝わります。

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【写真 上(左)】 案内看板
【写真 下(右)】 山内

市内中心部ペリーロードのそばにあり、下田の観光ルートに組み込まれています。
なぜか山門の写真がみつからないので、山門はなかったかもしれません。
塀はナマコ壁で、南伊豆らしさを盛り上げています。


【写真 上(左)】 十二支守り本尊とナマコ壁
【写真 下(右)】 弁財天?

山内左手の朱の鳥居のお堂が七福神の弁財天とも思いましたが、本堂内かもしれません。
市の観光資料には「おすみ弁天」とありますが、こちらが七福神の札所本尊かどうかは不明です。
また、山内には宝物館があり、「お吉観音」が祀られています。吉田松陰ゆかりの遺品も収められているようです。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

本堂はおそらく宝形造で、頂部にはしっかり露盤、伏鉢、宝珠の3点セットが置かれています。
桟瓦葺。流れ向拝が設けられ飾り瓦つきの降り棟もあるので、典型的な宝形造ではありません。
水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻。

こぶりながら、端正にまとまったいい堂宇です。


【写真 上(左)】 木鼻の獅子
【写真 下(右)】 3種の御朱印

御朱印は庫裡にて拝受しました。
こちらは伊豆八十八ヶ所(薬師如来)、伊豆横道三十三観音(聖観世音菩薩)、伊豆国(下田南伊豆)七福神(弁財天)の3種の御朱印を授与されています。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 薬師如来

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 伊豆横道三十三観音霊場の御朱印 〕
● 聖観世音菩薩


〔 伊豆国(下田南伊豆)七福神の御朱印 〕
● 弁財天



■ 第43番 乳峰山 大安寺(だいあんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市四丁目2-1
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:伊豆国(下田南伊豆)七福神(大黒天)
授与所:庫裡

当初は小田原にあったともいわれ、暘谷山因善寺と号した真言宗寺院でしたが、天正十年(1590年)寂用英順が相州香雲寺の実堂宗梅を請じて開山とし、曹洞宗に改め改号と伝わります。(異説あり)

『豆州志稿』には「下田町山岸 曹洞宗 相州田原香雲寺末 本尊釋迦 本真言宗ニシテ因善寺ト号ス 天文中(1532-1555年)僧寂用再興改宗シテ寺号ヲ改ム 後天正十九年(1591年)戸田三郎右衛門忠次中興スト云 或ハ云永禄中(1558-1570年)寶堂和尚今ノ宗トシ寺名ヲ改ムト 天文十六年(1547年)明ノ商客李金橋養眞軒ノ記ヲ作ル 養眞軒ハ当寺ノ住層寂用和尚ノ号ナリ 此時改宗シテ香雲寺ニ隷ス 天正八年(1580年)北條氏政ノ寄進状を蔵ス 薬師堂太子堂天神祠倶寺域」とあります。  

将軍綱吉公代の貞享五年(1688年)3月、日向国佐土原藩主が将軍家御用材を御手船に積み江戸へ送る途中、遠州灘で嵐に遭い、やむなく積荷の一部を海に捨て難を逃れました。
しかし乗組員16名は御用材を海に捨てた責任をとって全員が切腹し、大安寺に埋葬されました。
船に残されていた材木は、大安寺の本堂の柱としていまも残っているそうです。
乗組員16名の墓は「薩摩十六烈士の墓」として下田市の文化財に指定されています。

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【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額

伊豆急下田駅から南にのびる「マイマイ通り」は下田のメインストリート。
この通りから、西側山手に向かって稲田寺、海善寺、宝福寺、八幡神社、大安寺、本覚寺、泰平寺、正面に了仙寺と並びさながら寺社町の様相を呈しています。
(そのほとんどが御朱印を授与され、下田は伊豆でも有数の御朱印エリアです。)

大安寺はそのまんなかにあり、「マイマイ通り」に向かって長く参道を延ばしています。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 山内

山門は切妻屋根銅板葺の薬医門で、山号扁額を掲げています。
山門まわりはこぢんまりとした感じですが、山内は思いのほか広がりがあります。


【写真 上(左)】 列士墓所の案内
【写真 下(右)】 本堂

山門正面が本堂、その左手に聖観世音菩薩像、地蔵尊、鐘楼、その奥に切妻造のお堂。
お堂内の尊格は不明ですが、『豆州志稿』に「薬師堂太子堂天神祠倶寺域」とあるので薬師堂か太子堂かもしれません。


【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 本堂まわり

本堂は入母屋造本瓦葺の風格ある建物で向拝柱はありません。
向拝見上げに寺号扁額。
本堂前は多重塔、狛犬、石灯籠、摩尼車、天水鉢と賑やかです。
この摩尼車は、摩訶般若波羅蜜多心経、大悲心陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、舎利礼文、四弘誓願文と刻まれたすぐれものです。


【写真 上(左)】 摩尼車
【写真 下(右)】 向拝

七福神の大黒天は本堂向かって左手にお前立が御座しましたが、御本尊は本堂内のようです。

本堂内は華やかで、見上げには「大覚尊」の扁額が掲げられていました。


【写真 上(左)】 向拝扁額
【写真 下(右)】 本堂内扁額

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 釈迦如来

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 伊豆国(下田南伊豆)七福神の御朱印 〕
● 大黒天



■ 第44番 湯谷山 廣台寺(こうだいじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市蓮台寺140
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:伊豆横道三十三観音霊場第19番
授与所:庫裡

蓮台寺温泉は奈良時代、行基菩薩による開湯とも伝わる南伊豆有数の名湯です。
廣台寺はこの蓮台寺温泉にある曹洞宗寺院です。

当初は藤原峯上(那岐里山)の桂昌庵という真言宗の小庵でしたが、慶長十七年(1612年)現在地に移り格雄宗逸和尚により曹洞宗に改宗して開山、湯谷山廣台寺と号を改めました。

『豆州志稿』には「蓮臺寺村 曹洞宗 吉佐美曹洞院末 本尊観世音 昔那岐里山ニ在リ 以テ山号トセリ 元和(1615-1624年)寛永(1624-1644年)ノ間今ノ地ニ移シ 以格雄和尚初祖トス 初桂昌庵ト号ス 格雄ノ時改称ス」とあります。

安政元年(1854年)の大津波の際、下田に滞在していたロシアのプチャーチン提督と勘定奉行川路聖謨が当寺に避難しています。

明治の初年には、地名のもととなった旧蓮臺寺の御本尊・大日如来が当寺で護持されていたとも伝わります。
蓮臺寺についても『豆州志稿』に記載がありました。
「蓮臺寺村号温泉山 天平勝寶三年(751年)行基開場 承久(1219-1222年)の頃廃ス 尚小堂ヲ立テヽ本尊大日ノ像ヲ安ス 村名蓋シ寺号ヨリ起ル」

現在、この旧蓮臺寺の御本尊・木造大日如来坐像(鎌倉期・木彫漆箔寄木造)は国の重要文化財に指定され、蓮台寺温泉街の西のはずれの丘上にある天神神社の収蔵庫に安置されています。

御本尊は聖観世音菩薩で伊豆八十八ヶ所の札所本尊。
別尊の十一面観世音菩薩は、伊豆横道三十三観音霊場の札所本尊です。

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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 参道

蓮台寺温泉は高級宿が点在しているイメージで、温泉街のイメージは強くありません。
その一角に廣台寺があります。

参道入口に寺号標。少しくおいて山肌を背に山門と本堂の屋根が見えます。

山門手前に禅刹お決まりの「不許葷酒入山門」碑と欄干を備えた「天門橋」。
山門は切妻屋根本瓦葺で整った掛け瓦と大棟に山号、戸上に山号扁額を掲げて堂々たる構え。
おそらく薬医門かと思われますが、確信ありません。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額

手入れの行き届いた山内で、背後の山肌のかかり具合が絶妙です。
正面の本堂は入母屋造桟瓦葺で、降り棟と隅棟がおり成す直線が印象的。
向拝柱はなく、すっきり端正にまとまった堂まわり。


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 六地蔵


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 横道観音霊場の御詠歌

庫裡でお声掛けすると、本堂に通していただけました。

金色の立派な天蓋に紫色の向拝幕も映えて、華々しい印象の堂内。
正面お厨子内のお像は御本尊の聖観世音菩薩でしょうか。
別に閉扉のお厨子があって、横に「伊豆横道札所 広台寺 十九番 観世音菩薩」の札所板がおかれ、御詠歌も掲げられていました。

このとき、伊豆八十八ヶ所と伊豆横道観音札所をともに巡拝したので、御本尊・聖観音の御前では勤行一式。
横道札所・十一面観世音菩薩の御前では十句観音経、十一面観世音菩薩の御真言などをお唱えしました。

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 聖観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 伊豆横道三十三観音霊場の御朱印 〕
● 十一面観世音菩薩



■ 第45番 三壺山 向陽院(こうよういん)
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市河内289
臨済宗建長寺派
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:伊豆国(下田南伊豆)七福神(恵比寿)
授与所:庫裡

「千人風呂」で有名な河内温泉「金谷旅館」のそばにある臨済宗建長寺派の古刹です。

『こころの旅』『霊場めぐり』から由緒を追ってみます。
應永九年(1402年)叡山天台宗の学僧・公範阿闍梨が諸国行脚の折に河内を訪れました。
阿闍梨は、この辺りはいかにも諸佛遊化の霊地勝境と感得され、草庵を結ばれ虚空蔵菩薩と地蔵菩薩を奉安し、地蔵密庵と号したのが草創開基と伝わります。
明應元年(1492年)、鎌倉から宣梅和尚(普翁國師とも)が入られ臨済宗に改宗して三壺山向陽院と号を改めて開山。

『豆州志稿』には「河内村 臨済宗建長寺派 相州鎌倉建長寺末 本尊虚空蔵 應永中(1394-1428年)僧公範創立地蔵寺院ト称シ天台宗ナリ 明應元年(1492年)僧宣梅改宗シテ向陽院ト号ス 宣梅和尚創建(天文元年(1532年)示寂)」とあります。

『霊場めぐり』で紹介されている『高根地蔵略縁起』によると、御本尊・地蔵菩薩は向陽院の縁の下から掘り出された石佛で、自ら疱瘡をなして里人の身代わりとなり、伊豆沖を航行する廻船が闇夜灘風に進路を失うときは、自ら燈火をともして航路を示されたといいます。
とくに、海上安全、家内安全祈願の地蔵尊として信仰を集めているとのこと。

現在、向陽院本堂には虚空蔵菩薩、高根山山上の境外仏堂には高根地蔵尊が奉安されている模様です。
高根地蔵尊は享保九年(1724年)に向陽院から高根山にご遷座で、嵐の廻船を救われたというのは、この山上からではないでしょうか。

なお、高根山は伊豆山の古々比の森、堂ヶ島の揺橋とともに”伊豆三勝”に数えられるそうです。
山上の様子と地蔵堂は→こちら(YAMAP)で紹介されています。

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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 山門


国道414号天城街道から一本入った道から参道がはじまります。
河内温泉は湯量が豊富で、『霊場めぐり』によると以前はこの近くに「水道の湯」という自然湧出の共同浴場があり、向陽院裏手では53℃の温泉が湧出しているそうです。

 
【写真 上(左)】 高根地蔵尊別当碑
【写真 下(右)】 山内の地蔵尊

山門手前の「高根山地蔵尊別当」の碑と門柱の「壱月廿四日 高根地蔵海上交通安全祈祷会」の札板は、当山が高根山の地蔵尊の別当(いまでいうと護持寺院)であることを示しています。


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 右手の堂宇

山門は切妻屋根桟瓦葺の四脚門、柱が細めですっきりとした印象。
正面は本堂、参道左手に地蔵堂、右手にも堂宇があり、各堂の屋根が重なり合って美しいラインを描き出しています。


【写真 上(左)】 ふたつの地蔵堂
【写真 下(右)】 手前の地蔵堂

地蔵堂は直角に2宇設置され、手前には多くの地蔵尊、奥のお堂には一躯の地蔵尊が奉安され、手前のお堂には高根不動尊の由緒書が掲げられていました。

叙情ゆたかな文章なので、そのまま引用させていただきます。
「ある年の暮、紀州の国の蜜柑船が大島沖で時化にあい、舵がこわされてしまって船は木の葉のように波にゆりうごかされ今にも沈みそうになりました。その時一人の水夫が高根のお地蔵さんが海難をお守り下さることを思い出して一心不乱に『南無、高根地蔵尊』と唱えてお祈りしました。すると高根山の頂から白い光が現れ、船はその光にみちびかれて無事下田の港につくことが出来たと云われて居ります。それから急に高根の地蔵さんの名は船乗りの間に有名になり、伊豆沖を通過する漁船、運搬船など多くの船がこの地蔵さんに救われたと云われております。(伊豆の民話より)」

右手の堂宇には「金比羅宮」「天満宮」の銘板が掲げられ地主神かもしれません。
堂内にはお像が御座しますが、尊格はわかりませんでした。

『霊場めぐり』に「本堂前にある200㎏余りの石は、当山のダッカイ和尚(三世伝外和尚か)という怪力の和尚が手玉にとった」とありますが、うかつにも見落としました。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

本堂は寄棟造桟瓦葺で手前に千鳥破風、大棟に山号を掲げています。
千鳥破風が大がかりなので付設向拝のように見えますが、大棟から降る流れ向拝かと思います。
水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、中備には本蟇股。
向拝柱が太くがっしり安定感ある向拝です。

虚空蔵菩薩を御本尊とする寺院はめずらしくないですが、伊豆八十八ヶ所ではこちらと第63番保春寺の2箇所のみとなっています。
札所リスト

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 虚空蔵菩薩

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 河内温泉 「千人風呂 金谷旅館」の入湯レポ


■ 第46番 砥石山 米山寺(べいざんじ/よねやまじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市箕作
無属
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:-
授与所:寺役管理

伊豆八十八カ所もようやくなかばを過ぎたところ。
ここからいよいよ霊場の核心部ともいえる南伊豆の山中に入っていきます。

ここからの巡路は、伊豆急「稲梓」駅そばの46番米山寺から松崎に向かう県道15号沿いの龍門院(47)、太梅寺(49)、報本寺(48)と回り、婆娑羅峠を越えずに県道を引き返し、小浦・妻良へ向かう県道119号沿いの大賀茂の曹洞院(52)というやっかいなルートです。

しかもここからは無住寺院がいきなり増えます。
他札所での拝受はまだしも、「寺役管理」(寺役さんを電話でお呼びしてお出しいただく、あるいはご自宅にお伺いする)という札所も少なくありません。
運に恵まれないと後日事務局でいただく枚数が多くなるし、御朱印帳の場合は授与いただけない札所も出てきます。

それに加えて、カーナビが頼りにならないことも。
近くまで行ってもいきなり畦道に誘導されたり、そもそもカーナビに登録されていない札所もあったかと思います。
(カーナビよりグーグルMAPの方がカバーしている可能性が高いので、カーナビ不可の場合はグーグルMAPが有効。)
交通量は総じて少ないですが、札所へのアプローチは狭い道が多く、運転には細心の注意が必要です。

それでは第46番米山寺です。
住所はいきなり「下田市箕作」。地番がありません(笑)
でも、国道414号に面しているし、「米山薬師」というバス停もあるので到達難易度はさほどではありません。

現地掲示によると、米山薬師は天平五年(733年)、行基菩薩が当地に留錫されたとき「此の地を観ずるに、東方医王の浄刹に似て仏を作り寺を建つるに佳なるべし」とお告げになり、茶粉と苦芋(トコロ)を練り合わせ、斎戒沐浴、四十八日の長き行の末に薬師如来像を造立されました。
村人たちは堂宇を建ててこの尊像を安置し、以降篤く信仰しました。(『米山薬師縁起』)

その御利益は「僅かに御名を唱ふる輩は万事諸願に満足し、故に定業必死の人も此に来れば、則ち快癒を得る」といわれ、ことに眼病疾病に霊験あらたかで越後の薬師寺(米山薬師)、伊予の薬師寺(山田薬師)とともに「日本三薬師」に数えられ広く信仰を集めます。

下田市Web資料でも米山薬師の縁起が紹介されています。

伊豆八十八ヶ所唯一の無属寺院で現在無住。信徒会によって護持されているようです。

現地掲示によると、御本尊の薬師如来は拝堂から約500m30分ほど登った山頂の本堂(奥の院)に安置とのこと。
御本尊は秘仏で、60年毎(30年目に中開帳)の11月に3日間の御開帳。直近では2015年が中開帳でした。

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【写真 上(左)】 国道沿いの看板
【写真 下(右)】 参道入口

国道414号天城街道沿いに拝堂があり、伊豆急「稲梓」駅近くのヤマト運輸配送センターの対面。若干の駐車スペースがあります。


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 参道階段

国道に面して札所標、石灯籠に石段。少しくのぼると拝堂です。
拝堂はおそらく寄棟造瓦葺で、向拝を付設しています。


【写真 上(左)】 拝堂
【写真 下(右)】 向拝

拝堂の壁に御朱印案内があり、御朱印代をお堂の浄財口に納めてから、案内にある寺役さん宅に伺うか龍巣院(箕作620-1)で拝受するかたちです。
筆者は寺役さんから授与いただきました。


【写真 上(左)】 奥の院への参道
【写真 下(右)】 石仏

拝堂の向かって右裏手から本堂(奥の院)への石段参道がはじまりますが、筆者は拝堂からの遙拝とさせていただきました。
参道登り口には石仏が安置され、霊場らしい厳かな空気が感じられました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 薬師如来

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第47番 保月山 龍門院(りゅうもんいん)
下田市Web資料
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市相玉386
曹洞宗
御本尊:青面金剛明王
札所本尊:青面金剛明王
他札所:-
授与所:第52番曹洞院

『こころの旅』『霊場めぐり』によると由緒は以下のとおりです。
康和元年(1099年)6月、保月嶽頂上の老松に光を放つものがあり、頂に登ってみるとそれは一躰の仏像でした。
人々は「龍が降臨する」と云われていた龍門ヶ嶽に庵を建て、この尊像を安置しました。
あるとき、この地を訪れた行脚の僧が「この像は青面金剛明王である」と云い、以降、青面金剛明王として奉安するようになりました。

『豆州志稿』によると、寛治中(1087-1094年)僧海光が真言宗寺院として創立。
文禄二年(1593年)横川太梅寺四世法山秀禅が再興して曹洞宗に改宗しています。

下田市資料(相玉の庚申さま)によると、こちらの青面金剛明王(庚申さま)はまことに霊験あらたかで、土地の人達は俗に「相玉の庚申様」と呼んで尊信篤く、ことに大漁の神として漁業関係の人々をはじめ、花柳界の人たちの信仰も篤いとのこと。
62年に1回、7日間の御開帳があるそうです。

『豆州志稿』には「銀泉山龍門院 相玉村 曹洞宗 横川太梅寺末 本尊青面金剛 寛治中(1087-1094年)僧海光創立 真言宗ナリ 文禄二年(1593年)太梅寺四世秀禅再興シテ改宗ス 庚申堂寺内」とあります。

御本尊の青面金剛明王は複雑な尊格で、庚申様と同体とみる説もありますが、別の尊格とする説もあります。
『神仏混淆の歴史探訪』(川口謙二氏著、東京美術刊)には「庚申の神像と密教で奉ずる青面金剛とは(もともと)なんの関係もなく、日本に庚申信仰が渡来して密教と結びつき付会されたものである。」とあります。

一方、同書には「『真俗仏事編』第一に古徳の口説をあげ、『青面金剛の法は伝尸病を除く秘法なり。而るに伝尸は則ち三尸の虫なりとす。因レ茲青面金剛を庚申の本地となす。』」という記載があります。

三尸とは、道教由来とされる人間の体内にいる虫で、庚申信仰(庚申待)と深いかかわりをもちます。
詳細は→こちら(Wikipedia)

わが国に伝来する前は別々の尊格で、日本の神仏習合のもとで「庚申の本地は青面金剛」とされ習合したものとみられているようです。
よって、青面金剛明王が御本尊の当寺を「相玉の庚申さま」として崇めるのは、神仏習合のもとでは自然な流れかと。

青面金剛の御朱印は、関西では大阪市天王寺区の四天王寺庚申堂のものが知られていますが、東日本では例がすくなく稀少です。
もちろん、伊豆八十八ヶ所でも唯一の尊格です。

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【写真 上(左)】 龍門院バス停
【写真 下(右)】 参道


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 冠木門

第46番米山寺からもほど近い、県道15号下田松崎線沿いにあります。
道路沿いから参道階段が伸び、「龍門院」のバス停もあるのでわかりやすいです。
中世の武家館のようないかつい石段に囲まれた石段。
上り口に立派な札所標。すこしく昇ると石造の冠木門。そのよこに「庚申尊」の石碑が見えます。


【写真 上(左)】 「庚申尊」の石碑
【写真 下(右)】 境内入口


【写真 上(左)】 参道正面の堂宇
【写真 下(右)】 同 斜め右手から

のぼり切ると正面に入母屋造桟瓦葺流れ向拝の堂宇で、おくに一段高く青緑色の妻入りの建物が千鳥破風を見せています。
位置関係からすると、手前が拝殿、おくが本殿の神社様式のようにも見えますがよくわかりません。
向かって左手に向拝柱と簡素な水引虹梁。

【写真 上(左)】 同 向拝
【写真 下(右)】 2つの堂宇


【写真 上(左)】 右手の堂宇
【写真 下(右)】 同 向拝

右手には、宝形造桟瓦葺流れ向拝のお堂があります。
こちらは仏堂のつくりですが、どちらが本堂かはよくわかりません。
参道正面の方はつくりからして参籠所のような感じもしましたが、そうなるとおくに本殿様の別堂を設けている意味がわかりません。

御朱印は大賀茂の第52番曹洞院でいただけますが、距離があるので夕刻など要注意です。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 青面金剛明王

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第48番 婆娑羅山 報本寺(ほうほんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
下田市加増野433-1
臨済宗建長寺派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:-
授与所:庫裡

『こころの旅』『霊場めぐり』には以下のとおりあります。
元享三年(1323年)、富貴野山宝蔵院(第81番札所)に向かっていた堀ノ内村の真言宗成就院の円願阿闍梨は、加増野村の風岩峠で濃霧のため道に迷いました。
すると、白衣の老人があらわれ「吾はこの山を守護する明神である。この山は弘法大師の霊境で仏法有縁の地であり、一宇を建てれば功徳多かるべし。」と告げられて忽然と姿を消しました。

円願阿闍梨は歓喜して堂宇を建立し、嘉暦元年(1326年)成就院の観世音菩薩像を遷し御本尊として奉安、婆娑羅山神護寺と号して開山と伝わります。
しばらく無住の時期もありましたが、河津町の沢田林際寺の開山・松嶺に随行されていた哲叟友愚禅師が中興開山して臨済宗に改めました。

『豆州志稿』には「加増野村 臨済宗建長寺派 相州鎌倉建長寺末 本尊正観世音 本婆娑羅山ニ観音ノ小堂アリ 嘉暦中(1326-1329年)僧圓岩ノ創立ニシテ真言宗ナリキ 慶永中(1394-1428年)湛忠和尚今ノ地ニ移シ寺号ト為ス 此時ヨリ建長寺ニ隷ス 寺後石窟ニ四國八十八ヶ所ノ諸佛ヲ置ク」とあります。

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【写真 上(左)】 石段下
【写真 下(右)】 門柱

県道15号下田松崎線の婆娑羅峠の手前にあります。
順打ちでは婆娑羅峠は越えずに下田方面に引き返すことになるので、下田側最奥の札所になります。
ちなみに、下田市Web資料によると「婆娑羅山はその昔弘法大師が婆娑羅三摩耶を修した霊場で仏法有縁の地として知られ、『婆娑羅山』の名もそれから出ている」とのことで、お大師さまゆかりの山域のようです。
また、上記によると、ここには「親捨て」にまつわる伝承が残っています。

県道沿いに参道入口がありますが、周辺は駐車スペースがないので、たしか脇道からいったん本堂そばまで車でのぼり、そこから徒歩で下って参拝しました。


【写真 上(左)】 参道-1
【写真 下(右)】 参道-2

県道からかなりの段数の参道階段がのびています。
その先に山号、寺号が刻まれた門柱。
ここから先は杉木立の下、太鼓橋様の石橋や石仏を見ながらの道行きとなります。


【写真 上(左)】 山門下
【写真 下(右)】 境内

山門の下は踊り場になっていて、二段の石垣が組まれて城内の曲輪のようです。
山門は切妻屋根桟瓦葺で大がかりな降り棟を置き、おそらく四脚門と思われます。

山門をくぐると一気に視界が広がります。
境内前庭の枝垂桜は樹齢200年を越え、下田市の文化財に指定されています。

境内のオガタマノキは県の天然記念物に指定されているようです。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

文化年代(1804-1817年)の築と伝わる本堂は、寄棟造桟瓦葺で照りのきいた端正なつくり。
向拝柱はなく、格子戸がメインのシンプルな構成。右手は庫裡です。


【写真 上(左)】 堂内
【写真 下(右)】 扁額

庫裡でお声掛けすると本堂を開けていただけました。
禅刹らしいすっきり整頓された堂内、向拝見上げには山号扁額が掲げられていました。

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 聖観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7へつづく。



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