関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)から
鎌倉市の南東側(県道311号葉山鎌倉線、国道134号線)から入るルートで、若宮大路東側の大町、小町一丁目・二丁目、材木座の寺社をご紹介します。
まずはリストです。
日蓮宗と浄土宗の寺院が多いエリアです。
20.妙法華経山 安国論寺(あんこくろんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町4-4-18
日蓮宗
御本尊:十界未曾有大曼荼羅と日蓮聖人像
札所:東国花の寺百ヶ寺霊場第95番
大町、材木座は、日蓮宗寺院の名刹が集中しています。
こちらも日蓮宗の名刹です。
寺伝によると、日蓮聖人が建長五年(1253年)に房総の清澄寺で立教開宗された後、鎌倉での布教を志され、松葉ヶ谷の岩窟に草庵を結ばれたのが当山の始まりです。
日蓮聖人はこの地で約20年を過ごされ、『立正安国論』もここで執筆されました。
重要な内容なので、公式Webからそのまま引用します。
「(日蓮聖人は)『立正安国論』を奏進したことにより権力者や他宗派の人々の怒りを買い、同年(文応元年(1260年))8月27日に焼き討ちに遭いました。此処の地名を取って『松葉ヶ谷の法難』と呼びます。このような縁起により 当山は『松葉ヶ谷霊跡 妙法華経山 安国論寺』といいます。昔は『安国論窟寺』とも言いました。『松葉ヶ谷の法難』だけでなく『伊豆流罪』の時も『龍口法難』の時もこの地で捕縛されました。その意味で、日蓮聖人のご生涯中でもとりわけ重要な場所と言えます。また、この地で多くの人が弟子となり信者となりました。教団としての日蓮宗の始まりの地とも言え、安国論寺はとても大切なお寺です。」
「日蓮聖人の代表的著作である『立正安国論』は、文応元年(1260年)7月16日に前執権北条時頼に奏進されました。(中略)『立正安国論』という題名から非常に難しい内容のように思われますが(中略)簡潔に言うと、法華経(妙法蓮華経)は苦難に満ちたこの世に生きる私達を救う最高の教えです。その教えを信仰し、落ち着いた平和な国を作りましょうというのがその主題です。この日蓮聖人の主張は仏教の本義に基づき、現実の世界にも照らし、また理性的論理的判断としても合理的なものですが その舌鋒の鋭さから 特に他の宗教の僧侶や信者から大変な怒りをかうことになりました。『立正安国論』は幕府に無視されたばかりか、これにより日蓮聖人は数多くの攻撃や迫害を受けることになります。しかしその後、本書の警告通りに他国侵逼難(外国からの侵略)・自界叛逆難(内乱)が実際に起きたことからその正しさが明らかとなり、一方で日蓮聖人を信仰する人々も増えてゆくことになります。日蓮聖人は 最期の門弟への講義でも取り上げるなど 生涯に亘って本書を重んじました。」
引用が長くなりましたが、このように日蓮宗においてたいへん重要な寺院です。
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県道311号鎌倉葉山線が逆川を渡る二俣を左手の道に入ります。
この分岐にはすでに安国論寺の寺号標がありました。
ここから安国論寺の前まではほぼまっすぐで、参道的な趣き。
【写真 上(左)】 県道沿いの寺号標
【写真 下(右)】 県道からの道行き
ここ大町四丁目あたりは鎌倉市街から山側の名越切り通しへののぼり口で、あたりは閑静な住宅街です。
ここには当寺と、日蓮宗の名刹、妙法寺があり、日蓮宗にとっては聖域的な場所ですが、観光客のすがたはあまり多くはありません。
駐車場はないので、車の場合、材木座寄りのコインパーキングに停めることになります。
【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 寺号標
参道は道からすぐに階段で、脇に「日蓮上人草庵跡」の石碑があります。
「建長五年(1913年)日蓮上人房州小湊ヨリ来リ此地ニ小庵ヲ営ミ初メテ法華経ノ首題ヲ唱ヘ正嘉元年(1917年)ヨリ文應元年(1920年)ニ及ビ巌窟内ニ籠リ立正安國一巻ヲ編述セシハ則チ此所ナリト云フ」
その先には「松葉谷根本霊場 安國論寺」の寺号標。
【写真 上(左)】 山門前
【写真 下(右)】 山門
さらに進むと山門。
切妻屋根桟瓦葺の唐様四脚門で、延享三年(1746年)尾張徳川家によって再建されたもの。
「安國法窟」の扁額は、元禄四年(1691年)佐々木文山の揮毫によるものです
【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 境内案内
その先に拝観料納所と、その奥に庫裡。御首題・御朱印は参拝後にこちらでいただけます。
【写真 上(左)】 早春の参道
【写真 下(右)】 晩秋の参道
その先の参道は石畳で両側に竹垣が結われ、左手には重厚な石灯籠と、引き出された縁台には緋毛氈がひかれて趣きがあります。
背後を山に囲まれた風情のある山内で、秋の紅葉も見事です。
【写真 上(左)】 本堂前
【写真 下(右)】 本堂
参道正面の本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝で、水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻を置いています。
正面格子扉の上には「立正安國」の扁額。
向拝軒から身舎まで四軒の垂木を並べ、名刹にふさわしい堂々たる構えです。
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝-1
【写真 上(左)】 本堂向拝-2
【写真 下(右)】 本堂扁額
本堂向かって右手に進むと日朗聖人荼毘所。
当所で日蓮聖人に弟子入りした日朗聖人は本弟子六人の一人で、この地で荼毘に付して欲しいと御遺言されました。現在のお堂は昭和57年に建てられたものです。
【写真 上(左)】 日朗聖人荼毘所
【写真 下(右)】 日朗聖人荼毘所の扁額
本堂対面の熊王殿は、日蓮聖人に従った熊王丸が勧請した熊王大善神をお祀りするお堂で、厄除、眼病や歯痛などに霊験あらたかとされます。
切妻造ないし入母屋造の妻入りで、前面に大ふりな向拝が設えられています。
背後の岩盤に嵌め込むように建てられているので、間口の狭い妻入り様式なのかもしれません。
【写真 上(左)】 熊王殿
【写真 下(右)】 熊王殿扁額
水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に本蟇股。
正面硝子格子扉の上には「熊王殿」の扁額。
【写真 上(左)】 富士見台への階段
【写真 下(右)】 富士見台からの眺望
熊王殿脇の急な階段をのぼると富士見台。
鎌倉駅付近から由比ガ浜まで一望でき、晴れた日には富士山や伊豆大島も望めるそうです。
そのまま尾根伝いに行くと「立正安国の鐘」、さらに進むと南面窟で15分ほどの巡拝コースとなっています。
南面窟は、松葉ヶ谷法難の際に日蓮聖人が白猿に導かれて難を逃れ一夜を明かされたところといわれます。
【写真 上(左)】 本堂側からの御小庵
【写真 下(右)】 御小庵
熊王殿の奥には御小庵と御法窟がありますが、現在非公開となっています。
御小庵はその奥にある御法窟の拝殿で、御法窟は御小庵の奥にある岩屋です。
この御法窟がかつて日蓮聖人がお住まいになられた御草庵跡で、こちらで『立正安国論』も執筆されたと伝わります。
【写真 上(左)】 御小庵の見事な彫刻
【写真 下(右)】 御小庵の扁額
御小庵は宝形造で本瓦葺、本堂は桟瓦葺なので、御小庵の堂格の高さがうかがわれます。
江戸時代末期、尾張徳川家の寄進によるもので総欅造り、屋根の照りが効いた均整のとれたお堂です。
軒下向拝の水引虹梁両端に獅子と貘の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻。
彫刻類はいずれも見事な仕上がりで、正面格子扉の上には「御小庵」の扁額が掲げられています。
当山は花の寺で、御小庵そばの樹齢760年ともいわれる山桜は「妙法桜」と呼ばれ、「日蓮上人が地面についた杖から根付いた」という伝説をもち鎌倉市天然記念物。
本堂手前左の山茶花も銘木として知られ、こちらも鎌倉市天然記念物に指定されています。
東国花の寺百ヶ寺霊場第95番の花種は「妙法桜」です。
こちらの御朱印は豪快な筆致で知られています。
御朱印は書置が用意されている模様ですが、御首題は御住職ご不在時はいただけないので、御首題拝受の際には事前TEL確認がベターかもしれません。
【写真 上(左)】 御首題
【写真 下(右)】 花の寺霊場の御朱印(御朱印帳書入)
【写真 上(左)】 御朱印(平成30年11月)
【写真 下(右)】 御朱印(令和3年12月)
21.楞厳山 妙法寺(みょうほうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市Web
鎌倉市大町4-7-4
日蓮宗
御本尊:釈迦三尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
鎌倉市資料(市史、Webなど)によると、妙法寺は房総から布教のため鎌倉に入った日蓮聖人が最初に結ばれた草庵(松葉ヶ谷御小庵)の地とされています。
鎌倉の僧や武士により焼き打ちされた松葉ヶ谷法難も、この地であるという伝承があります。
この草庵跡に日蓮聖人が建てられた法華堂が本圀(國)寺で、本圀寺が室町時代に京都へ移されたあと、延文二年(1357年)日叡上人が父・大塔宮護良親王の菩提のために寺を再興したのが妙法寺の起こりといわれます。
「開山は日蓮と称し、中興開山を五世日叡とする。」(『鎌倉市史 社寺編』)
日蓮聖人は文永八年九月までこの地(御小庵)を布教伝道の拠点とされたと伝わります。
日叡上人は幼名を楞厳(りょうごん)丸といい、妙法房と称したのでこれを山号・寺号としたともいいます。
鎌倉市史には「塔頭として重善院、円蔵院、顕応坊、蓮乗坊、常縁坊など五院があって、南北朝から室町時代にかけては、なかなか盛んな寺であったことが想像できる。」とありますが、その後荒廃したと記されています。
しかし「十一代家斉が参拝し、明治三十年頃までお成の間があった。また現在の本堂は肥後の細川氏の建立」とあるので、江戸後期には相応の寺格を有していたものとみられます。
松葉ヶ谷(本國寺旧跡)は日蓮宗にとって大切な霊地ですが、その変遷については諸説あるようです。
『鎌倉攬勝考』には以下のとおりあります。
「松葉ヶ谷 名越の内なり。長勝寺の境内を松葉ヶ谷と唱ふ。日蓮安房國小湊より当所へ渡りし時、三浦へ着岸し、夫より切通を経て此邊に庵室を結ひ給ひし地なり。後に京都へ移されし本國寺の舊跡の條を合せ見るへし。」
本國寺舊跡について、『鎌倉攬勝考』には以下のとおりあります。
「本國寺舊跡 松葉が谷といふ。名越切通坂下、今の長勝寺の地なりといふ。安國寺も松葉の谷なり。最初日蓮居住の舊跡、貞和(1345-1350年)の初に本國寺を京都へ移さる。長勝寺、今は地名を石井と唱ふ。日蓮上人舊跡由緒を失ふにひとし。日蓮、松葉が谷本國寺を日朗へ与へ、日朗より日印・日靜と註し、日靜は貞和元年(1345年)の頃本國寺を京都へ移し、此所を日叡に授与せしむ。其後日叡本國寺を改め、妙法寺と号し、其後断絶せしを、再興の長勝寺と称する由。●京都へ移されし日靜といふは、尊氏将軍の御叔父なり。夫ゆへに、本國寺大伽藍建立せられ、大寺となれり。」
境内には美しい苔の石段があることから、「苔寺」とも呼ばれます。
鎌倉ゆかりの俳人・高浜虚子が俳句会を開いたとされ、虚子の次女・星野立子や門下の汾陽(かわみなみ)昌子などの句碑が残ります。
本堂向かって右手の仁王門の奥(奥の院エリア)には苔の階段、法華堂、松葉谷御小菴霊跡、伝・護良親王の御墓などの見どころがあります。
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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 石標
安国論寺の参道前を右手に行く道が、妙法寺への参道です。
この分岐に台座に「松葉谷」と刻まれたお題目塔、寺号標、「高祖御小菴之本土」と刻まれた石標が建っています。
少し進むと右手に山側に向かう道、その正面が山門です。
このあたり、来訪者はさして多くはないようですが、鎌倉らしい寂びた雰囲気があります。
【写真 上(左)】 山門前
【写真 下(右)】 石標と山門
山門手前に「松葉谷御小菴霊跡」と刻まれた石碑。
山門は切妻屋根銅板葺の四脚門で通常閉門のようです。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 受付から本堂方向
山門右手をすすむと、拝観料受付です。
現在の状況は不明ですが、2019年春時点(新型コロナ禍前)では夏期(7-8月)、冬期(12-3月)は奥の院の参拝は土・日・祭日のみ可能で、本堂までは通年お参りできました。
筆者は奥の院参拝可能日に参拝していないため、こちらについての写真やご案内はありません。
後日参拝したうえで加筆したいと思います。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 本堂
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は入母屋造銅板葺で前面に均整のとれた唐破風を起こしています。
水引虹梁両端に獅子・貘雲の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備には龍の彫刻、兎毛通の朱雀?の彫刻もなかなか見事なものです。
向拝正面桟唐戸のうえには山号扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 木鼻の獅子
【写真 下(右)】 扁額
本堂は欅造りで、均整のとれた構えや彫刻類の精緻さからみても大名・細川氏の寄進を物語るものがあります。
御首題・御朱印は庫裡にて拝受しました。
【写真 上(左)】 御首題
【写真 下(右)】 御朱印
22.法華山 本興寺(ほんこうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町2-5-32
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
日蓮聖人の直弟子で「九老僧」の一人・天目上人が延元元年(1336年)に開創した寺で、日蓮聖人が辻説法の途中に休息されたことから、当所は休息山 本興寺と称していました。
その後二世日什上人(明徳三年(1392年)寂)により山号を法華山と改め、開基を天目上人、開山は日什上人とされています。
日蓮聖人の辻説法ゆかりの寺院であることから、通称「辻の本興寺」とも呼ばれています。
『新編相模國風土記稿』の本興寺の項に「辻町ニアリ。法華山と号ス。本寺前ニ同じ(妙本寺?)。古ハ京妙満寺の末ナリシガ。中興ノ後今ノ末トナルト云フ。本尊三寶祖師ヲ安セリ。開山ヲ日什(明徳三年(1392年)二月廿八寂ス)。中興ヲ日逞ト云フ。延寶三年(1675年)五月十七日寂ス。」とあります。
鎌倉市観光協会Webには「1660年に幕府により取り潰しに遭いましたが、1670年(寛文十年)本山妙本寺日逞上人により再建され現在に至ります。」とあります。
日蓮系の諸宗派は一致派と勝劣派、さらに不受不施派など教義により複雑に分派しますが、このような教義により寺歴を変遷した寺院と伝わります。
その経緯については、横浜市泉区にある日蓮宗の本山(由緒寺院)法華山 本興寺の公式Webに記載されているので、そちらをご覧ください。
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【写真 上(左)】 お題目塔
【写真 下(右)】 辻説法之舊地の碑
材木座海岸から雪ノ下に向かう小町大路がJR横須賀線の踏切を渡ったすぐ北側が参道入口。
参道入口に建つ「日蓮大聖人辻説法之舊地」の碑の文面はつぎのとおりです。
「本興寺縁起 日蓮大聖人鎌倉御弘通の当時 此の地点は若宮小路に至る辻なるにより今猶辻の本興寺と称す 御弟子天目上人聖躅を継いで又 此地に折伏説法あり 實に当山の開基なり 後年日什上人(顕本法華宗開祖)留錫せられ寺観大いに面目を改めむ 常楽日経上人も亦当寺の第廿七世なり」
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山内
【写真 上(左)】 聖徳太子堂
【写真 下(右)】 本堂
小町大路から石敷の参道。その先の山門は切妻屋根桟瓦葺、朱塗りの丸柱の四脚門です。
山内はさほど広くはないものの、よく整備されています。
「百日紅」と「しだれ桜」の寺としても知られています。
朱塗りの一間社流造の堂宇は、聖徳太子堂とみられます。
【写真 上(左)】 飾り瓦
【写真 下(右)】 向拝
正面の本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝。
向拝屋根の先端にいは存在感ある獅子の飾り瓦。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股を置いています。
御首題は庫裡にて拝受しました。
23.法久山 大前院 上行寺(じょうぎょうじ)
鎌倉市Web資料
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町2-8-17
日蓮宗
御本尊:三宝諸尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
鎌倉市資料によると、正和二年(1313年)日範上人の創建と伝わる日蓮宗の寺院です。
境内には御本尊の三宝祖師のほか、瘡守稲荷、鬼子母神が奉られています。
本堂左手には万延元年(1860年)に桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士のひとり、広木松之助の墓があります。
『新編相模國風土記稿』の上行寺の項に「名越町ニアリ。法久山大前院ト号ス。本寺前ニ同じ(京都本國寺?)。正和二年(1313年)僧日範起立スト云フ。本尊宗法ノ諸尊及ヒ宗祖ノ像ヲ安ス。」
「稲荷社。瘡守稲荷ト号ス。正暦年中(990-995年)ノ勧請ト云伝フ。按スルニ。正暦ハ当寺起立ヨリ三百二十余年以前ナレバ。往昔ヨリ此所ニ在シ社ナルヤ。」とあります。
こちらは北条政子が源頼朝の「おでき」を治すために参拝したとも伝わり、そのゆかりからか癌封じのお寺として有名です。
山内には御利益が記された手書きの貼紙がたくさん貼られ、祈願寺の空気感。
現在の本堂は明治19年(1886年)に松葉ヶ谷の妙法寺の法華堂を移築したものといわれています。
こちらは、山内をあれこれご紹介する寺院ではないように思われますので、ご紹介はここまでです。
御首題、御朱印とも授与されていますが、御首題のみ拝受しています。
御首題授与にあたっては、ご親切な対応をいただきました。
【写真 上(左)】 上行寺全景
【写真 下(右)】 御首題
■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)へつづく。
【 BGM 】
■ Hero - David Crosby & Phil Collins
■ The Way It Is - Bruce Hornsby and the Range
■ All Of My Heart - ABC
■ If I Belive - Patti Austin
■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)
■ 鎌倉市の御朱印-2 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)
■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)
■ 鎌倉市の御朱印-8 (B.名越口-3)
鎌倉市の南東側(県道311号葉山鎌倉線、国道134号線)から入るルートで、若宮大路東側の大町、小町一丁目・二丁目、材木座の寺社をご紹介します。
まずはリストです。
日蓮宗と浄土宗の寺院が多いエリアです。
20.妙法華経山 安国論寺(あんこくろんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町4-4-18
日蓮宗
御本尊:十界未曾有大曼荼羅と日蓮聖人像
札所:東国花の寺百ヶ寺霊場第95番
大町、材木座は、日蓮宗寺院の名刹が集中しています。
こちらも日蓮宗の名刹です。
寺伝によると、日蓮聖人が建長五年(1253年)に房総の清澄寺で立教開宗された後、鎌倉での布教を志され、松葉ヶ谷の岩窟に草庵を結ばれたのが当山の始まりです。
日蓮聖人はこの地で約20年を過ごされ、『立正安国論』もここで執筆されました。
重要な内容なので、公式Webからそのまま引用します。
「(日蓮聖人は)『立正安国論』を奏進したことにより権力者や他宗派の人々の怒りを買い、同年(文応元年(1260年))8月27日に焼き討ちに遭いました。此処の地名を取って『松葉ヶ谷の法難』と呼びます。このような縁起により 当山は『松葉ヶ谷霊跡 妙法華経山 安国論寺』といいます。昔は『安国論窟寺』とも言いました。『松葉ヶ谷の法難』だけでなく『伊豆流罪』の時も『龍口法難』の時もこの地で捕縛されました。その意味で、日蓮聖人のご生涯中でもとりわけ重要な場所と言えます。また、この地で多くの人が弟子となり信者となりました。教団としての日蓮宗の始まりの地とも言え、安国論寺はとても大切なお寺です。」
「日蓮聖人の代表的著作である『立正安国論』は、文応元年(1260年)7月16日に前執権北条時頼に奏進されました。(中略)『立正安国論』という題名から非常に難しい内容のように思われますが(中略)簡潔に言うと、法華経(妙法蓮華経)は苦難に満ちたこの世に生きる私達を救う最高の教えです。その教えを信仰し、落ち着いた平和な国を作りましょうというのがその主題です。この日蓮聖人の主張は仏教の本義に基づき、現実の世界にも照らし、また理性的論理的判断としても合理的なものですが その舌鋒の鋭さから 特に他の宗教の僧侶や信者から大変な怒りをかうことになりました。『立正安国論』は幕府に無視されたばかりか、これにより日蓮聖人は数多くの攻撃や迫害を受けることになります。しかしその後、本書の警告通りに他国侵逼難(外国からの侵略)・自界叛逆難(内乱)が実際に起きたことからその正しさが明らかとなり、一方で日蓮聖人を信仰する人々も増えてゆくことになります。日蓮聖人は 最期の門弟への講義でも取り上げるなど 生涯に亘って本書を重んじました。」
引用が長くなりましたが、このように日蓮宗においてたいへん重要な寺院です。
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県道311号鎌倉葉山線が逆川を渡る二俣を左手の道に入ります。
この分岐にはすでに安国論寺の寺号標がありました。
ここから安国論寺の前まではほぼまっすぐで、参道的な趣き。
【写真 上(左)】 県道沿いの寺号標
【写真 下(右)】 県道からの道行き
ここ大町四丁目あたりは鎌倉市街から山側の名越切り通しへののぼり口で、あたりは閑静な住宅街です。
ここには当寺と、日蓮宗の名刹、妙法寺があり、日蓮宗にとっては聖域的な場所ですが、観光客のすがたはあまり多くはありません。
駐車場はないので、車の場合、材木座寄りのコインパーキングに停めることになります。
【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 寺号標
参道は道からすぐに階段で、脇に「日蓮上人草庵跡」の石碑があります。
「建長五年(1913年)日蓮上人房州小湊ヨリ来リ此地ニ小庵ヲ営ミ初メテ法華経ノ首題ヲ唱ヘ正嘉元年(1917年)ヨリ文應元年(1920年)ニ及ビ巌窟内ニ籠リ立正安國一巻ヲ編述セシハ則チ此所ナリト云フ」
その先には「松葉谷根本霊場 安國論寺」の寺号標。
【写真 上(左)】 山門前
【写真 下(右)】 山門
さらに進むと山門。
切妻屋根桟瓦葺の唐様四脚門で、延享三年(1746年)尾張徳川家によって再建されたもの。
「安國法窟」の扁額は、元禄四年(1691年)佐々木文山の揮毫によるものです
【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 境内案内
その先に拝観料納所と、その奥に庫裡。御首題・御朱印は参拝後にこちらでいただけます。
【写真 上(左)】 早春の参道
【写真 下(右)】 晩秋の参道
その先の参道は石畳で両側に竹垣が結われ、左手には重厚な石灯籠と、引き出された縁台には緋毛氈がひかれて趣きがあります。
背後を山に囲まれた風情のある山内で、秋の紅葉も見事です。
【写真 上(左)】 本堂前
【写真 下(右)】 本堂
参道正面の本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝で、水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻を置いています。
正面格子扉の上には「立正安國」の扁額。
向拝軒から身舎まで四軒の垂木を並べ、名刹にふさわしい堂々たる構えです。
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝-1
【写真 上(左)】 本堂向拝-2
【写真 下(右)】 本堂扁額
本堂向かって右手に進むと日朗聖人荼毘所。
当所で日蓮聖人に弟子入りした日朗聖人は本弟子六人の一人で、この地で荼毘に付して欲しいと御遺言されました。現在のお堂は昭和57年に建てられたものです。
【写真 上(左)】 日朗聖人荼毘所
【写真 下(右)】 日朗聖人荼毘所の扁額
本堂対面の熊王殿は、日蓮聖人に従った熊王丸が勧請した熊王大善神をお祀りするお堂で、厄除、眼病や歯痛などに霊験あらたかとされます。
切妻造ないし入母屋造の妻入りで、前面に大ふりな向拝が設えられています。
背後の岩盤に嵌め込むように建てられているので、間口の狭い妻入り様式なのかもしれません。
【写真 上(左)】 熊王殿
【写真 下(右)】 熊王殿扁額
水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に本蟇股。
正面硝子格子扉の上には「熊王殿」の扁額。
【写真 上(左)】 富士見台への階段
【写真 下(右)】 富士見台からの眺望
熊王殿脇の急な階段をのぼると富士見台。
鎌倉駅付近から由比ガ浜まで一望でき、晴れた日には富士山や伊豆大島も望めるそうです。
そのまま尾根伝いに行くと「立正安国の鐘」、さらに進むと南面窟で15分ほどの巡拝コースとなっています。
南面窟は、松葉ヶ谷法難の際に日蓮聖人が白猿に導かれて難を逃れ一夜を明かされたところといわれます。
【写真 上(左)】 本堂側からの御小庵
【写真 下(右)】 御小庵
熊王殿の奥には御小庵と御法窟がありますが、現在非公開となっています。
御小庵はその奥にある御法窟の拝殿で、御法窟は御小庵の奥にある岩屋です。
この御法窟がかつて日蓮聖人がお住まいになられた御草庵跡で、こちらで『立正安国論』も執筆されたと伝わります。
【写真 上(左)】 御小庵の見事な彫刻
【写真 下(右)】 御小庵の扁額
御小庵は宝形造で本瓦葺、本堂は桟瓦葺なので、御小庵の堂格の高さがうかがわれます。
江戸時代末期、尾張徳川家の寄進によるもので総欅造り、屋根の照りが効いた均整のとれたお堂です。
軒下向拝の水引虹梁両端に獅子と貘の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻。
彫刻類はいずれも見事な仕上がりで、正面格子扉の上には「御小庵」の扁額が掲げられています。
当山は花の寺で、御小庵そばの樹齢760年ともいわれる山桜は「妙法桜」と呼ばれ、「日蓮上人が地面についた杖から根付いた」という伝説をもち鎌倉市天然記念物。
本堂手前左の山茶花も銘木として知られ、こちらも鎌倉市天然記念物に指定されています。
東国花の寺百ヶ寺霊場第95番の花種は「妙法桜」です。
こちらの御朱印は豪快な筆致で知られています。
御朱印は書置が用意されている模様ですが、御首題は御住職ご不在時はいただけないので、御首題拝受の際には事前TEL確認がベターかもしれません。
【写真 上(左)】 御首題
【写真 下(右)】 花の寺霊場の御朱印(御朱印帳書入)
【写真 上(左)】 御朱印(平成30年11月)
【写真 下(右)】 御朱印(令和3年12月)
21.楞厳山 妙法寺(みょうほうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市Web
鎌倉市大町4-7-4
日蓮宗
御本尊:釈迦三尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
鎌倉市資料(市史、Webなど)によると、妙法寺は房総から布教のため鎌倉に入った日蓮聖人が最初に結ばれた草庵(松葉ヶ谷御小庵)の地とされています。
鎌倉の僧や武士により焼き打ちされた松葉ヶ谷法難も、この地であるという伝承があります。
この草庵跡に日蓮聖人が建てられた法華堂が本圀(國)寺で、本圀寺が室町時代に京都へ移されたあと、延文二年(1357年)日叡上人が父・大塔宮護良親王の菩提のために寺を再興したのが妙法寺の起こりといわれます。
「開山は日蓮と称し、中興開山を五世日叡とする。」(『鎌倉市史 社寺編』)
日蓮聖人は文永八年九月までこの地(御小庵)を布教伝道の拠点とされたと伝わります。
日叡上人は幼名を楞厳(りょうごん)丸といい、妙法房と称したのでこれを山号・寺号としたともいいます。
鎌倉市史には「塔頭として重善院、円蔵院、顕応坊、蓮乗坊、常縁坊など五院があって、南北朝から室町時代にかけては、なかなか盛んな寺であったことが想像できる。」とありますが、その後荒廃したと記されています。
しかし「十一代家斉が参拝し、明治三十年頃までお成の間があった。また現在の本堂は肥後の細川氏の建立」とあるので、江戸後期には相応の寺格を有していたものとみられます。
松葉ヶ谷(本國寺旧跡)は日蓮宗にとって大切な霊地ですが、その変遷については諸説あるようです。
『鎌倉攬勝考』には以下のとおりあります。
「松葉ヶ谷 名越の内なり。長勝寺の境内を松葉ヶ谷と唱ふ。日蓮安房國小湊より当所へ渡りし時、三浦へ着岸し、夫より切通を経て此邊に庵室を結ひ給ひし地なり。後に京都へ移されし本國寺の舊跡の條を合せ見るへし。」
本國寺舊跡について、『鎌倉攬勝考』には以下のとおりあります。
「本國寺舊跡 松葉が谷といふ。名越切通坂下、今の長勝寺の地なりといふ。安國寺も松葉の谷なり。最初日蓮居住の舊跡、貞和(1345-1350年)の初に本國寺を京都へ移さる。長勝寺、今は地名を石井と唱ふ。日蓮上人舊跡由緒を失ふにひとし。日蓮、松葉が谷本國寺を日朗へ与へ、日朗より日印・日靜と註し、日靜は貞和元年(1345年)の頃本國寺を京都へ移し、此所を日叡に授与せしむ。其後日叡本國寺を改め、妙法寺と号し、其後断絶せしを、再興の長勝寺と称する由。●京都へ移されし日靜といふは、尊氏将軍の御叔父なり。夫ゆへに、本國寺大伽藍建立せられ、大寺となれり。」
境内には美しい苔の石段があることから、「苔寺」とも呼ばれます。
鎌倉ゆかりの俳人・高浜虚子が俳句会を開いたとされ、虚子の次女・星野立子や門下の汾陽(かわみなみ)昌子などの句碑が残ります。
本堂向かって右手の仁王門の奥(奥の院エリア)には苔の階段、法華堂、松葉谷御小菴霊跡、伝・護良親王の御墓などの見どころがあります。
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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 石標
安国論寺の参道前を右手に行く道が、妙法寺への参道です。
この分岐に台座に「松葉谷」と刻まれたお題目塔、寺号標、「高祖御小菴之本土」と刻まれた石標が建っています。
少し進むと右手に山側に向かう道、その正面が山門です。
このあたり、来訪者はさして多くはないようですが、鎌倉らしい寂びた雰囲気があります。
【写真 上(左)】 山門前
【写真 下(右)】 石標と山門
山門手前に「松葉谷御小菴霊跡」と刻まれた石碑。
山門は切妻屋根銅板葺の四脚門で通常閉門のようです。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 受付から本堂方向
山門右手をすすむと、拝観料受付です。
現在の状況は不明ですが、2019年春時点(新型コロナ禍前)では夏期(7-8月)、冬期(12-3月)は奥の院の参拝は土・日・祭日のみ可能で、本堂までは通年お参りできました。
筆者は奥の院参拝可能日に参拝していないため、こちらについての写真やご案内はありません。
後日参拝したうえで加筆したいと思います。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 本堂
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は入母屋造銅板葺で前面に均整のとれた唐破風を起こしています。
水引虹梁両端に獅子・貘雲の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備には龍の彫刻、兎毛通の朱雀?の彫刻もなかなか見事なものです。
向拝正面桟唐戸のうえには山号扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 木鼻の獅子
【写真 下(右)】 扁額
本堂は欅造りで、均整のとれた構えや彫刻類の精緻さからみても大名・細川氏の寄進を物語るものがあります。
御首題・御朱印は庫裡にて拝受しました。
【写真 上(左)】 御首題
【写真 下(右)】 御朱印
22.法華山 本興寺(ほんこうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町2-5-32
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
日蓮聖人の直弟子で「九老僧」の一人・天目上人が延元元年(1336年)に開創した寺で、日蓮聖人が辻説法の途中に休息されたことから、当所は休息山 本興寺と称していました。
その後二世日什上人(明徳三年(1392年)寂)により山号を法華山と改め、開基を天目上人、開山は日什上人とされています。
日蓮聖人の辻説法ゆかりの寺院であることから、通称「辻の本興寺」とも呼ばれています。
『新編相模國風土記稿』の本興寺の項に「辻町ニアリ。法華山と号ス。本寺前ニ同じ(妙本寺?)。古ハ京妙満寺の末ナリシガ。中興ノ後今ノ末トナルト云フ。本尊三寶祖師ヲ安セリ。開山ヲ日什(明徳三年(1392年)二月廿八寂ス)。中興ヲ日逞ト云フ。延寶三年(1675年)五月十七日寂ス。」とあります。
鎌倉市観光協会Webには「1660年に幕府により取り潰しに遭いましたが、1670年(寛文十年)本山妙本寺日逞上人により再建され現在に至ります。」とあります。
日蓮系の諸宗派は一致派と勝劣派、さらに不受不施派など教義により複雑に分派しますが、このような教義により寺歴を変遷した寺院と伝わります。
その経緯については、横浜市泉区にある日蓮宗の本山(由緒寺院)法華山 本興寺の公式Webに記載されているので、そちらをご覧ください。
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【写真 上(左)】 お題目塔
【写真 下(右)】 辻説法之舊地の碑
材木座海岸から雪ノ下に向かう小町大路がJR横須賀線の踏切を渡ったすぐ北側が参道入口。
参道入口に建つ「日蓮大聖人辻説法之舊地」の碑の文面はつぎのとおりです。
「本興寺縁起 日蓮大聖人鎌倉御弘通の当時 此の地点は若宮小路に至る辻なるにより今猶辻の本興寺と称す 御弟子天目上人聖躅を継いで又 此地に折伏説法あり 實に当山の開基なり 後年日什上人(顕本法華宗開祖)留錫せられ寺観大いに面目を改めむ 常楽日経上人も亦当寺の第廿七世なり」
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山内
【写真 上(左)】 聖徳太子堂
【写真 下(右)】 本堂
小町大路から石敷の参道。その先の山門は切妻屋根桟瓦葺、朱塗りの丸柱の四脚門です。
山内はさほど広くはないものの、よく整備されています。
「百日紅」と「しだれ桜」の寺としても知られています。
朱塗りの一間社流造の堂宇は、聖徳太子堂とみられます。
【写真 上(左)】 飾り瓦
【写真 下(右)】 向拝
正面の本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝。
向拝屋根の先端にいは存在感ある獅子の飾り瓦。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股を置いています。
御首題は庫裡にて拝受しました。
23.法久山 大前院 上行寺(じょうぎょうじ)
鎌倉市Web資料
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町2-8-17
日蓮宗
御本尊:三宝諸尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-
鎌倉市資料によると、正和二年(1313年)日範上人の創建と伝わる日蓮宗の寺院です。
境内には御本尊の三宝祖師のほか、瘡守稲荷、鬼子母神が奉られています。
本堂左手には万延元年(1860年)に桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士のひとり、広木松之助の墓があります。
『新編相模國風土記稿』の上行寺の項に「名越町ニアリ。法久山大前院ト号ス。本寺前ニ同じ(京都本國寺?)。正和二年(1313年)僧日範起立スト云フ。本尊宗法ノ諸尊及ヒ宗祖ノ像ヲ安ス。」
「稲荷社。瘡守稲荷ト号ス。正暦年中(990-995年)ノ勧請ト云伝フ。按スルニ。正暦ハ当寺起立ヨリ三百二十余年以前ナレバ。往昔ヨリ此所ニ在シ社ナルヤ。」とあります。
こちらは北条政子が源頼朝の「おでき」を治すために参拝したとも伝わり、そのゆかりからか癌封じのお寺として有名です。
山内には御利益が記された手書きの貼紙がたくさん貼られ、祈願寺の空気感。
現在の本堂は明治19年(1886年)に松葉ヶ谷の妙法寺の法華堂を移築したものといわれています。
こちらは、山内をあれこれご紹介する寺院ではないように思われますので、ご紹介はここまでです。
御首題、御朱印とも授与されていますが、御首題のみ拝受しています。
御首題授与にあたっては、ご親切な対応をいただきました。
【写真 上(左)】 上行寺全景
【写真 下(右)】 御首題
■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)へつづく。
【 BGM 】
■ Hero - David Crosby & Phil Collins
■ The Way It Is - Bruce Hornsby and the Range
■ All Of My Heart - ABC
■ If I Belive - Patti Austin
■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)
■ 鎌倉市の御朱印-2 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)
■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)
■ 鎌倉市の御朱印-8 (B.名越口-3)
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■ 4つ打ちとグルーヴ (音のスキマ論-0)
2022/08/16 UP
8/14放送の『関ジャム』で、先日の山下達郎特集で流せなかったテイクをやっていた。
達郎氏の名言炸裂してたので、UPしてみます。
〔ヴォーカルについて〕
「ボイストレーニングっていうのは基本的に声のメンテナンスの手法。下手な歌が上手くなる訳ではない。」
「『歌っていうものはね・・・』(とか)そういうものでは無い。その人の歌う歌が”歌”」
↑ 歌の巧さは当然の前提として、やっぱり歌い手のオリジナリティということなんだと思う。
〔サウンドのつくり方〕
「1970年代はとにかく選択の余地が少ない。」
「ドラム、ベース、キーボード、ギターを呼んでスタジオ行って、それで演奏して3時間で2曲録って、それにコーラス入れてストリングス入れて、ブラスを入れたら贅沢、みたいな・・・」
「今はまず曲つくるときに、生(楽器)でやるのか? 機械でやるのか? ドラム、シンセベース、シンセサイザーでやって音の選択なんて無限にある。」
「どの音でやるかっていうのを決めるだけでも時間がかかる。」
↑ 選択肢が少なかったから、それだけサウンドづくりに集中できたのかも・・・。
〔アレンジについて〕
「編曲(アレンジ)法=楽器なので、何の音源を使うか、楽器、何を使うか、むしろオーケストレーション。」
↑ たしかに、キーボードパートで生ピアノとフェンダー・ローズじゃ、曲のニュアンスぜんぜん違うもんね。
〔「RIDE ON TIME」のサウンドについて〕
・青山純氏の16ビート(ハイハット)と伊藤広規氏のチョッパーベースと達郎氏のギターのパッセージのアンサンブル。
「ハットの細かいところのニュアンスとか、そういうものに物凄くこだわってつくってた時代」
「演奏が練れてる(ところで)何度もリハーサル。」「それが人間の要素のアンサンブルのいいところで・・・」
「そういうことやらないのかな? みんな」
↑ 誰かに向けてのメッセージでは?
これきいて、やっぱりグルーヴのキモは、
・16ビート(ハイハット)
・チョッパーベース(スラップベース)
・ギターのパッセージ(とくにカッティングとかリフとか)
がつくりだすアンサンブルにあると思った。
↓ だからこの3要素が揃っていた、BCMやfunka latinaを好んで聴いていたのだと思う。
今じゃ、1曲通しの生の16ビートハイハットなんて、ほとんど聴かない(聴けない)もんな・・・。
(NHKの音楽番組のドラマーさんがときどき演ってる。)
■ -43- - Level 42(1983年のLIVE)
■ Night Birds - Shakatak ( Live from Crossover 2005, Japan )
■ Never Too Much - Luther Vandross
■ 99 - TOTO 1980 LIVE in Tokyo
↑ TOTOがいわゆるふつうのRock Bandと一線を画したのは、Jeff PorcaroのシャッフルドラムスとDavid Hungateのはずむベースラインがあったから。
ギターのSteve LukatherがFred Tackettあたりだったら、3拍子揃って完璧なAORユニットになっていたと思う。
■ Vinnie Colaiuta Plays His Restored 90's Gretsch Kit For The First Time
↑ Vinnie Colaiuta。1980年代は、こんなのがごろごろいたから・・・(笑)
やっぱりリズムセクションの層の厚さが今とは違っていたと思う。
それにしても一度でいいから、達郎氏とマキタスポーツ氏の対談がききたい。
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2022/07/14 UP
New Jack Swingの影響も大きかった。
■ 80'Sマニアのための80'S R&B サーファーディスコ からニュージャックスイングまで
↑ 1980代のグルーヴ系BCMからNew Jack Swingへの移行がよくわかる選曲&編集。
■ New Jack Swing The Best Collection
↑ New Jack Swingが主流になるにつれ、洋楽を離れた人間です(笑)
New Jack Swing のビートは、いまも洋楽の底流になっていると思う。
それに風穴を開けた(と思った)のがSilk Sonic(Bruno Mars, Anderson .Paak)だったんだけど・・・。
【和訳】Bruno Mars, Anderson .Paak, Silk Sonic「Leave the Door Open」【公式】
2022/05/05 UP
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■ 2022年のJ-POP-2で、いまの米国の金太郎飴チャートぶりについて書いたけど、その理由についてつらつら考えてみました。
なにが「金太郎飴」かというと、hip hop系4つ打ちとペンタ音階です。
なので、それについて探っていきたいと思いますが、筆者はいまは楽器もDTMもやっていないので、これから書くことは音楽制作の場からみると的外れなことも多々あろうかと思います。
そのときは笑ってやってください。
1.hip hopとサンプリング
まずは ↓こちらをご覧ください。
■ hip hop ヒップホップの作り方3 定番コード進行、音源と 装飾音の作り方(DTMスクール EDMS)
↑ ても、これって楽器でやったほうが手っ取り早いし楽なんじゃね?
でもって、こちらもどうぞ。↓
■【ヒップホップ】初心者のためのビートメイキング講座
↑ hiphop制作サイドからの視点です。
「楽器を弾けなくてもできる音楽が、いわゆる hip hopの音楽のルーツになっている。」
↑ それはそれで、音楽(POPS)の裾野が広がっていいことだとは思う。
ビートループ、サンプルでもってきちゃばそれでよし。べつにもってこなくてもDTMならいくらもつくれる。
これにサンプリング音源乗っければ、それで一丁上がりってことか・・・。
でもさ、それじゃグルーヴでないわけよ、↑でもいってるけど・・・。
「僕が思うグルーヴです・・・。」
↑ さすがに解説者だけのことある。パワーワードの「グルーヴ」に対する姿勢は慎重。
「僕が思うグルーヴ」ね・・・(笑)
「(天才J Dilla) MPCとかで、こんなに楽器みたいにグルーヴを出せなかったんですよ。いままでは、けど、それをいとも簡単にやってのけたJ Dの・・・」
↑ ????? ふつうに楽器弾いてグルーヴ追求すればいいんじゃね?
楽器弾けても簡単にはグルーヴ出せないけど。
「ドラムトラックがめちゃくちゃしっかり創れてれば、どんなビートもまじでワンランク上のビートになる。」
↑ これはたしかにそうだと思う。バンド・サウンドもそうだもんね。
■【公式ライブ映像】Poppin'Party「キズナミュージック♪」
声優の架空ユニットなのに、これだけのドラムス&サウンド叩き出せるのは立派。
■ Endless Story - Yuna Ito
リズムセクション(というか全員)名演。スロー曲なのにグルーヴばりばり。
■ Everlasting Song - FictionJunction
FictionJunctionが凄いのは、歌姫コーラスだけでなく、インスト陣のサウンドも一流だから。
これはなかでも絶品。歴史に残る名演だと思う。
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でも、メロディのサンプリングってなんでやるの?
メロ(コード進行)が枯渇したから?
それとも往年のグルーヴがほしいから?
・ヴェイパーウェイヴ / フューチャーファンク(シティポップ・サンプリング)の代表曲
■ 【Rainych】 Mayonaka no Door / STAY WITH ME - Miki Matsubara | Official Music Video
・オリジナル
■ 真夜中のドア/Stay With Me - 松原みき
↑ この2曲聴き比べれば、本家どり(サンプリング)して本家以上のグルーヴ創り出すなんて、とうてい無理筋だってことくらいすぐにわかろうかと思うが・・・。
16ビートのリズム音源とか、じつはあるんだけど ↓
■ 16ビートDr&Bass リズム音源
あまりにドハマリの曲、1970年代中盤~1980年代前半にたくさんつくられてるので、どうしても二番煎じになる。
それにヴォーカルとインストに力量ないと、このリズムこなせないし・・・。
■ Lowdown - Boz Scaggs(1976)
David Hungate(b)、Jeff Porcaro(ds)、Fred Tackett(g)、David Paich(key)
■ Destination - The Warriors(1982)
↑ 英国funka latina(ファンカラティーナ)。
16ビートグルーヴ曲に欠かせなかった、チョッパー・ベース(スラップ・ベース)とカッティングギター。
このビートはどう演っても(聴いても)バックビート(裏拍)になる。
4つ打ちにはならない。
日本でも・・・。↓
■ DOWN TOWN - EPO Studio Live
■ また会おね - 矢野顕子 with YMO (1979)
■ Meiko Nakahara(中原めいこ) - Fantasy(1982)
2.最新人気楽曲のリズムパターン
ありがたいことに絶好のWeb記事がみつかりました。↓
「【2021年最新】人気楽曲のリズムパターンを解析(ヒットの秘密は〇〇リズム)」
■ BTS - 'Dynamite' Official MV
↑ おそらく、2021年にビルボードでもっともヒットした楽曲のひとつ。
・BPM114の4つ打ち。2.4拍アクセントでアップビートにも聴こえるが4つ打ち。
・コード進行は6251の循環進行でいたってシンプル。(あまりにシンプルなので、←の筆者さんにアレンジされちゃってる(笑))
■ YOASOBI「怪物」Official Music Video (YOASOBI - Monster)
・BPM168の4つ打ち。これも2.4拍アクセントあるけど典型的な4つ打ちタテノリ曲。
お子ちゃまでも簡単に踊れる(というかハネてるだけでOKという)、すこぶる間口の広い曲。
・コード進行は4536王道進行だけど、一応ブルーノートと転調かましてる。
「(2021年の邦楽シーンは)『売れたいなら4つ打ちにしなさい』と言わんばかりの、トップチャートのほとんどが4つ打ちです。」
↑ これは邦楽だけじゃなく、洋楽でもいえると思う。
「昔から4つ打ちのリズムパターンは人気ですが、ロック系が少し勢いを失い、ここまでエレクトロ系がトップチャートを占めることは無かったので、2021年は圧倒的4つ打ちブームと言えます。」
↑ この筆者さんほんといいとこ突いてるわ。異論ござりませぬ。
3.4つ打ちとペンタ
4つ打ち(キック(バスドラ)を4連でかますリズム)じたいは1970年代以前からあったし、ABBAやミュンヘン・サウンドは4つ打ちだった。
■ Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight) - ABBA
でも、のちに4つ打ちの牙城となるディスコでも、1980年代前半まではシンコペ絡みの16ビートバックビートがメインだったと思う。
■ Got To Be Real - Cheryl Lynn (1978)
■ Feelin' Lucky Lately - High Fashion (1982)
1981年に4つ打ちの ↓ の大ヒットが出たが、まだまだ洒落気とグルーヴは十分に残していた。
■ Daryl Hall & John Oates - Private Eyes
■ 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ(Ai No Corrida - Quincy Jones)(1981)
これはアップビートだけど、メジャーコードと日本人好みのベタメロが入りまじった不思議なメロディーで、個人的にはBCMとは思えなかった。
予想どおり(笑)日本で大ヒットして紅白でも歌われた。
今から考えると、これがユーロビートの走りだったかもしれぬ。(歌謡曲との親和性という意味で)
1982年くらいから英国エレクトロ・ポップで4つ打ちが増えだして、
■ Relax - Frankie Goes To Hollywood(1983)
個人的に、決定的にやばい(笑)と思ったのは、1985年の ↓。
■ 荻野目洋子 - ダンシング・ヒーロー
4つ打ちベタメロ曲。
(4つ打ちタテノリ曲なのに16ビートヨコノリのクセから抜けられないダンサーさんたち、苦しそう(笑))
もはや「邦楽だからしょーがねぇわな」、と悠長に構えてはいられなかった。
このベタメロの元歌が洋楽(Angie Gold/Eat You Up)だったから。
それにこのころ一気に増え出したサンプリング系の楽曲でもシンコペはとり入れることができたけど、なんとなくラグタイムから綿々とつづいてきたシンコペとは異質のものになってしまった感じがしていた。
■ The Entertainer - Scott Joplin
■ ラグタイムってなに?シンコペーション??【JAZZの歴史Vol.3】-学校では教えてくれない音楽のコト-
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でもって、懸念は現実のものになった。
■Turn It Into Love - Kylie Minogue
はい、きました。
ストック・エイトキン・ウォーターマン (Stock Aitken Waterman/SAW)ですね!
4つ打ちベタメロ王道曲。ジュリアナ東京へ一直線。
↓ 日本でも大ヒットしたのは、わかりやすい4つ打ちやマイナーなベタメロ(=歌謡曲メロ)が、日本人の琴線に広くふれたためだと思う。
■ 愛が止まらない - WINK
というか、発端は1984年のこの曲か・・・。
■ You Spin Me Round (Like a Record) - Dead Or Alive
すでにSAWが絡んでる。
【 洋楽1983年ピーク説 】を書くひとつのきっかけになった曲。
「Hi-NRG(ハイエナジー)の先駆けとなった曲」ともされるが違うと思う。
ユーロビートの先駆けではあるが。
2009年、Flo Ridaの「Right Round」のサンプリングでヒット。
■ Flo Rida - Right Round (feat. Ke$ha)
いまの米国のメインストリームにかなり近い。
この手の曲は、サンプリングで上位互換あり得るかも・・・。
・Hi-NRGの代表曲
■ Can't Take My Eyes Off You (Original Extended Version) - Boys Town Gang(1982)
↑ 「You Spin Me Round 」と質感ぜんぜん違うでしょ。
この曲もそうだけどHi-NRGのメインストリームって、 San Franciscoの「Moby Dick Records」だと思う。英国じゃない(Passionレーベルはあるけど)。
(あと、オランダの「Rams Horn Records」かな。こちらのほうはユーロ・ディスコなのでMoby Dickより4つ打ち色が強い。)
**************
追加です。
↑ で シンコペ絡みの16ビートバックビート → (Hi-NRG)(英国NewWavw / エレクトロ・ポップ) → 4つ打ちユーロビートみたいな安易な書き方したけど、そう単純なもんじゃないです。
振り返ってみると・・・。
■ On The Beat - BB & Q Band(1981)
これはバックビートヨコノリの典型曲。
■ You're The One For Me - D Train (1982)
ちょっとコアなニュアンスが入ってくる。
あきらかにベースやリズムセクションの音色が変わってきている。
■ Jungle Love - Morris Day & The Time(1984)
さらにエッヂが効いてくる。
ひきずるようなベース、乾ききったギターリフ。
エスノやラテンも絡めつつ・・・
■ Genius Of Love - Tom Tom Club(1981)
Talking Heads絡みだけに、リズムセクションの安定感はピカ一。
■ Conga - Miami Sound Machine / Gloria Estefan(1985)
そしてHi-NRG。
■ Maybe This Time (Hi-NRG Mix) - Norma Lewis(1983)
4つ打ちではありません。16ビート系のカッティング・リフ入ってるでしょ。
■ Rocket To Your Heart (Hot Tracks Remix) - Lisa(1982-1983)/Moby Dick
抜群のエナジー感、名曲! Hi-NRGはこのあたりがピークだったと思う。
■ Let's Get Started (Extended Version) - Voyage(1981)
これはフランスのユーロディスコ。Hi-NRGとはちとニュアンスが違う。
■ Do You Wanna Funk? - Patrick Cowley feat. Sylvester(1982)
1984年くらいのイメージあったけど、確認してみたら1982年と以外にはやかった。
これはすでにユーロビート入ってますね。
■ Break Me Into Little Pieces (Extended Mix) - HOT GOSSIP(1985)
ちょうどHi-NRGとユーロビートがシンクロしたのが、このあたりの曲だと思う。
■ Together In Electric Dreams - Giorgio Moroder & Philip Oakey(1984)
この曲も微妙でしたわ。
ミュンヘン・サウンドの立役者なのに、ユーロディスコ(ミュンヘン・サウンド)じゃないし、エレクトロ・ポップのニュアンスも入ってるし、メロディラインはHi-NRGだし・・・。
■ Give Me Up - Michael Fortunati(1986)
ブライトなメロディラインはHi-NRGだけど、リズムは4つ打ち。
小室サウンドに通じるものを感じる。
1984~1986年くらいがちょうど過渡期だったのだと思う。
で、SAW様の時代に突入していくわけですよ・・・。
■ Toy Boy - Sinitta(1987)
4つ打ちに超わかりやすいメロ(笑)
個人的にはアラベスク(Arabesque)やボニーMと、さして変わらんと思うけどね(笑)
■ Hello Mr. Monkey - Arabesque(1977)
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誤解をおそれずにいうと、いまも世界のPOPシーンはこの(SAWの)流れのなかにあると思う。
4つ打ちはそのままに、ベタメロがペンタ(ヨナ抜き音階)に置き換わっただけ。
日本に限らず、世界の多くの音楽のルーツはペンタ(ヨナ抜き音階)や3和音だから、意識せずに放っておくとペンタ3和音の世界に戻ってしまうのかも・・・。
・ユーミンという希有の才能が、ペンタ3和音から離れて洋楽メジャー・セブンスと奇跡的にシンクロした神曲 ↓
いつの時代でも生み出せる曲じゃないと思う。
■ ベルベット・イースター / 荒井由実 【COVER】
→ コード
■ ずっとそばに - 松任谷由実
↑ ユーミンのかくれた名曲。
往年のユーミンの曲はミディアム系でもしっかりグルーヴ効いてた。
4.シティポップの復権
でもっていきなりシティ・ポップです。
なぜかというと、これまで書いてきた曲たちと対極のポジションにいるから。
■ Sparkle - 山下達郎
・16ビートアップビートのメジャー・セブンス曲。
・青山純(ds)、伊藤広規(b)、難波弘之(key)。
↓ こいつを視ておくんなまし。
Kan Sanoが語る、山下達郎の影響を感じる楽曲と再評価の理由
山下達郎といえば、青山純(ds)であり、伊藤広規(b)であり、そしてグルーヴ感あふれる16ビートなんですね。
とくに、故・青山純氏(ds)の存在感。
■ Plastic Love - 竹内 まりや
↑ これも青山純氏のds。
右手1本16ビート!竹内まりやをサポートする青山純の神がかりグルーヴという超貴重な記事があります。
「通常16ビートと言えば、右手と左手で交互にチキチキとハイハットを鳴らしてリズムを刻むのだけれど、青山純はこれを片手(右手)のみで刻んでいる。(略)「チキチキチキチキ とハイハットを鳴らす」感覚と「チチチチチチチチ と、右手1本で鳴らす」感覚の違いと言えば、わかってもらえるだろうか。」
でもって、達郎さんはLIVEのさなかでこの違いを聴き分けていたそうな。
そして、大御所ドラマー、故・村上 “ポンタ” 秀一さんのお言葉。(孫引きです。)
「いまの若者に生音を聴かせたい。どうしても聴いて欲しい… 目の前で観る音楽は全然違うんだよ。スティックを振る音、身体の動き、ミュージシャン同士のアイコンタクト、そういう空気を感じて欲しいんだよ」
■【ドラム】追悼…村上 ”ポンタ” 秀一 氏 -世界のミュージシャン-【thebassman】
それと、Web検索してる途中で ↓ こんなのが引っ掛かったので・・・ ひと言。
山下達郎の曲、どこを切り取ってもサビ(川谷絵音)
「達郎サウンドって何だろうと考えると、“ファンク”という言葉が出てくる。ファンクとは、16ビートに乗せて体が勝手に揺れるような音楽で、ループフレーズが多い。その反面、いなたく(泥臭く)なってしまいがちでそのいなたさに慣れていない若者はそんなにハマらない傾向にある。」
↑ ふ~ん、そういう風に16ビートを捉えてるんだ・・・。
「ただ達郎さんの場合、歌メロがキャッチーであり、誰にも似ていない唯一無二の声で歌うため、どんなサウンドでも心地よくなるのだ。というか達郎さんのサウンドにはいなたさがない。」
↑ ふ~ん、達郎氏の本質って、「メロのキャッチー」さと「声質」なんだ・・・。
なるほど、そういう捉え方もあるのか・・・。ある意味みょーに納得(笑)
達郎さんだけじゃないと思うけどね。
■ 水銀燈/Mercury Lamp (1984オリジナル) - 杏里
(LAレコーディング作品)
■ 水銀燈/Mercury Lamp (『16th Summer Breeze』リマスター) - 杏里
↑ 同じ曲、同じオリジナルヴォーカルなのに、これだけグルーヴ感が違う。(むろん、グルーヴ効いているのは1980年代のオリジナル。)
グルーヴ感ってこれだけ微妙。サンプリングで上位互換、できるわけないと思うが・・・。
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↑にあげた”グルーヴ”は、1970年代後半~1980年代前半のシティポップ、AOR、ブラコンなどのノリのイメージをあらわす”狭義のグルーヴ”です。
(広義だと、リズム感=グルーヴ感や、アップテンポの曲=グルーヴィ-などのニュアンスで使われたりもしますが、それとはぜんぜん違います。)
とくに”狭義のグルーヴ”は、曲のテンポとはほとんど関連がないと思う。
スローバラードでもグルーヴィーな曲はいくらもあるし、アップテンポでもグルーヴを感じない曲はたくさんあります。
曲のテンポよりも、譜面とのからみ具合の方がはるかに関係してると思う。
ジャスト(譜面どおり)なリズムよりきもち遅らせ気味(後ノリ、タメ)で、「モタり」まで行く前の絶妙のポジョンどり、これがグルーヴ感の要ではないかと・・・。
それと、生ドラムスのスネアとハイハットは絶対必要。
でも、グルーヴってたぶんリズムセクションだけで出せるもんじゃない。
だからグルーヴの名曲といわれているテイクは、パーマネントなバンドか、一定の腕利きのスタジオミュージシャンによるものが多いのだと思う。(相手のクセや間合いのとりかたがわかっている。)
詳しくは→こちらをみてね。
グルーヴ(groove)は「レコードの溝」に語源をもつといわれ、1980年代中盤からのレコードの衰退に歩調を合わせるように、”グルーヴ”曲も少なくなっていった。
1970年代後半~1980年代前半の楽曲の雰囲気をあらわすのに、ピッタリなことばだと思う。
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(筆者のいう)”グルーヴ”曲の例 (Slow~Midテンポでも出てるパターン)↓
■ Gringo - Little Feat(1981)
・日本のミュージシャンにも人気が高かったといわれるウエストコーストのGroup。
グルーヴはリズムセクションだけで創り出すものでないことが、よくわかる1曲。
■ Anymore - Brick(1982)
1980年代初頭、Dance(Soul)とJazzをミックスしたようなフォーマットを”Dazz”と呼んだ。(Dazz Bandは有名。)
このジャンルの曲は、たいていグルーヴ感を備えていたと思う。
■ True To Life - Roxy Music(1982)
歴史的名盤『Avalon』収録のグルーヴ曲。
これは「意図的に」グルーヴを創り出していると思う。
↑ やっぱり1980年代前半になってしまう(笑)
■ サントリービール『純生』CM 1981 Loveland Island - 山下達郎
こんなダンス(ステップ)なら・・・なんも文句はありません(笑)
ちょいと聴いてみておくんなまし ↓
■ 2015年12月20日 山下達郎 40th Anniversary Special Part 2 ~音楽制作40年の軌跡~ ナビゲーター・クリス松村
ひょっとして、邦楽1983年ピーク説も成り立つのか・・・?
30:47~
「非常にスローモーになってますよね。だけどそれを、要するに本音言いたくないんで、やれハイレゾだなんだって、これだけプログレスしてるんだってことを、あたかもほんとに進化しているように見せかけていかないと商品性がないから、マーケティングがないから・・・。もう、はっきりしてるんですよそんなことは・・・。」
↑ すこぶる辛辣なコメントだけど、本質を突いているかも。
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思いつくままに勢いで書いたので、とりとめのない記事になりすみませぬ。
後日、手を入れて読みやすくします。
〔 関連記事 〕
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)
■ ザ・カセットテープ・ミュージック
■ コードづかいとコード進行(丸サ進行とメジャー・セブンス)
■ 名曲の裏に名コード進行あり
■ 「シティ・ポップ」って?
■ 日本にシティ・ポップはなかった??
■ 2022年のJ-POP-2
■ サザンのセブンス曲
■ 山下達郎の名曲
8/14放送の『関ジャム』で、先日の山下達郎特集で流せなかったテイクをやっていた。
達郎氏の名言炸裂してたので、UPしてみます。
〔ヴォーカルについて〕
「ボイストレーニングっていうのは基本的に声のメンテナンスの手法。下手な歌が上手くなる訳ではない。」
「『歌っていうものはね・・・』(とか)そういうものでは無い。その人の歌う歌が”歌”」
↑ 歌の巧さは当然の前提として、やっぱり歌い手のオリジナリティということなんだと思う。
〔サウンドのつくり方〕
「1970年代はとにかく選択の余地が少ない。」
「ドラム、ベース、キーボード、ギターを呼んでスタジオ行って、それで演奏して3時間で2曲録って、それにコーラス入れてストリングス入れて、ブラスを入れたら贅沢、みたいな・・・」
「今はまず曲つくるときに、生(楽器)でやるのか? 機械でやるのか? ドラム、シンセベース、シンセサイザーでやって音の選択なんて無限にある。」
「どの音でやるかっていうのを決めるだけでも時間がかかる。」
↑ 選択肢が少なかったから、それだけサウンドづくりに集中できたのかも・・・。
〔アレンジについて〕
「編曲(アレンジ)法=楽器なので、何の音源を使うか、楽器、何を使うか、むしろオーケストレーション。」
↑ たしかに、キーボードパートで生ピアノとフェンダー・ローズじゃ、曲のニュアンスぜんぜん違うもんね。
〔「RIDE ON TIME」のサウンドについて〕
・青山純氏の16ビート(ハイハット)と伊藤広規氏のチョッパーベースと達郎氏のギターのパッセージのアンサンブル。
「ハットの細かいところのニュアンスとか、そういうものに物凄くこだわってつくってた時代」
「演奏が練れてる(ところで)何度もリハーサル。」「それが人間の要素のアンサンブルのいいところで・・・」
「そういうことやらないのかな? みんな」
↑ 誰かに向けてのメッセージでは?
これきいて、やっぱりグルーヴのキモは、
・16ビート(ハイハット)
・チョッパーベース(スラップベース)
・ギターのパッセージ(とくにカッティングとかリフとか)
がつくりだすアンサンブルにあると思った。
↓ だからこの3要素が揃っていた、BCMやfunka latinaを好んで聴いていたのだと思う。
今じゃ、1曲通しの生の16ビートハイハットなんて、ほとんど聴かない(聴けない)もんな・・・。
(NHKの音楽番組のドラマーさんがときどき演ってる。)
■ -43- - Level 42(1983年のLIVE)
■ Night Birds - Shakatak ( Live from Crossover 2005, Japan )
■ Never Too Much - Luther Vandross
■ 99 - TOTO 1980 LIVE in Tokyo
↑ TOTOがいわゆるふつうのRock Bandと一線を画したのは、Jeff PorcaroのシャッフルドラムスとDavid Hungateのはずむベースラインがあったから。
ギターのSteve LukatherがFred Tackettあたりだったら、3拍子揃って完璧なAORユニットになっていたと思う。
■ Vinnie Colaiuta Plays His Restored 90's Gretsch Kit For The First Time
↑ Vinnie Colaiuta。1980年代は、こんなのがごろごろいたから・・・(笑)
やっぱりリズムセクションの層の厚さが今とは違っていたと思う。
それにしても一度でいいから、達郎氏とマキタスポーツ氏の対談がききたい。
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2022/07/14 UP
New Jack Swingの影響も大きかった。
■ 80'Sマニアのための80'S R&B サーファーディスコ からニュージャックスイングまで
↑ 1980代のグルーヴ系BCMからNew Jack Swingへの移行がよくわかる選曲&編集。
■ New Jack Swing The Best Collection
↑ New Jack Swingが主流になるにつれ、洋楽を離れた人間です(笑)
New Jack Swing のビートは、いまも洋楽の底流になっていると思う。
それに風穴を開けた(と思った)のがSilk Sonic(Bruno Mars, Anderson .Paak)だったんだけど・・・。
【和訳】Bruno Mars, Anderson .Paak, Silk Sonic「Leave the Door Open」【公式】
2022/05/05 UP
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■ 2022年のJ-POP-2で、いまの米国の金太郎飴チャートぶりについて書いたけど、その理由についてつらつら考えてみました。
なにが「金太郎飴」かというと、hip hop系4つ打ちとペンタ音階です。
なので、それについて探っていきたいと思いますが、筆者はいまは楽器もDTMもやっていないので、これから書くことは音楽制作の場からみると的外れなことも多々あろうかと思います。
そのときは笑ってやってください。
1.hip hopとサンプリング
まずは ↓こちらをご覧ください。
■ hip hop ヒップホップの作り方3 定番コード進行、音源と 装飾音の作り方(DTMスクール EDMS)
↑ ても、これって楽器でやったほうが手っ取り早いし楽なんじゃね?
でもって、こちらもどうぞ。↓
■【ヒップホップ】初心者のためのビートメイキング講座
↑ hiphop制作サイドからの視点です。
「楽器を弾けなくてもできる音楽が、いわゆる hip hopの音楽のルーツになっている。」
↑ それはそれで、音楽(POPS)の裾野が広がっていいことだとは思う。
ビートループ、サンプルでもってきちゃばそれでよし。べつにもってこなくてもDTMならいくらもつくれる。
これにサンプリング音源乗っければ、それで一丁上がりってことか・・・。
でもさ、それじゃグルーヴでないわけよ、↑でもいってるけど・・・。
「僕が思うグルーヴです・・・。」
↑ さすがに解説者だけのことある。パワーワードの「グルーヴ」に対する姿勢は慎重。
「僕が思うグルーヴ」ね・・・(笑)
「(天才J Dilla) MPCとかで、こんなに楽器みたいにグルーヴを出せなかったんですよ。いままでは、けど、それをいとも簡単にやってのけたJ Dの・・・」
↑ ????? ふつうに楽器弾いてグルーヴ追求すればいいんじゃね?
楽器弾けても簡単にはグルーヴ出せないけど。
「ドラムトラックがめちゃくちゃしっかり創れてれば、どんなビートもまじでワンランク上のビートになる。」
↑ これはたしかにそうだと思う。バンド・サウンドもそうだもんね。
■【公式ライブ映像】Poppin'Party「キズナミュージック♪」
声優の架空ユニットなのに、これだけのドラムス&サウンド叩き出せるのは立派。
■ Endless Story - Yuna Ito
リズムセクション(というか全員)名演。スロー曲なのにグルーヴばりばり。
■ Everlasting Song - FictionJunction
FictionJunctionが凄いのは、歌姫コーラスだけでなく、インスト陣のサウンドも一流だから。
これはなかでも絶品。歴史に残る名演だと思う。
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でも、メロディのサンプリングってなんでやるの?
メロ(コード進行)が枯渇したから?
それとも往年のグルーヴがほしいから?
・ヴェイパーウェイヴ / フューチャーファンク(シティポップ・サンプリング)の代表曲
■ 【Rainych】 Mayonaka no Door / STAY WITH ME - Miki Matsubara | Official Music Video
・オリジナル
■ 真夜中のドア/Stay With Me - 松原みき
↑ この2曲聴き比べれば、本家どり(サンプリング)して本家以上のグルーヴ創り出すなんて、とうてい無理筋だってことくらいすぐにわかろうかと思うが・・・。
16ビートのリズム音源とか、じつはあるんだけど ↓
■ 16ビートDr&Bass リズム音源
あまりにドハマリの曲、1970年代中盤~1980年代前半にたくさんつくられてるので、どうしても二番煎じになる。
それにヴォーカルとインストに力量ないと、このリズムこなせないし・・・。
■ Lowdown - Boz Scaggs(1976)
David Hungate(b)、Jeff Porcaro(ds)、Fred Tackett(g)、David Paich(key)
■ Destination - The Warriors(1982)
↑ 英国funka latina(ファンカラティーナ)。
16ビートグルーヴ曲に欠かせなかった、チョッパー・ベース(スラップ・ベース)とカッティングギター。
このビートはどう演っても(聴いても)バックビート(裏拍)になる。
4つ打ちにはならない。
日本でも・・・。↓
■ DOWN TOWN - EPO Studio Live
■ また会おね - 矢野顕子 with YMO (1979)
■ Meiko Nakahara(中原めいこ) - Fantasy(1982)
2.最新人気楽曲のリズムパターン
ありがたいことに絶好のWeb記事がみつかりました。↓
「【2021年最新】人気楽曲のリズムパターンを解析(ヒットの秘密は〇〇リズム)」
■ BTS - 'Dynamite' Official MV
↑ おそらく、2021年にビルボードでもっともヒットした楽曲のひとつ。
・BPM114の4つ打ち。2.4拍アクセントでアップビートにも聴こえるが4つ打ち。
・コード進行は6251の循環進行でいたってシンプル。(あまりにシンプルなので、←の筆者さんにアレンジされちゃってる(笑))
■ YOASOBI「怪物」Official Music Video (YOASOBI - Monster)
・BPM168の4つ打ち。これも2.4拍アクセントあるけど典型的な4つ打ちタテノリ曲。
お子ちゃまでも簡単に踊れる(というかハネてるだけでOKという)、すこぶる間口の広い曲。
・コード進行は4536王道進行だけど、一応ブルーノートと転調かましてる。
「(2021年の邦楽シーンは)『売れたいなら4つ打ちにしなさい』と言わんばかりの、トップチャートのほとんどが4つ打ちです。」
↑ これは邦楽だけじゃなく、洋楽でもいえると思う。
「昔から4つ打ちのリズムパターンは人気ですが、ロック系が少し勢いを失い、ここまでエレクトロ系がトップチャートを占めることは無かったので、2021年は圧倒的4つ打ちブームと言えます。」
↑ この筆者さんほんといいとこ突いてるわ。異論ござりませぬ。
3.4つ打ちとペンタ
4つ打ち(キック(バスドラ)を4連でかますリズム)じたいは1970年代以前からあったし、ABBAやミュンヘン・サウンドは4つ打ちだった。
■ Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight) - ABBA
でも、のちに4つ打ちの牙城となるディスコでも、1980年代前半まではシンコペ絡みの16ビートバックビートがメインだったと思う。
■ Got To Be Real - Cheryl Lynn (1978)
■ Feelin' Lucky Lately - High Fashion (1982)
1981年に4つ打ちの ↓ の大ヒットが出たが、まだまだ洒落気とグルーヴは十分に残していた。
■ Daryl Hall & John Oates - Private Eyes
■ 愛のコリーダ/クインシー・ジョーンズ(Ai No Corrida - Quincy Jones)(1981)
これはアップビートだけど、メジャーコードと日本人好みのベタメロが入りまじった不思議なメロディーで、個人的にはBCMとは思えなかった。
予想どおり(笑)日本で大ヒットして紅白でも歌われた。
今から考えると、これがユーロビートの走りだったかもしれぬ。(歌謡曲との親和性という意味で)
1982年くらいから英国エレクトロ・ポップで4つ打ちが増えだして、
■ Relax - Frankie Goes To Hollywood(1983)
個人的に、決定的にやばい(笑)と思ったのは、1985年の ↓。
■ 荻野目洋子 - ダンシング・ヒーロー
4つ打ちベタメロ曲。
(4つ打ちタテノリ曲なのに16ビートヨコノリのクセから抜けられないダンサーさんたち、苦しそう(笑))
もはや「邦楽だからしょーがねぇわな」、と悠長に構えてはいられなかった。
このベタメロの元歌が洋楽(Angie Gold/Eat You Up)だったから。
それにこのころ一気に増え出したサンプリング系の楽曲でもシンコペはとり入れることができたけど、なんとなくラグタイムから綿々とつづいてきたシンコペとは異質のものになってしまった感じがしていた。
■ The Entertainer - Scott Joplin
■ ラグタイムってなに?シンコペーション??【JAZZの歴史Vol.3】-学校では教えてくれない音楽のコト-
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でもって、懸念は現実のものになった。
■Turn It Into Love - Kylie Minogue
はい、きました。
ストック・エイトキン・ウォーターマン (Stock Aitken Waterman/SAW)ですね!
4つ打ちベタメロ王道曲。ジュリアナ東京へ一直線。
↓ 日本でも大ヒットしたのは、わかりやすい4つ打ちやマイナーなベタメロ(=歌謡曲メロ)が、日本人の琴線に広くふれたためだと思う。
■ 愛が止まらない - WINK
というか、発端は1984年のこの曲か・・・。
■ You Spin Me Round (Like a Record) - Dead Or Alive
すでにSAWが絡んでる。
【 洋楽1983年ピーク説 】を書くひとつのきっかけになった曲。
「Hi-NRG(ハイエナジー)の先駆けとなった曲」ともされるが違うと思う。
ユーロビートの先駆けではあるが。
2009年、Flo Ridaの「Right Round」のサンプリングでヒット。
■ Flo Rida - Right Round (feat. Ke$ha)
いまの米国のメインストリームにかなり近い。
この手の曲は、サンプリングで上位互換あり得るかも・・・。
・Hi-NRGの代表曲
■ Can't Take My Eyes Off You (Original Extended Version) - Boys Town Gang(1982)
↑ 「You Spin Me Round 」と質感ぜんぜん違うでしょ。
この曲もそうだけどHi-NRGのメインストリームって、 San Franciscoの「Moby Dick Records」だと思う。英国じゃない(Passionレーベルはあるけど)。
(あと、オランダの「Rams Horn Records」かな。こちらのほうはユーロ・ディスコなのでMoby Dickより4つ打ち色が強い。)
**************
追加です。
↑ で シンコペ絡みの16ビートバックビート → (Hi-NRG)(英国NewWavw / エレクトロ・ポップ) → 4つ打ちユーロビートみたいな安易な書き方したけど、そう単純なもんじゃないです。
振り返ってみると・・・。
■ On The Beat - BB & Q Band(1981)
これはバックビートヨコノリの典型曲。
■ You're The One For Me - D Train (1982)
ちょっとコアなニュアンスが入ってくる。
あきらかにベースやリズムセクションの音色が変わってきている。
■ Jungle Love - Morris Day & The Time(1984)
さらにエッヂが効いてくる。
ひきずるようなベース、乾ききったギターリフ。
エスノやラテンも絡めつつ・・・
■ Genius Of Love - Tom Tom Club(1981)
Talking Heads絡みだけに、リズムセクションの安定感はピカ一。
■ Conga - Miami Sound Machine / Gloria Estefan(1985)
そしてHi-NRG。
■ Maybe This Time (Hi-NRG Mix) - Norma Lewis(1983)
4つ打ちではありません。16ビート系のカッティング・リフ入ってるでしょ。
■ Rocket To Your Heart (Hot Tracks Remix) - Lisa(1982-1983)/Moby Dick
抜群のエナジー感、名曲! Hi-NRGはこのあたりがピークだったと思う。
■ Let's Get Started (Extended Version) - Voyage(1981)
これはフランスのユーロディスコ。Hi-NRGとはちとニュアンスが違う。
■ Do You Wanna Funk? - Patrick Cowley feat. Sylvester(1982)
1984年くらいのイメージあったけど、確認してみたら1982年と以外にはやかった。
これはすでにユーロビート入ってますね。
■ Break Me Into Little Pieces (Extended Mix) - HOT GOSSIP(1985)
ちょうどHi-NRGとユーロビートがシンクロしたのが、このあたりの曲だと思う。
■ Together In Electric Dreams - Giorgio Moroder & Philip Oakey(1984)
この曲も微妙でしたわ。
ミュンヘン・サウンドの立役者なのに、ユーロディスコ(ミュンヘン・サウンド)じゃないし、エレクトロ・ポップのニュアンスも入ってるし、メロディラインはHi-NRGだし・・・。
■ Give Me Up - Michael Fortunati(1986)
ブライトなメロディラインはHi-NRGだけど、リズムは4つ打ち。
小室サウンドに通じるものを感じる。
1984~1986年くらいがちょうど過渡期だったのだと思う。
で、SAW様の時代に突入していくわけですよ・・・。
■ Toy Boy - Sinitta(1987)
4つ打ちに超わかりやすいメロ(笑)
個人的にはアラベスク(Arabesque)やボニーMと、さして変わらんと思うけどね(笑)
■ Hello Mr. Monkey - Arabesque(1977)
---------------
誤解をおそれずにいうと、いまも世界のPOPシーンはこの(SAWの)流れのなかにあると思う。
4つ打ちはそのままに、ベタメロがペンタ(ヨナ抜き音階)に置き換わっただけ。
日本に限らず、世界の多くの音楽のルーツはペンタ(ヨナ抜き音階)や3和音だから、意識せずに放っておくとペンタ3和音の世界に戻ってしまうのかも・・・。
・ユーミンという希有の才能が、ペンタ3和音から離れて洋楽メジャー・セブンスと奇跡的にシンクロした神曲 ↓
いつの時代でも生み出せる曲じゃないと思う。
■ ベルベット・イースター / 荒井由実 【COVER】
→ コード
■ ずっとそばに - 松任谷由実
↑ ユーミンのかくれた名曲。
往年のユーミンの曲はミディアム系でもしっかりグルーヴ効いてた。
4.シティポップの復権
でもっていきなりシティ・ポップです。
なぜかというと、これまで書いてきた曲たちと対極のポジションにいるから。
■ Sparkle - 山下達郎
・16ビートアップビートのメジャー・セブンス曲。
・青山純(ds)、伊藤広規(b)、難波弘之(key)。
↓ こいつを視ておくんなまし。
Kan Sanoが語る、山下達郎の影響を感じる楽曲と再評価の理由
山下達郎といえば、青山純(ds)であり、伊藤広規(b)であり、そしてグルーヴ感あふれる16ビートなんですね。
とくに、故・青山純氏(ds)の存在感。
■ Plastic Love - 竹内 まりや
↑ これも青山純氏のds。
右手1本16ビート!竹内まりやをサポートする青山純の神がかりグルーヴという超貴重な記事があります。
「通常16ビートと言えば、右手と左手で交互にチキチキとハイハットを鳴らしてリズムを刻むのだけれど、青山純はこれを片手(右手)のみで刻んでいる。(略)「チキチキチキチキ とハイハットを鳴らす」感覚と「チチチチチチチチ と、右手1本で鳴らす」感覚の違いと言えば、わかってもらえるだろうか。」
でもって、達郎さんはLIVEのさなかでこの違いを聴き分けていたそうな。
そして、大御所ドラマー、故・村上 “ポンタ” 秀一さんのお言葉。(孫引きです。)
「いまの若者に生音を聴かせたい。どうしても聴いて欲しい… 目の前で観る音楽は全然違うんだよ。スティックを振る音、身体の動き、ミュージシャン同士のアイコンタクト、そういう空気を感じて欲しいんだよ」
■【ドラム】追悼…村上 ”ポンタ” 秀一 氏 -世界のミュージシャン-【thebassman】
それと、Web検索してる途中で ↓ こんなのが引っ掛かったので・・・ ひと言。
山下達郎の曲、どこを切り取ってもサビ(川谷絵音)
「達郎サウンドって何だろうと考えると、“ファンク”という言葉が出てくる。ファンクとは、16ビートに乗せて体が勝手に揺れるような音楽で、ループフレーズが多い。その反面、いなたく(泥臭く)なってしまいがちでそのいなたさに慣れていない若者はそんなにハマらない傾向にある。」
↑ ふ~ん、そういう風に16ビートを捉えてるんだ・・・。
「ただ達郎さんの場合、歌メロがキャッチーであり、誰にも似ていない唯一無二の声で歌うため、どんなサウンドでも心地よくなるのだ。というか達郎さんのサウンドにはいなたさがない。」
↑ ふ~ん、達郎氏の本質って、「メロのキャッチー」さと「声質」なんだ・・・。
なるほど、そういう捉え方もあるのか・・・。ある意味みょーに納得(笑)
達郎さんだけじゃないと思うけどね。
■ 水銀燈/Mercury Lamp (1984オリジナル) - 杏里
(LAレコーディング作品)
■ 水銀燈/Mercury Lamp (『16th Summer Breeze』リマスター) - 杏里
↑ 同じ曲、同じオリジナルヴォーカルなのに、これだけグルーヴ感が違う。(むろん、グルーヴ効いているのは1980年代のオリジナル。)
グルーヴ感ってこれだけ微妙。サンプリングで上位互換、できるわけないと思うが・・・。
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↑にあげた”グルーヴ”は、1970年代後半~1980年代前半のシティポップ、AOR、ブラコンなどのノリのイメージをあらわす”狭義のグルーヴ”です。
(広義だと、リズム感=グルーヴ感や、アップテンポの曲=グルーヴィ-などのニュアンスで使われたりもしますが、それとはぜんぜん違います。)
とくに”狭義のグルーヴ”は、曲のテンポとはほとんど関連がないと思う。
スローバラードでもグルーヴィーな曲はいくらもあるし、アップテンポでもグルーヴを感じない曲はたくさんあります。
曲のテンポよりも、譜面とのからみ具合の方がはるかに関係してると思う。
ジャスト(譜面どおり)なリズムよりきもち遅らせ気味(後ノリ、タメ)で、「モタり」まで行く前の絶妙のポジョンどり、これがグルーヴ感の要ではないかと・・・。
それと、生ドラムスのスネアとハイハットは絶対必要。
でも、グルーヴってたぶんリズムセクションだけで出せるもんじゃない。
だからグルーヴの名曲といわれているテイクは、パーマネントなバンドか、一定の腕利きのスタジオミュージシャンによるものが多いのだと思う。(相手のクセや間合いのとりかたがわかっている。)
詳しくは→こちらをみてね。
グルーヴ(groove)は「レコードの溝」に語源をもつといわれ、1980年代中盤からのレコードの衰退に歩調を合わせるように、”グルーヴ”曲も少なくなっていった。
1970年代後半~1980年代前半の楽曲の雰囲気をあらわすのに、ピッタリなことばだと思う。
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(筆者のいう)”グルーヴ”曲の例 (Slow~Midテンポでも出てるパターン)↓
■ Gringo - Little Feat(1981)
・日本のミュージシャンにも人気が高かったといわれるウエストコーストのGroup。
グルーヴはリズムセクションだけで創り出すものでないことが、よくわかる1曲。
■ Anymore - Brick(1982)
1980年代初頭、Dance(Soul)とJazzをミックスしたようなフォーマットを”Dazz”と呼んだ。(Dazz Bandは有名。)
このジャンルの曲は、たいていグルーヴ感を備えていたと思う。
■ True To Life - Roxy Music(1982)
歴史的名盤『Avalon』収録のグルーヴ曲。
これは「意図的に」グルーヴを創り出していると思う。
↑ やっぱり1980年代前半になってしまう(笑)
■ サントリービール『純生』CM 1981 Loveland Island - 山下達郎
こんなダンス(ステップ)なら・・・なんも文句はありません(笑)
ちょいと聴いてみておくんなまし ↓
■ 2015年12月20日 山下達郎 40th Anniversary Special Part 2 ~音楽制作40年の軌跡~ ナビゲーター・クリス松村
ひょっとして、邦楽1983年ピーク説も成り立つのか・・・?
30:47~
「非常にスローモーになってますよね。だけどそれを、要するに本音言いたくないんで、やれハイレゾだなんだって、これだけプログレスしてるんだってことを、あたかもほんとに進化しているように見せかけていかないと商品性がないから、マーケティングがないから・・・。もう、はっきりしてるんですよそんなことは・・・。」
↑ すこぶる辛辣なコメントだけど、本質を突いているかも。
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思いつくままに勢いで書いたので、とりとめのない記事になりすみませぬ。
後日、手を入れて読みやすくします。
〔 関連記事 〕
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)
■ ザ・カセットテープ・ミュージック
■ コードづかいとコード進行(丸サ進行とメジャー・セブンス)
■ 名曲の裏に名コード進行あり
■ 「シティ・ポップ」って?
■ 日本にシティ・ポップはなかった??
■ 2022年のJ-POP-2
■ サザンのセブンス曲
■ 山下達郎の名曲
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