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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-11

Vol.-10からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第33番 醫王山 東光院 眞性寺
(しんしょうじ)
巣鴨地蔵通り商店街Web

豊島区巣鴨3-21-21
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第33番、豊島八十八ヶ所霊場第33番、江戸六地蔵第3番、北豊島三十三観音霊場第20番、九品佛霊場第1番、弁財天百社参り番外16、江戸・東京四十四閻魔参り第29番
司元別当:
授与所:寺務所

第33番は「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる巣鴨の名刹、眞性寺です。

第33番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに眞性寺なので、御府内霊場開創時から一貫して巣鴨の眞性寺であったとみられます。

下記史料、巣鴨地蔵通り商店街Web、現地掲示類を参照して縁起・沿革を追ってみます。

眞性寺の開創は不詳ながら、聖武天皇の勅願による行基菩薩の開基と伝わります。
中興開基は元和元年(1615年)祐遍法印によります。

元禄年中(1688-1704年)に田端村東覚寺末となり、盛辨法印が入院。
正徳元年(1711年)に東覚寺末を離れ、京御室御所(仁和寺)直末となっています。

御本尊は秘佛の薬師如来。
江戸時代より御府内霊場第33番札所・江戸六地蔵参り第3番として参詣者で賑わったといいます。
巣鴨は中山道の江戸への入口に当たる要衝で、ふるくから賑わいました。
眞性寺山内には芭蕉句碑も残っています。

~ 白露も こぼさぬ萩の うねりかな ~

また、徳川8代将軍吉宗公が放鷹の折に当寺を御膳所とされたなど、華々しい歴史が伝わります。

なにより江戸六地蔵の札所のひとつとして、参詣者を集めたといいます。

江戸六地蔵は、江戸市中の6箇所に造立された地蔵菩薩坐像を廻る地蔵尊霊場です。

江戸深川の地蔵坊正元が宝永三年(1706年)に発願し、江戸市中から寄進者を集めて江戸の出入口6箇所に丈六の銅造地蔵菩薩坐像を造立して開創されました。
地蔵坊正元とその両親が正元の病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ有り難くも快癒したため、京都六地蔵に倣っての開創と伝わります。

〔江戸六地蔵〕
第1番目(巡拝札第1番)
品川寺 旧東海道 品川区南品川
第2番目(巡拝札第4番)
東禅寺 奥州街道 台東区東浅草
第3番目(巡拝札第2番)
太宗寺 甲州街道 新宿区新宿
第4番目(巡拝札第3番)
眞性寺 旧中山道 豊島区巣鴨
第5番目(巡拝札第5番)
霊巌寺 水戸街道 江東区白河
第6番目(巡拝札第6番)
永代寺 千葉街道 江東区富岡
第6番目(代仏)
浄名院 江東区上野桜木
※永代寺以外は現存。浄名院の代仏については諸説あり

鋳造は神田鍋町の鋳物師・太田駿河守藤原正儀で、造立時には鍍金が施されたといいます。
金色に輝く大きな地蔵尊(おおむね像高2.5m以上)は、いずれも交通の要衝に置かれたこともあって多くの参詣者で賑わい、Wikipediaによると六体の像や蓮台に刻まれた寄進者の数は72,000名を超えるとのこと。

江戸期の多くの絵図に当山が描かれていることからも、城北の名所として広く親しまれたことがわかります。

元禄の頃から田端東覚寺の末寺でしたが、正徳元年(1711年)に京都御室御所仁和寺の末になったといいます。
明治33年には仁和寺末を離れ、真言宗豊山派総本山長谷寺の末寺となっていまに至ります。

〔関連記事〕
■ 武州江戸六阿弥陀詣の御朱印 ~ 足立姫伝説 ~
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~
「江戸六地蔵」については、まだまとめておりません。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
三十三番
すがも中下町
醫王山 東光院 眞性寺
御直末
本尊:薬師如来 不動明王 弘法大師

■『御府内寺社備考 P.6』
京都仁和寺末
巣鴨町増上寺領
醫王山 東光院 眞性寺
起立之儀相知不●-●元禄年中(1688-1704年)に本寺田端村東覚寺末ニ ●●十二年四月盛辨法印当寺に入院 正徳元年(1711年)に至り東覚寺離末 同年二月上京●時御室御所直末に御成(略)
中興開基 祐遍法印元和元年(1615年)当寺住職仕
本堂
 本尊 薬師如来木坐像 行基菩薩作
鐘楼堂 大鐘
神明社
八幡宮社 八幡宮 愛宕 稲荷 相殿 
阿弥陀堂 阿弥陀如来木座像 九品佛壱番目ニ御座候
閻魔堂 閻魔王坐像尺四尺
銅地蔵尊坐像壱丈六尺石壇 江戸六地蔵第三番目ニ御座候
御成門跡

■ 當國六地蔵造立之意趣(略記)(眞性寺山内掲示資料より)
抑 予十二歳のころ古郷を出で 十六歳にして剃髪受戒す 其後廿四歳の秋乃ころより重病を請け(略)醫術の叶難く死既に極まれり(略)父母是を悲 偏に地蔵菩薩に延命を祷奉る 自らも親の嘆骨髄に通 一心に地蔵菩薩に請願すへく我若菩薩の慈恩を蒙って父母存生の内命を延る事を得 尽未来に至まで衆生の為に菩薩の御利益を勧め多くの尊像を造立して衆生に帰依せしめ 共に安楽を得せしめんと誓 其夜不思議の霊験を得て重病速に本復す(略)帝都の六地蔵に周く御当地の入口毎に 一躰づつ金銅壱丈六尺の地蔵菩薩を六所に都合六躰造立して天下安全武運長久御城下繁栄を祝願し 兼而又諸国往来の一切衆生へ遍く縁を結ばしめんと誓(略)諸人往来の街に立てれば一切衆生皆悉く縁結び奉る 抑願し神明仏陀の加護を蒙りて六躰の尊像恙なく像立して万代の一切衆生と共に同じく善道に至らん事を
勧化沙門 深川 地蔵坊正元 謹言
 
 

「眞性寺」/原典:斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第3,有朋堂書店,昭2.国立国会図書館DC(保護期間満了)


「眞性寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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JR巣鴨駅北口界隈は、いつも年配者を中心に賑わいをみせています。
巣鴨にはふるくからとげぬき地蔵尊・高岩寺、江戸六地蔵第3番の眞性寺がありました。

高岩寺のとげぬき地蔵尊・洗い観音ともに病気平癒・延命に霊験あらたか、眞性寺の御本尊はお薬師様で、江戸六地蔵のお地蔵様も病気平癒のご利益で知られています。

健康・延命を願う年配者の参詣スポットとなり、その参詣客を狙って年配者向けのお店が増えていったというのが、巣鴨にお年寄りが多い理由とされます。


【写真 上(左)】 眞性寺前から商店街
【写真 下(右)】 巣鴨地蔵通り商店街


【写真 上(左)】 高岩寺
【写真 下(右)】 高岩寺の御朱印

中心の「巣鴨地蔵通り商店街」は坂道がなくバリアフリー完備で、お年寄りも安心して買い物やグルメを楽しめることも人気の理由とされています。

眞性寺はJR山手線「巣鴨」駅北口から徒歩約3分、都営三田線「巣鴨」駅からだと至近で便利がいいです。

巣鴨駅前を北上する国道17号(中仙道)から分岐する「巣鴨地蔵通り商店街」は旧中山道なので、「巣鴨地蔵通り商店街」の入口にある眞性寺はちょうど新旧中山道の分岐に面していることになります。
中山道側からは奥行きのある参道を構え、参道脇に並ぶ提灯が人々の篤い信仰を物語っています。


【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 寺号標


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山内

参道正面に江戸六地蔵の地蔵尊坐像とそのおくに本堂がみえます。
参道右手の建物は阿弥陀堂で、九品佛霊場第1番の拝所。
江戸・東京四十四閻魔参り第29番の閻魔大王もこちらに御座します。


【写真 上(左)】 阿弥陀堂と本堂
【写真 下(右)】 芭蕉句碑

江戸六地蔵尊の向かって左手に山門があり、山号扁額が掲げられています。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門の扁額


【写真 上(左)】 江戸六地蔵札所標
【写真 下(右)】 地蔵尊と本堂

江戸六地蔵の地蔵尊は蓮座に趺座され像高さ2.68m、蓮花台を含めると3.45mにも及ぶ大きな坐像で、東京都指定有形文化財に指定されています。
日々多くの参詣者を集め、あたりは線香のけむりがたなびいています。


【写真 上(左)】 地蔵尊
【写真 下(右)】 陰光地蔵尊碑

毎年6月24日夕刻に行われる百万遍大念珠供養は、全長16m、541の桜材の珠からなる大念珠を念仏を唱えつつ500~600名で廻して供養するもので、巣鴨の梅雨の風物詩として知られています。

地蔵尊前には「江戸六地蔵三番目」の札所碑と「陰光地蔵尊」の碑が建っています。
この「陰光地蔵尊」の碑文には、百万遍大念珠供養の音頭取りを父子併せて実に八十年間務めた繪馬屋 征矢父子の功徳を賞して「陰光地蔵尊」と尊号し、御信心を新たにすることが刻されています。


【写真 上(左)】 地蔵尊立像
【写真 下(右)】 阿弥陀堂

六地蔵の地蔵尊の向かって左手堂宇内には地蔵尊立像が御座します。
子供を抱えられているので子安地蔵尊かもしれません。


【写真 上(左)】 阿弥陀堂扁額
【写真 下(右)】 阿弥陀如来像

参道向かって右手には近代建築の阿弥陀堂。
眞性寺は『江戸砂子拾遺』『拾遺続江戸砂子』などに収録されている「九品佛霊場」の第1番札所(上品上生)です。
上品上生の阿弥陀如来の印相はふつうは来迎印ですが、こちらの阿弥陀様は施無畏印・与願印です。


【写真 上(左)】 九体の阿弥陀佛
【写真 下(右)】 初閻魔の阿弥陀堂

こちらの堂宇本尊の阿弥陀様が「九品佛霊場」(→札所リスト(「ニッポンの霊場」様))の第1番の御像とも思われますが、印相は施無畏印・与願印。
阿弥陀如来の印相は施無畏印・与願印、転法輪印(説法印)、阿弥陀定印、来迎印と多彩かつ複雑なので、印相からみてこちらが九品佛霊場の札所本尊かどうかはよくわかりません。

堂内に来迎印(上品上生印)を結ばれた九体の阿弥陀木坐像が御座し、『御府内寺社備考』には「阿弥陀堂 阿弥陀如来木座像 九品佛壱番目ニ御座候」とあるので、こちらが九品佛霊場の札所本尊とみるのが自然かもしれません。


【写真 上(左)】 閻魔大王と奪衣婆
【写真 下(右)】 初閻魔の閻魔大王

堂内向かって右手に御座す閻魔大王はおそらく江戸・東京四十四閻魔参り第29番の札所本尊で、常時間近でお参りできます。
閻魔様の御朱印も拝受していますが、こちらはご縁日限定かもしれません。

令和5年秋時点で阿弥陀堂改築の予定で、すでに普請工事に入っています。
閻魔様も新堂にご遷座の予定で、閻魔様の前には新たに奪衣婆がお出ましになっていました。


【写真 上(左)】 地蔵尊と本堂
【写真 下(右)】 本堂


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額

階段上の本堂は重層屋根のうえに相輪を備えた堂々たる構えですが、様式はよくわかりません。
下層屋根の唐破風が向拝雨よけとなっていますが、向拝柱はなく比較的シンプル。
本堂内陣見上げにも山号扁額が掲げられ、向かって右手には百万遍大念珠が安置されています。

御本尊のお薬師様は絶対秘仏なので、正面お厨子前に御座す薬師如来坐像は御前立ちかと思われます。


【写真 上(左)】 御府内霊場札所標
【写真 下(右)】 御府内霊場札所碑


【写真 上(左)】 修行大師像
【写真 下(右)】 観世音菩薩立像

本堂向かって右手が寺務所で、その前には修行大師像と石仏の観世音菩薩立像が御座します。
眞性寺は北豊島三十三観音霊場第20番の札所(→ 札所一覧(「ニッポンの霊場」様))ですが、この霊場はすこぶる情報が少なく、この観世音菩薩像が札所本尊であるかは定かではありません。

御朱印は寺務所で拝受。
ご対応はいつお伺いしてもたいへんにご親切で、頭が下がります。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊 薬師如来」「弘法大師」の揮毫と薬師如来のお種子「バイ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内八十八所第三十三番」の札所印。寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

 
【写真 上(左)】 豊島八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 江戸六地蔵の御朱印

 
【写真 上(左)】 閻魔大王のご縁日の御朱印
【写真 下(右)】 九品佛霊場

閻魔様の御朱印授与は、ご縁日限定かもしれません。
九品佛霊場の御朱印については、巡拝者もきわめて少なく通常は授与されていないとのことでしたが、ご厚意で授与いただけました。
「九品佛第壱番」「上品上生」の揮毫をいただいた稀少な御朱印です。


■ 第34番 薬王山 遍照院 三念寺
(さんねんじ)
文京区本郷2-15-6
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第34番、江戸薬師如来霊場三十二ヶ所
司元別当:
授与所:寺務所

第34番は本郷にある真言宗の古刹です。

第34番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに三念寺なので、御府内霊場開創時から一貫して本郷の三念寺であったとみられます。

下記史料から縁起・沿革を追ってみます。
開創・開基は不明ですが、文明年中(1469-1487年)一人の修行者が一宇の草堂を結び遍照院と号したといいます。
慈覺大師真作の大日如来を安置し恭敬されたとも。

御本尊の薬師如来は、恵心僧都の母公が病に罹ったときに恵心僧都みずからが彫刻されたといいます。
一時期三州の鳳来寺に移り、慶長年中(1596-1615年)に当山に奉安、堂舎を整えて醫王山 三念寺と号したともいいます。

中興開山は法印品隆(文禄二年(1593年)卒)と伝わります。
往古は土手四番町にありましたが、元禄(1688-1704年)の頃当地へ移転ともいいます。

「千代田区観光協会Web」の千代田区五番町の三年坂の説明に「『新撰東京名所図会』に「三年坂は現今通称する所なるも、三念寺坂といふを正しとす。むかし三念寺といへる寺地なりしに因り此名あり。」とあります。」とあるので、土手四番町は現在の千代田区五番町あたりと推測されます。

『江戸砂子』に掲載されているらしい「江戸薬師如来霊場三十二ヶ所」(出所:「ニッポンの霊場」様)の札所なので、江戸期から著名なお薬師様だったとみられます。

なお、『寺社書上』『御府内寺社備考』には、本堂御本尊は大日如来、薬師堂に薬師如来とあり、寺院としては両尊御本尊だったのかもしれませんが、『御府内八十八ケ所道しるべ』の札所本尊として薬師如来 弘法大師 興教大師が記されているので、お薬師さまのお寺のイメージが強かったのではないでしょうか。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
三十四番
本郷元町
薬王山 遍照院 三念寺
本所彌勒寺末 新義
本尊:薬師如来 弘法大師 興教大師
本尊薬師如来恵心僧都の御作なり

『寺社書上 [71] 本郷寺社書上 全』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.105』
本所彌勒寺末
本郷御弓町
薬王山 遍照院 三念寺

開闢・開基 未分明
中興開山 法印品隆(文禄二年(1593年)卒)
本堂
 本尊 大日如来木座像
    阿弥陀如来 地蔵菩薩 弘法大師 興教大師
薬師堂
 薬師如来木像 恵心僧都作之由
 十二神将木像 同
 日光菩薩木像 月光菩薩 同
 各像 前立

『本郷区史』(文京区立図書館Web)
元町二丁目に在り、本所弥勒寺末、薬王山遍照院と号す。『江砂餘礫』には当寺古く土手四番町に在り、元禄(1688-1704年)の比元町へ移さるとあるが、文政書上には慶長八年(1603年)当地拝領と記して居る。



「三念寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』本郷湯島絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC

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メトロ丸ノ内線「本郷三丁目」駅の南(徒歩約5分)、東京都水道歴史館のすぐ北側で、都内に住んでいてもなかなか訪れないところです。
壱岐坂通りから一本南の路地に面したビル内の寺院です。

このあたりの江戸期の地名は御弓町(のちに本郷元町)。
「坂学会Web」に「この坂(本郷の新坂)の一帯は,もと御弓町(おゆみちょう),その後,弓町と呼ばれ,慶長・元和の頃(1600年ごろ) 御弓町の与力同心六組の屋敷がおかれ,的場で弓の稽古が行われた。」とあります。

『江戸切絵図』をみても、三念寺周辺には区画の狭い武家屋敷や「御中間」が多く、この地が与力同心や中間(武家の奉公人)層の居住エリアであったことがわかります。

【写真 上(左)】 外観
【写真 下(右)】 エントランス

2016年春に初参拝したときの写真が行方不明になってしまい、2019年夏(建物改装中でメッシュシートで覆われていた)の写真しかなく詳細不明です。



【写真 上(左)】 六地蔵尊とエントランス
【写真 下(右)】 六地蔵尊

Web検索してみると、白い外壁のなかなか瀟洒なビルで2階が本堂とみられ、2階正面に山号扁額が掲げられています。
ビル前面に六地蔵尊を奉安し、寺号標もあるので寺院であることはすぐにわかります。


【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 扉を開けると正面が拝所

本堂は2階ですが、御府内霊場の奉拝は1階正面の拝所にておこないます。
正面が坐像の薬師如来とおくに釈迦三尊の掛け軸。
薬師如来の左右に弘法大師と興教大師の坐像が御座します。

ベルを押さないとビル内に入れないので、ベルでお呼びして御府内霊場巡拝を申告、御朱印をご準備いただくあいだに勤行という流れになります。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「薬師如来」「弘法大師」と薬師如来のお種子「バイ」の揮毫、主印は「バイ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内八十八所」「第三十四番」の札所印。寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第35番 金剛寶山 延壽寺 根生院
(こんしょういん)
豊島区高田1-34-6
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第35番、江戸薬師如来霊場三十二ヶ所
司元別当:
授与所:庫裡

第35番は豊島区高田にある真言宗の名刹です。

第35番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに根生院なので、御府内霊場開創時から一貫して根生院であったとみられます。
ただし、『御府内八十八ケ所道しるべ』での所在は「湯嶋切通し上」となっています。

下記史料、「豊島区Web資料」、現地掲示類から縁起・沿革を追ってみます。

創建は寛永十三年(1636年)、徳川3代将軍家光公の乳母・春日局の発願により、大和国長谷寺(初瀬)小池坊より栄誉法印を招聘して開山しました。
栄誉法印は春日局の親族で、局は栄誉法印を猶子にしたといいます。

神田白壁町に堂宇を建立して薬師瑠璃光如来像を本尊に奉じ、金剛寶山 延壽寺 根生院を号しました。

春日局発願による徳川将軍家の祈願寺の創建につき、檀家のない寺院でした。

以降、徳川将軍家代々の祈願寺となり、正保二年(1645年)、下谷二長町に移転の際には江戸城西の丸祈願所として寺領250石を賜りました。

貞享四年(1687年)には、新義真言宗江戸四ヶ寺の一ヶ寺(触頭)となったといいます。
Wikipediaには触頭(ふれがしら)とは、「江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のこと。本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行った。」とあります。

『新義真言宗触頭江戸四箇寺成立年次考』(宇高良哲氏、PDF)によると、新義真言宗触頭江戸四箇寺は知足院(湯島~一ツ橋→大塚護持院)、真福寺(愛宕)、円福寺(愛宕)、彌勒寺(本所)で、元和八年(1622年)夏以前に成立の可能性が高いとしています。

「港区Web資料」には「新義真言宗の江戸触頭は江戸四箇寺と呼ばれ、本所弥勒寺・湯島知足院(後に湯島根生院)・円福寺・真福寺からなる。」とあり、『寺社書上』にも「根生院儀● 新義真言宗之触頭江戸四ヶ寺之内ニ御座候」とあるので、根生院は触頭の地位を貞享四年(1687年)に湯島知足院から承継したとみられます。

後に仁和寺光明院の院室を兼務して院家となり、歴代住職は代々幕命により任ぜられるなど、高い格式を有する名刹です。

根生院の歴史は移転の歴史といえるほど、移転をくり返しています。
その内容は山内掲示に詳しいので抜粋引用してみます。
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寛永十二年(1636年)徳川幕府西の丸祈願所として、神田白壁町に建立
正保二年(1645年)下谷長者町へ移転
元禄元年(1688年)本郷切通坂知足院跡へ移転
明治22年(1889年)上野池端七軒町へ移転
明治36年(1903年)豊島郡高田、田安候旧邸(現在地)へ移転
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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
三十五番
湯嶋切通し上
金剛宝山 延壽寺 根生院
新義 境内二千坪
本尊:薬師如来 不動明王 弘法大師

『寺社書上 [68] 湯嶋寺院書上 全』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.112』
本寺 山城国宇治郡報恩院
新義真言宗触頭
湯嶋 不唱小名
金剛寶山 延壽寺 根生院
寛永年中(1624-1644年)春日局吹挙にて下谷長者町御徒士組屋補割残し地三百六拾坪 開山栄誉寺地を拝領仕 当院御●主御祈願所に相成
大猷院様(徳川3代将軍家光公)
厳有院様(徳川4代将軍家綱公)
常憲院様(徳川5代将軍綱吉公)
清揚院様(徳川綱重公、徳川6代将軍家宣公の父、甲府宰相)
霊仙院様(徳川3代将軍家光公の長女、千代姫)
御祈願● 御座候

開山栄誉土州幡多縣の人なり 春日局御親族にて字文秀房● 父ハ秋葉(?)氏某なり 同縣石見の栄雅法印を師とし出家して和州初瀬山にて勤学● 然ルに春日局日頃栄誉●密に尋結(?)ふといへとも(略)或日知足院(今大塚護持院)第三世栄増法印に尋結(?)ふに栄誉●今大和國初瀬に勤学●●も 法類なりと云ふ 時に(春日)局密●栄増に託して栄誉●初瀬山より呼●して猶子と成し ●より大猷院様に願ひ奉り一寺造立仕御祈願所と● 抑●年月は不知

根生院儀● 新義真言宗之触頭江戸四ヶ寺之内ニ御座候

本堂俄建
 本尊 薬師如来木像 立像秘佛 春日作
 不動明王木像(此尊往昔常州筑波山の●水戸殿御領内に●真言宗の古寺の本尊を谷川に流し給ふ所 不思議なる哉(略)奇特に依て黄門公より本所彌勒寺乗應の方に送り納給ふ 依て●流不動と号し候由 然る所根性院第二世栄専代元禄十六年(1703年)十一月殿堂不残類焼の砌 護摩堂本尊不動明王焼失せり ●に依て此霊像●当院に●●安置す)

 東照宮様御座像
 文殊画像

本堂内に安置
 弘法大師座像 御府内八十八ヶ所之内代三十五番ニ相定

鎮守稲荷社
享保十年(1725年)正月勧請 由来不知

根生院末寺七ヶ寺御座候
明王院(江府巣鴨) 西光院(江府中丸) 多宝院(江府谷中) 蓮乗院(四ッ谷南寺町) 玉藏院(武州二郷半領彦川戸村) 全性寺(上州新田郡大原村) 十方院(野州那須郡星之井村)) 

『江戸名所図会 第3』(国立国会図書館)
延壽寺と号す。真言宗新義江戸四箇寺の一にして、寛永の始、御祈願所に命ぜらる。
本尊薬師如来は、佛工春日の作、脇壇に十二神将の像を置く。栄譽法印(春日局の猶子なり)をもって開山とす。



「根生院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


「根生院」/原典:斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第3,有朋堂書店,昭2..国立国会図書館DC(保護期間満了)

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豊島区高田周辺には御府内霊場札所が4箇寺あり(29番南蔵院、35番根生院、38番金乗院、54番新長谷寺)、ふつうは4箇寺まとめての巡拝となります。

このあたりは土地の起伏が激しく、東京メトロ「雑司ヶ谷」駅からだと急な下り坂となります。
35番根生院、38番金乗院、54番新長谷寺は坂の途中にあり、南蔵院は神田川にもほど近い坂下に位置します。
カラフルな月替わり御朱印で有名な(高田)氷川神社にもほど近く、54番新長谷寺(目白不動尊)は江戸五色不動尊の一尊なので、一帯は御朱印エリアとなっています。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 山門

根生院は奥まった路地に面し、路地から少しく引いて山門を置き、路地側に板塀を巡らしてコの字状の門前となっています。
こういったさりげない配置にも寺格の高さが感じられます。

山門は切妻屋根桟瓦葺の薬医門(確証なし)。
門まわりは古色を帯びた朱塗りで趣きがあります。
門柱に年季の入った院号板。


【写真 上(左)】 門柱の院号札
【写真 下(右)】 御府内霊場札所標(門前)

門前に銀杏の古木と御府内霊場の札所碑。
右手に建つ青面金剛庚申塔と奉供養庚申天子の石碑は(旧)大榎一里塚から移転したものとみられ、ともに豊島区有形文化財に指定されています。



【写真 上(左)】 庚申塔
【写真 下(右)】 山内

山門をくぐった山内は広くはないものの、名刹特有の落ち着きが感じられます。
「豊島区Web資料」には、「この地はもと尾張候の下屋敷であったものを田安家に譲り渡され(略)樹木あり、また清泉涌き出た幽境の地であり、宿坂より山門までの参道は欅の並木があり、山門の奥には満々たる水を湛えた池があり、四季折々を楽しませた。殊に菖蒲の頃は散策と参詣の人で賑わったと伝えられている。」とあります。

いまでは住宅街の一画となっていますが、往年は散策の名所としても知られ『江戸名所図会』にも挿絵が載せられています。

細い路地奥なので車通りがほとんどなく、あたりは日中でも静寂につつまれています。


【写真 上(左)】 手水鉢
【写真 下(右)】 本堂

参道右手の手水鉢に満たされた水は茶褐色の濁りを帯び、金気とギシギシとした手ざわりがありました。
温泉マニアの直感からすると(笑)、分析したら鉄分の項で温泉規定に乗るかもしれません。

参道正面階段上に本堂。
身舎ガラス面のシャープな近代建築で、屋根は寄棟、軒下向拝で見上げには院号扁額が掲げられています。


【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝

昭和20年に戦火を受け山門を除いて焼失したものの、昭和28年境内地の一部に再建され、平成14年現在の堂宇に改築されています。

御本尊は薬師如来。
こちらも『江戸砂子』に掲載されているらしい「江戸薬師如来霊場三十二ヶ所」(出所:「ニッポンの霊場」様)の札所なので、江戸期から著名なお薬師様だったとみられます。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 稲荷大明神

参道の片隅に祀られている稲荷大明神は、『寺社書上』に「鎮守稲荷社」とあるお社の系譜かもしれません。

山内には数体の露仏・石仏が御座します。



【写真 上(左)】 胎蔵(界)大日如来
【写真 下(右)】 薬師瑠璃光如来石仏

蓮座に結跏趺坐される石像の胎蔵(界)大日如来は、螺髪で法界定印を結ばれているため、説明書がなければ釈迦如来かと思われるお姿です。
金剛界大日如来は智挙印(ちけんいん/左手人差し指を立てその人差し指を右手で包み込む印相)なのですぐにわかりますが、胎蔵(界)大日如来は法界定印(左手手のひらに右手手のひらを重ね合わせ両親指先をつける印相)で、これは釈迦如来の禅定印と酷似しています。


■ 金剛界大日如来(常光院/埼玉県熊谷市)

ふつう胎蔵(界)大日如来は宝冠、瓔珞(ようらく)などの装身具を身に着けられていますが、如来様(薄衣の姿)の場合もあり、この場合の識別はなかなか困難です。

自然石に「所願成就 薬師瑠璃光如来」と刻まれた石仏は元禄十一年建立のもの。


【写真 上(左)】 御府内霊場札所標(山内)
【写真 下(右)】 歌碑

「南無大師遍照金剛」の御宝号が刻まれた石碑は御府内霊場の札所碑でもあり、現地掲示によると願主・諦信は御府内霊場の開創、維持発展に寄与されたとのことです。

江戸時代の連歌歌人・無相の歌碑もあります。

山内の各所でみられる葵紋が、徳川将軍家とのゆかりをさりげに物語っています。


【写真 上(左)】 葵紋-1
【写真 下(右)】 葵紋-2

こぢんまりとした山内ながら新義真言宗触頭を担った格式が感じられ、名刹の矜持を感じとれる好ましいお寺さまでした。

御朱印は本堂向かって右の庫裡にて拝受しました。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊薬師如来」「弘法大師」の揮毫と薬師如来のお種子「バイ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内三十五番」の札所印。院号の揮毫と寺院印が捺されています。


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-12

■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ 君って - 西野カナ

コメント「流石実力派 もっとこういう人がテレビに出るべき」
御意。いつか復帰して、また名唱をとどけてほしい。

■ LOVE BRACE - 華原朋美 / 2013/11/25 LIVE @NHKホール

唯一無二のビブラート。圧倒的なオリジナリティ。
この人も、もっとメジャーに活躍してほしい。

■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 / Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO

上位互換カバー不可の卓越したオリジナリティ。
いまの時代には稀少なフェミニンでたおやかな歌声。
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