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■ 「シティ・ポップ」って?-2

8/31放送のテレビ朝日系「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」の「令和の今見てもカッコいい昭和の歌手ベスト20」で寺尾聰がランクインし、葉加瀬太郎氏がどうして「カッコいい」かの解説してた。

【ルビーの指環】寺尾聰


そのキモは、
1.16ビートを使っていること。(さらにシンコペを使っていること。)
2.セブンスコードを使っていること。
3.転調を巧く使っていること。(とくに2年の月日の経過を転調であらわしていること。)

でもって、キーボードで8ビートバージョンと16ビートバージョンの比較してたけど、これわかりやすかった。

■ Lowdown - Boz Scaggs(1976年)

1970年代中盤、16ビートを世に広めた曲のひとつ。
ここから1980年代前半の洋楽全盛期?に向けて、洋楽は一気に洗練度を上げていくことになる。


以前、この記事で「シティ・ポップ成立の要件」について書いたけど、やっぱり16ビートシンコペとセブンスの効果は絶大だと思う。
でも、わかっててもつくれないんだよね。やっぱりいまの時代では。


【シティ・ポップ成立の要件】

1.リズムセクションが生楽器で、アップビート(裏拍)、ヨコノリであること。
2.音にすきまがあって、16分のハイハットがシャープに響いていること。
3.グルーヴ感があること。リズムに「キメ&ブレイク」やシンコペーションが絡んでいること。
4.メジャー・セブンス(四和音)系のコード進行で、ドミナントや転調を多用すること。
5.ボーカルとインスト(楽器)のアンサンブルバランスがいいこと。とくにカッティングやリフのサポートがあること。
6.多声部は基本的にコーラス(ハモリ)であること。
7.AORやBCMに通じるこ洒落た質感があること。
8.マルチトラック・レコーダーでバウンス(ピンポン録音)され、腕利きのエンジニアが手掛けていること。

その背景となったのが、↓ のファクターだと思う。
A.聴き手に洋楽を聴く”素養”があったこと。だからセブンスや”抽象な歌詞”も受け入れやすかったこと。
B.エッセンスをベースにし、これに日本人ならではのこだわりの職人芸を加えていること。
C.上質なアンサンブルを展開できる、腕利きのミュージシャンが日本にも数多くいたこと。
D.セッションが頻繁に行われ、そのなかから新しいフレーズやコード進行などが生まれていたこと。
E.プロのライターやアレンジャーがメインストリームで活躍していたこと。
F.媒体が情報量の多いアナログレコードで、しかもLP購買がメインだったのでアルバム曲がふつうに聴かれていたこと。
G.経済がほぼ右肩上がりで「生活の質を高めよう」という意識が高かったこと。なので曲調がブライトで気分を高揚させるものだった。
H.ウォークマンやカーオーディオで音楽を外で聴く機会が多かったので、「心に刺さる歌詞」よりもBGMとしての適性が求められていた。
I.MTVなどビジュアル媒体がほとんどなく、サウンドだけで勝負する必要があったので、”音”に集中できる環境にあった。

だから、シティ・ポップの成立にはおそらくこのような時代背景が必要だし、腕利きのミュージシャンやプロ(本来の意味での)のクリエイターがいないと成立しない。

とくに1981年といえば、洋楽がその洗練度を高めており、→ ■ 1981年の洋楽ヒット曲 (Billboardデータから)、しかもその多くがグルーヴ感を備えていた。
洋楽が邦楽に与えていた影響は計り知れず、なおかつ日本独自の解釈が生まれメジャー化するタイミングだったと思う。

だがら当時は洋楽と邦楽(シティ・ポップ)の質感はほぼ同質で、同じカセットに入れて聴いたりしていた。
例→ ■ 1984年のテープリスト



****************
2022/11/16 UP

さきほど「マツコの知らない世界」でDJ Night Tempo氏招いて”80's Japanese POPSの世界”を特集してた。
やっぱりマツコさん音楽の造詣ふかいわ。

正鵠射まくりのコメントがいくつかあったので、テープおこし的にいくつか紹介してみます。

【マツコ氏】
「('80年代の曲って)歌詞とかもさ~、何て言ったらいいのかな、なんか壮大なんだよね。夢や希望が詰まっている人が聴くからさ、なんか異国がいっぱい出てくるのよ 不必要な(笑) 明菜ちゃんなんてすぐに中東行っちゃうのよ。砂漠の歌歌うのよ(笑)」

↑ たしかに・・・、聖子ちゃんもすぐに南の島に行っちゃうし(笑)

■ 松田聖子 - セイシェルの夕陽


■ スペクトラム(SPECTRUM) - なんとなくスペクタクル

そうそういたなぁ、スペクトラム。ほんとに何十年ぶりかで聴いた!

スペクトラム聴いて【マツコ氏】
「いまのっていわゆる向こうのChicだったりとかE.W&Fとか、あっちのリスペクト・ヴァージじゃない。(中略)音楽に対してめちゃくちゃ日本人って貪欲だったと思うんだよね、あの頃・・・。もう世界中のありとあらゆる音楽を知りたくて、それをすぐに吸収してああやって学びたくて、なんであんなに貪るように音楽を聴いていたんだろう。」

↑ ほんとに、誰もかれもが音楽マニアだった気がする。
音楽はたいていLP(アルバム)聴きで、シングルカットされないアルバム曲でもさりげに人気があったりした。

■ Chic - Good Times(1979)




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2023/11/12 UP

先ほどBS朝日で放送していたシティポップ・スタジオ、聴き応えがあった。
とくに、桑江知子、浜田金吾とマリーン。

改めて思ったのは、インスト陣が腕利きで、どの曲もボーカルなしでもFusionとして成り立っていること。
これに雰囲気あるボーカルが乗ってくるので、悪くなりようがない。

それにしても、BSとはいえプライム・タイムでこの面々のパフォーマンスが聴けるとは・・・。
喜んでいいのか、はたはた哀しむべきか・・・。

■ 桑江知子 - ダンシング・イン・ザ・ワンダーランド

歳を重ねても声のよさ、歌の上手さは翳りを見せず。

■ 濱田金吾 - Piano Man

リリカルなフェンダー・ローズ、シンコペなクルーヴ、流麗なストリングス、むせび泣くサックス・・・。
完璧なAORの構成。

■ マリーン - It's Magic - 1983.09

マリーンって、こんなに上手かった??
と思うほど説得力があった。
そうね、この頃はサックスも主役級だったな。

■ THE SQUARE - ALL ABOUT YOU

これはサックスじゃなくて、リリコンだけど。
完璧なリード楽器。

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2023 /05/17

こちら→「■ 「シティ・ポップ」って?」に続けて書こうと思いましたが、字数オーバーになったので若干記事を重ねて続編としました。

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かなり前に録画したNHK「あさイチ」のシティ・ポップ特集、さきほど視てみました。
いろいろとシティ・ポップのサウンド分析していたけど、いくつか面白いポイントがあった。

1.波形が自然の音に近い
これはおそらく、1/fゆらぎを含んでいるということ。
だから聴いてて心地よく、しかも飽きがこない。
番組中でシティ・ポップの波形分析していたけど、すごく綺麗な波形をしていた。
※1/fゆらぎについては→こちらをみてね。

じっさい実験によると、シティ・ポップをBGMに作業したときが、他のジャンルに比べてもっとも作業効率が上がったという。


2.人間の鼓動に近い
シティ・ポップのBPMは100~120 程度。
これは人間のもつ鼓動にアジャストしやすいテンポだという。
人間の鼓動は外部からのリズムに呼応しやすいというから、シティ・ポップやディスコ曲を聴くと自然にからだが揺れるというのは、こういう流れなのかもしれない。

■ Plastic Love - 竹内まりや (Official Music Video)

↑ この曲でBPM104とのこと。
ミディアム曲でBPM100~110、アップテンポ曲でBPM110~120程度か。
この程度ならば”ヨコノリ”で心地よく踊れる。

ハウスでBPM120~130、テクノ/トランス系でBPM120~140とされるが、こうなるともはや”ヨコノリ”はむずかしく、強制的に”タテノリ”となる。
だから、いまのスタンダードなビート(BPM120-)にサンプリングで載せても、シティ・ポップならではの質感の再現はできない。
ただ、メロディのよさを伝えられるだけ。

2:28 キメ~インストパート
3:22 キメ~フィルイン~Aメロ復帰
4:00 キメ~コーラス(リフレイン) 


3.インストのパッセージ&存在感
これは番組でとり上げていなかったが、代表曲として流していた曲を改めて聴いてみたら、いかにインストのパッセージ(メロをつなぐフレーズやリフなど)が大きな役目を果たしていたかがわかる。

■ 水銀燈 Mercury Lamp - 杏里

米国の一流ミュージシャンがサポート。
インスト一音一音の芸がこまかい。

■ 夕陽に別れを告げて〜メリーゴーランド - サザンオールスターズ

サザンサウンドを決定づけていた原さんのキーボード。
フレーズどりのセンスがただごとじゃない。


4.キメ&ブレイク
3.と関連して、キメ(演奏者が一斉に同じ動きをすること)やブレイク(すべてor一部の演奏者が演奏を止めること)がやたらに効果的に使われていた。
キメやブレイクは演奏者の技倆がないと決まらないから、やはりシティ・ポップのつくり手のレベルが高かったんだと思う。

番組後半でAiがつくったシティ・ポップ曲を流していたが、まったくダメダメだったのは、「インストのパッセージ」や「キメ&ブレイク」が欠落していたためではないか。

↓ の例を聴くと、キメやブレイクが聴きどころになっているのがわかる。

たとえば・・・。

■ Off Shore - 角松敏生

0:37 イントロからいきなりのキメ
2:07 キメ
3:44 フィルイン~リズムブレイク~キメ~フィルイン~復帰

■ GoodBye Boogie Dance - 杏里

0:00 イントロからいきなりキメ3連
1:22 キメ~Aメロ
2:58 キメ~Aメロ
3:29 キメ~カッティングギター残してブレイク

■ P・R・E・S・E・N・T - 松田聖子
    
0:59 聖子ちゃんのステップ契機のキメ
1:49 キメ~~16ビートのハット
3:45 キメ~イントロフレーズ回帰

↑ どれもインストのパッセージが決まりすぎてる。
シティ・ポップの曲のつくりは、洋楽のなかでもロックよりはむしろディスコに近い。↓

■ A Night To Remember - Shalamar

0:35 キメ~ボーカル(female)・イン
1:17 キメ~ボーカル(male)・イン
2:21 キメ~リズムセクション残してブレイク
4:07 ボーカル契機のテクニカルなキメ
ダンスが完璧なヨコノリ!

■ On The Beat - The BB & Q Band

0:33 キメ~カッティングギター
2:50 キメ~インストパート
3:07 カッティングギターのフレーズ決まりすぎ
4:11 キメ+ブレイク(こういうところで曲をつなげる)
5:24 キメ~ホーンのソロパート

↑ やっぱりこいつらも、「インストのパッセージ」や「キメ&ブレイク」にあふれていることがわかる。

「インストのパッセージ」や「キメ&ブレイク」はインスト名手の掛け合いやアドリブによるものも多いし、データ変数が多いからサンプリングがやっかいだし、この質感はおそらくアナログ音源でしか記録・再現できない。

「ChatGPT」的なものが幅を利かせるであろうこれからの時代、おそらく「AIではつくり出せないもの」の価値がどんどん上がっていくから、その点からも1980年代の音楽は普遍的な価値を高めていくのではないか。


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2023-01-15 UP

どのテイクとはいわないけど・・・。
シティ・ポップの名曲のアレンジは練りに練られているし、インスト陣のレベルもハンパないし、
しかもはっきりしたサビメロのないメジャー・セブンス曲がメインだから、よほどの技倆 or オリジナリティがないとすぐさまお経になる・・・。

とくに、シティ・ポップ特有の弾むようなリズム&グルーヴは1980年代のBCMやAORでもそうは聴けないものだから、4つ打ち全盛のいま、再現するのは相当きつい。

安易にカバーすると返り血浴びると思うよ(笑)

なによりオリジナルテイクのイメージが強烈だから、上位互換はまずムリだと思う。
いじるな危険!(笑)

■ 松任谷由実 - Hello,my friend (1994年)

↑ サウンドの質感はもはやシティ・ポップのものじゃないけど、往年のユーミンを彷彿とさせる曲想。
ユーミンのヴォーカルあってこその難曲。

■ -TATSURO YAMASHITA-山下達郎 'SPARKLE' (1982年) Tribute Cover 2022

↑ これはかなりよくできたカバーだと思う。
やっぱり神曲はオリジナルのアレンジから離れられない。
それだけのものが原曲にこもってる。

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2023/01/08
紅白で反響が大きかったという・・・・ ↓

【milet×Aimer×幾田りら×Vaundy】「おもかげ」| 第73回NHK紅白歌合戦 音源Ver.


ポイントはカッティングギター、ベースライン、そしてコーラスだと思う。
ポップミュージックが失ってしまった”グルーヴ感”を、人々がふたたび求めはじめてるのかもしれぬ。

↓ 40年前の角松敏生。ヴォーカルとインストのバランスが絶妙。
■ SUMMER EMOTIONS - 角松敏生 (1983年)


↓ 異論はあると思うが、シティ・ポップのマスターピースのひとつだと思う。
■ 【EY TV】矢沢永吉「YES MY LOVE」Music Video (1982年)



↓ 現在、もっとも巧みにグルーヴ感を生み出せるユニット-その1
FictionJunction (FBM
■ 梶浦由記「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~『overtune〜Beginning』」


↓ 現在、もっとも巧みにグルーヴ感を生み出せるユニット-その2
Bank Band
■「to U -PROTECT “to U” version- 」 Bank Band with Salyu


↓ インストとのアンサンブルや、”音の隙間”を大切にする若手アーティストが増えてきている感じもする。
■ 三阪咲 - Rollercoaster (Acoustic Live Performance)



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2022/12/29 UP

昨日放送のBSフジ『シティポップカレンダー'81』、録画したやつを視てみました。
民放にしてはかなりよくできた構成だったと思う。(コメンターによっては2、3意味不明の発言もあったけど。)

とくに当時、シティ・ポップを創り上げた当事者のコメントが深すぎた。

以前、シティ・ポップの構成要件として ↓ を挙げたけど、これを裏付けるコメントが多かった。
とくに、松任谷正隆氏の「メジャー・セブンス=シティ・ポップ」発言には正直おどろいた。

それと、大滝詠一『A LONG VACATION』のモチーフがJ.D. Southerにあったとは、これもびっくり。
■ 大滝詠一 - カナリア諸島にて(1981年)


■ J.D. Souther - You're Only Lonely (Official Audio)
10/20/1979 / 7位 13Weeks


レコーディングに関するファクターがひとつあったと思うので8.として追加します。

1.リズムセクションが生楽器で、アップビート(裏拍)、ヨコノリであること。
2.音にすきまがあって、16分のハイハットがシャープに響いていること。
3.グルーヴ感があること。リズムに「キメ&ブレイク」やシンコペーションが絡んでいること。
4.メジャー・セブンス(四和音)系のコード進行で、ドミナントや転調を多用すること。
5.ボーカルとインスト(楽器)のアンサンブルバランスがいいこと。とくにカッティングやリフのサポートがあること。
6.多声部は基本的にコーラス(ハモリ)であること。
7.AORやBCMに通じるこ洒落た質感があること。
8.マルチトラック・レコーダーでバウンス(ピンポン録音)され、腕利きのエンジニアが手掛けていること。

その背景となったのが、↓ のファクターだと思う。
A.聴き手に洋楽を聴く”素養”があったこと。だからセブンスや”抽象な歌詞”も受け入れやすかったこと。
B.エッセンスをベースにし、これに日本人ならではのこだわりの職人芸を加えていること。
C.上質なアンサンブルを展開できる、腕利きのミュージシャンが日本にも数多くいたこと。
D.セッションが頻繁に行われ、そのなかから新しいフレーズやコード進行などが生まれていたこと。
E.プロのライターやアレンジャーがメインストリームで活躍していたこと。
F.媒体が情報量の多いアナログレコードで、しかもLP購買がメインだったのでアルバム曲がふつうに聴かれていたこと。
G.経済がほぼ右肩上がりで「生活の質を高めよう」という意識が高かったこと。なので曲調がブライトで気分を高揚させるものだった。
H.ウォークマンやカーオーディオで音楽を外で聴く機会が多かったので、「心に刺さる歌詞」よりもBGMとしての適性が求められていた。
I.MTVなどビジュアル媒体がほとんどなく、サウンドだけで勝負する必要があったので、”音”に集中できる環境にあった。

だから、シティ・ポップの成立にはおそらくこのような時代背景が必要だし、腕利きのミュージシャンやプロ(本来の意味での)のクリエイターがいないと成立しない。

とくに1981年といえば、洋楽がその洗練度を高めており、→ ■ 1981年の洋楽ヒット曲 (Billboardデータから)、しかもその多くがグルーヴ感を備えていた。
洋楽が邦楽に与えていた影響は計り知れず、なおかつ日本独自の解釈が生まれメジャー化するタイミングだったと思う。

だがら当時は洋楽と邦楽(シティ・ポップ)の質感はほぼ同質で、同じカセットに入れて聴いたりしていた。
例→ ■ 1984年のテープリスト

※ 以前の記事ですが、すぐ聴けるように再掲します。↓

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おそらく1984年くらいにつくったテープだと思います。
この時代、洋楽と邦楽をシャッフルしてもまったく違和感がなかったことがわかる。
リズムが16ビート、シンコペがらみのアップビートのグルーヴで通底していたからかもしれぬ。

01.C調言葉に御用心 - Southern All Stars  〔from『Tiny Bubbles』/1980〕


02.Just One Kiss - Rick Springfield  〔from『Success Hasn't Spoiled Me Yet』/1982〕


03.Sunset Memory - Kazu Matsui Project Feat. Robben Ford  〔from『Standing On The Outside』/1983〕


04.Plastic Love - 竹内まりや 〔from『VARIETY』/1984〕


05.Let's Celebrate - Skyy  〔from『Skyy Line』/1981〕


06.Seeing You (For The First Time) - Jimmy Messina 〔from『Oasis』/1979〕


07.He's Returning - White Heart 〔from『White Heart』/1982〕


08.Last Summer Whisper - 杏里・Anri 〔from『Heaven Beach』/1982〕


09.Tribeca - Kenny G 〔from『G Force』/1983〕


10.The Goodbye Look - Donald Fagen 〔from『The Nightfly』/1982〕


11.The Last Resort - Eagles 〔from『Hotel California』/1976〕

↑ なぜかラストにこの曲が入っていた。

And they called it paradise, I don't know why.
みんなその場所を楽園と呼ぶけど、僕には何故だか分からない・・・
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アンサンブル、洗練度、グルーヴ感は、いまのほとんどの洋楽が失ってしまったものだから、これをマニアックに追求した1980年代の日本のシティ・ポップが全世界から再評価されているのではないか。


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個人的に、シティ・ポップの源流のひとつと思っている「サーフ・ロック」。
当時(1970年代中盤~)はいまから考えられないほど日本でも人気があって、ニューミュージックとサーフ・ロックを一緒に聴いていた輩がたくさんいた。

■ Ned Doheny - A Love Of Your Own (1976年)


■ Kalapana - Dilemma (1977年)


■ Pablo Cruise - Atlanta June (1977年)




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2022/11/16 UP

さきほど「マツコの知らない世界」でDJ Night Tempo氏招いて”80's Japanese POPSの世界”を特集してた。
やっぱりマツコさん音楽の造詣ふかいわ。

正鵠射まくりのコメントがいくつかあったので、テープおこし的にいくつか紹介してみます。

【マツコ氏】
「('80年代の曲って)歌詞とかもさ~、何て言ったらいいのかな、なんか壮大なんだよね。夢や希望が詰まっている人が聴くからさ、なんか異国がいっぱい出てくるのよ 不必要な(笑) 明菜ちゃんなんてすぐに中東行っちゃうのよ。砂漠の歌歌うのよ(笑)」
↑ たしかに・・・、聖子ちゃんもすぐに南の島に行っちゃうし(笑)
■ 松田聖子 - セイシェルの夕陽


■ スペクトラム(SPECTRUM) - なんとなくスペクタクル

そうそういたなぁ、スペクトラム。ほんとに何十年ぶりかで聴いた!

スペクトラム聴いて【マツコ氏】
「いまのっていわゆる向こうのChicだったりとかE.W&Fとか、あっちのリスペクト・ヴァージじゃない。(中略)音楽に対してめちゃくちゃ日本人って貪欲だったと思うんだよね、あの頃・・・。もう世界中のありとあらゆる音楽を知りたくて、それをすぐに吸収してああやって学びたくて、なんであんなに貪るように音楽を聴いていたんだろう。」
↑ ほんとに、誰もかれもが音楽マニアだった気がする。
音楽はたいていLP(アルバム)聴きで、シングルカットされないアルバム曲でもさりげに人気があったりした。

■ Chic - Good Times(1979)



【途中で出てきた外国のシティ・ポップファン】のコメント
「僕がすごいと思うのは、この時代の日本の音楽のレベルの高さ。ミュージシャンの演奏も素晴らしいし、曲のアレンジ、ストリングスすべてが贅沢でお金がかかっている。でも日本の80年代の音楽は日本の中だけに閉じ込められていたから、まだまだ知らない素晴らしい曲がたくさんあってまるで宝探し。」
↑ そうなのかな???
当時の音楽好きはたいてい洋楽メインに聴いていたし、日本のトップアーティストだってみんなLAレコーディングとかしてた訳で・・・。
日本のポップス買いかぶり過ぎの感なきにしもあらず。
それをいうなら、70年代後半~80年代初頭の米国のBCM系マイナーレーベルなんて、それこそお宝だらけかと・・・。

【マツコ氏】
「いまの(日本の)音楽をあまり聴かない理由のひとつは、イントロも間奏もないじゃん。(中略)だから変化は頑張ってつけているけど、ギターソロとか入ってないと大して変わらないじゃん。その、一曲通しての物語としては・・・。なんか物足りない。」
↑ いまの曲はボーカルがベタに張り付いて、アンサンブルが弱いといったことかと思う。


【Tempo氏】
「トイレ行ってスッキリしてない気分ですかね・・・。」

【マツコ氏】
(絶句しつつ)「じゃあ、そういうことにしておこう、いいよ(苦笑)」

【マツコ氏】
「あぁ、でもこれ言いすぎるとまた、『オワコンオカマがノスタルジー語ってる』とか言われるからやめよ(笑)」
↑ オワコンサンプリングして悦に入る、しかも世界的に受けてるって、いったいどゆこと?(笑)

【マツコ氏】
「当時の特徴としてね、不倫の曲がめちゃくちゃ多いのよ、日本って。相当不倫願望の強い国だったんんだと思う。なんかああいうのって、余裕がないと出てこないんだろうっていうのは、いまの歌とかみてると・・・、まぁでも世界的にそうなのかな? なんか歌詞とか現実的な歌詞が多くなったよね。前はめちゃくちゃな歌あったじゃない、いっぱい、日本の歌・・・。」
↑ これとか・・・ ↓
■ 恋におちて -Fall in love- 小林明子(カバー)


【マツコ氏】
「(当時の)日本の歌詞ってすごい独特だったと思うのよ、その、感情表現が・・・。”I Love You”だけじゃないじゃない。いま日本の歌って、けっこうめちゃくちゃシンプルな歌詞をみんなつかってるけど・・・。」
「ほんと、むかしの曲って1回聴いただけではちょっと理解できないというか、という歌詞が多かった気がする。」


■ 涙のアベニュー - 桑田佳祐

暗喩絡みの歌詞がおサレすぎる。


菊池桃子氏登場。RA MUの原曲聴いて。
■ ラ・ムー(RA MU)/ 菊池桃子 - 少年は天使を殺す(1988年6月15日)

ラ・ムー(RA MU)は、アイドル(菊池桃子)とブラコンとフュージョンが合体したユニット。

【マツコ氏】
「お洒落だね~。Tempoちゃんのやつもそうだけど(意味深な笑い)、原曲もいま聴き返すと凄いわ。やっぱあの頃って。(菊池桃子は)すごいアイドルだったのに、それに挑戦させる。いまだったらこわいというか、想像すらしないと思うのよ。あれができちゃうって、相当、芸能界も含めて、日本っていろんなチャレンジをする国だったんだなっていうのが・・・。」

【桃子氏】
「なにか、遊びごころが減ってきたのか、リスクをとらなくなってきたのか???・・・。」

【マツコ氏】
「RA MUは遊びすぎですけどね(笑)」

一度でいいから、マツコさんとマキタスポーツ氏の音楽対談きいてみたい。
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