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■ 佐野元春(初期)のバラッド

あいかわらずTVの音楽番組で昭和(とくに1980年代)の名曲ヘビロテされてます。
夏歌特集ではサザンやTUBE、達郎、大瀧詠一くらいまでは行くけど、杏里や角松敏生、佐野元春あたりまで掘り下げるケースは多くない。

でも、個人的には、夏の終わりをもっとも感じるアーティストは佐野元春だと思う。
というか、1980年代初頭でもっとも個人的に聴き込んでいた邦楽は、サザンでも達郎でもユーミンでもなく、たぶん佐野元春(&杏里)だった。

めずらしくフォローされたとしてもほとんど↓の曲で、「佐野元春=SOMEDAY」のイメージが強すぎるのはけっこう悲しい。

■ SOMEDAY(1982年)



そんなこともあって、思い入れのある初期3枚のアルバムからバラード(&ミディアム)を引っ張ってきました。
(本来はアルバム通して聴くアーティストだと思うけどね。)

↓ の3作を「佐野元春初期三部作」ともいい、共通した空気感が流れています。
4th.ALBUM『VISITORS』(1984年)以降、佐野元春はほとんど1作毎に作風を変えていきます。
その中には名曲も少なくないですが、やっぱり筆者的にはリアルタイムでヘビロテしていたこの3作に戻ってしまいます。

1st.ALBUM 『BACK TO THE STREET』(1980年)
2nd.ALBUM 『Heart Beat』(1981年)
3rd.ALBUM 『SOMEDAY』(1982年)

まぁ、だまされたと思って(笑) 聴いてみておくんなまし。

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■ Sugartime(1982年)


■ グッドタイムズ&バッドタイムズ(1980年)


■ バルセロナの夜(1981年)


■ 彼女(1981年)


■ ロックンロール・ナイト(1982年)


■ 君をさがしている(朝が来るまで)(1981年)


■ 情けない週末(1980年)


■ 二人のバースデイ(1982年)


■ バッド・ガール(1980年)


■ 麗しのドンナ・アンナ(1982年)


■ HEART BEAT(小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)(1981年)

ぶっちぎりの名曲&名演。
コメントにもあるけど、この曲を名曲と言わずして何を名曲と言うのか。


いま、あらためて聴いてみると、エモーショナルなサックスの音色やストリングスの旋律の美しさにおどろく。
初期の頃から、アレンジメントやサウンドメイクにも卓越した才能を発揮していたことがわかる。


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■ コンプリケイション・シェイクダウン(1985_LIVEフルバージョン)

大幅な路線変更を図った4th.ALBUM『VISITORS』(1984年)収録曲。
「当時アメリカで発達し始めたばかりで、まだ日本でも浸透していなかったラップやヒップホップ手法が楽曲に取り入れられ佐野の歌唱法が変化したことや前作までのナイアガラ系に通じるサウンド・歌詞から一変したことで、リスナーのほとんどに戸惑いを与え賛否両論となった」Wikipediaより)

そう、当時たしかに賛否両論ありましたね。角松敏生の『AFTER 5 CLASH』(1984年)なんかもそうですね。
でも、この時点でこういう変化は、後のPOP-MUSICを考えると必然だったんだと思う。

【関連記事】
■ 洋楽1983年ピーク説


■ Marc Jordan - Best Part Of My Life
〔 From 『Make Believe Ballroom』(2004)〕

個人的には、Marc Jordanの域にもっとも迫った邦楽アーティストは佐野元春だと思う。

AOR系シンガーの多くは1980年代にピークをつけたと思われるが、Marc Jordanは数少ない例外で、その後も円熟味を加えて名盤を送り出している。
これは『Make Believe Ballroom』(2004)のバラッドで、ピアノとストリングスの綺麗な旋律のうえでエモーショナルなMarc Jordanのヴォーカルが光る名テイク。
映像のできも出色。


【佐野元春】多くのミュージシャンに影響を与える「佐野元春」の音楽をダイノジが語る!!前編【ダイノジ中学校】
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