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■ 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-9

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で出てくる寺院もけっこうあるので、こちらも「鎌倉殿の13人」と御朱印「鎌倉市の御朱印」と併行してUPしていきます。

新型コロナウイルス感染拡大警戒中です。また、令和3年7月伊豆山土砂災害等の影響も懸念され、寺社様によっては御朱印授与を中止されている可能性があります。ご留意をお願いします。

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伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-1
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-2
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-3
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-4
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-5
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-8から。
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-10へつづく。

〔 参考文献 〕
『こころの旅』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 こころの旅』(㈱ピーシードクター 刊)
『霊場めぐり』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 霊場めぐり』(伊豆観光霊跡振興会 刊)
を示します。



■ 第62番 石屏山 法伝寺(ほうでんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町二條458
臨済宗建長寺派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:-
授与所:第58番正眼寺にて

第61番法泉寺から下賀茂に向けて進んだところにあります。
国道136号線から1本南に入ったところですが、国道からも見えます。

開創当初は真言宗で大窪というところにありました。
寛永年中(1624-1644年)松屋祝公和尚が現在地に遷し、臨済宗建長寺派に改めました。

『豆州志稿』には「二條村 臨済宗建長寺派 相州鎌倉建長寺末 本尊正観世音 昔大窪ニ在リ 松屋和尚今ノ地ニ移ス 寛永(1624-1644年)の頃ナリ 初真言宗ナリ 松屋改宗ス 或作寶傳寺」とあります。

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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 六地蔵

このあたりの国道136号線は川沿いの水田地帯を辿ります。
南伊豆らしい陽光明るくおだやかな風景です。

国道136号線から枝道に入り、小橋で川を渡った先が参道です。
参道入口右手に札所標、左手には六地蔵。
六地蔵の上手には祠が見え、こちらは地主神かもしれません。


【写真 上(左)】 地主神?の祠
【写真 下(右)】 山内

山内正面に入母屋造銅板葺の本堂と右手に庫裡を配し、L字型の堂宇配置です。
堂前は校庭さながらに整地され、なんとなく分校のようです。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 扁額

本堂に向拝柱はなく、全面サッシュ扉のシンプルな堂宇。
御本尊、札所本尊ともに聖観世音菩薩で、おそらく同一のお像かと思われます。

現在無住につき、御朱印は第58番正眼寺にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第63番 五峰山 保春寺(ほしゅんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町加納177-1
曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:-
授与所:庫裡(第50番玄通寺も)

下賀茂の街並みに入ったところにある曹洞宗寺院です。
開基の山本長門守道政が永正四年(1507年)に没しているので、それ以前の草創とみられています。
開山は僧・法山(天文十一年(1542年)寂)。
草創当時は真言宗で、慶安二年(1649年)太梅寺四世法山秀禅和尚により曹洞宗に改宗されたと伝わります。

『豆州志稿』には「加納村 曹洞宗 横川太梅寺末 本尊虚空蔵 開山法山和尚(天文十一年(1542年)化ス) 山本長門守道政(永正四年(1507年)死ス)ヲ開基トス 初真言宗也 慶安二年(1649年)太梅寺四世秀禅改宗ス 地頭清水康英ノ喜捨文を蔵ム」とあります。

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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 参道と山門

国道136号から北側に入った山裾にあります。
よく整備された明るい雰囲気の寺院で、落ち着いた参拝ができます。
すこし進むと禅刹らしい「不許葷酒入山門」の石標。
数段の石段の先に切妻屋根桟瓦葺四脚門の均整のとれた山門。


【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 山内

小高い山を背後に背負った落ち着きのよい山内。
左手手前から鐘楼、鎮守天満宮、正面に本堂とつづきます。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

入母屋造桟瓦葺で大棟に「五峰山」。隅棟の貼り出しが大きく存在感ある堂宇です。
向拝柱はなく格子扉メインのシンプルな身舎。
見上げに扁額はなく、桐紋入りの蟇股が置かれています。

開けていただいた本堂内は見上げに山号扁額、金襴幕と複数の天蓋が懸かる華やかなものでした。
御本尊および札所本尊は虚空蔵菩薩。
この霊場では、第45番向陽院と当山の2つの札所本尊が虚空蔵菩薩です。
禅刹、ことに曹洞宗では虚空蔵菩薩が御本尊の寺院はかなりあります。
十三仏、 十二支守り本尊の一尊でもありますが、御真言は「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」とかなり複雑です。


【写真 上(左)】 堂内
【写真 下(右)】 鐘楼と天満宮

鎮守の天満宮は一間社流造桟瓦葺。鮮やかな朱色の水引虹梁が印象的です。
手前に狛犬一対。向拝見上げに「天満宮」の扁額。
一間社流造は覆屋で、なかに本殿が安置されています。

『こころの旅』によると、本殿には「伊豆の小市」と呼ばれた鈴木市五郎の見事な彫刻が施されているようですが、うかつにもチェックしわすれました。
鈴木市五郎は当地生まれの宮大工で、江戸で修業し、築地本願寺を手掛けてその才能は高く評価されたとのことです。

御朱印は庫裡にて拝受しました。
第50番玄通寺の御朱印も授与されているので、そちらを巡拝してからお伺いした方がベターかもしれません。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第64番 金嶽山 慈雲寺(じうんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町下賀茂433
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:伊豆横道三十三観音霊場第27番
授与所:庫裡

南伊豆の名湯、下賀茂温泉にある札所です。
東日本有数の泉温と豊富な湧出量をもつ下賀茂温泉については、→こちらのレポをご覧くださいませ。

『新南伊豆風土記』には「下賀茂の金嶽山 慈雲寺の開創縁起には「永禄年間(1558-1569年)に土地の住民が河原の砂礫のなかに湯舟を作り、自然に湧出する温泉に浸かっていた。」とあり、当山は温泉と深いかかわりをもつことがわかります。

当山の御詠歌は、『わきかえる 湯つぼの中に影すみて 金のみ嶽に月もとうとき』
ここからも、温泉とのかかわりの深さが感じられます。

なお、伊豆八十八ヶ所の多くの札所が下賀茂温泉のまわりに集中しているので、巡拝の折には一度は下賀茂温泉泊まりになるかと思います。

『こころの旅』によると、 慈雲寺の開創年代等は不明ですが当初は慈雲院という真言宗の寺院でした。
一時衰微していましたが、香雲寺の五世仏華為長が再興され現在に至ります。

山内の「岩谷観音」は伊豆横道三十三観音霊場第27番の札所本尊となっています。

『豆州志稿』には「下賀茂村 曹洞宗 相州田原香雲寺末 本尊釋迦 初慈雲院ト称シ真言ノ道場也 後久ク廃絶ス 永禄中(1558-1570年)香雲寺五世為長当地に来遊シ 里民ニ謀テ再興ス 此時ヨリ改宗シテ寺号ト為ス」とあります。


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【写真 上(左)】 すぐとなりの「伊古奈」の泉源
【写真 下(右)】 参道入口

下賀茂温泉は温泉街の趣きはうすいものの、南伊豆らしい明るい景色のなかをゆったり流れる青野川沿いに、落ち着いたたたずまいをみせています。

青野川と二条川は下賀茂の「銀の湯会館」前で合流し、青野川となって弓ヶ浜に注ぎます。
熱帯植物園下流の「石廊館」から「南楽」にかけての500mほどの青野川沿いに、下賀茂温泉の主だった旅館が集中します。
左岸には「石廊館」と「南楽」、右岸には閉館した「伊古奈」(→入湯レポ)と「河内屋」。

慈雲寺は閉館した老舗旅館「伊古奈」のすぐ隣にあり、「伊古奈」は数本の自家源泉を持っていましたから、やはり慈雲寺は温泉とゆかりのふかいお寺なのかと。


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 六地蔵

参道入口に伊豆八十八ヶ所&伊豆横道三十三観音の札所標。正面門柱の先に本堂が見えます。
背後に山を背負う寺院らしい立地です。
手前に六地蔵、正面に本堂、左手に水子地蔵尊のお堂があります。


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 本堂


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額

本堂は寄棟造銅板葺で小規模な流れ向拝を置いています。
堂宇前面は連子様の意匠で引き締まった印象です。
向拝見上げに山号扁額。


【写真 上(左)】 ガマの守護神
【写真 下(右)】 ガマ地蔵

山内にはあちこちにガマがいます。
こちらはガマにゆかりのあるお寺さんなのでした。

山内掲示類から、そのゆかりをひいてみます。
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むかしむかし、慈雲寺の本堂裏に池があり、そこに一匹の大きなガマが棲んでおりました。
この大ガマは和尚さんや里人にたいそう親しまれ、大事にされておりました。
ある日、青野川の氾濫でガマは流されてしまい、和尚さんたちはガマの無事を祈りました。
ガマは沼津の千本松原に流れ着き、いつの間にか人に姿を変えていました。

元和二年(1616年)●月二十六日、慈雲寺の和尚さんが小田原の最乗寺に出かけた帰り、三島土狩の松岡庄平と名乗る男に出会いました。
男が言うには「わたくしは以前お宅の池でお世話になっていたガマでございます。毎朝晩に和尚さまのありがたいお経をお聞きし功徳を得まして、いまはこのとおり人間になることができました。これはこのご恩へのお礼のしるしです。」
と、一領の袈裟を和尚さんに捧げました。

その袈裟は二十五条織りの見事なもので、和尚さんは「それはご奇特なことじゃ」と受け取りました。
和尚さんはこの袈裟を里人に披露し、人の恩に報ゆることの大切さ、有り難さを説かれました。
この袈裟は「ガマの袈裟」といい、いまも本堂に飾られています。
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本堂向かって右手の堂前にはひときわおおきなガマが鎮座し、まわりを小ガマがとりまいています。
「平成十九年三月、慈雲寺第十九世和尚は結制修行を終えて大和尚の称号を戴きました。
これを記念して、法恩の伝承にならい、そして慈雲寺の守り神として鎮座されました。」
という掲示があるので、この大ガマが守り神なのかもしれません。

参道入口には、ガマ地蔵も御座されます。
慈雲寺のガマは畜生道?から功徳を積んで人間となり、恩返しをしたことでついに菩薩(地蔵菩薩)になったことになります。

御朱印は庫裡にて拝受しました。
伊豆横道三十三観音霊場の御朱印も授与されています。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 伊豆横道三十三観音霊場の御朱印 〕




■ 第65番 田村山 最福寺(さいふくじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町上賀茂301
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:-
授与所:第53番寶徳院

下賀茂温泉の北側、上賀茂地区にある札所寺院です。

『こころの旅』によると明応九年(1500年)泉屋鉄眼の開基により草創された律院で、当初は普済庵と号しました。
のちに、田村将軍の末孫・田村正広が来山し一宇を建立して田村将軍を祀り、信仰厚かった観音像を本尊として奉安し中興開基、大安寺三世の祖庵孝孫を中興開山として律を改め曹洞宗に改宗し、寺号も最福寺と改めて現在に至ります。


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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 札所標

上賀茂集落内、一条川に近いところにあり、南伊豆の札所のなかではわりに開けた立地です。
「上賀茂」のバス停脇から山手に向かって参道が伸びています。
右手に寺号標、左手に「不許葷酒入山門」の戒壇石という禅刹らしい構え。


【写真 上(左)】 冠木門
【写真 下(右)】 参道階段

その先に石造の冠木門。さらに進むと参道階段とその先に山門。
山門は切妻屋根桟瓦葺の四脚門?で、山号扁額を掲げています。大棟に鯱戈(しゃちほこ)を配した存在感ある門です。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 本堂

正面が本堂。左手前に鐘楼。
鐘楼の方形の屋根と本堂の寄棟造の屋根が意匠的によくバランスしています。
本堂は寄棟造桟瓦葺で向拝柱のないシンプルつくり。
向拝見上げに寺号扁額を掲げています。
現況無住のようですが、山内はすっきりと手入れされています。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 扁額

御朱印は第53番寶徳院にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第66番 波次磯山 岩殿寺(がんでんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町岩殿120
真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:-
授与所:寺役管理

現地由緒書および『こころの旅』によると、貞元二年(976年)に僧継雲によって創建。
文永十年(1273年)阿闍梨丁快によって中興され、御本尊薬師如来像(ないし御前立)は丁快の作と伝わります。
往時は大寺と伝わり北條氏の庇護を受けて隆盛しましたが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原討伐の際、戦場となり炎上、北條氏の庇護も失い衰退の途をたどりました。

『豆州志稿』には「岩殿村 真言宗 伊豆山般若院末 本尊不動薬師 創建不詳 僧継運ヲ開祖トス 此寺往昔大ナリ 今大門ノ地名存ス 文永十年(1273年)阿闍梨丁快薬師前立ノ佛像ヲ造ル 寺内ニ薬師堂アリ 寺後山上ノ岩窟ニカケノ御堂ト云アリタリ 今柱二三本残ル」とあります。


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県道121号南伊豆松崎線は下賀茂と松崎を結びますが、蛇石峠を越えるため、ふつうは海岸沿いの国道136号(マーガレットライン)が選択され、交通量は少ないです。
岩殿寺はこの県道121号からさらに枝道に入ったところにあり、一般観光客はまず訪れない立地です。

伊豆八十八ヶ所でもっとも奥深く感じる札所は南伊豆~松崎にかけてで、この岩殿寺もそんなイメージの札所です。
ただし、対面に岩殿寺窯があるので、焼き物好きは足を運ぶかもしれません。


【写真 上(左)】 岩殿寺窯
【写真 下(右)】 参道入口


【写真 上(左)】 正面堂宇と庫裡?
【写真 下(右)】 山内

寺号標も山門もないシンプルな参道。
正面に寄棟造桟瓦造の堂宇と左手に宝形造のお堂があり、左手お堂の方に寺号扁額が掲げられているのでこちらが本堂かもしれません。


【写真 上(左)】 左手お堂
【写真 下(右)】 扁額

現地由緒書に、安置佛として薬師如来、十二神将、不動明王尊、地蔵菩薩、宗祖 弘法大師とあるので、どちらかの堂宇は不動堂、地蔵堂あるいは大師堂かもしれません。

御朱印はお堂向拝に貼り出されていた寺役さんの電話番号に連絡したら、しばらくしておいでになり、無事拝受できました。ありがとうございました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第67番 太梅山 安楽寺(あんらくじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町上小野683
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:-
授与所:寺役管理だが、本堂内に印判あり

現地本堂内掲示および『こころの旅』によると、かつては真言宗で、法境山祥安寺と号しました
弘治元年(1555年)に現地に移転し、曹洞院(第52番札所)四世の花翁宗菊を(中興)開山として曹洞宗に改めいまに至ります。

『豆州志稿』には「上小野村 曹洞宗 吉佐美曹洞院末 本尊釋迦 初真言宗ニシテ上安寺ト号シ 字寶境ニ在リキ 弘治元年(1555年)現地ニ移シテ改称シ曹洞宗トナル」とあります。 


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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 六地蔵と参道

静岡県道119号下田南伊豆線沿いにありますが、こちらも交通量はすくなく奥まった感じの立地です。
変則の冠木門。その先右手に六地蔵。正面に参道階段と本堂が見えます。
背後に竹林を背負う寺院らしいたたずまい。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 斜めからの向拝
【写真 下(右)】 札所板

寄棟造銅板葺で向拝を付設しています。
平成7年の改築なのでまだ新しい感じを残しています。
向拝まわりはシンプルですが、向拝両側の花頭窓とその下の青紅葉の絵がいいアクセントになっています。


【写真 上(左)】 本堂内
【写真 下(右)】 堂内扁額

御朱印は本堂内に印判がありましたので、そちらをセルフで押印しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕


【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第68番 廬岳山 東林寺(とうりんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町下小野414-1
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:-
授与所:寺役管理(筆者は第61番法泉寺にて拝受)

『こころの旅』『豆州志稿』によると、文録年間(1592-1596年)に僧龍山寺廬岳に創立された小庵でしたが、慶長五年(1600年)現地に遷り、曹洞院八世巨雄天策を開山とし、堂宇を建立して曹洞宗寺院となりました。
伊豆国守・通國書写の大般若経を所蔵します。

『豆州志稿』には「下小野村 曹洞宗 吉佐美曹洞院末 本尊薬師 文録中(1592-1596年)僧龍山寺廬岳ニ創立 小庵ナリ 慶長五年(1600年)現地ニ移シテ寺ト為シ 曹洞院八世天策ヲ開山トス 國司通國(按スルニ二子世系不詳 或ハ曰源頼盛ハ醍醐天皇ノ後裔 西宮左大臣源高明公六世ノ孫 源世雅ノ二男ナリ 伊豆守ト為ル 通國ハ大江音人六世ノ孫 掃部頭大江佐國ノ次男ナリ 大治中(1126-1131年)任伊豆國司ト)書スル大般若経ヲ蔵ム 妙楼閣在寺観世音ヲ安ス 明治十二年建立ス」とあります。

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【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 地蔵尊

青野川に沿って走る県道121号南伊豆松崎線の下小野の集落にあります。
真新しい参道階段と、その右手前に寺号標。
階段脇には地蔵尊が並びます。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂

階段を昇った正面が竹林を背負う本堂。
寄棟造銅板葺で、中央に向拝を附設しています。
水引虹梁両端の木鼻は角材、頭貫上もシンプルな造作ですが、水引虹梁中備に寺号扁額を掲げ、直上に二軒の平行垂木を置くいささか変わったつくり。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額

堂宇全容はシンメトリで端正な印象です。

御朱印は、筆者は第61番法泉寺にて拝受というメモが残っていますが、公式Webでは寺役さん授与となっています。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕


専用納経帳


■ 第69番 塔峰山 常石寺(じょうせきじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町蛇石80
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:-
授与所:庫裡

『こころの旅』『豆州志稿』によると、慶長七年(1602年)に慈雲寺(第64番札所)四世の関翁全鐵により開創と伝わります。

『豆州志稿』には「東峯山常石寺 蛇石村 曹洞宗 下賀茂慈雲寺末 本尊薬師 慶長七年(1602年)慈雲寺四世全鐵創立ス」とあります。

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県道121号の南伊豆町側の最奥で、蛇石峠を越えた松崎側には数箇所の札所がありますが、海側を走る国道136号(マーガレットライン)沿いにも札所があり、ルート選択に悩むところです。
ただし、いずれにしてもこのあたりは1回の巡拝でコンプリートは困難なので、最低でも国道136号(マーガレットライン)経由1回、県道121号経由1回の旅程が必要かと思います。(西伊豆や南伊豆で連泊するなら話は別ですが・・・)


【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 石仏群

県道121号が青野川を離れ、蛇石峠の登りにかかるヘアピンカーブの手前山側にあります。
苔むした参道階段。本堂裏に小高い小山を背負う雰囲気のあるアプローチ。
本堂は寄棟造桟瓦葺で向拝柱、扁額ともにありません。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂

年末の大掃除でしょうか。
開け放たれた本堂の縁側に御住職が座って居られたので、御朱印をお願いすると、快く授与いただけました。
お話しがはずんだ記憶がありますが、内容についてはよく覚えていません。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第70番 医王山 金泉寺(きんせんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町子浦901
浄土宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:-
授与所:寺役管理

『こころの旅』『豆州志稿』によると、正保元年(1644年)に僧超傳(西林寺五世玄譽ノ徒弟)により創立された浄土宗寺院です。

『豆州志稿』には「子浦村 浄土宗 子浦村西林寺末 本尊薬師 正保元年(1644年)僧超傳(西林寺五世玄譽ノ徒弟)創立ス」とあります。

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こちらは駐車場がなく、狭い路地に面して石塀に囲まれているので、境内乗り入れができず寺前は無余地駐車となります。(冠木門をくぐった先に若干のスペースはありますが、冠木門は狭くて通り抜けできず)

港町は道が狭いうえに車の出入りが激しいので路上駐車に対して厳しいですし、一般車用のパーキングもほとんどありません。
スーパーなどの商業施設もなきに等しく、駐車は本当に難儀します。
筆者は連れも免許を持っているのでなんとかなりますが、一人での車参拝はきびしい札所のひとつです。


【写真 上(左)】 子浦あたりの海岸
【写真 下(右)】 冠木門


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 六地蔵

路地に面して立派な冠木門を構えています。その横に真新しい札所標。
山内はこぢんまりとしてすぐに本堂です。

寄棟造銅板葺で向拝柱はなく、格子戸のうえに山号扁額。
全体に端正で引き締まったイメージのある本堂です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 寺号板


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額

浄土宗寺院ですが、御本尊・札所本尊ともに薬師如来となっています。

こちらは無住で寺役管理です。
当日は連絡がとれず、御朱印は後日郵送をいただきました。

旧本寺である子浦の西林寺は伊豆国(下田南伊豆)七福神の毘沙門天、同じ子浦にある臨済宗建長寺派の潮音寺は伊豆横道三十三観音霊場第32番の札所で、いずれも御朱印を授与されています。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


■ 第71番 翁生山 普照寺(ふしょうじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
南伊豆町伊浜1289-1
真言宗
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:伊豆横道三十三観音霊場第33番、伊豆国(下田南伊豆)七福神(寿老人)
授与所:庫裡

18を数えた南伊豆町の札所もこちらで最後となり、以降は西伊豆に移ります。

『こころの旅』『豆州志稿』『霊場めぐり』によると、延暦十二年(793年)に地元の漁師の網にかかった観音像を小庵に祀ったのが草創で、 寛正年間(1460-1466年)に僧盛賢が再興しました。
当初は僧泰庵(後醍醐帝の時代の人)が書写した大般若経三百巻を蔵しました。

『豆州志稿』には「伊濱村 真言宗 紀州高野山高室院末 本尊正観世音不動 元観音堂ノ庵也 後普照寺ノ号ヲ冒ラシテ高野山ニ隷ス 寛正中(1460-1466年)僧盛賢再興ス」とあります。

御本尊の観音像には粟にまつわる伝説が伝わります。
詳細は↑の『豆州志稿』に記されていますが、概略は以下のとおりです。

『伊豆峯記』によると、聖武帝の御代(701- 756年)遠江國司藤原朝臣某の家臣・磯崎八郎吉富は当地・伊浜を領していました。
吉富は生来観音信仰が篤く、常々観音像を得ることを願っていましたが、ある晩夢のお告げにより従者の一角とともに海岸で良材を得ました。
このとき当地を訪れていた行基は、これを聞いてこの良材から観音像を彫りだし、吉富に与えました。

吉富の死後、子の吉勝から数代後、従者の子は一角の名を継いでいましたが、ある番夢告を受けて件の観音像を海中に投じ、相州に出奔しました。
20年後、伊浜の漁夫がこの観音像を網で引き揚げ、村人たちは一宇を建ててこの尊像を安置しました。

相州にいた一角はこれを聞いて自らが海中に投じた観音像と確信し、いそぎ伊浜に戻ってみると、栄えていた主人の磯崎家はまったく衰えていました。
一角は涙を流し、すぐさま堂容を整えてひたすら誦経をつづけると、ある晩霊夢を授かりました。

観音様が粟七茎を授けられていわく、東方の蛇野の地に赴けばここに馬がいるので、この馬に乗り馬の趣くままにこの粟を撒きなさいとのこと。

一角はすぐさま観音様のお告げのとおり粟を撒くと、耕してもいないのにみるみる粟が育って大豊作となり、これが年々つづいて一角は長者となり「粟長者」、この地蛇野は「長者ヶ原」と称されました。
しかし、一角の子孫は驕奢を極めたため、ついに没落してしまったとのことです。

『こころの旅』によると、近年、数百年昔の粟が発見され植物試験所で発芽に成功。
「長者ヶ原」の粟が蘇ったと話題になったそうです。

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【写真 上(左)】 伊浜漁港
【写真 下(右)】 参道入口

子浦から雲見にかけての国道136号線は海岸線を離れ、山あいの高みを走ります。
なので、途中の集落は国道からアプローチ道に入り、山肌を縫って降りていくかたちとなります。
ここ伊浜の集落もそんなアプローチです。

普照寺は漁港まで降りきらない高台にあります。
陽のながい西伊豆らしい明るい雰囲気のお寺さまです。


【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 札所板

西伊豆では比較的規模の大きい寺院で、伊豆横道三十三観音霊場第33番の結願所、および伊豆国(下田南伊豆)七福神の寿老人霊場となっています。

山肌にあるので山内の傾斜がきつく、上下ふたつに分かれた参道階段を昇っていきます。
参道入口には3つの札所の札所板が掲げられています。


【写真 上(左)】 踊り場からの本堂
【写真 下(右)】 普照寺からの眺め

踊り場には一躯のお地蔵さま。さらに昇ると正面が本堂です。
本堂はおそらく寄棟造銅板で向拝柱はありません。
正面桟唐戸と両脇の花頭窓がいいコントラストをみせ、見上げには山号扁額が掲げられています。
高台にあるので、眼下に西伊豆の海を望めます。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 扁額

山内掲示には以下のとおりありました。
・聖観世音菩薩(通称長寿観音) 延暦十二年(793年)漁師の網に掛り海中より出現す
・大般若経 南北朝時代 → 県の有形文化財です
・梵鐘 寛正五年、室町時代 → 県の有形文化財です
・鰐口 元応二年、鎌倉時代 → 県の有形文化財です

なお、行基作と伝わる御本尊の観世音菩薩像は、町指定の文化財に指定されています。

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 伊豆横道三十三観音霊場の御朱印 〕




伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-10へつづく。

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