ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H23.7.23(土) 室戸岬をまわって安芸へ

2011-07-25 | 中国、四国
 甲浦駅からバスに乗り室戸岬へ。
 鉄道の乗りつぶしをする人の多くが通る道だろう。


 室戸岬の展望台からは沖合いを航行する大型貨物船が何隻か見えた。

 奈半利からごめん・なはり線に乗り安芸へ。
 この日は安芸のホテルに宿泊。



 安芸にはごめん・なはり線の車両基地がある。


 18時でも明るいため、安芸川へ。


 上り列車も撮ってホテルへ。


 ホテルTAMAIの部屋からは安芸駅が一望。


 夕食は駅前で「ちりめん丼」

 久しぶりに早々と就寝した。

H23.7.23(土) 甲浦へ

2011-07-25 | 中国、四国
 徳島からはむろと1号に乗車。
 ここからが未乗区間である。


 臨時の田井ノ浜駅で下車して、ダイヤ情報に載っていた撮影地に行ってみる。

 さてさて、ここで携帯電話をなくしたことに気づいたが、むろと1号の中では持っていたのは確かなので、どうやら砂浜に落としてしまったようだ。

 目を皿にして探したが、見当たらず、紛失から30分ほどして電話会社にロック依頼をした。

 前に四国に来たのは2年ほど前だが、中央線の運用や撮影記録のメモ帳をなくしてしまった。幸い、昼飯を食べたところで落としたことが判明し、無事だったが、どういうわけだか、四国に来ると大事なものを亡くす事態に遭遇する。

 まいったなぁと思いつつ、旅行は続行することにした。


 海部駅のホームからトンネルを出てきた阿佐海岸鉄道のASA-301を迎撃。


 阿佐海岸鉄道は比較的線形がよく、あっという間に終着甲浦に到着。

 もはやこの先に鉄道ができることはないだろうけど、もし鉄道が通っていたら、目の前の山にトンネルが掘られたのだろう。


 駅の中には休憩しているお遍路さんがいた。

 甲浦の駅舎はこじんまりとしているが、お遍路さんが休憩していた。
 四国は歩く人が旅しやすいよう休めるところやトイレが整備されているような気がする。


H23.7.23(土) サンライズ瀬戸

2011-07-25 | 中国、四国
 金曜日の夜、横浜からサンライズ瀬戸に乗車し、高松へと向かった。
 四国に残る未乗区間の乗りつぶしに出かけることにしたのである。

 1時12分に浜松を通過するのを見たがその後3時過ぎに目が覚めた。
 3時5分頃からノロノロし出したので外を見てみると単線区間を走行している。
 ノロノロ運転は続き、3時15分、ついに停車。
 3時24分に動き出したが、あきらかに何かがあったことは容易に想像できた。

 気になりだすと眠れないのだが、3時51分に米原に到着したのを見届けて寝た。

 5時に目が覚め、大阪駅を過ぎたところであったが、かなり遅れている。 

 5時20分に神戸を通過したのを見て、眠れなくなった。

 塩屋を通過したところで朝の放送があり「先行列車が鹿に衝突したため35分遅れ」とのこと。続いて「伯備線、南風ご利用の方は姫路で新幹線をご利用ください」「しおかぜは接続する」などと、振替の案内放送が流れた。

 土曜は牟岐線、阿佐海岸鉄道に乗って室戸岬を経由して安芸に泊まる予定であったので、姫路から新幹線に乗ることにした。



 サンライズで瀬戸大橋を渡ってゆったりと高松まで、という目論みは崩れ、姫路で見送り。



 高松からは予定通り「うずしお3号」に乗車。



 徳島まで来ると、気動車王国健在。