ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H23.10.8(土) 磐越西線で会津若松へ

2011-10-10 | 新潟、長野
 新津製作所の見学の後、この日は磐越西線か米坂線で東に向い、どこかに泊まる予定であった。
 まず、山形市内にホテル2箇所に電話してみたが満室。
 次に、会津若松のα1に電話したところ、喫煙の部屋なら空きがあると言う。
 三連休で、どこも空きが少ないようなので、ここに泊まることにした。

 磐越西線は7月の大雨で津川~馬下間がバス代行となっている。


 代行バスは五泉から出発するので、磐越西線で五泉へ。

 五泉に来るのは1995年のGW以来。
 この時は蒲原鉄道が目的であった。


 跨線橋の上から廃線跡を撮影。
 1995年に来たときは、ここから電車の写真を撮ったが・・・。

 五泉駅からは蒲原鉄道バスで津川へ。
 阿賀野川に沿って、バスに揺られるのも悪いものではなかったが、ところどころ復旧工事で片側交互通行となっていた。

 ふと、4~5年前に水害で大々的に被害を被った高山本線を思い出した。
 毎年、日本のどこかで水害で鉄道が不通になっているような。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 若干遅れて、津川駅に到着。


 日没直前だった。


 駅前に阿賀野川にかかる橋があったので、ここから麒麟山を眺める。


 17時19分発の会津若松行き。
 不通になっているせいか、乗客はごくわずか。


 不通区間は赤信号が灯っている。


 今週には運転再開するようだ。

 19時ちょうど、会津若松に定刻に到着した。


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