4月上旬から放映スタートした手塚治虫原作、BS時代劇『陽だまりの樹』もいよいよ大詰めを迎えようとしております。
先週の第8回目は、万次郎と添い遂げるだろうと思われていたおせきさんが、アメリカ使節団の通詞であるヒュースケンに手ごめにされるというまさかの展開に、原作を知らない視聴者さんにはおそらく大変ショッキングブルーな内容であったことでしょう。
まぁこのヒュースケン、実は万次郎も下田で警護していた当初から手をやいていた好色毛唐で、とにかく若い女を見ると見境がつかなくなる。
BSドラマでは完全にハショられてしまっていたが、ヒュースケンが日本に赴任してきたばかりの下田でも、お吉という娼婦に一目ぼれして関係をもってしまい(というか強姦)、後々このシガラミが彼の運命を大きく左右させることになる。お吉は自分を捨てたヒュースケンを心の底から怨み、その後虎視眈々と復讐の機会を窺い続けるのである。
実はこのお吉、齋藤きちという実在のモデルがいて、『唐人お吉』というタイトルで小説にもなっており映画化もされている。
小説上ではかなりロマンチックに創作されているそうだが、手塚先生はそこを過酷な真実に近い形でこの『陽だまりの樹』に盛り込んでいるのだ。
お吉の入浴姿を見てから欲情がおさえきれないヒュースケン。
とにかくすぐ手ごめにしてしまう性欲の塊のような人物。
万次郎もヒュースケンの女グセにはほとほと手をやいており、「おぬしいつか女で身を滅ぼすぞ」と忠告しながらも、禁欲生活を強いられてきた若い彼の気持ちをくんで、できるだけ自由を与えたりいろいろ配慮してやっていた。
そのお人よしが、今回のような悲劇を生むことになろうとは・・・
ラシャメン(洋妾)という言葉を初めて耳にしたのは、浪人時代、初に見にいった人間椅子のライブでだった。
その時に演奏されたそれまで未聴であった“人面瘡”という楽曲にぶっとばされ、次の日くらいにその“人面瘡”が収録されている『夜叉ヶ池』のシングルCDを中古レコード屋で探し当て購入してしまったほどである(のちにベストアルバム『人間椅子傑作選』に収録)。
とにかくこの楽曲にハマりにハマっていて、古風な言い回しの難解な歌詞もそらで歌えるようになり、その頃京都の予備校で知りあった人間椅子フリークで博識の女の子に歌詞の意味を詳しく解説してもらっていたのを思い出す。
この楽曲において、注目すべきなのは3番の歌詞である。
“横浜の波止場はぬばたまの 黒船が闇夜に消え失せる
洋妾お駒の首吊る床の間は メリケン憎しと散りぬる女郎花”
“黒船”という単語が出てくることから、これは幕末の時代のことを歌ったことが窺い知れる。
ちなみに“黒船”や“闇夜”というのは、黒を意味する“ぬばたまの”にかかる枕詞である。
洋妾(ラシャメン)とは、万次郎が説明してるように西洋人の妾になった者への蔑称であり、そういった女性は日本人から相手にされなくなり、一生蔑まれ続けるというのが当時の日本の風潮だったらしい。
つまり二行目の歌詞は、洋妾のお駒が己の行く末に絶望し、自分を捨てたメリケン(アメリカ人のこと)を呪いながら床の間で首を吊って自害したという悲劇を歌っているワケだ。
ちなみに女郎花(オミナエシ)とは秋の七草の一つで、女郎は昔の娼婦のこと。つまり女郎花の花が散るのと、洋妾お駒の命が散るのを掛けているってぇ寸法だ(あれ?江戸っ子みたいなしゃべり方になってる?)。
う~む、やっぱ和嶋さんは天才だなぁ。
思えば浪人時代、手塚治虫と人間椅子の作品に夢中になり、そこから色々なことを学ばされたよなぁ~
おかげでみごと第四志望の大学に合格したもんな。
今日の1曲:『人面瘡』/ 人間椅子
先週の第8回目は、万次郎と添い遂げるだろうと思われていたおせきさんが、アメリカ使節団の通詞であるヒュースケンに手ごめにされるというまさかの展開に、原作を知らない視聴者さんにはおそらく大変ショッキングブルーな内容であったことでしょう。
まぁこのヒュースケン、実は万次郎も下田で警護していた当初から手をやいていた好色毛唐で、とにかく若い女を見ると見境がつかなくなる。
BSドラマでは完全にハショられてしまっていたが、ヒュースケンが日本に赴任してきたばかりの下田でも、お吉という娼婦に一目ぼれして関係をもってしまい(というか強姦)、後々このシガラミが彼の運命を大きく左右させることになる。お吉は自分を捨てたヒュースケンを心の底から怨み、その後虎視眈々と復讐の機会を窺い続けるのである。
実はこのお吉、齋藤きちという実在のモデルがいて、『唐人お吉』というタイトルで小説にもなっており映画化もされている。
小説上ではかなりロマンチックに創作されているそうだが、手塚先生はそこを過酷な真実に近い形でこの『陽だまりの樹』に盛り込んでいるのだ。
お吉の入浴姿を見てから欲情がおさえきれないヒュースケン。
とにかくすぐ手ごめにしてしまう性欲の塊のような人物。
万次郎もヒュースケンの女グセにはほとほと手をやいており、「おぬしいつか女で身を滅ぼすぞ」と忠告しながらも、禁欲生活を強いられてきた若い彼の気持ちをくんで、できるだけ自由を与えたりいろいろ配慮してやっていた。
そのお人よしが、今回のような悲劇を生むことになろうとは・・・
ラシャメン(洋妾)という言葉を初めて耳にしたのは、浪人時代、初に見にいった人間椅子のライブでだった。
その時に演奏されたそれまで未聴であった“人面瘡”という楽曲にぶっとばされ、次の日くらいにその“人面瘡”が収録されている『夜叉ヶ池』のシングルCDを中古レコード屋で探し当て購入してしまったほどである(のちにベストアルバム『人間椅子傑作選』に収録)。
とにかくこの楽曲にハマりにハマっていて、古風な言い回しの難解な歌詞もそらで歌えるようになり、その頃京都の予備校で知りあった人間椅子フリークで博識の女の子に歌詞の意味を詳しく解説してもらっていたのを思い出す。
この楽曲において、注目すべきなのは3番の歌詞である。
“横浜の波止場はぬばたまの 黒船が闇夜に消え失せる
洋妾お駒の首吊る床の間は メリケン憎しと散りぬる女郎花”
“黒船”という単語が出てくることから、これは幕末の時代のことを歌ったことが窺い知れる。
ちなみに“黒船”や“闇夜”というのは、黒を意味する“ぬばたまの”にかかる枕詞である。
洋妾(ラシャメン)とは、万次郎が説明してるように西洋人の妾になった者への蔑称であり、そういった女性は日本人から相手にされなくなり、一生蔑まれ続けるというのが当時の日本の風潮だったらしい。
つまり二行目の歌詞は、洋妾のお駒が己の行く末に絶望し、自分を捨てたメリケン(アメリカ人のこと)を呪いながら床の間で首を吊って自害したという悲劇を歌っているワケだ。
ちなみに女郎花(オミナエシ)とは秋の七草の一つで、女郎は昔の娼婦のこと。つまり女郎花の花が散るのと、洋妾お駒の命が散るのを掛けているってぇ寸法だ(あれ?江戸っ子みたいなしゃべり方になってる?)。
う~む、やっぱ和嶋さんは天才だなぁ。
思えば浪人時代、手塚治虫と人間椅子の作品に夢中になり、そこから色々なことを学ばされたよなぁ~
おかげでみごと第四志望の大学に合格したもんな。
今日の1曲:『人面瘡』/ 人間椅子