三連続Coccoの記事で恐縮ですが・・・
先日、新作からまたCoccoがMVを公開して、なんや今回どえらい盛んやなぁと。
まぁこのコロナ禍で時間いっぱいあるやろうからなぁ。
家に籠ってますます創作意欲が沸く人なのだろう。
「女一代宵の内」
で、そのメディアの紹介文が「昭和歌謡ムード漂う新境地!DIY Music Video公開!」てな感じの鼻息の荒いもので、まぁCoccoがちょっとふざけたような曲タイトルにしたのも原因なんだろうが、なんかたいそうやなぁと。
いやいや、Coccoは以前からそういう楽曲けっこうやってはるよと。
最新作では「悲しい微熱」なんかもそうだし、「たぶんチャチャチャ」や「フレア」の曲調アレンジなんかモロやないかと。
特に復帰後(5th~)は、ちょっとイタいなぁと思うキャバレーっぽい曲をやるのが、Coccoの習癖みたいになってきている。
まぁ個人的にはそういうのはイロモノ的でやすっぽくなるので、Coccoにはあまりやってほしくないんだが、そういったものも元々Coccoの感覚にあった要素なのだろう。
今回の「女一代宵の内」は、Coccoののびやかな歌と、沖縄を想う彼女の郷愁を感じさす歌詞内容、そして後半の壮大な盛り上がりとCocco特有のエモーショナルなスキャットと、絶妙な仕上がりで、昭和のヒットメイカーが作った庶民向けの楽曲とは一線を画すものであり、安易に「昭和歌謡」などと表現するのはいかがなものかと。
ところで、私が当ブログで長年「Coccoは生粋のロックシンガーだ」と主張し続けているのは、いい加減ウザがられているだろうし、まぁCoccoはロックファン(とくに洋楽ファン)には、かなり過小評価されているフシがある。
ライブ会場に行っても、圧倒的に女性客が多いし(女性だからロックファンじゃないと言っているのではなく、ロック好きの客が多いならもっと男の比率が高いはずだと)、私のロック好き友達の間でもCoccoが好きという人間は皆無に近い。
だが!これ最近気付いたんだけど、ほぼ洋楽ロックファン向け(つまりオッサン向け)音楽雑誌『レコード・コレクターズ』で、私の大好きなロックバンドとCoccoとの共通点を指摘している記事を発見して、あまりにも意外すぎてビックらこいてしまった。
その記事が載ったのは2002年10月号で、「キング・クリムゾン進化論」というテーマでクリムゾンを特集した号だった。
確か、ライブアルバム『EARTHBOUND』と『U.S.A.』が初CD化された時期で、それに便乗した特集号だったと。
まぁその号は購入してなかったんだけど、2015年のキング・クリムゾン来日時に、レココレのこれまでのクリムゾン記事を総括した丸ごとクリムゾン特集本でその記事を確認することができた。
「クリムゾンのパースペクティヴ」というテーマで、クリムゾンのプログレッシヴな理性を共有するアルバムとして編集部が15枚選出していて、ムーディー・ブルースやP.F.M.、そして当時私がよく聴いていたロリンズ・バンドなどのアルバムの中に混じって、唯一女性VoのCoccoのアルバム『サングローズ』が選出されていたのである!
『サングローズ』(2001)
この記事を読んで「へぇ~そうだったのかぁ」と、感慨深い気持ちにはなったものの、普段からよく聴いてるこの両者が結び付いた事は正直今まで一度もなかった。
まぁライブでの破壊力や爆発するエナジーという部分では近いものを感じるし、そういったところはレッド・ツェッペリンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどにCoccoとの共通点を見出していた。
あと、突如活動中止したり解散したりするところは似ているかもね。
ただ、この文章を読んでやはりひっかかったのが、「クリムゾン歌謡」という部分。
え?Coccoって歌謡音楽なん?
筆者がどういうニュアンスで「歌謡」という言葉を使っているのかわからないが、「歌謡」というのは昭和期に流行った流行歌などを差すものと思われるし、Coccoは90年代のなかば、世界的にはグランジやオルタナが流行っていた頃に出現したアーティストで、やはりその辺の音楽にモロ影響を受けていたし、だいたいその頃から出てきた日本の音楽はJ-POP、あるいはJ-ROCKと呼ばれ始め現在に至っている。
この筆者はCoccoの歌に昭和からのノスタルジーや古臭さを感じたというのだろうか?
私自身幼少期に、それこそベストテンやトップテンなどを観ててそれなりに昭和歌謡に慣れ親しんでた世代なので、その感覚というのはわかる。
ただ、その頃流行ったヒット曲をいまだスマホで聴くほど思い入れはないし(「異邦人」くらいか)、20代の時、Coccoを初めて聴いて衝撃を受け、私はようやく邦楽に興味を持ち始めた。
(思えば、Coccoを知ったのは、昔購読していた洋楽専門雑誌にCoccoの作品が紹介されていたのを読んだからだった)
Coccoの紡ぐその時代に流行ったアイテムやキーワードを全くといっていいほど含めない洗練された歌詞の普遍性、そして何年たってから聴いても切実に響いてくる凄まじいこのリアル感は、昭和期に聴いたどの音楽を思い浮かべても見当たらない。
なので昭和歌謡っぽい曲はあっても、Cocco=歌謡にはなりえないのである。
とはいえ、Coccoからキング・クリムゾンの遺伝子を見出すとは、その塩基配列を示してもらってもなかなか解し難いものがあるかと思われるが、根岸氏がその辺の音楽に影響を受けてるのはなんとなくわかるし、CoccoがただのJ-POPではないってことを、こういうプロの音楽ライターの方から発信していただけるのは非常に心強い。
なんのキャリアもない虫けらのような私が自分のフィールドで「Coccoはダテじゃない!」といくらわめこうと、何の説得力も影響力もないからなぁ。
4th『サングローズ』のジャケットは、中でも特に好きなCoccoのアートワークで、花、もしくは実を表しているかと思われる部分を(おそらく本人の)血滴で表した鮮烈な深紅の色合いは、あたかもクリムゾンレッドというシンクロニシティを今さら感じさせるのである。
2001年 @Tokyo
先日、新作からまたCoccoがMVを公開して、なんや今回どえらい盛んやなぁと。
まぁこのコロナ禍で時間いっぱいあるやろうからなぁ。
家に籠ってますます創作意欲が沸く人なのだろう。
「女一代宵の内」
で、そのメディアの紹介文が「昭和歌謡ムード漂う新境地!DIY Music Video公開!」てな感じの鼻息の荒いもので、まぁCoccoがちょっとふざけたような曲タイトルにしたのも原因なんだろうが、なんかたいそうやなぁと。
いやいや、Coccoは以前からそういう楽曲けっこうやってはるよと。
最新作では「悲しい微熱」なんかもそうだし、「たぶんチャチャチャ」や「フレア」の曲調アレンジなんかモロやないかと。
特に復帰後(5th~)は、ちょっとイタいなぁと思うキャバレーっぽい曲をやるのが、Coccoの習癖みたいになってきている。
まぁ個人的にはそういうのはイロモノ的でやすっぽくなるので、Coccoにはあまりやってほしくないんだが、そういったものも元々Coccoの感覚にあった要素なのだろう。
今回の「女一代宵の内」は、Coccoののびやかな歌と、沖縄を想う彼女の郷愁を感じさす歌詞内容、そして後半の壮大な盛り上がりとCocco特有のエモーショナルなスキャットと、絶妙な仕上がりで、昭和のヒットメイカーが作った庶民向けの楽曲とは一線を画すものであり、安易に「昭和歌謡」などと表現するのはいかがなものかと。
ところで、私が当ブログで長年「Coccoは生粋のロックシンガーだ」と主張し続けているのは、いい加減ウザがられているだろうし、まぁCoccoはロックファン(とくに洋楽ファン)には、かなり過小評価されているフシがある。
ライブ会場に行っても、圧倒的に女性客が多いし(女性だからロックファンじゃないと言っているのではなく、ロック好きの客が多いならもっと男の比率が高いはずだと)、私のロック好き友達の間でもCoccoが好きという人間は皆無に近い。
だが!これ最近気付いたんだけど、ほぼ洋楽ロックファン向け(つまりオッサン向け)音楽雑誌『レコード・コレクターズ』で、私の大好きなロックバンドとCoccoとの共通点を指摘している記事を発見して、あまりにも意外すぎてビックらこいてしまった。
その記事が載ったのは2002年10月号で、「キング・クリムゾン進化論」というテーマでクリムゾンを特集した号だった。
確か、ライブアルバム『EARTHBOUND』と『U.S.A.』が初CD化された時期で、それに便乗した特集号だったと。
まぁその号は購入してなかったんだけど、2015年のキング・クリムゾン来日時に、レココレのこれまでのクリムゾン記事を総括した丸ごとクリムゾン特集本でその記事を確認することができた。
「クリムゾンのパースペクティヴ」というテーマで、クリムゾンのプログレッシヴな理性を共有するアルバムとして編集部が15枚選出していて、ムーディー・ブルースやP.F.M.、そして当時私がよく聴いていたロリンズ・バンドなどのアルバムの中に混じって、唯一女性VoのCoccoのアルバム『サングローズ』が選出されていたのである!
この記事を読んで「へぇ~そうだったのかぁ」と、感慨深い気持ちにはなったものの、普段からよく聴いてるこの両者が結び付いた事は正直今まで一度もなかった。
まぁライブでの破壊力や爆発するエナジーという部分では近いものを感じるし、そういったところはレッド・ツェッペリンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどにCoccoとの共通点を見出していた。
あと、突如活動中止したり解散したりするところは似ているかもね。
ただ、この文章を読んでやはりひっかかったのが、「クリムゾン歌謡」という部分。
え?Coccoって歌謡音楽なん?
筆者がどういうニュアンスで「歌謡」という言葉を使っているのかわからないが、「歌謡」というのは昭和期に流行った流行歌などを差すものと思われるし、Coccoは90年代のなかば、世界的にはグランジやオルタナが流行っていた頃に出現したアーティストで、やはりその辺の音楽にモロ影響を受けていたし、だいたいその頃から出てきた日本の音楽はJ-POP、あるいはJ-ROCKと呼ばれ始め現在に至っている。
この筆者はCoccoの歌に昭和からのノスタルジーや古臭さを感じたというのだろうか?
私自身幼少期に、それこそベストテンやトップテンなどを観ててそれなりに昭和歌謡に慣れ親しんでた世代なので、その感覚というのはわかる。
ただ、その頃流行ったヒット曲をいまだスマホで聴くほど思い入れはないし(「異邦人」くらいか)、20代の時、Coccoを初めて聴いて衝撃を受け、私はようやく邦楽に興味を持ち始めた。
(思えば、Coccoを知ったのは、昔購読していた洋楽専門雑誌にCoccoの作品が紹介されていたのを読んだからだった)
Coccoの紡ぐその時代に流行ったアイテムやキーワードを全くといっていいほど含めない洗練された歌詞の普遍性、そして何年たってから聴いても切実に響いてくる凄まじいこのリアル感は、昭和期に聴いたどの音楽を思い浮かべても見当たらない。
なので昭和歌謡っぽい曲はあっても、Cocco=歌謡にはなりえないのである。
とはいえ、Coccoからキング・クリムゾンの遺伝子を見出すとは、その塩基配列を示してもらってもなかなか解し難いものがあるかと思われるが、根岸氏がその辺の音楽に影響を受けてるのはなんとなくわかるし、CoccoがただのJ-POPではないってことを、こういうプロの音楽ライターの方から発信していただけるのは非常に心強い。
なんのキャリアもない虫けらのような私が自分のフィールドで「Coccoはダテじゃない!」といくらわめこうと、何の説得力も影響力もないからなぁ。
4th『サングローズ』のジャケットは、中でも特に好きなCoccoのアートワークで、花、もしくは実を表しているかと思われる部分を(おそらく本人の)血滴で表した鮮烈な深紅の色合いは、あたかもクリムゾンレッドというシンクロニシティを今さら感じさせるのである。
2001年 @Tokyo