新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

「一乗谷朝倉氏遺跡」…復原町並を歩く…

2020-12-17 06:19:08 | 歴史史跡

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも
舞台となった…
朝倉義景役のユースケサンタマリアさんが登場した
「一乗谷」



そもそもは
朝倉義景氏よりも
ウンと前の
戦国時代初期
足利氏の一族である斯波氏に仕えていた朝倉孝景氏から始まって
この「一乗谷」を本拠地としていた
全国でも有数の戦国大名であった越前朝倉氏が支配していた

 

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」

にも出てきた

朝倉義景氏は第五代

室町幕府13代将軍・足利義輝が
1565年に好義継・松永久通らの軍勢によって京都二条御所に襲撃され、殺害される事件(永禄の変)が起きると


足利義輝の弟である覚慶(後の足利義昭)は朝倉義景の援助のもと近江国(滋賀県)へと逃れる…


覚慶は朝倉家を頼って越前に3年にわたって逗留


朝倉義景は覚慶を親身になって後見し、元服の儀まで行うほどの仲だったという…


その後、覚慶は織田信長を頼って上洛を実現し、15代将軍・足利義昭となる…


同じく、朝倉義景も織田信長から上洛し服従することを命じられたが、朝倉義景は拒否…

結果
織田信長と対抗することとなる…

朝倉義景と織田信長とは、1570年より4年にわたって

戦いが続き



1573年、朝倉義景は刀根坂の戦いに敗れ戦国大名朝倉氏は滅亡…


一乗谷は信長の軍勢によって火を放たれ、三日三晩燃え続けたとか…

この戦国時代に
織田信長に滅ぼされるまで100年に渡りこの地を支配した戦国大名・朝倉氏の本拠地がここ
「一乗谷」

その後、柴田勝家が越前八郡を与えられたが
本拠を北ノ庄(現在の福井市)に構えたため
一乗谷は辺境となり、この地はそれ以降400年近く田畑の下に埋もれてしまっていたとのこと…

しかし、1930年に地上に現れていた庭園が国の名勝に指定され
1967年に庭園の調査・整備が始まった頃から発掘調査が進んで
徐々に観光も整備されてきて

まるで、400年の時を超えて土の中から街が浮かび上がったかのような


そんな…悠久の歴史を感じる


「一乗谷朝倉氏遺跡」に行ってきました…




この「一乗谷」


その名の通り「谷」でして


地形そのものが敵の侵入を阻み…


両側は急峻な山、その間を川が流れ…


谷の前後を石垣と土塁でふさいでいるような巨大な町でありまして…

まずは城下町が復元してある


「復原町並」

へと

 

ここは「町並」が…「復元」ではなく「復原」となっている??



あの…言葉の使い方が…

「復元」ではなく…「復原」


「復原」とは元通りに…史実に忠実に再現するとのこと

ここは…「復元」ではなく…「復原」という言葉を意識的に使い分けているようで…


これから、散策する

「復原町並」


みようによっては…まるで映画のセットの光景であるかのよう

某携帯電話会社のCMでも、この「町並」が使われたようで…








ここで入場料を払います…


あの…その入場料とは別途料金になるけど


500円するけど…


「一乗谷朝倉氏遺跡バーチャルガイド 」

このタブレット端末は借りた方がいい!!


絶対に借りた方がいい!!


500円するけど…500円するけど…500円するけど…


今はなき戦国時代の様子をデジタル技術で再現してくれるのよ!!

遺跡址に合成された朝倉館の映像や、復原町並における当時の人々の暮らしまで時には動画で観れちゃうのよ!


リアルに戦国時代が体験できちゃうのよ!!


そんなタブレット端末を片手に…




「復原町並」を歩く…




さっそく…


ここに「武家屋敷」があったらしいのよ

















これは


炊事場、もしくはトイレ???


井戸跡…???







奥には用水路跡もみられ、私のよーな、「妄想城址マニア」にはたまらない…





この何もない…もともと武家屋敷があった址に向かって


門だけが「復原」されています




復原された城下町












武家屋敷跡とは道を挟んで…

庶民の町屋が連なります…

これは鍛冶屋でしょうか…












こちらは


紺屋


越前焼大甕がいくつも並べられている…






タブレット「一乗谷朝倉氏遺跡バーチャルガイド 」を通して眺めても


同じように






続いて紹介するのは


「商家」








おお、B級スポットマニアである私のテンションがあがる…


等身大人形が…いてる!いてる!!

表情は一切ありませんが…

ここでは…


陶器を売っているようです…





あまりにもよく売れるので


きっとウキウキしてるに違いない…



きっとウキウキ…


きっとウキウキ…


きっ陶器ウキ…汗


今夜はすき焼きよ!なんて言ってたりしてね…





宿題をしている子供が…


「お父ちゃん、この問題どうやって解くの?」


と、宿題の問題を「問う気??」(陶器?)






そんなまったくもって


動かない等身大人形が…(当たり前!)

「一乗谷朝倉氏遺跡バーチャルガイド 」を起動させれば


御覧のように


戦国時代にタイムトリップ!!!






「商屋」を後にして


路に出て、タブレット端末を覗けば…


ほとんど人通りのなかったこの通りが





御覧のように…人で賑わっている!!!




武家屋敷跡地には

設けられた「夢舞台」




バックの樹木の紅葉が鮮やかです!!




石積施設


雨天時、水路の水が溢れないように


ここに…当時の人が石を積んだ場所…ということでしょうか…







これは


炊事場、もしくはトイレ???


井戸跡…???






さてさて


武家屋敷は跡ばかりでなく


ちゃんと復原されているものもありまして













朝倉氏の家臣の住まいだった武家屋敷


これらの屋敷は、約100尺を基本単位として計画されており


身分によって、その 1.5 倍や2倍の長さに計画的につくられていたとか…

武家屋敷の中心となる主殿には朝倉象棋(越前朝倉象棋)に興じている等身大人形が…


さきほどの商家の等身大人形と同様…表情は一切ありませんが…


当然、人形なので動きませんが…










タブレット「一乗谷朝倉氏遺跡バーチャルガイド 」をかざせば…


おお、戦国時代にタイムスリップ…


実際に「朝倉象棋(越前朝倉象棋)」をしている場面が…


戦国時代の藤井聡太さんでしょうか…

そうたい!そうたい!!(聡太い)」???

あの…ここ越前で、九州ではないので、なにも無理して訛らなくても…汗…苦笑







「朝倉象棋(越前朝倉象棋)」というのは


16世紀の一乗谷朝倉氏遺跡から発見された174枚の駒のうち1枚だけ「酔象」の駒がみつかったんだって…



「酔象」とは「酒に酔って暴れる象」という意味とのことで“凶暴なもの”の象徴…


それが、
なぜ将棋の駒の名前になったかは分からないようで…

きっと、「酔象」の扱いにった…もとい…ったのでは???
と思われる!!


武家屋敷の台所で働く


等身大人形にも





タブレットをかざせば


生き生きと…笑





庭も広く


「納屋」跡






トイレも復原





これは、武家屋敷の裏口






対面には…復原されていない


武家屋敷跡…


もう…ここは妄想の中で


復原し放題…笑







「復原町並」の出口の建物には


解説パネルとか







今、歩いた城下町のジオラマ


左側だけ復原されていて


右側は、妄想で復原し放題になってるところですが…


ジオラマでは


すべてが復原されてまして…





そして


朝倉義景の歌




「君が代の 時にあひあふ 糸桜 いともかしこき けふのことの葉」

これは


足利義昭氏が、義景に向けて、長い付き合いを望むといった意味で


「もろ共に 月も忘るな 糸ざくら 年の緒ながき 契と思はば」

と歌にしたのに対して返した歌…

しかし、この歌のようにはいかず…

朝倉義景氏は、足利義昭氏の想いに反して、一乗谷から動かなかった…


足利義昭氏は一乗谷を離れ、織田信長を頼って岐阜に…


やがて、織田信長と対峙することになったようで…



(長くなっているので、次回に続く…)







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