端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

立 冬

2011-11-08 | 思うこと

歳を重ねるごとに 色々な記憶が 薄く色あせていきます。  記憶は 段々上に積み重ねられるので 下のほうの記憶は 鮮明に 残ると聞いたことがあります。

昨日の食べ物の 記憶はまさにそれでした。 

私が小学校に上がる前の話です。 六歳位だったでしょうか 段々戦争が激しくなり 先行きを心配した 両親は 長女の私を 県南の山里に住む 父方の祖父母の元に 疎開させました。 その時母は26歳 父は30歳でした。

私の下に 弟が三人でしたので 乳飲み子をかかえ 大変な時代でした。 当時住んでいた 県北の企業城下町といわれる町も 段々爆撃が激しくなり 若い父と母の苦渋の決断だったのでしょう。

私は 田舎の山や川で毎日 暗くなるまで遊んでいた記憶があります。 川漁師だった祖父はこの時期  夕方 蟹を取るための籠を沈め翌朝 引き上げるのです。

あの頃の川は 水は澄み 川底まで 見えていました。 大きな蟹は そのまま食しますが 小さなものは 二 三日生かして 石臼に入れ 細かくつぶしていました。 それを 水を張った鍋に 漉しながら入れるのです。  やがて卵とじのように ふわふわの実が 浮いてきます。

少しのお醤油で味付けしますが コレが美味しいのです。

其の味の記憶 ずーと覚えていたのですが 口にすることはありませんでした。それが昨日食卓に登場したのです。  この「かにまき汁」 私にとってまさに あの疎開の味でした。

翌年 昭和20年の四月 小さな分校に入学しましたが 母の手作りの 帯で作った鞄でした。 教科書は 薄い 薄い ものでした。

あの時 父と母はどんな気持ちだったのか 聞きたくても 確かめることも出来ません。今頃になって 父や母に 確かめたいことが沢山 出てきます。 健在でいれば母92歳です。きっと耳も遠くなり せっかちの私と 喧嘩ばかりしているでしょう。

あつあつの お碗の中の「かにまき汁」  遠い昔の記憶で 三つ葉が潤んで見えたのは湯気のせいだけではなかったようです。

今日は立冬とか それにしても暖かい 一日でした。

コメント (6)
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