超人日記・俳句

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#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">生田朗、実存の類い稀な結晶</span>

2008-11-06 03:42:04 | 無題

鈴木慶一と高橋幸宏のザ・ビートニクスのセカンドアルバム、「Exitentialist A Go Go(ビートで行こう)」は名作である。エグジテンシャリスト(出口主義者)というのは造語で、エグジステンシャリスト(実存主義者)をもじった言葉だ。実存主義が流行った時代の空気を漂わせつつ、今を生きる状景を聞かせるというのがアルバムの趣旨であったように思える。
高橋幸宏作詞作曲の「初夏の日の弔い」と鈴木慶一の「Common Man」はアレンジや曲調が似ていて、いい掛け合いになっている。両方ともに共通しているのは、「人生に疲れた」という倦怠感と諦念である。私が若かった頃、理想のおじさんであった二人がこれほど疲れを表明しているのはリアルタイムで聞いた私の世代には驚きだった。「寒い陽だまりにそっと座って影を見つめて目を閉じる、耳を澄ませば風が言う、Do you remenber what you were looking for」で始まり、「空を今抱きしめて僕はひとり影になる、空を今、抱きしめて」で終わる「初夏の日の弔い」。それに「10年前と変わらない、No,No,誰も今みたいじゃなかった」で始まり、「誰にも答えはない、浮かんでは消え、でもこれは夢なんかじゃない、いつの間にか夢なんか見ないCommon Man」で終わる「Common Man」は実存の倦怠の優れた表現で、ポップスの枠をはみ出ている。ザ・バンドの「ステージ・フライト」のカヴァーも人生の恐怖感が出ていてアルバムの趣旨と合う。
だが、何と言っても素晴らしいのが、生田朗の英語の詞をつけた曲である。オープニング曲の「Total Recall」では「別の日に通りを歩いていたら雨が降ってきて、僕を馬鹿にした老人に会った。人生は北風で、何もできていないことを思い出す(もう一度は言えない)。僕は一日中信号が青になるのを待っていた。僕らはあまりに若くて何が起きているのかわからなかった。だが僕らが生きているのはそういう世界だ」と言う。エンディングに近い曲「Grains of Life」では「僕の声が聞こえるかい、僕は素直になろうとしている。僕の眼が見えるかい、鍵は手にしている。手を握って、君を行かせない。光に追いついた、出口に出られるだろう」という詞が出てくる。ハードな毎日を耐えてきて、ほんの一瞬垣間見える切実さ。そういう世界を詩的に描き出すのが生田朗氏はひどく上手だった。実存のひとコマひとコマが美しく結晶してゆく。そんな詞を書ける人は決して多くないだろう。



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