早朝起きて、遊びに来た隣の猫を庭に出す。
それから高尾山口駅まで行く。駅から歩いてケーブルカーの駅まで行き、もみじ号で登る。フニクリ・フニクラ気分である。ケーブルカーを降り、1号路で山頂を目指す。高尾山は真言宗薬王院(智山派)の山である。薬王院の入り口には霊気満山という銘が掛けられている。
高尾山は天狗の山として有名で、御本尊飯縄大権現は烏天狗のお顔である。山門を急な階段で山頂まで登る。山頂に着くと、富士山が見えた。おじさん、おばさんを中心に憩っていたが、体育会系の女の子たちが駆け上がってきて、ここが山頂ですか、嬉しいと歓声を挙げていた。
おにぎりとお菓子を食べ、富士山の写真を撮って4号路で帰る。山際の細い道で下に落ちそうで怖い。ヘインズの靴がボロボロになった。50分位歩いてケーブルカー乗り場に着く。
さすがミシュラン三つ星の登山地、霊気満山である。高尾山は関東修験道根本道場の顔も持つ。子どもの頃、インドの行者みたいな人が密かに住んでいるのではないかと思ったものだ。
帰りはわかば号に乗って降りる。名物高尾せんべい(瓦煎餅)を土産に買って帰る。
靴がだめになったので、家の最寄り駅で代わりの靴を買って家路に就く。
着替えて荷物を片づけてアイスコーヒーを飲む。朝早く出掛けて正解だった。ミシュラン三つ星なので昼頃からだいぶ混み始めていた。鏡を見ると日焼けしていた。ささやかな夏休みである。
修験道根本道場と言えば、五来重氏の諸作、とりわけ「山の宗教」や「空海の足跡」を思い出す。山駆ける修験者や聖たちの民間信仰が日本の宗教を下から支えてきた。空海も山岳修行者として信仰され、最後は五穀を断って寂滅したのだろうと五来氏は語る。
宗教民俗学の立場から民間信仰を緻密に調べ上げた人である。記述がリアルで目が離せない。
修験者たちは自然空間を曼荼羅に見立て、自然の胎内で死んで生まれ変わるのだと内藤正敏氏は体験から語る。聖のなかには化外の民もいたことだろう。山の宗教の歴史に思いを馳せる。
夕方は日記を書いて子どもの頃の記憶と今日一日を振り返った。