ヴィルヘルム・ケンプの新盤のベートーヴェン・ピアノソナタ聞き直す。
ヴィルヘルム・ケンプのピアノはよく歌うピアノである。
たおやかで自由な、聞く者を受容するような優しい懐の深いピアノである。
ヴィルヘルム・ケンプのピアノは明朗な肯定の響きである。
代々教会のオルガン奏者の家系だったヴィルヘルム・ケンプには折り目正しい要素がある。
バッハ的な土壌のうえに花開いた美しいベートーヴェン演奏の系譜である。
ヴィルヘルム・ケンプの柔和な人柄をピアノ演奏が見事に表わしている。
何とも憎めない可憐なところがあるピアノの響きである。
適度に強弱をつけているが、誇張したところがまるでない。
飴色の蜜が森を潤すように聞く者を包み込むピアノ演奏である。
全ての疲れた者を憩わせてくれる木洩れ日のような温和な響きである。
音符の一つ一つが慈雨のように降り注いで尽きることがない。
飾り気のない暖かさを感じることのできるピアノ演奏である。
ヴィルヘルム・ケンプのピアノは希望とは何かを教えてくれる。
真摯な打鍵のなかに希望の息吹が込められている。
構築性よりも歌心を重視したところがヴィルヘルム・ケンプの切り札である。
繰り返し音楽愛好家が帰ることができる慈愛の響きがここにある。
旋律を慈しみながら演奏しているのが演奏から伝わってくる。
音符の間に親しみのある行間を作り出す感覚が豊かである。
うまいピアニストは多数いるが出汁の利いたピアニストは稀有である。
ケンプのピアノの抒情性はことばで言い尽くせない深い淵である。
旧盤のやや武骨な音作りに対して新盤は福音のようである。
ヴィルヘルム・ケンプ盤に針を落として憩えるのは感涙である。
飴色の蜜が辺りに滴って生き物たちが憩う森林
ヴィルヘルム・バックハウスの旧盤のベートーヴェン・ピアノソナタ着実によい。
ピアノの音と演奏は素晴らしい。
録音には1950年代らしさが漂っている。
古き良き時代の録音である。
バックハウスの演奏はウェットなところがなく、乾いた演奏だが朴訥な抒情性がある。
バックハウスはドイツ的精神性があり、ケンプは慈父のような抒情があるとされる。
けれども、バックハウスにも乾いた叙情性が聞き取れる。
時々指が気ままに動く。そこに好感が持てるのである。
真面目な人柄が感じられる剛直な演奏だが、音と音の間に品格がある。
バックハウスの中期のソナタの演奏は時に力が入り、鬼気迫るものがある。
月光も熱情も悲愴もワルトシュタインも告別も自然体で弾いている。
そのバックハウスの自然体の指使いが、今となっては貴重なのである。
バックハウスが弾くと木目調の自然体な音が場の空気を好ましくする。
バックハウスの控え目な指使いがベートーヴェンの依り代になって、音楽を奏でる。
デッカはいい演奏を記録してくれたものだと感心せずにはいられない。
交響曲でいえばコンヴィチュニーのような、あるいはルドルフ・ケンペのような存在だ。
古き良きドイツの自然体の演奏を聞かせてくれる貴重な存在である。
厳めしい顔つきを裏切らない実直な指使いがとても快い。
厳しい風土にぽつりと野の花が顔を出す。そのような瞬間がこの演奏にはある。
いい演奏に出会えて幸いである。至福はそう思える人たちのものである。
剛直な精神性がほころんで時折見せる永遠の詩情