大学の頃からの学友と話す。
「人生哲学とか書けとよく言われるが書けないよね。
昔の演習の優秀な女性は古典ギリシア語の文法書書いている。
原典主義は一種の重荷だった。
西部さんと江藤淳は似ている。ドゥルーズも自分で終止符を打った。バルトも故意の事故死だといわれている。
古典学の専門家に、哲学やるには永遠とか求めないとだめですかと訊くと、それがないとやってられないと答えてくれた。
私は古典学の捨て石になれと言われた。
知人が何か書きなよと言うのはそれほど重荷じゃない。
一からの構築じゃなくて今の仕事を応用するのは現実的だ。
小説はこう読め、論説はこう読め、—対策と深読みとかね。
昔、人文主義神学を生涯懸けて訳すと良いといわれて断った。
若い頃から、文筆畑と薔薇の名前の世界のギャップで悩んでいた。
人文学者はアラビア語とかヘブライ語とか読めたらしい。
あの時代はプラトンってモーゼでしょうとか平気で言う。
デジタルライブラリーは単語をクリックすると、正解候補が6つぐらい出てきて却って混乱する。
ミトプーとシェルヘンをきくのは自分でも変な趣味というけど、正統派を聞いてから手を出してるから変人指向とは一線を画すはずだ。今日、シェルヘンのメンブランのマーラーきて聞いてるのか。楽しいね。」と話す。
インティメートな会話なので詳しくは書けないが、楽しい会話だった。
久々に羽目を外して遠い日をたどり直してまた歩き出す