メンデルスゾーン箱のうち、声楽曲以外は一通り聞いた。
室内楽やピアノ曲はいいのが多かった。
今日、短縮版カントの「純粋理性批判」読む。
「純粋理性批判」は人は理性によって何をどれだけ知りうるかを問う。
カントは認識は対象に先立つと考えた。(コペルニクス的転回)
認識を可能にするのは、感性、悟性、理性。先天的認識とは
時間と空間。時間と空間がわかれば、悟性の枠が決まる。
先天的な受け皿があるから、人は対象を認識できる。
この対象はあくまで現象であって、物それ自体ではない。
理性は魂、自由、神などの実体を知ろうとするが、
それは理性の能力では不可能。
けれども魂や自由や神を、道徳的であろうとする必要から
人が望んでやまないことは事実として認める。
「実践理性批判」は、理性の声に従えば道徳法則に基づいて
義務によって正しい行動をすることができるとする。
「判断力批判」によれば、人や動植物は合目的に作られているから、
そのように世界を創った神を推論することはできる。
人間の幸福は理性によって最高善を達成することだろうと結ぶ。
こう書いてきたが、ふつうは
何が言いたいのかよくわからないと思う。ご参考までに。
魂や自由や神を知ることは理性だけではとてもできない
室内楽やピアノ曲はいいのが多かった。
今日、短縮版カントの「純粋理性批判」読む。
「純粋理性批判」は人は理性によって何をどれだけ知りうるかを問う。
カントは認識は対象に先立つと考えた。(コペルニクス的転回)
認識を可能にするのは、感性、悟性、理性。先天的認識とは
時間と空間。時間と空間がわかれば、悟性の枠が決まる。
先天的な受け皿があるから、人は対象を認識できる。
この対象はあくまで現象であって、物それ自体ではない。
理性は魂、自由、神などの実体を知ろうとするが、
それは理性の能力では不可能。
けれども魂や自由や神を、道徳的であろうとする必要から
人が望んでやまないことは事実として認める。
「実践理性批判」は、理性の声に従えば道徳法則に基づいて
義務によって正しい行動をすることができるとする。
「判断力批判」によれば、人や動植物は合目的に作られているから、
そのように世界を創った神を推論することはできる。
人間の幸福は理性によって最高善を達成することだろうと結ぶ。
こう書いてきたが、ふつうは
何が言いたいのかよくわからないと思う。ご参考までに。
魂や自由や神を知ることは理性だけではとてもできない