毎回、ブログの最後を短歌でまとめているのだが、
改めて過去記事を読み返してみると、「これが私の
作品です」と胸を張れるような短歌の割合がかなり
低いことに愕然とする。
その記事の文脈では妥当なまとめであっても、
短歌単体で見た場合、純度が低い。
そのなかで、よい短歌が書けるときというのは、
他の人の詩集や歌集や句集に触発されたとき、
また芸術、絵や映画に材を得たとき、
それから俳句を書いて短歌に作り替えたとき、
など、はっきりとした素材がモチーフになっているときが
多いのに気づく。
これは読む人の好みにもよるから、
日々雑記を短歌にまとめた雑感のようなものでも、
気に入ってくれる人も居ると思うが、
作品として単体で見たとき、日々雑記のまとめ短歌は
分が悪い。
歳時記片手の俳句のほうが、打率は高い。
いい短歌は、100個記事を読んでも8個程度だと思う。
でも多くの作は推敲すれば、かなりよくなる。
改めて過去記事を読み返してみると、「これが私の
作品です」と胸を張れるような短歌の割合がかなり
低いことに愕然とする。
その記事の文脈では妥当なまとめであっても、
短歌単体で見た場合、純度が低い。
そのなかで、よい短歌が書けるときというのは、
他の人の詩集や歌集や句集に触発されたとき、
また芸術、絵や映画に材を得たとき、
それから俳句を書いて短歌に作り替えたとき、
など、はっきりとした素材がモチーフになっているときが
多いのに気づく。
これは読む人の好みにもよるから、
日々雑記を短歌にまとめた雑感のようなものでも、
気に入ってくれる人も居ると思うが、
作品として単体で見たとき、日々雑記のまとめ短歌は
分が悪い。
歳時記片手の俳句のほうが、打率は高い。
いい短歌は、100個記事を読んでも8個程度だと思う。
でも多くの作は推敲すれば、かなりよくなる。