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読みたいと近頃思っていた、マルティン・ブーバーの
入門書、『ブーバーを学ぶ人のために』を読む。
基本的に、「我と我」「我と汝」
「我とそれ」の三つの事態がある。
「我と我」とは、私が私であること、加えて自分との対話を
指している。
「我と汝」とは、私とあなたが対話して成り立つ世界
のこと。ブーバーは、ここを重視して、対話の思想家と言われる。
さらに言えば、根源的な「汝」として、神の深淵がある。
ブーバーが、現代の神秘家と言われる所以ゆえんである。
最後の「我とそれ」の「それ」とは、対象一般や、対象化された相手を指す。
「我と汝」の対話を何より重視するブーバーは、我とは今躍動する私であり、
汝とは今躍動するあなたであるとと捉える。
「あなた」との対話なしに「私」は成り立たない。「あなた」とのかかわりの
なかで「私」は生きられる。このことは、主著「我と汝」の根幹をなす。
ユダヤ教を支えとするブーバーにとって、神とは「永遠の汝」であり、
いま話している「あなた」の奥にある深淵である。
ブーバーは、クリスチャンではないが、聖書とは「我と永遠の汝」の対話の書であり、
キリスト教徒は「永遠の汝」をイエスを中心に捉えている、と共感を示す。
対話の哲学者の稀有な思想を、ブーバーのなかに見いだせる。
汝との対話を抜きに我はなく汝の奥に深淵がある
入門書、『ブーバーを学ぶ人のために』を読む。
基本的に、「我と我」「我と汝」
「我とそれ」の三つの事態がある。
「我と我」とは、私が私であること、加えて自分との対話を
指している。
「我と汝」とは、私とあなたが対話して成り立つ世界
のこと。ブーバーは、ここを重視して、対話の思想家と言われる。
さらに言えば、根源的な「汝」として、神の深淵がある。
ブーバーが、現代の神秘家と言われる所以ゆえんである。
最後の「我とそれ」の「それ」とは、対象一般や、対象化された相手を指す。
「我と汝」の対話を何より重視するブーバーは、我とは今躍動する私であり、
汝とは今躍動するあなたであるとと捉える。
「あなた」との対話なしに「私」は成り立たない。「あなた」とのかかわりの
なかで「私」は生きられる。このことは、主著「我と汝」の根幹をなす。
ユダヤ教を支えとするブーバーにとって、神とは「永遠の汝」であり、
いま話している「あなた」の奥にある深淵である。
ブーバーは、クリスチャンではないが、聖書とは「我と永遠の汝」の対話の書であり、
キリスト教徒は「永遠の汝」をイエスを中心に捉えている、と共感を示す。
対話の哲学者の稀有な思想を、ブーバーのなかに見いだせる。
汝との対話を抜きに我はなく汝の奥に深淵がある
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