1976年
愛奴の解散から
ソロになった
浜田省吾さん
吉田拓郎のバックバンドで74年の全国ツアーで、デビューしてから
ドラムを叩いていた
ハマショー
彼のやりたかったことは
まだ 具体的に描かれてなかったし
実現もしてなかった。
愛奴の解散で一つの夢が
挫折し、
もう一度振り出しにもどった形からの
ソロスタート
回り道が近道になるか
まだ
道半ばの状態でも
発売された
『生まれたところを遠く離れて』
ファーストアルバム
の第一曲目
は
「路地裏の少年」からの
始まりからだった。
吉田拓郎の背中を追いかけて
とりあえずスタートラインに着いた
ハマショー
独自の音を一から積み上げていく最初の歌は
どこまでも青臭く
遅れてきた
先駆者になっていた。
曲が懐かしいカントリーフォークの匂いがする 仕上がり
僕はすぐに浜田省吾さんをマークした。
期待を寄せて
彼の作る音を待ちわびた。
そして
彼が売れて
メジャーになるまで
まだ
5年はあとの話となるのだった。
愛奴の解散から
ソロになった
浜田省吾さん
吉田拓郎のバックバンドで74年の全国ツアーで、デビューしてから
ドラムを叩いていた
ハマショー
彼のやりたかったことは
まだ 具体的に描かれてなかったし
実現もしてなかった。
愛奴の解散で一つの夢が
挫折し、
もう一度振り出しにもどった形からの
ソロスタート
回り道が近道になるか
まだ
道半ばの状態でも
発売された
『生まれたところを遠く離れて』
ファーストアルバム
の第一曲目
は
「路地裏の少年」からの
始まりからだった。
吉田拓郎の背中を追いかけて
とりあえずスタートラインに着いた
ハマショー
独自の音を一から積み上げていく最初の歌は
どこまでも青臭く
遅れてきた
先駆者になっていた。
曲が懐かしいカントリーフォークの匂いがする 仕上がり
僕はすぐに浜田省吾さんをマークした。
期待を寄せて
彼の作る音を待ちわびた。
そして
彼が売れて
メジャーになるまで
まだ
5年はあとの話となるのだった。
